勇者パーティを追放された鑑定士、第三王女につきまとわれる【短編】
ずんぐりとした森林を空から見下ろすと、少し開けた場所に湖がある。湖の周りにはログハウスが点在していて、小さな集落を為している。
その外れに、ポツンと立った一軒家が俺の家だ。
村の外周をぐるっと半周したところから伸びる王都に続く道を、俺は今、人力車を引いて歩いている。
「ゼクス、止まりなさい!」
時刻は早朝、山に掛かる暁霧はただ白く茫として、東の空が茄子色に染まるころ。後ろに乗せた幼馴染に声をかけられ足を止める。
人力車を止めて振り返る。
「どうした? リラ」
「あそこ、透き通った水色の花があるわ」
幼馴染のリラは少し遠くの草原を指さす。
つられて指先を目で追ってみると、確かに綺麗な花が咲いていた。宝石のように透き通った花は、薄明の中でも輝いている。
俺はじっと目に力を込めた。
昔から俺は、幽霊であったり言霊であったり、人には見えないものが見えた。たいていは使い道が無く、ただ視界が騒がしくなるだけだったけど、中には便利な機能も存在する。
「本当だ。クリスタルアルラウネだね」
例えばこの、鑑定能力。
詳しく知りたいと思いながら何かを凝視すると、対象の詳細が見えるのだ。この能力をいかして俺は、勇者パーティの鑑定士をやっている。ちなみにリラは勇者パーティの剣姫。なんか負けた気になる。
アルラウネは、花に擬態する魔物だ。
綺麗な花に誘われた獲物を不意の一撃で捕食する。
目の前にあるのはその中でもクリスタルアルラウネという、全身が水晶で出来た希少種である。擬態能力が通常個体より劣るため、栄養失調で枯れる個体がほとんどだ。
そんな珍しい花にお目にかかれるなんて。
今日はいい事がありそうだ。
「摘んできなさい」
「……なんて?」
聞き間違いか?
摘んできなさいって言った?
クリスタルアルラウネの討伐ランクはB。
熟練の冒険者がパーティで行動してようやく倒せるかというレベルの魔物だ。それを、ただ人には見えないものが見えるだけの凡夫に取って来いと?
はっはっは、ご冗談を。
「摘んできなさい」
うぇいうぇい。
男の植物エンドってどこに需要があるんです?
少なくとも俺にそんな趣味は無いです。
彼女にもそんな趣味があるとは思いたくない。
よし、どうにか話をそらそう。
「……幼馴染のお花摘みを手伝う勇気は無いなぁ」
「ぶっ飛ばすわよ」
「ごめんなさい」
俺のかじ取りはどうやらお気に召さなかった様子。
口元に浮かべていた笑みがサッと消え失せるのを見て、俺はすぐさま降参した。彼女はゴミクズでも見るような目で俺を蔑み、冷たく言い放った。
「三度同じことを言わせないで」
「ねえ待って、言ったよね。あれはただの植物じゃなくてクリスタルアルラウネ、魔物なんだよ」
「だから?」
「死んでしまいます」
俺はその場で土下座した。
これぞ和の心。
武士道とは死ぬことと見つけたり……ダメじゃん?
「チッ、本当にノロマね」
リラが悪態を吐きながら立ち上がった。
彼女の影が俺を覆うのが分かり、踏まれるんじゃないかと思って、あわてて顔を上げる。すると、一般人には見えないものが見えた。
言うまでもなく、プリーツスカートの中身である。逆にそれ以外何が見えるというのか。とりあえず拝んで、恭しく頭を垂れる。男の礼節である。
しかし紳士な俺はこんな状況で、まして幼馴染に欲情することも無い。きわめて冷静に、つとめて沈着に幼馴染を止める。
「待って!」
「もう、何よ!」
彼女は相当お冠。
ともすれば般若面すら幻視できそうだ。
つまり般若はお姫様。
世界の法則が乱れる。
俺は秩序をもたらすべく、彼女の怒りをなだめることにした。誰だよ、こんなにも彼女を怒らせたやつ。
「クリスタルアルラウネはBランクの魔物だ! どうせギルドに向かう予定だったんだ。みんなと合流してから再挑戦しよう、ね?」
「のんびりしてる間に取られたらどうするのよ!」
「確かに! 急いでギルドに向かわないと!」
「ええそうね……って違う! 今ここで私が倒したら済む話なのよ!」
騙せなかった。
「離して!」
「ダメだ。危険すぎる」
「ゼクスのくせに私に口答えする気? 生意気よ!」
「リラ様、憚りながら申し上げます」
「言い方の問題じゃない!」
いよいよ怒ったリラが、膂力で俺の手を無理やり引き剥がした。彼女は俺と違って剣姫と呼ばれるほどの才能の持ち主で、力比べでは敵わない。
「ふん!」
「あ、リラ!」
俺に背を向け、クリスタルアルラウネに向かって走り出す彼女。急いで後を追いかける。
彼女の後ろを追いかけていたからこそ、俺は気付くことができた。彼女の後ろ、あるいは俺の前方の地面がぼこぼこと隆起していることに。
「リラ! 下だ!」
「下? ……っ!」
次の瞬間、彼女の足元から水晶が生えた。
イバラの鞭のように、するどくとがった水晶柱だ。
すんでのところで気付いたリラは、半身を翻しつつ跳躍。かろうじてクリスタルアルラウネの攻撃を回避する。
ほっとしたのも束の間。
クリスタルアルラウネの蔓は一本ではなかった。
さらに三方向から、彼女を覆うように蔓が伸びる。
「きゃあっ」
「リラ!」
触手が彼女の四肢にまとわりつく。
蔓から生えた棘が、彼女の柔和な肌を切りつける。
ミシミシと音を立てながら、絡み付く蔦がリラを締め付ける。いや、そんな生易しい物じゃない。
あれは骨ごと折るつもりだ。
「こっちだ化け物!」
冒険用のバッグから手投げ式炸裂弾を取り出す。
火打石で出来た指輪をカチンと打ち付け、着火。
両手で一つずつ投擲。ジャスト蔦付近で炸裂。
断末魔を上げて地中に逃走したのは三本だった。
残りの一本は、突進で。
「うおっ、標的を俺に変えたか。ちょっと剣姫リラを甘く見てるんじゃねえか?」
俺が体当たりするより早く、天に向かって伸びた蔓が頭を垂れて俺に降り注いだ。昔から目だけは良かったんだ。そんな見え透いた攻撃なら避けきれる。
その間に彼女が攻撃してくれれば、二人で逃げる隙だって作れるかもしれない。リラならきっと、俺の意図を汲み取ってくれる。
汲み取ってくれる、はずだった。
俺の中では。
「ゼ、ゼクス! 私が逃げ切るまでそいつの相手をしてなさい!」
頭を、鈍器で殴られた気がした。
実際にそんな事は無く、今のところ負傷も無い。
ただ、思考回路がショートした。
「……ぇ?」
繰り返し、繰り出される、アルラウネの触手。
攻撃の隙を縫い、彼女を探す。
「……リラ?」
見つけた。
見慣れた彼女の後姿。
見なければ良かった。
どんどん遠ざかる彼女の背中。
俺を捨てて、逃げ出した。
そう、理解するのに、時間は掛からなかった。
ねえ、嘘だよね。
だって、一緒だって、言ったじゃん。
「どうして……」
胸の底がぎゅっと締まる。鼻の奥がツンとする。
目の裏側から、じゅっと熱くなる。
……まだ俺の背丈が、今の半分くらいだったころ。
人には見えないものが見える俺を、村の皆は不気味がり、異端児扱いした。村八分にあっていた。
でも、彼女だけは違った。
リラだけが、俺と一緒に居ることを選んでくれた。
――ゼクスしか見えないものがあるの? 凄いね!
――きっとゼクスの目は、神様からの贈り物だよ。
――大切にしないとね。
「リラが、言ったんじゃないか」
――私の大切な物? ゼクスだよ!
――だから、ゼクスはゼクスのままでいいんだよ?
「こんな、目しか取り柄の無い俺に、君が――」
――ずっと一緒に居てね?
「ずっと一緒にいようってッ」
守護霊のように浮かぶ思い出、彼女の言葉。
ずっと大切にしてきた、他の誰にも見えない言霊。
泡沫のように溢れては、次から次へと壊れていく。
「……うそ、つき」
*
気が付けば、全身が燃えるように熱かった。
見ればあちこちから鮮血が吹きこぼれている。
躱したつもりで、躱しきれなかった分だろう。
クリスタルアルラウネの透き通った蔓を、俺の血が赤く染め上げている。
炸裂弾は尽きた、回復薬も底をついた。
俺の命運も尽き果て掛けている。
それでも、思考は止めない。
考えろ、考え続けるんだ。
この窮地を脱する方法を探求しろ。
肺が悲鳴を上げ、心臓が破れるその時まで。
最期の瞬間まで諦めてたまるものか。
俺に出来る事は何だ。見通す事だろ。
誰よりも優れたこの双眸で、誰も見いだせない活路を探し出す。それしかできる事は無いだろ。
風の流れを読め。大地の鳴動を見逃すな。
倒す必要は無いんだ。ただ逃走路だけを考えろ。
俺がすべきことは、至極単純なのだから。
「ぐあ……っ」
太ももに、とりわけ熱い痛みが走った。
見れば水晶で出来た鋭い円柱が突き刺さっている。
文字通り、足を奪われた。逃げる手段を失った。
為すべきことが、単純だって?
軽く言ってくれるなよ。目は前にしかないんだ。
背後からも迫りくる蔓の鞭に、どう対処しろっていうんだよ。
「ちく……しょう!」
クリスタルアルラウネがにじり寄る。
根をたこの足のように這わし、尺取虫のようにうねうねと迫りくる。こんなにも鈍重な動きからも、この足では逃げる事すらかなわない。
横から迫った蔓の鞭が、額を裂いた。
どくどくと熱い液体が溢れ出す。
眉もまつ毛も堤防の使命を果たせない。
赤が視界を侵食する。
「――――」
刹那、世界が色を失った。
摩訶不思議なことが起きていた。
赤ではなく、灰色に世界は染まっていたのだ。
そこかしこには淡く青白く光る何かが舞っている。
蛍のように幻想的な燐光だった。
その微光はよく見ると列をなしていて、糸のように連続的だ。無数に伸びる青い糸。魅入られるように、光芒に手を伸ばす。その先にいるのは、クリスタルアルラウネ。
花色の明かりに、手が届く。
『ギャィァァァァァァァァッ!!』
「っ!?」
クリスタルアルラウネが悲鳴を上げた。
驚いて、光から手を離す。
クリスタルアルラウネはフーフーと警戒心をむき出しにし、こちらと距離を取った。
「もしかして、この光と生命力がリンクして……?」
俺は再び、光を捕まえた。
クリスタルアルラウネは先ほど同様にのたうち回りながら、苦しそうに絶叫する。
「この、くたばれぇぇぇぇぇ!!」
光の糸を引きちぎる。
ぶちぶち、繊維が断裂する感触が伝わってくる。
『ギイィヤァァァァァァァ……ッ!』
響き渡る断末魔。
無数の触手は壊れたおもちゃのように大地にもたれ掛かり、ズシンという重厚な音を立てる。それっきりクリスタルアルラウネが動く事は無かった。
「……死んだ、のか?」
横たわる骸を見ても猜疑心が勝る。
精巧な剥製を前にした時と同じだ。
今にも動き出すんじゃないだろうか。
そんな疑念と不安が渦巻いている。
一歩、また一歩。ゆっくりと歩み寄る。
クリスタルアルラウネの頭頂部に生えた、水晶の花を摘み取る。人で言えば心臓を抜き取るようなものだが、その間も魔物は微動だにしなかった。
「倒したんだ、クリスタルアルラウネを本当に、俺の力だけで……!」
すごい、すごいぞ!
熟練の冒険者がパーティを組んで討伐するような大物を、たった一人で倒してしまったんだ。もしかすると、俺は俺が思っている以上に大物なのかも。
「っ」
アルラウネのイバラで裂かれた部分が、思い出したかのように痛みを訴える。見ると、その部分は青い光が淀んでいる。
なんとなく、光を撫でて淀みを解消する。するとどういう事だろう。傷跡が、まるで夢か幻だったかのように消えていく。
「この光は、生と死の概念なのか」
全身の傷を癒し、感覚で理解した。
断ち切られたクリスタルアルラウネは絶命した。
淀みを解消した傷は回復した。
「……」
足元の、草に繋がっている光を引っ張ってみる。
草は生気を失ったように枯れ始めた。
だが、手を離し、流れを戻した途端、元の青々とした瑞々しさを取り返す。
「リラ」
……帰らなきゃ。
きっと何かの間違いだ。
リラが俺を見捨てたなんて。
例えば、助けを呼びに行ったのかもしれない。
そうだ、きっとそうに違いない。
「大丈夫、今、戻るよ」
俺は人力車の場所まで戻ると、引きながら、王都への道を歩いた。
ぽつぽつ、ぽつぽつと。
*
王都の南部の大通りに面したギルドからは、いつものように騒がしい声がしていた。そんな空気に帰ってきたんだという実感を抱きつつ、扉を開ける。
騒ぎのもとを見つけるのは簡単だった。
そこにいるのは、俺が所属する勇者パーティ。
「リラ! みんな!」
「……ゼクス!?」
道中で出会わなかったからリラは先に着いているという予想はやはり正しく、勇者グレインを始めとしたパーティの面々と話し合いをしているところだった。
中心の人物、勇者グレインが口を開く。
「ゼクス、ちょうど君の話をしていたところなんだ」
「俺の……?」
一瞬考えたが、答えはすぐに見つかった。
「……ああ、クリスタルアルラウネのことか。心配いらないぞ」
「心配、いらないだと?」
グレインが眉間にしわを寄せ、俺を見る。
問い詰めるように、非難するように俺を見ている。
「他に言うべきことがあるんじゃないか?」
「グ、グレイン? 何を怒っているんだよ」
「……っ、惚けるのもいい加減にしろ! リラから聞いたぞ! クリスタルアルラウネ相手に無茶な特攻を仕掛け、彼女まで危険に晒したらしいな!」
「は? ちょ、ちょっと待てよ」
わけが分からない。
俺がクリスタルアルラウネに特攻した?
違う、俺はリラが無茶するのを止めたんだ。
「俺が魔物に飛び込む訳が無いだろ!? 逆だ! 俺がリラを止めて……!」
「この期に及んで言い訳か。見苦しいぞ」
「言い訳じゃない! 本当、なんだ……」
ふと、冷静になって周りを見る。
パーティの面々は、誰一人俺の言葉を信じていないようで、非難の目をこちらに向けている。しばらく、トラウマになりそうだ。
なんだよ、それ。
俺が悪者だっていうのかよ。お前らはあの場の何を見ていたんだよ。お前らの目に映っているのは、本当に真実だっていうのかよ。
「素直に詫びれば許すつもりだった。他ならぬリラがそう言ったからだ! 幼馴染の優しさに付け入って、君は恥ずかしいとは思わないのか!」
「……リラ?」
そうだ。
そもそもの話。
どうして、こんなことになっているんだ。
こんな、判決を言い渡される被告みたいなこと。
「ゼクス、あのね」
俺が、リラに視線を向けると、彼女は口を開いた。
固唾が喉を下る。
「謝ってくれたら許してあげるから、全部水に流してまた元通りになろ? ね?」
俺の幼馴染は。
天使のような笑顔で、悪魔のように微笑んだ。
「…………ハッ」
もういい。
もう疲れた。
よく分かった。
俺は愚かだった。
リラは俺を見捨てたんだ。
分かっていたのに理解しなかった。
根拠も無いのに幼馴染を信頼してしまった。
その結果が、これだ。
「謝るって、何をだよ」
驚くほど冷たい声が出た。
「冤罪を着せられても、何も言い返せない弱さをか?
誰からも信じてもらえない人望の無さをか!?
こんな悪女を信じた己の愚かさをかッ!?
生まれてきてすみませんとでも言えば満足かッ!!」
どんどんと熱を帯びていく言葉。
不条理、理不尽、不合理、不当。
溜まった鬱憤は、吐けども吐けどもおさまらない。
「ゼクス!」
「ふざけんじゃねェ! 何が勇者だ! お前らの目には都合のいい世界しか映ってないんだろうな! 弱者の言葉に傾ける耳なんて持ってないんだろうなァ! 二つずつついてるのに、全部節穴か!」
「ゼクス!!」
グレインが、強い語調で俺を責めた。
「もういい。君をパーティから追放する」
「……っ、グレイン! それはダメよ!」
「リラ、君は優しすぎるんだ。彼は輪に不和を齎す」
「……でも!」
どういうわけか、俺を庇ったのはリラだった。
ホント、お前いい性格してるな。
どうして今まで、こんなのと一緒に居たんだろう。
「ゼクス! お願い、謝って!」
「嫌だ」
「っ!! 嫌いになるわよ!!」
「……なぁ、リラ」
こんな時だけ、気が合うなんてな。
「俺はお前が嫌いになったよ。じゃあな」
こうして俺は、勇者パーティを追放された。
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