第七話 一誠
「おーい、二人ともー」
俺達が長らくの間合掌をしていると、背後から声がかかった。
この声は、冬坂の声。
俺達は合掌をやめて振り向く。西条の顔が明るくなった。俺の顔ももちろん明るくなる。
三人が無事でよかった。あとは絵糸も揃えば、文句なしなんだけどな。
「おー、三人とも、無事だったんだね」
西条はにっこり笑いながらそんなことを言う。
「パソコン室に逃げ込んだら、もう一人生きている人がいたよ。龍平君」
「あぁ……」
安心している冬坂とは対照的に、苦い顔をする紫織と桜坂。一体どうしたのだろう。
……ってか、また思い出した。六年三組のメンバーを。
上原遼平。元聖ハスカ受験生。その兄が、聖ハスカに通う上原龍平。あと一つでも学年が違えば、殺人ゲームに参加していたかもしれない、まさに強運の持ち主だ。
性格も顔立ちも、木山龍平とは似ても似つかない、でも名前だけ一緒の上原龍平。葬式の時に見かけたときは、痩せ細って、疲れきったような顔をしていたが。
絵糸と上原はかなり似ていたが、それでも上原にもう一生会えないのは事実だ。何だか悲しくなって、俺は一瞬目を伏せる。
「……って、その子、咲枝ちゃん?」
冬坂は、俺と西条の足元に転がる死体を見て、驚きの声を上げる。目を見開いて、足も途端にがくがく震えだしていた。
「また、また、女子が死んじゃったの……?」
口元を覆う冬坂の悲痛そうな叫び。さっき、電話越しで聞こえた声とそっくりだ。
さっきまで元気だった冬坂が、まるで枯れた花のようにみるみるしぼんでいく。
「あー、このクソ女も死んじゃったのかー」
そこに、不謹慎な言葉を言う女子が現れた。
彼女は、俺達と女子の間にある扉を開け放ち、スタスタと俺らの所に歩み寄った。冬坂と桜坂がひっと軽く飛び跳ねる。紫織はそれでもあくまで冷静だったが、彼女がひゅっと息を鳴らす音を、俺は聞いた。
流れるような黒髪を、耳の下で一つに束ねていて。
喧嘩を常時売っているような切れ長のその瞳に、開けば文句ばかりの小さい口。白く細長い手足を組んでいる。
彼女は、一年一組版渡辺彩未とも言えるべき少女、松永樹莉亜だった。
「麗羅」などに勝るとも劣らないキラキラネームの彼女は、黙っていれば美人なのに、黙らないからかなり評判の悪い女子だった。
人の悪口や人の否定ばかりが、彼女の口からよく出る。皆それにウンザリしていた。流石の渡辺でもここまで酷くなかった気がするぞ。
「じゅ、樹莉亜ちゃん……」
「あー、ウッザ、何、かわいこぶって。調子乗ってる? 別にあんたなんかに「ちゃん」づけされる筋合いはないんですけどー」
冬坂の言葉に、松永は答える。かなり性格が悪いと噂されているが、なるほど。そりゃあそうだろう。
「ってか、矢橋だっけこいつ、ホント、何の価値もない人間だったもんね。こんなウチより成績低いし、それでいて群がりたがるもんね。馬鹿集団の中でもすこぶる馬鹿でさ、ホントこいつ、何したかったのか分かんねー」
故人をあからさまに馬鹿にしている松永。
「大体、ウチより成績低くて藤咲入る奴に、ろくな奴いねぇっつーの」
うっ。……それ、俺がギリギリで藤咲合格したの知っていて話しているのかな。
だが俺の心配などよそに、松永は「知ってる?」と西条に尋ねた。
「え、いや、知らないです」
「まだ何も言ってねぇっつーの。ビビりすぎ、西条」
たじたじになる西条を横目に、引き笑いをする松永。冬坂があからさまに嫌そうな顔をした。桜坂はギリギリ我慢しているって感じだ。俺は今にも松永に掴みかかりそうになった。
渡辺も、一度有村を馬鹿にして、罵倒したことがあった。あのときは渡辺を殴り殺したい一心だった。そして今回、もしも紫織を松永が罵倒したら……。俺は松永を、西条が前田先生に一生返さない銃で撃ち殺すだろう。
「いやーこの矢橋がさぁ、あんたのこと好きって話。知らなかったのー?」
「はぁ?」
西条はさっきまでビビっていたのだが、今度は威圧感を押しだしていた。
「だってこいつ、女子の集まりの時にさ、あんたの話ばっかりしてるし、そのときの顔赤いし、笑い死にしそうになったよ。こんな奴に好かれてるなんて、西条、お前、中々悲惨だなー」
続いて、松永は、俺の顔を見て、「しかもさぁ」と引き笑いをしながら続けた。
「何だっけ、あの、生田とか上崎? あいつら、片桐とお前のことが好きだったらしいぜ。生田が確か本田のこと好きで、上崎が片桐のこと好きだったんだってよー。笑っちゃうよな、結局顔しか見てねぇくせにさ」
引き笑いが更にヒートアップしている。松永は高々と笑いながら、矢橋の顔面を蹴った。
次いで、何発も。
「!」
その場にいた矢橋と松永以外の全員が、松永の行動に驚きを隠せなかった。紫織も驚きすぎたのだろう、眼鏡を拭いている。
「うわ、きったねー! 鼻水ついてやがる、きんもーっ!」
そう言いながらも松永はがんがん矢橋の顔面を蹴っている。
「上履きについたじゃん、マジないわー矢橋」
引き笑いがどんどんヒートアップしていって、俺達の驚きもヒートアップし、段々驚きから別の感情、呆れへと変化していった。
何故死んだ人をいたぶるのだ。死んだ人の表情や感情は、もう二度と戻ってこないと言うのに。
自己満足といったところなのだろうか、所詮。それでも、俺達が胸糞悪いから、やめてほしい。せめて人のいない所でやってくれ。
「マジ、こいつの顔面白っ! ってか、血がついたんですけどーないわー! 血出さないで死んでほしかったなー。ってか、廊下で死なないでほしかったなー!」
ドンッ
松永がそう言った直後、桜坂が捨て身の体当たりをした。
「うぐぇ!?」
松永が吹っ飛んで、数メートル先の廊下で寝ころんでいた。
当の桜坂は目を見開いて、静かながらも荒い呼吸を繰り返している。
「いってぇ……。何だよ」
松永は口元を押さえて舌打ちをする。どうやら口を強打したようだった。
「マジ、マジねぇし桜坂。ざけんじゃねぇよ」
松永は射殺さんばかりの視線を桜坂に注いでいる。その目には明らかに憎悪が宿っていた。
さっき絵糸からこのような視線を投げかけられたけど、流石にこんな憎悪は宿していなかったぞ。
「ふざけないでって言いたいのは、こっちの方だよ! 何でそんなこと言うの!? 死んだ人に、何でそんなことが言えるの!?」
松永は口元を押さえながら「何なんだよお前、良い人ぶっちゃって」と悪態をつく。
「何で、何でそんな風に、人を傷付けることが出来るの?」
松永は、うっすら涙を浮かべる桜坂を見て、はぁとため息をつく。
紫織も冬坂も、桜坂の背中をさすっている。
やがて松永が口を開いた。
「……ってか、マジないからこういうの、ホント。大体あんただって、矢橋のこと好きだったわけじゃないじゃん? それなのにそうやって死んだ人のこと思いやるの、やめた方がいいよ。こっちはウンザリだから」
それまで黙っていた冬坂が口を開いた。
「そんなわけじゃないよ。ななちゃんが偽善者の訳ない。ななちゃんは優しいだけなんだよ。……っていうか、ななちゃんは咲枝ちゃんのことを言ってるんじゃないよ。樹莉亜ちゃんのことを言ってるんだよ」
冬坂は挑むような瞳を松永に投げかける。確かに桜坂は矢橋のことを言っていたわけじゃない。松永のことを言っていたんだ。
だが当の本人……桜坂は、それ以上喋ることはなかった。
「……どうしたの、桜坂さん」
いち早く桜坂の異変に気付いたのは紫織だった。桜坂の顔を覗き込む。
「具合でも、悪い?」
紫織が尋ねると、桜坂は首を横に振った。
「桜坂?」
西条も口を開く。異変に気付いたのだろう。桜坂と仲の良い彼のこと、なおさら心配なのだろう。
桜坂の口から、嗚咽がこぼれた。
桜坂は俯いて、ぽろぽろと涙をこぼしている。
「くっだんね」
松永はチッと舌打ちをする。
「こっちは生き延びるので精いっぱいなのに、こんな馬鹿みたいな茶番、付き合ってらんないよ」
ふわぁ、と伸びをして、桜坂の様子などおかまいなしのようだ。
「そっちから喧嘩吹っ掛けてきたくせに泣くとか何なの。勝手に巻き込まれるこっちの身にもなってよ。こんなときまで青春してるあんた達と関わりたくないっつーの!」
そう言って、松永は向こうにかけていった。
残された俺達は、ただ桜坂を慰めているしかなかった。桜坂は「ごめんね」と言って、ただ泣いていた。
どうやら松永の圧が怖すぎて泣いたわけではなさそうだ。男子の俺達ですらあいつの圧が怖くて動けなかったのに、動いた桜坂は強い。圧が怖かったら最初から動けないはずだ。
じゃあ、何で……?
「どうしたの、ななちゃん」
溢れ出る涙を拭っては、桜坂は「あのね」と理由を説明し始めた。
「確かにって思っちゃったの。……ウチ、咲枝のこと、何にも知らなかったくせに、知ろうともしなかったくせに、あんなこと言って……」
桜坂の小さな小さな声。その声を聞くのに少々苦労した。何故なら前田がまだぶつぶつと「西条と本田覚えとけよ……」と言ってるからだ。もういい加減やめろよ。何分言い続けてるんだよ。
「そんなことない、ななちゃんは強いよ」
そうきっぱりと言い放ったのは、冬坂だった。冬坂は強い瞳で、桜坂を見つめている。
「ななちゃんは、興味ない人のこともちゃんと思いやれる、優しい人なんだよ。ウチなんて、咲枝ちゃん、咲枝ちゃんって言ってたのに、死んだ咲枝ちゃんが蹴られているとき、何も言えなかった。でも、ななちゃんは違った。ちゃんと、反論してくれたじゃない。興味ない人が死んでも、そうやってかばったじゃない」
冬坂の発言に、桜坂は段々顔を上げていく。心なしか、涙も止まっているように思える。
「ウチなんか、樹莉亜ちゃんが怖くて、咲枝ちゃんをかばうことなんて出来なかった。仲良くしていたのに、咲枝ちゃんをかばうことが出来なかった。でも、ななちゃんは、話したことも数回しかないのに、咲枝ちゃんを守った。それって、すごいことだと思うの」
にっこり笑みを見せる冬坂。桜坂は目をごしごしとこすって、「そっか……そうだよね。うん」と頷いた。
その場に一気にほっこりしたムードが流れる。よかった、冬坂という癒しキャラがいなければ、この場はいまだに戦場だっただろう。
「そうだよ、桜坂は強いんだから」
ふいに西条がそんなことを言った。
「だから松永も言い返せなかったんだ。俺見てた。あいつ、桜坂に反論され言い返す言葉のバリーエーションがそんななかったらしくって、目がきょろきょろしてたもん、笑いそうになったよ」
「ホント?」
桜坂が西条に不安げに聞く。西条は笑みを向けた。
「ホントだって」
西条は言いたいことを言った様子で、ふわぁ、と伸びをした。
「そういえば、矢橋が俺のこと好きだって言ってたけど、あれマジ?」
「うっ」
すっかり元気になった桜坂が、何故か眉をひそめた。
何故桜坂が眉を潜めるのだ。今の冬坂の言い分だと、桜坂と矢橋は、さほど友好的な関係ではなかったらしいのに。
「ウチ、見ちゃったんだけど……」
桜坂は苦笑いを顔にひっつけたまま、小声でぼそぼそと話していた。
「忘れ物とりに来た時だったっけなー。クラスに入ろうとしてドアについてる窓見たときに、見ちゃったんだよ……。陸の机漁ってる咲枝……。何か息荒かったし、男子に何か放り込まれたの、とりに来たのかなーなんて無視してたけど……」
しばらくの沈黙。しばらくどころじゃないぐらい、長い沈黙だったのかもしれない。
誰も、何も喋らない。それどころか、さっきまでBGMのように聞こえていた前田の声も、今は聞こえなくなっていて。そう、完全な沈黙。
そして西条は一言。
「教室戻って手短に消毒してくるわ」
西条はそう言って駆け出して行った。
俺達も後に続く。誰もが皆、苦い表情を貼りつけて。
階段まで来て、西条が階段を一つ上り終えて、次の階段に足を踏み入れて。
俺達が一つ目の階段を上った瞬間のこと。
西条が階段を上った時、「うわぁっ!」という悲鳴が響いた。
続いて、ズドンッという、銃声。
まさか、西条が被害に遭った!?
四人全員が息をのむ。
「西条!」
俺が叫ぶと、一つ上の階層に繋がる階段の踊り場で、西条が尻もちをついていた。
「ってぇ!」
西条は死んではいなさそうだ。どこ撃たれたのだろうか。
「大丈夫、陸君!」
「何があったの!?」
「陸、撃たれたの?」
明らかにホッとした様子が、皆の声から見てとれる。どうやらさっきまで行動を共にしていた仲間が死んでいなくて、皆安心したようだった。
「え、絵糸、絵糸が……」
「絵糸!?」
まさかの、ここで先ほど半ば喧嘩のような形で別行動をした絵糸が登場した。冬坂が「え!?」と息をのんでいるのが分かる。冬坂の絵糸愛は計り知れないものがある。年頃の男子の家に遊びに行く女子なんてそうそういない。
「絵糸が……絵糸が……銃で……」
西条は目を見開いて、上を指差した。上は四階だ。
その西条の指先も、細かく震えている。心なしか、その声も震えているように思えた。
「絵糸が、絵糸がどうしたんだ?」
「銃が、銃がどうしたの、陸!」
俺と桜坂が西条に尋ねたが、答えもなく、西条は仰向けに倒れた。
気を失っているようだった。
上を向くのが怖くて、でも向かなきゃ駄目なんだと体が呼びかける。
絵糸が、絵糸が一体、何だって言うんだ?
俺は恐る恐る上を向いた。
拳銃を持って荒い息を繰り返す絵糸がいて。
その視線の先に、頭から血を噴き出して倒れている人がいた。
さっきまで俺達に悪態をついていた、松永樹莉亜だった。