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「お前みたいなブスと結婚してやったのに、どうして俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ!」


 癖のある傷んだ髪。毛穴の開ききった肌。弛んだ頬に添えられた親指の爪ほどの目は目尻がだらしなく下がり、乾燥してガサガサの唇に夫が触れることはなかった。


 美容に興味を持たないまま十代を過ごし、そのまま二十代を終えようという中で、ようやく鏡を覗いて見て、思った。


「ブスが何したって意味がない」と。


 父の紹介で結婚した夫の口癖は「お前のようなブスと結婚してやったんだから」だった。


 はい。もうおっしゃる通りで。

 そう言いながら飯を炊き。頭を下げながら掃除をする。


 その最期がこれだ。


 珍しく家に帰ってきたかと思えば、おもむろにキッチンに立った夫は包丁を手に取った。

 そうして叫び出したのだ。


「ブスと結婚してやったのに、どうして俺がリストラなんて!」


 綺麗に磨いたフローリングの上で聞いた、夫の憎悪と慟哭の言葉に、私は口を開いた。


「いや、あんたも十分ブサイクだからね」


 それが最期の言葉になった。


 ああ、もう少し体が保てば「しかもリストラされる無能野郎」と付け加えられたのに。


 こうして私の生涯は幕を閉じた。




 ──という悲しいんだか笑えるんだかの前世を、たった今思い出しました。

 お菓子を喉に詰まらせ、生死の境を彷徨ったお陰で。




「ああ、リシュフィ。良かった……」


 パチリと目を開けると、そこはベッドの上だった。

 天蓋からは白と紫の薄絹が垂れさがり、その隙間から、とてつもなく美人なお姉様がこちらを覗き込んでいる。


「苦しいところはないか? お菓子を食べるお前はとても可愛らしいが、これからはゆっくり食べなさい。お父様は心臓が止まるかと思ったよ」

「まぁ。あなたまで止まられては困りますわ」


 お姉様の隣にいる、これまた極め付けに美しい男性が自らを『お父様』と称し、胸を押さえる。

 その手を取り眉尻を下げる美人なお姉様は、この男性の奥様だ。


 この美しい男女はレストリド公爵夫妻。

 私、リシュフィ・レストリド公爵令嬢の両親である。




 私の無事を確認した両親は、ゆっくり休むようにと言いつけて部屋から出ていった。

 それを確認して、小さな両手を頬に当てる。


「おー。さすが幼女。素晴らしい弾力だわ」


 記憶が正しければ、私は今年で五才になる。

 どうして小さい子の頬っぺたって、こうも触り心地がいいんだろう。いつまでも触っていられる。前世では触ること叶わなかったが、今なら触り放題だ。


 っと、こんなことしてる場合じゃなかった!


 ベッドから飛び出し、部屋に備え付けられた姿見へと、ぽてぽてと歩み寄る。

 この年では仕方ないのかもしれないけど、私は自分の姿を鏡できちんと見たことがない。それよりも、子供らしく美味しいお菓子に夢中だった。

 でも前世の記憶が戻った今、自分の姿がものすごく気になる。両親があの美貌なのだから、さぞや可愛らしい美少女に生まれているに違いな──。




 丸。




「えっ、まっる!! なにこれ! 子供ってこんなんだっけ!?」


 触り心地の良かった頬はリンゴのようにまん丸だし、腕はなんだか紐で縛ったハムのよう。ああ、ドレスのボタンとボタンの間に隙間が……。


「……いやでも、子供なんて、ちょっとふっくらしてるもんじゃない?」


 分からないけど。育てたことないけど。

 でも通り様に見たベビーカーのチビちゃん達は、このくらいぽっちゃりしていた気がしなくもない。

 ベビーカーの中を見て微笑む私に、母親達は子供を守るようにして逃げていったから、あまりきちんとは見ていないけど。


 それに、子供の時はぽっちゃりしていたという女優さんだってバラエティ番組で見たことがある。きっとこれが普通なんだろう。


 私の場合、両親があれだけ美形なのだから、今世での美貌は約束されたようなものだ。よく見れば、ぱっちりお目目に鼻筋も通った顔立ちはお母様によく似ているし。横幅は見ないで。


「あー! 今から大人になるのが楽しみ!」


 美人なお姉さんになれば、前世では出来なかった素敵な恋愛結婚ができるかもしれない。

 ベッドのサイドテーブルの上に置かれたスコーンを両手に取り、楽しい将来へと想いを馳せた。




「お茶会、ですの?」


 焼き立てのブリオッシュを手に、お父様に言われた言葉をオウム返しに言う。

 本日も麗しいお父様は、優しく笑って頷いた。


「そうだよ。リシュフィと同じくらいの年の子達が招待されているから、お友達をたくさん作っておいで」


 お友達、といってもねぇ。

 眉間にシワが寄るのを堪えて、ブリオッシュを頬張る。


 私と同い年くらいということは、小学生くらいの子達の中に入るわけでしょ? あの子、おばさん臭くない? とか陰口叩かれたら嫌だなぁ。


「王太子殿下もリシュフィと同じ御歳なのよ。仲良くなれるといいわね」


 そういって、隣に座るお母様が優しく私の頭を撫でる。

 王太子殿下って……。


「王子様?」

「ええ。この国の王子様よ」


 それは少し見てみたいかも。このヨーロッパ風の世界の王子様なら、きっと絵に描いたような金髪碧眼の美少年なのだろう。


「お茶会、楽しみですわ」


 楽しみだけど、王子様と話す機会があるなら目下練習中のお嬢様言葉を人並みには話せるようにしないとね。

 ですわ。と、ですの。の二つで乗り切れるか?




 若くなったら味覚まで若くなったのかもしれない。

 前世では絶対に胸焼けするだろう、山盛りのプチケーキが、驚きの吸引力で口の中へと消えていく。


「御覧になって。あの方……」

「本当。とても美味しそうに召し上がられますこと」


 クスクスと子供達が笑いながら話す言葉は、さすが、お嬢様然としている。美味しいよ~、一緒に食べない? なんて話しかけたら、さらに笑われることになるだろう。


 遠巻きに見たお茶会の参加者達は、すでにいくつかのグループを作り上げているようだ。

 一人の派手な巻き髪のお嬢様なんて、早くも女王様のように多くの取り巻きを抱えている。


 私だって一応は公爵令嬢だから、初めは多くの子供達が挨拶に来てくれたが、一言二言話すと、そそくさと離れていってしまった。

 別に、いいもん。と不貞腐れた現在、ケーキが私の一番の理解者である。


 あー、それにしても、このスイーツ達ときたら! 子供向けなのか、カラフルで見た目にも楽しいし、何より美味しい! ビュッフェスタイルだから、いくらでも好きなだけ食べられるのが素敵。

 カップケーキを手に取り一口で頬張れば、あまりの美味しさに、むふふと笑ってしまう。


「おい。そこのお前」

「ふぁい?」


 いきなり声をかけられた。振り返った先にいたのは、男の子だ。

 それも、金髪碧眼の美少年だ。


「ほーひはは!」

「だれが、ほーひははだ! ふけいだぞ!」


 慌てて飲み込み、ドレスの裾を摘んだ。


「お初にお目にかかります。レストリド公爵の娘、リシュフィです」


 お父様に教わった通りの挨拶をし、礼儀作法の先生に褒められた淑女の礼を執る。大胆な動きが堂々として見えて、むしろ良い、だそうだ。


「……グランドーラ王太子、フェルナンドだ。お前、今日はケーキを食べに来たのか?」


 王太子殿下の目線は、私に蹂躙されたテーブルに向けられている。三段のケーキスタンドは元より、口直しのサンドイッチまでが、私を中心に忽然と姿を消していた。


「だって、美味しいんですもの」


 言い訳はやめて正直に言うと、王太子殿下はわずかに瞳を光らせて、どれが一番美味かったかと問いかけられた。そんなことを聞かれたら、張り切らないわけにはいかない。


「私は、これが一番美味しかった! っですわ!」

「それか! それはな、わざわざ隣国から取り寄せた、特別甘い苺が使われているのだぞ。俺が味見して決めたんだ。美味いだろう!」


 私が取り上げたのは苺とカスタードのプチタルトだ。苺の甘酸っぱさをカスタードがまろやかにして、苺のジュレがいいアクセントになっている。いくらでも食べられるやつだ。

 どうやら甘いものが好きらしい王太子殿下と話しているうちに、また追加のケーキが運ばれてきて、二人でケーキを次々に口へ放り込んだ。


「殿下。リシュフィ様とばかりお話ししていては、さみしいですわ」


 次はこれ、その次はあれ。と盛り上がる私達は、王太子殿下の身分もあってか会場でかなり目立ってしまっていたらしい。取り巻きを引き連れた巻き髪お嬢様が、殿下の腕を引いて唇を尖らせていた。


「なんだよ。あとにしてくれないか」


 腕を取り戻してぞんざいに言った王太子殿下は私に向き直るも、お嬢様の取り巻きその一がどこか馬鹿にしたような声を上げた。


「殿下は、そんなデブがお好きなんですか?」


 ……誰がデブだ。

 子供の言うこととはいえ、あまりにも失礼な言葉じゃないの?


「しつれ」

「だっ、だだ、だれがっ!」


 失礼しちゃうわ! とでも言ってやろうかと思ったら、隣からやけにどもった声がする。

 顔を向ければ、隣にいた金髪碧眼の美少年は顔中を真っ赤にさせて、取り巻きその一を睨みつけていた。

 ああ、この年で誰が好きかーとか、そういう話題は恥ずかしいよね。わかるわかる。でも、こういうところはなんだか初々しくて可愛──。


「だれが、こんなデブを好きになるもんか!!」


 …………。


「餌付けしてやっていただけだ! ほら、あっちで遊ぶぞ!」


 言いたいだけ言った王太子殿下は、もう私には目もくれず、自身の取り巻きらしい男の子達を引っ張って、走り去っていった。


「ブタなんて、殿下が相手してくれるわけないでしょ」とは巻き髪ちゃんの言葉だ。


 いやぁ、取り巻きの男の子達には聞こえないように言うんだから、この年でも女の子は怖いよね。


 怖い怖い。


 …………。


 あんの、クソガキどもがぁぁああっ!!


 いや、こっちも大人だからね、我慢できるよ!? 知らない子達に言われるのはね!!

 でも、殿下は駄目じゃない!? さっきまであんなに楽しく話してたのに!!

 しかもデブを餌付けと来たもんだ。失礼どころの話じゃない!!


 しかし、どれだけ腹が立とうとも相手は王太子。結局、逃げるように屋敷に帰ってきてしまった。




「はぁ……」


 気分が塞ぎ、自室のベッドに突っ伏すも、ため息ばかりが漏れる。

 ベッドから姿見を覗けば、そこにいるのはぽっちゃりした美少女……いや、もう諦めて認めよう。今世の私はまごうことなきデブ女だ。


 子供なんてこんなものかと思っていたのに、巻き髪ちゃんはおろか、他の子達だってみんな細い腕と足でドレスがすごく似合っていた。

 私だって侍女達が張り切って肌を整えて髪を可愛く結い上げてくれたけど、この体型じゃあ……ね。


 ガバリと勢いよく起き上がる。


 このままじゃ、駄目だ。

 また前世のように、デブなまま大人になって好きでもない男と結婚して、死ぬまで「お前のようなデブと結婚してやったんだから」と言われることになる。それはもう、あのモラハラ夫のような男に。


 両親が美しいから私も美人になれるって信じていたけど、そんな簡単なこと、ある? もしもなかったら?

 そうなってから後悔したって遅いんだ。


 姿見まで歩き、鏡の中の自分の顔に手を添えた。


「よし。決めたわ」




 バァンと談話室の扉を開け放ち、寛ぐ両親の元へと駆け寄った。


「お父様! お母様!」


 お母様の膝から頭を起こしたお父様が、飛び込んだ私を受け止めてくれた。


「おやおや、リシュフィ。どうしたんだ?」

「お茶会から、もう帰ってきてしまったの?」


 前世の私は、ブスを言い訳にして自分を磨こうとはしなかった。

「ブスが何したって意味がない」と。

 でも、意味がないと言うけど、そもそも何かをしようとすらしなかっただけなんじゃないの?


 あの子供の頃はぽっちゃりだったという女優さんだって、努力してあの体型を作り上げたのかもしれないじゃない。


「私、ダイエットします!!」


 高らかに宣言する。なのにこの父親ときたら「何かあったのか? ほら、リシュフィの好きなペロペロキャンディだよ」とぐるぐる巻きの棒付きキャンディを手渡してくるのだから。


 私はペロペロキャンディを床に叩きつけた。


「金輪際! 甘いものは食べません!!」


 甘いものとの決別だ。

 なんだってー! と慌てる父親に対し、お母様がすっくと立ち上がった。


「よく言ったわ! リシュフィちゃん!」

「お母様!」


 やはり、同じ女性。お母様なら分かってくださると思ったのよ!


 お母様は瞳を潤ませて私の小さな手を取った。


「やっと気付いてくれたのね! お母様はあなたがこのままだったらもうどうしようかと!」

「お母様?」


「旦那様はあなたに甘いものばかり与えてしまうし、毎日なんだか増量しているように見えて……ちょうど目のお医者様を呼んだところだったわ」

「お母様……」


「安心してちょうだい! お母様があなたの減量を全面バックアップします!! もうこの家には一切のお砂糖を入れませんよ!!」

「お母様!!」


「いや何もダイエットなどしなくとも……女の子は少しくらいぽっちゃりしていた方が可愛くないかな……?」


 お父様の余計な一言だ。やはり親バカという名の障害が……。


「はい、でた。女はぽっちゃりが可愛い発言する男」

「リリアナ?」

「では伺いますけれど、先日お会いしたジョアンナ侯爵夫人はあなたから見てぽっちゃりですか? 痩せ型?」

「あの方はぽっちゃりしておられるだろう。そこが可愛らしいのだと先日も侯爵から惚気られたところだ」

「ほら見たことか! あの方は痩せてらっしゃいますぅ! あれをぽっちゃりと言われたら、世の女性は立つ瀬ないわ!!」


 ……どうやら一番の障害であろうお父様は、お母様が説き伏せてくれるようだ。

 良かった良かった。


 言い争う両親を見つつ、安心して頷く私だが、お母様に『このままだったらどうしようかと思われていた娘だった』という事実が、静かに私の心を刺すのだ──。



 ※



「あ、え、い、う、え、お、あ、お!」


 公爵家に仕えて長い侍女は、廊下に響く声に何事かと首を傾げた。


「あめんぼ、あかいな、あいうえお!」

「もっと腹から声を出してー!」


 聞き間違いでなければ、今のさも騎士団の指導係かしらというような凛々しい掛け声は、当家の奥様のものではなかっただろうか?


 いやいや、ないない。

 当代の奥方といえば、月夜にのみ咲く花のようなその儚さに、幾人もの男達がその騎士となるべく争い、見事旦那様がその心を射止めた深窓の令嬢である。


「柿の木、栗の木、かきくけこ!!」

「声が小さい!! 美は一日にしてならず! 一日のおサボリが三日のおデブと心得よ!!」

「はい! 教官!!」


 そんな人が、まさか、そんな。


「今日もお仕事ご苦労だね」


 突然話しかけられて、飛びかけた意識が戻ってくる。


「だ、旦那様!! 失礼いたしました!」


 にこやかに微笑む旦那様の麗しさは普段通りだ。やはりあれは疲れからくる幻聴だろう。


 ここはもう良いから、と旦那様に促され、その場を後にする。


「妻と娘の名誉は、私が守らなくては……っ」


 苦渋に満ちた決断をする主の声を背にして。

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