13 もう一つの攻防戦②
突然、エレシア嬢から内密に部屋にお越しいただきたいと手紙を受け取った。
ひどく動揺して、その日は授業どころではなくなってしまった。
僕とエレシア嬢の関係とは、パーティーの度に顔を合わせて挨拶する程度の間柄だ。そして彼女は貴族令嬢の模範とも言われる女性に成長している。
そんな彼女が寮の私室へと、しかも内密に僕を招くとは。──うん。確実に色めいたことではないだろう。冷静になるよう努めて、足早にこっそりと寮へと出向いた。
そして見せられたのは、絢爛豪華という言葉も裸足で逃げ出すだろうドレスだった。
殿下の髪色を意識したのだろう金色のドレスには幾重にもフリルが重ねられ、その縁には小指の先ほどの透明の石が散りばめられている。これは、まさかすべてダイヤモンドか?
胸元には金糸で精緻な刺繍も施されていて、エレシア嬢に似合わないということはないだろうが、これは己の財力を見せつけるためだけのドレスにしか見えなかった。
エレシア嬢が本当は華美なものを嫌い、いっそ質素とも取れる大人しい印象のものを好むのを、僕は知っている。
「このドレスを、その……売りたいのですが、方法がわからないのです……」
唖然とドレスを見つめる僕に、体をこれでもかと小さくしたエレシア嬢が言った。
「売りたいって……これは、どうしたの? 着たところを見たことがないけど」
彼女が参加するパーティーには例外なく僕も招待されている。エレシア嬢の着ていたドレスはすべて記憶していたが、これは見たことがなかった。
エレシア嬢は更に身を縮こませて「父が送ってきまして」と答えた。
「……パーティーがあるわけでもないのに?」
「はい。ですから不要なものなので、売ってしまおうかと……」
この言い方ではエレシア嬢の小遣い稼ぎにと聞こえるが、実情は違う。
三大公爵家に数えられておきながら、現在のエドワーズ公爵家の財政は芳しくないらしい。
広大な土地を有しておきながら、公爵に土地を治める才はなく、一度天候に恵まれず不作が続けば、後は転がり落ちるようだった。
当主の、公爵家に生まれた者であるとの選民意識もそれに拍車をかけた。
贅の限りを尽くす生活を改めることはできず、しかしそれを恥ずかしく思う頭はあるらしい公爵が巧妙に情報を隠しているために、今では領民への課税は僕のスコット家の領地の倍にも膨れ上がっているというが、無いものは払えるわけがない。
今では公爵家で受け継がれてきたものを金に変えて、パーティーに参加するための資金を捻出しているというのだから呆れてものも言えない。
どうやらこのドレスも公爵の見栄のために作られたものらしい。
娘にドレスを作る父親であると思われたいがための。
しかしそれを金に変えるとは……よほどのことがあったのかもしれない。
「確かにこれは、古着屋も買い取ってはくれないだろうね」
例えば金はないが年頃の娘がいてパーティーに顔を出さなければならないような貴族家があったとして、そこで古着屋のドレスを購入することはなくはない。大抵は母親や祖母の古着を着回すが、それではいつも同じドレスになってしまうからだ。古着を買って、また売ればいいから利用している家もあるのを知っている。
しかしそれも、その家の格にあったドレスというものがある。
このドレスはどう見ても高位貴族の娘の着るものだ。中古を買うはずのない階級のドレスに、買い手など付くわけがない。
まさかそれで、困って僕を頼ってきたのか。
殿下に言えないのは分かるが、リシュフィ嬢には相談しているのだろうか。
「でも飾りをばらして少しデザインに手を加えれば、買い取るところはあると思うよ。布地もいいし、このダイヤは一粒一粒が値打ちものだ」
不安げに佇むエレシア嬢を安心させるように言うと、エレシア嬢は表情を緩めた。それを見て、売って金にしたい理由を聞くのはやめておこうと判断した。
「リシュフィ嬢には相談していないの?」
これは、このドレスのことだけじゃない。
父親の愚かな行いについて、だ。
予想通りエレシア嬢は首を振った。
当然か。相談したことが、スコット家だけではなく格上のレストリド家さえも敵視しているあの父親の耳にでも入ったら、どれほど怒り狂うかわかったものではない。
エレシア嬢が所在なげに俯き、硬く結ばれた手は震えている。父親の愚かな行いを僕に知られることにどれほど抵抗があったか、手に取るようにわかった。
しかしその手をほどき、震えを止めてあげる権利を僕は持っていない。
「──そうだね。リシュフィ嬢に相談なんてしたら『値段交渉はお任せください!』なんて言い出しかねないよね」
ふっとエレシア嬢が吹き出した。すぐに口元に手を添えて、笑いを堪えているのだろうが、肩が揺れている。
その様子に、僕は畳みかけた。
「この間も街に出た時にリシュフィ嬢を見かけたんだけどね。町娘みたいな格好をして、露店でおまけをもらって喜んでいたよ。あの方はまるで公爵令嬢っぽくないよね」
部屋に鈴を転がしたような美しい笑い声が響いた。口を手で隠すも堪え切れないらしい。
「もう、あの子ったら。殿下の婚約者でありながら、そんなことをしていましたの?」
きっと聡明な彼女は僕の意図に気付いたのだろう。相変わらず綺麗なルビーの瞳が笑みを称えて感謝を伝えてきた。
ああ、この顔だ。
この人で僕は、花が咲いたような笑顔という言葉の意味を知ったのだ。
「エレシア嬢」
「はい?」
綺麗な笑みを保ったまま、エレシア嬢は首を傾げた。
「僕と結婚してください」
まるで時が止まったように数秒間固まったのち、笑顔のエレシア嬢の滑らかな頰が一瞬でリンゴのように赤く染まっていった。
「けっ、けっこ……!? っな、ななにゃにゃにを仰られっ……」
舌を噛んだエレシア嬢は、普段の貴族令嬢の模範たる姿からは想像もつかないほど狼狽している。
逃げるように後ずさる手を取った。
ほとんど今の言葉は無意識の、思いつきのようなものだった。心臓が今までの人生にないほど早く、痛いほど脈打ち、僕もまたひどく動揺している。
でもこれは、適当に言った言葉じゃない。
「あなたも僕も、婚約者はいないだろう。何もおかしいことではないと思う」
ずっと殿下はエレシア嬢を選べばいいと思っていた。この女の子が父親から叱られなくなるのならと。
でも、駄目だ。僕は自覚してしまった。
この人を誰にも渡したくはない。
動揺してあちらこちらへと忙しなく動いていたルビーの瞳が、唐突にぴたりと止まった。頰の赤みが引いて、むしろ血の気がなく青ざめたようにさえ見える。
「それは殿下の、御命令ですか」
言葉の意味がわからず、首を傾げて続きを促す。
エレシア嬢の瞳には僕への失望のようなものがあった。
「纏わり付く令嬢が煩わしいから、あなた様にお相手せよとでも御命令がありましたか」
眉が寄るのを止められないのは仕方のないことだった。
これは、僕だけではない。殿下への計り知れない、侮辱だ。
「君が、殿下がそのようなことを仰せになる方だと思っているのなら、僕は怒らなければならないね」
エレシア嬢は気まずそうに目を逸らし、頭を下げた。
「無礼を申しました。お許しを」
「……いや、僕も厳しい言い方をして悪かった。でもこれだけは信じて欲しい。君と結婚したいという気持ちは嘘じゃ──」
「お言葉は大変光栄に存じますが、お断り申し上げます。……王太子殿下と公爵家の方とでは、天と地ほどの差がありますもの」
「それは君の父親の考えだろう。君の気持ちは? 君は、殿下を愛してなどいないだろう」
「貴族の婚姻に、本人の気持ちなど必要でしょうか。家同士の結びつきのためだけのものですのに」
「……エレシア」
「名前でお呼びにならないでくださいませ。あなた様とわたくしは他人ではありませんか。……ドレスの件はわたくしが自分でなんとか致します。ご足労お掛けしました。お引き取りを」
心の扉が閉まるとはこのことかと思った。
何を言っても、きっと今のエレシアには届かないのだろう。頑なに合わなくなった瞳からは光が失われ、表情は氷のように冷めている。
これ以上は、困らせてしまうだけだろう。
「ドレスは責任を持って僕が買い手を探すよ。僕を無責任な男にしないで」
ドレスを綺麗に畳んでケースへと仕舞い込む間、エレシア嬢は無言だった。
ケースを片手に扉の前に立ち、口を固く引き結んだエレシア嬢を振り返った。
「僕は本気だ。君以外、妻には考えられない。君は貴族の婚姻に愛は不要だと言うけど、僕は愛のない結婚は寂しいだけだと思うよ」
去り難くて伝えた言葉に、エレシア嬢は侮蔑混じりに顔を歪めた。
「……そこまでわたくしを求められるなんて、もしや歴史あるエドワーズ家の血を欲しておられるのかしら。新興のお家はなんと見境のないこと」
エレシア嬢が発したのはこれ以上ないほどの侮辱で、本来なら家長を交えて抗議するほどのものだ。しかし僕の顔に浮かんだのは、笑みだ。
「今更僕に嫌われようとしても無駄だよ。もう手遅れだ」
エレシア嬢のルビーの瞳が揺れる。
それだけで十分だった。
辞去の挨拶を述べて、部屋を後にした。
長く吐いた息に、深い後悔が混ざるようだった。いや、悔いたところで時間は戻らない。今は自分にできることをしなければ。
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