ドーナツにはなんで穴が空いてるのか問題
「おつかれー……何? くそ暗い顔してんだけど」
トレーを持ったハルトは、顔を見るなり失礼なことを言ってきた。委員会とかで人を待たせてたくせにこの態度。マスクの下で鼻にチョークでも詰まればいいのに。念じたけど、マスクを取ったハルトの顔は通常通りそこそこイケメンだった。
「ドーナツがさー」
「何、追加買うなら自分で買えよ」
「ドーナツが穴空いてるんだよ」
「どうした急に」
カフェオレに、ソーセージ系のやつに、チョコかかってる系のやつ。いつものセットのハルトは、私を怪訝そうな顔で見た。ミルクティーに、黒糖系のやつの私はほとんど食べ終わっている。もうひとつ食べたいけど太りそう。太りたくないけど食べたい。
「なんでドーナツに穴空いてんの?」
「火が通りやすくなるから」
「そういう問題じゃない。なんでこんなにぽっかり空いてるの」
「いやそういう問題だろ……」
ひとかけらだけ残してあったドーナツには、もう穴の気配はなくなっている。けれど確かに30分前までここに、穴は存在していた。ぽっかりと。
「空虚な穴だよ。何も詰まってない。むなしい。悲しい」
「なんか嫌なことあったんか」
「私の心の穴に似ている」
「急にポエマー化してんだけど何」
学生で騒がしい店内でひとつだけ空いていたテーブルを確保して、座って視線を落としたら穴があったのだ。今までもあったのに、なんで気が付かなかったんだろう。ここにあった生地の代わりに虚しさが詰まっているのだ。
そう言ったら、ハルトは眉を寄せたままカフェオレを飲んだ。それからドーナツ。しょっぱい系あるのに先に甘いドーナツ食べる神経はほんと意味わからない。
「いやなんなん。寒いからか?」
「北風がドーナツの穴を通り抜けていく……」
「やめろって。店内でポエム作んなって」
ハルトの手にある空虚の穴を見つめながら私が呟くと、イヤそうな顔のハルトがドーナツを半分にちぎった。そんなことして穴に詰まっていた空虚が漏れ出て私の心の穴に流れたらどうするの。
「遅れてごめんって。委員会忘れてたわ」
「別に。そんなんで空虚が広がるわけじゃないですけど」
そりゃ、周囲を学生カップルに挟まれて心に何か突き刺さってましたけど。なんかチラチラ見られたりしたけど別に。私も彼氏と待ち合わせだし別に。
「あ、テストか。不安なら待ってる間勉強してろよ」
「今テストの話はしてないの! ドーナツの話なの!」
「おばさん愚痴ってたぞ」
「お母さんとラインしないでよ」
あっという間にドーナツを食べ終わったハルトは、ソーセージのやつにとりかかった。私が知ってる限り、ハルト、毎回これ食べてる。昔からずーっと同じだけど飽きないんだろうか。
「穴が空いてないから飽きないの?」
「は?」
「それ、穴空いてない。だからハルトには虚しさがないんだ」
「意味わからん」
ドーナツの穴には何も入ってないけど、私の心の穴にはブラックホールでも詰まってるのかもしれない。周りの部分を凹ませて暗闇に吸い込もうとしてるんだ。
そう言ったらハルトは「わかったから声小さくしろ」と言った。ブラックホールよりも他人の目を気にするなんてひどい。
勝手に落ち込んでテーブルに肘を付くと、頭のてっぺんをつつかれた。
「ん」
「なに」
「はよ」
「なにが」
顔を上げると、ハルトはハムスターみたいにほっぺを膨らませていた。さっき食べ始めたばっかりなのに一瞬じゃん。大食いにでも目覚めたらどうしよう。私の心配をよそにハルトはちょっとキツそうな顔をしながらカフェオレで飲み込み、それから私の方に手を差し出した。
なんだろう。ゴミまとめてくれんのかな。
「なんでゴミ渡してんだよ」
「片付けるのかなって」
「ちげーわ。早く立てって」
「もう帰るの? 早くない?」
もうちょっと喋りたかったのに。ドーナツの穴と同じサイズだった私のブラックホール入り心の穴が広がってしまう。そういうとハルトはアホかと言った。
「お前、腹減ってんだろ。いつも腹減ってると変なこと言い出すんだよな」
「ドーナツ食べたから」
「いいから買いに行くぞ」
ハルトがそのまま歩いていってしまったので、私は慌ててマスクをしてから財布とスマホを持って追いかけた。狭い階段でサラリーマンとすれ違って、降りた1階ではドーナツを選ぶ列ができていた。やっぱり先に来ててよかった。学校で待ってたら席なかった。
ハルトと私は一番後ろの列に並ぶ。陳列棚にはたくさんの空虚が小麦粉と砂糖と卵と油の塊をまとってお行儀よく並んでいた。
「悲しいね……」
「いいから手、消毒しとけよ」
ちょっとベタベタする消毒液を手に塗りたくっていたら、レジがひとつ開いて列がかなり進んでいた。ハルトが先に行ってしまっていて、私のブラックホールが大きくなろうとする。こんな状態で穴のあいたドーナツなんか食べたら、もっと穴が広がってしまう。行かないでって念じたら、ハルトはこっちを振り向いた。
「邪魔になってるから早く」
顎で私を動かしたハルトは、そのままレジに行ってしまった。ドーナツを諦めてハルトのところに行くと、店員さんがお皿にドーナツを移し替えている。
1つ、2つ。
そのうちひとつは、私が食べてた黒糖のやつだ。美味しいのに、ハルトは食感が好きじゃないとか言って食べない。
「ほら、これ持って早く戻れ」
トレーを渡されて、背中を押されてまた狭い階段を登った。いつの間にか他校の男子グループが隣に座っていてかなり騒がしい。
ハルトは椅子に座るとマスクを下げてカフェオレを飲んだ。
「……おごり?」
「もうポエムすんなよ」
目を合わさずに2個目のチョコドーナツを食べ始めたハルトは、店員さんを呼んでカフェオレのおかわりを頼んだ。私はまたうつろな穴を抱えたドーナツを両手で持って、じっと眺める。
「この穴には愛情がこもってるかもしれない……」
「かもじゃねえし」
ドーナツをあっという間に食べているハルトは、耳がちょっと赤かった。
「ハルトもポエムじゃん」
「一緒にすんなって」
馬鹿じゃね、てか勉強しろ、とか言うけど。
なんかハルトのこういうとこ好きになったんだよなーと懐かしい気持ちになる。
「今日手つないで帰ろ」
「やだよ」
「お願い。ドーナツ半分あげるから」
「俺の半分貰う気だろ」
口を開けて目一杯ドーナツを齧ると穴が崩壊する。ぎゅうぎゅうに詰まっていたハルトの愛情は、私の心の穴におさまってブラックホールと仲良く同居した。