2話 幸せはいつもすぐに壊れる
ユウキにはミナの他にもう一人幼馴染がいた。加藤ユウイチ。ユウキにとって最も良き友人であった。そして、ユウキが引きこもるようになった原因でもある。ユウイチは誰にでも慕われ、頼りにされるような男だった。常に周りを引っ張っていくようなリーダー的存在だった。交友関係が狭いユウキと違い、幅広い交友関係を持っていた男だった。
その人脈を駆使し、ユウキが誰かと喧嘩などした時に仲裁に入ることも度々あった。そんな彼をユウキは信頼していた。彼は一見チャラそうな外見をしているが、実際は真面目で、とても優しい男だった。その優しさ故、彼は悩みを人に言うことはなかった。親友のユウキにさえ。
彼は、中学二年の時に死んだ。実の父親の手によって殺された。ユウイチの父親はろくでもない父親だった。昼間はパチンコに行き、夜は酒を飲んで酔っ払いの状態で帰ってくる。当然、働きもしない。母親が働いてるおかげで、なんとか生活できた。ユウイチは、父親からの愛を感じたことはない。
それでもユウイチが優しく明るい人間だったのは母親のおかげだ。母親はユウイチに限りない愛情を注いだ。それゆえユウイチは、父親のような人間になってしまうことはなかった。だが、どんなに善良な人間でも悪意には簡単に逆らえない。大切な物はすぐに壊れてしまう。
その日、ユウイチは、いつものように家に帰った。玄関で靴をそろえていると、リビングのほうから父親の怒鳴り声が聞こえてきた。急いでリビングに行くと、父親が母親を殴っている光景が目に入った。ユウイチは、慌てて母親を庇うようにして父の前に立ち、やめるよう説得した。
だが、父親はユウイチの行動が自分に逆らっているように感じた。彼は逆上して、ユウイチの頭を掴み、風呂場に引きずった。そして、ユウイチの頭を風呂桶に突っ込んだ。ユウイチは抵抗したが、やがて力尽き、溺死した。彼は父親の手によりその命を落としてしまった。
ユウキはユウイチの訃報を聞き、ユウイチの父親の面会に来た。彼を責めるために。ユウイチの死は悲惨なものだった。何故、親友は身勝手な男のために死ななければいけなかったのか? ユウキは親友の父親を責めた。だが、ユウイチの父親から返ってきたのは、冷ややかな視線と理解しがたい言葉だった。
「俺は悪くねえ。悪いのは、この俺に逆らったあいつだ。あいつが一番悪い。むしろ俺は、被害者だ」
「……は?」
「親である俺に逆らうなんてとんでもない野郎だ」
「ふざけるな‼ お前の……お前のせいでユウイチが……!」
「ユウイチが死んだ原因はお前のせいでもあるだろう?」
「は? 何を言ってる⁉」
「あいつがたまにけがをしているの見たことなかったのか? もしそれに気づいて相談に乗れば結果は違ったんじゃないのか? 友達なのに冷たいんだなあ」
何を言っているのか意味がわからない。わかりたくもない。ユウイチが死んだのは間違いなく、この身勝手な父親のせいだ。
だが、この男の言う通り思い出してみれば、たまにユウイチはけがをしていることがあった。そのことについて聞くとユウイチはいつも何でもないとごまかし、少し寂しそうに笑っていた。前触れはあった。もし、あの時詳しく聞いていれば、ユウイチがとる行動は変わっていたかもしれない。事前に防げたかもしれない。
——助けられたかもしれない。
「あああああああああああああああああああああ!!!!」
ユウキは叫んだ。自分の行動が違えば助けられたかもしれない。そのことに気づき、ユウキは絶望する。もしかしたら。もしかしたら。もしかしたら。もしかしたら。ユウキは自分を責めた。もちろん、ユウキには何の非もない。しかし、ユウキは自分を責めずにはいられなかった。
ユウキはこれまで、ユウイチ以外にも大切な人を失っていた。ユウキが赤ん坊の時に母親は失踪し、男手一つで育ててくれた父親はユウキが小学三年生の頃に事故で死んだ。その後、ユウキの面倒を見てくれた叔母は過労死。ユウキの祖母や祖父はユウキの面倒を見るどころか、ユウキを疫病神扱いし、ユウキを拒絶した。そして、今回のユウイチの死。幼少からいつも自分の隣にいてくれた彼は死んだ。
もう——限界だった。
ユウキはショックのあまり引きこもるようになり、ストレスで髪の色が落ちた。そして、その自分の髪を見るたび、ユウイチのことを思い出すのだった。幸せはいつもすぐに壊れる。ユウキが幸せを感じると、すぐにそれは容易く壊されてしまう。幸せな生活を送ることをユウキは許されない。いつも、壊されてしまうのだ。
「じゃあ、そろそろ帰るか」
「そだね」
ユウキとミナはユウイチの墓参りに来ていた。彼らは毎年、ユウイチの命日には必ず墓参りに来る。
「あいつがいなくなって、もうこんなに経つのか……」
「いまだに信じられない……しばらくすれば、そのうち私たちの前に現れるんじゃないかって思うよ。そんなことあるわけないのにね」
二人はしばらく今は亡き友人に想いを馳せる。
「……行くか」
「……うん」
二人は立ち上がり、墓に向かって、合掌した。もう会うことのない友のために。
(……もう、立ち上がらなきゃいけないよな)
帰り道、会話らしい会話もない道中、ユウキは昨日のミナとの会話を思い出していた。
(いつまでもミナに迷惑をかけるわけにはいかない。それに、あいつが俺の今の姿を見たらきっと怒るだろうな。そろそろ、受け入れなければいけない。ミナのためにも、俺は……俺は……)
ユウキは、ふと顔を上げた。目の前から一人の男がこちらに向かって歩いてくる。一瞬目が合う。
「っ⁉」
ユウキはその男の顔を見て、一瞬寒気を感じた。男の目は血走っている。まるで誰かを殺したくてたまらないと言いたげだった。虚ろな表情で男はユウキ達のことなど目に入ってないかのようにゆっくりと歩いてくる。
ユウキは少し迷うがそのまま歩き続けることにした。どうせ、何も無い。そう思った。だが、すれ違う瞬間。
「きゃっ!」
男がミナのバッグを奪い、逃走するのが目に入る。
「ま、待て!」
ユウキは逃走する男を追いかける。遅れて、ミナも追う。男は袋小路に入る。おそらく、この辺りの地形には詳しくないのだろう。やがて、男は立ち止まる。当然だろう。男の目の前は壁があり、行き止まりなのだから。
「……ただのひったくりか。だが、そんなことはいい。早く返せ。この近くには交番もあるぞ? さあ、はやく!」
ユウキは男に向かって叫ぶ。次の瞬間、男はいつの間にかユウキの目の前にいた。しかも、その手には包丁が握られていた。
「なっ……!」
ユウキは男から逃れようとするが、男は無慈悲にその凶器でユウキの腹を刺す。ユウキは膝から崩れ落ちる。
「ひゃはははははは!」
男は狂気に満ちた笑い声を上げながらユウキを再び襲おうとする。
「っらァ‼」
ユウキは力を振り絞って素早く立ち上がり男を蹴る。ユウキの反撃に男はよろめく。だが、ユウキの体力もそれが限界だったか、再びその場に倒れる。
(いつの間に俺の間合いに入り込んでたんだ? 痛い……。もう身体に力が入らねえ。っ! そんなことより!)
気づいた時には、遅かった。鈍い悲鳴が聞こえ、隣に彼女は倒れる。ユウキは見たくないと思いながらも隣に目をやる。そこには、血だらけで倒れているミナがいた。
「ミナ‼」
男が狂気に満ちた笑いと共にこの場から走り去る。だが、そんなものはどうでもいい。ユウキは痛む体を無理矢理起こし、ミナを抱く。
「ミナ! しっかりしろ‼ ミナ!」
「ゆ、ユウキ……」
ミナはユウキを見上げる。その顔はとても弱々しい。
「ミナ……!」
ユウキはその顔を見て、思わず抱きしめる。だが、ユウキの体も限界だったのだろう。ユウキはまたしてもその場に倒れてしまう。そして、悟ってしまう。
「ユウキ、私たち……死んじゃうんだね……」
「…………ああ、おそらく……救急車を呼んでも間に合わないな」
「ねえ、ユウキ……」
ミナはそっとユウキの手を握る。
「最期の……お願い……あの答え、聞かせて?」
ミナは弱々しい笑顔で言う。あの答え。ユウキには言われなくても分かっていた。
「ああ……好きだよ。ミナ……!愛してる。いつまでも、おまえの隣にいたかった……!」
それは、告白の答えだった。素直になれず、いつもはぐらかしていたその答え。毎日のように告白してきたミナ。本当は好きなのに素直になれなかった。けど、最期だから本当のことを言おう。それがユウキ
の想いだ。
「ミナ……!」
「ありがとう、私もユウキのことが好きだよ。ありがとう、私を救ってくれて。ありがとう、私を見つけてくれて。ありがとう……! いつも、私を助けてくれて」
「ミナ……! 俺こそ、お前に救われた。いつも、俺の側にいてくれた! お前がいなかったら……俺は……俺は……!」
ユウキの言葉を聞いてミナは笑顔になる。だが、すぐに暗い表情になる。
「……死にたくないよ……!」
ユウキはハッとする。ミナは泣いていた。
「嫌だよ。死にたくないよ……!せっかくユウキと両思いになったのにこのまま死んじゃうなんて。そんなの……あんまりだよぉ……!」
泣きじゃくるミナに何も言えず、ユウキはただ黙っていた。泣いても時間の無駄だと思ったか、ミナは泣くのをやめ弱々しい力でユウキの手を掴む。
「ユウキ……。ねえ、ユウキ。あの世ってあるのかなあ」
ミナは弱々しい笑顔でユウキに問う。
「……わからない。けど、もしもあるなら、お前がどこにいようと俺はお前に会いに行くよ」
「ありがとう。ユウキ。……その時は、また……私を……見つけ……てね」
それがミナの最期の言葉だった。彼女はそのまま目を閉じ、動かなくなる。そしてユウキもまたミナと同じように目を閉じ動かなくなる。しばらくし、雨が降りだした。まるで二人の悲しみを代弁するかのように強く降っていた。
雨の下には互いを想い、死してなお手を繋いでいる男女の亡骸があった。
悲しき運命———