きっかけは些細なことから
この世界はどうなっていくのだろう。
そんな事を高校二年生の佐藤 怜央は憂いている。
科学の発展が著しい昨今。特に驚いたのが発電のためにソーラーパネルを月に設置したことだろうか。なんか発電した電気をマイクロ波に変換して地球に照射し、それを地上で電気に変換そうだ。エネルギー問題が解消されたようにも感じるが、実はあまり効果はなかったりもする。やはり、エネルギーの使用量を考えるべきだ。そうしなければ、この人類の文明は長くはもたないだろう。
そもそも、人類の文明を滅亡させる危機など、それだけではない。空から降り注ぐ隕石、天変地異、太陽が気まぐれを起こすだけでも簡単に文明は消滅する。それほど人類は無力だ。
怜央はそんなことを考え、柵を飛び越える。
別に怜央は本当に大きな世界について憂いているわけではない。ただ目の前の出来事から逃避する為に考えているだけだ。
「待てよてめぇ!」
後ろからそんな罵声が飛んでくる。聞こえてくる声は一つじゃない。三つは聞こえてくる。
待てよと言われて待つやつはいないが、言いたくなるのが心情だよなぁと怜央はまた逃避のために考えるが、現実は変わらない。
端的に言おう。怜央は今、走って逃げている。それも、明らかに不良と分かる風体の三人から。
「はっ……はっ……」
一言も発する余裕もなく、相手を巻くために路地から路地へ走り抜ける。体だけは鍛えているのでまだ余裕がある。このまま逃げ切る事は出来るだろう。やっぱり柄にもないことするものじゃないなぁと、怜央は先程の自分の行動を悔いていた。
今日は朝から運が良かった。それは別にたいしたことではない。朝食を作っていたら玉子の黄身が二つだったとか、登校中に五百円玉を拾ったとか、それを機嫌がいいので交番に届けたら偶然旅行帰りの警察官がいてお土産のお菓子をもらえたとか、昼食用にコンビニで買い物をしたらくじが引けてそれで割引券が手に入ったりとか。
学校は学校でいい事が続いた。それこそ今日一日で運を使い切りそうな勢いで。
しかし、初めこそ気にしたものの、途中からそんな些細な事は気にならなくなった。
その後も幸運は途切れることはなかった。学校帰りに何気なく立ち寄った喫茶店でサービスデイだったらしく、飲み物が無料になった。
そんな気分の良いまま喫茶店の外にでて、しばらく歩いたところにあった薄暗い路地。そこに明らかに絡まれている少年がいた。
日頃なら確実に無視を決め込んだ。しかし、幸運続きで調子に乗ってしまったのだ。やめておけばいいのに声をかけた。それが、この後の悲惨な時間の始まりとなってしまったのだ。
「ただいまぁ……」
怜央はドアを開けながら声をかけた。
ここはマンションの二階。その階にある一室。なんとか不良たちを振り切り、自分の部屋に無事帰ってこられたのだ。
怜央はここで独り暮らしをしている。別に親が亡くなったとか、家に居づらいからとかではなく、ただ単純に一人暮らしに憧れてのことだった。
その暮らしを始めてからもう一年とちょっと。面倒な事は沢山あるが、おおむねこの生活が気に入っていた。
「今日は何を食べようか……」
一人事が増えたのは一人暮らしを始めてからだ。そうやって一人の静寂を紛らわしていた。
「まぁ、冷蔵庫の中にあるものでどうにかするか……」
本当に適当に何も確認せずに取り出すと、それを電子レンジに放り込む。もとより面倒くさい日は冷凍食品で済ませていた。最近は種類も豊富で、飽きることもない。
そんな風にちょっとは特別なことを挟みながら怜央の一日は普通に過ぎていく。今日この日が終わるまでは。
今日も朝からついている――――などという事はなく、怜央の一日は何も変哲もなく始まった。
そして学校の授業もいつも通り刺激もなく進んでいく。
「なぁ怜央、今日暇か?」
授業が終わると同時に声をかけてきたのが斉藤 創。怜央と良く遊んでいる友達である。
「暇だけど、またゲーセンでもいくのか?」
面倒くささを前面に出した怜央の言葉に創はにやりと笑った。
「いいや、デートだ」
「は?」
その意味がつかみきれず、思わず疑問の声を出す。その反応を期待していたのか、創の笑みは一層強くなった。
「まぁ、デートとはいっても女子と遊びに行くだけなんだけどな。しかも他校の」
創の説明で怜央はすぐに理解する。そして思わず顔がほころんだ。
「いいな、それ。可愛いんだろうな?」
「当然。写メはないけどな。話つけるのに中学の同級生に借りを作った」
創はそこでものすごく嫌そうな顔になる。きっと無理難題を吹っ掛けられたのだろう。それでも創が納得したのだから期待できる。怜央はそう考えた。
「今日の放課後が楽しみになった」
「いや、その予定は日曜日の朝十時からだ」
「は?」
また話についていけず、疑問の声を発する。今の話の流れからは今日の放課後に遊びに行くとしか怜央には思えなかったのだ。
「言い方が悪かったな。今日は下見にって誘いだ」
「……そうか」
微妙に肩透かしだったが、楽しみなのには変わりはない。
「でも下見にはいかないからな」
それでも下見をしてまで相手を楽しませることなど、怜央はやる気がなかった。
その日の帰り、昨日不良に追いかけられた始まりの地点。そこに怜央が差し掛かると、昨日助けた少年が立っていた。
少年は携帯ゲーム機を持って道の真ん中に立っている。迷惑そうな目を見けられても全く気にせず、何かのゲームを一心不乱にやっていた。しかし、何かを感じ取ったかのように顔をあげると、目線をしっかりとこちらに向けてきた。
「あぁ、やっと来た」
しっかりこちらを見ているはずなのに、少年の目はどこか別のところを見ている。彼はそんな目をしていた。
「学生みたいだし、ここを通ると思っていたよ。昨日のお礼がまだだったね」
お礼という割にはこちらのことなどどうでも良さそうに見える口調と目で少年は言う。
「ありがとう。昨日は本当に助かったよ」
少年は言葉の間にしっかりとこちらに接近していた。これでもう、無視するという選択肢はとり辛い。意識的にしろ無意識的にしろ、怜央としては厄介だった。
「たいしたことじゃない。気にしないで」
しかし怜央は関わりたくはなかった。昨日は機嫌が良かったから関わったが、日頃なら絶対に知らない人に話かけない。よってとる行動は基本的にすぐその場から逃げる、である。
「そんな邪険にしないでよ。ちょっと面白い話もあるからさ」
しかしその心が読まれた様に、少年は笑って言葉で行動を先に制してきた。
「面白い話?」
その場を去るのは無理。そう判断して怜央は話を聞くことにする。相手が好意的なのも理由の一つだ。
「あぁ、名乗りがまだだったね。僕の名前は山本 しのぶ。面白い話はゆっくり話そう。大丈夫。お金は僕が持つよ」
少年、しのぶは笑みを浮かべながら言う。その日から、怜央の二重生活が始まる。