#08 狙い通りでした。
「GRAARRRFFFF、GREURURURUUUURERERE」
「GYUUAAAAANUNUNUNEEEE」
……いや、さすがにゴブリン語は分からない。
分からないけど、何だか喜んでるのは踊り狂っている様子で分かる。
縛られて嬲られている村人たちも見える。
何か、粉や汁を振り込められているようだが、とにかく、生きている。
それでも、地下は、ゴブリンたちの圧倒的な臭いでいっぱいだった。
エルフは、五感の中でも視覚、聴覚が鋭い。
嗅覚はドワーフの方が鋭かったはずだ。
でも、今のボクは、臭いで苦しんでいた。
「姫? 苦しいだろうけど、我慢して」
「…………」
声も出せずに、こくりと彼の言葉に頷く。
ボクは、口いっぱいに彼のマントを詰め込んでいた。
こうでもしないと、臭いで吐きそうだったんだ。
階段から壁から汚物にまみれたゴブリンの巣窟は、気持ち悪すぎた。
ゲームの中では、単なる壁のテクスチャとして見ていたけど。
実際に臭いまで五感フルで体験するのは凄まじい衝撃で、胃袋が負けた。
「さて、どうしたものかな?」
また、選択肢だ。
多すぎる。
緊張で、倒れてしまいそうだ。
何の選択かは、見れば分かる。
大勢のゴブリンがひしめく地下の大空間。
天井から覗く下界は、最下層、地下三階。
ボクらには、三つの選択肢がある。……と、思う。
一、ゴブリンロードを殺す。
ニ、ゴブリンたち全員と戦う。
三、人質を解放して、逃げる。
ゲームでは、地下二階と繋がる階段があった。
人質なんか居なかったから、単純な殲滅戦で良かった。
中に飛び込んで縦横無尽に刻むも良し、出入り口を塞いで燻すも良し。
でも、今は状況が違いすぎる。
最下層に降りる階段までに、他のゴブリンには殆ど会わなかった。
その代わり、その階段は、バリケードで塞がれていた。
どうにか、地下二層の床板を剥がして最下層の天井裏に入り込めた。
どうやってそんな、ゲーム時代でも知らない通路を発見したか?
子供のゴブリンの秘密基地のようになってたからだ。
小さく幼い数匹の子ゴブリンが、石のおもちゃを持って出入りしていた。
「済まないな、姫。ゴブリンは皆殺しにしないといけないんだ」
気遣わしげに片方の眉根を寄せた彼に、ボクは軽く首を振る。
見つけたゴブリンは子供でも容赦なく殺すのは、冒険者の不文律。
巣穴で生き延びたゴブリンははぐれゴブリンになってしまう。
ホブゴブリンは例外なく、経験を蓄積して強くなる。
その、経験蓄積の集大成が。
「見えた。姫、あれがそうだ」
指差す彼の指の、まっすぐ先。
天井裏の割れた隙間から、醜悪な怪物が見える。
でっぷりと突き出た腹に、長く延びた顎。
血走った目と比較して、全身は奇妙に真っ白だ。
毛の生えない全身に、骨や皮を巻きつけた姿は、滑稽でもある。
ゴブリンロード。
レベル20レイド、エルフの大灯台跡、ゴブリン巣穴の王。
対するボクらのレベルは?
「リアルの俺たちに、レベル数値なんかないよ。やるか、やられるかだ」
「…………げっふ」
ボクは、口からマントを吐き出した。
ボクのよだれにまみれたマントは、てろてろに濡れている。
我慢できずに、ボクはさっき食べた芋のスープを胃液と共に吐き出す。
それを、彼は片手で受けてくれた。
そのまま、優雅にマントにくるんで、包んでしまう。
きっと、ボクの吐いたものでどろどろに汚れてしまった。
「ご、ごめん」
「気にしない。さすがに、天井から落とすわけにはいかないのでね」
そうだ。
最下層の天井に入り込んだのは初めてだ。
エルフの遺跡らしく、天井裏もすごく機能美に溢れていた。
でも、天井裏は、天井裏だ。
キャットウォークはあるけど、寝転んでやっと進める程度に狭い。
それに壁や梁と同じ石材ではなく、木材。
それも、数百年以上もメンテされないまま、古く朽ちている。
ボクがここで吐いたら、きっと下に染み通ってしまう。
ゴブリンはあれでいて、臭いに敏感だ。
今、気づかれるわけにはいかない。
「姫? あまり猶予はない。どうする?」
選択、選択、選択。
頭が痛くなってくる。
恐ろしくて強いゴブリンロードがいる。
村人たちが、今にも煮鍋に落とされそうだ。
大小のゴブリンの数は、恐らく六十匹以上。
二人でレイドに挑むなんて、どこの英雄だ。
──失敗すれば、全員死ぬ。
「行って、くれる?」
「姫の御為ならば、喜んで」
狭い天井裏で、這った姿で、どうしてあなたはそんなに優雅なの。
にやりと軽く笑みを浮かべて、彼はキャットウォークから身を躍らせた。
──薄い木の天井を突き破ったその先は、ゴブリンロードの真上。
ボクは、彼をひとりでゴブリンロードと戦わせた。