「 寧々 」
例年より梅雨入りが早く、“紫陽花が露に濡れ”などという光景もまだ見ていない5月の下旬。
連日のテレビの天気予報のコーナーからも「今日も雨模様でしょう」という言葉が毎日のように流ている。
「また雨か……」
そんな独り言を言いながら、いつものように、午後からの仕事に備え、パソコンに向かっていると、膝のあたりに少しの重たさと温もりを感じた。
見ると、愛犬の寧々が私に寄り添って、それは心地よさそうに寝息を立てて寝ている。
「いいね~、寧々は」
またも、独り言を言いながら、寧々の頭を撫でていた。
寧々はトイ・プードルで、生まれて1か月もたたないうち、まだ手のひらに乗ってしまうくらい小さな時に我が家へ来た。
その時は、天使が来てくれたのかと思う程、その存在が愛おしく、名前も人間につける名前のように“寧々”と漢字にまでしてしまったくらいだった。
溺愛して育てたせいか、成犬になっても、未だ“赤ちゃん”の時と同じように甘えてくる、それは可愛らしい、我が家の天使。
その時、ふと思った。
「生まれ変わったら、寧々になりたいな……ご飯つくってもらって、こんなに可愛がってもらって、雨の日も外へ出なくていいし、寝たい時に寝てるし」
毎日のようにどんよりとした曇り空を見ながら仕事に忙殺されすぎているせいか、何故かやけにはっきりと自分の置かれている現状を、客観視出来てしまっている自分がいた。
そして……頭の中の現実逃避。
梅雨が明け、それとともに、テレビからは「熱中症に注意してください」と連日のように聞かれるアナウンサーの声。
それでも、家へ帰っても、残りの仕事に負われる日々は変わることなく続いていた。
そんな私を見つめてくれている寧々の視線とその存在に癒されていたことは言うまでもなく。
今年の夏。
寧々のその視線を、もう二度と感じることはなくなった。
あの朝。
寧々は逝った。
どうして、寧々の様子が違っていることに気付かなかったんだろう!
苦しかったんだろうな……すやすやと寝ているようなその顔には、涙がつたった跡だけが残り、ただ「ごめんね」としか言ってあげることが出来ない静かすぎる時間が、止まることのない涙と一緒に流れていた。
「忙しいを理由にするな」というのは、私の父の遺言。
“忙しい”を理由にして、最愛の寧々をこの腕の中で逝かせてあげることさえ出来なかった。
今も自責の念だけが私を苦しめている。
去年の夏の終わり。
家のベランダから見える花火大会をふたりで見ていた時、寧々に言った言葉がある。
「来年の夏も、一緒に見ようね」
~ 了 ~
2012年7月の終わりに、長年一緒に暮らした愛犬寧々が天国へ旅立ちました。
レクイエムのために……。
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