第五話 一誠
活動報告にあるとおりです。
「もしもし、紫織と冬坂か?」
今、俺は数学の発展コースが使う教室に入り、紫織のスマホに電話をかけている。紫織はスマホを持ってきているのだ。なるほど、真面目なフリして実は……ってやつだな。
しかし、都立中学校に発展コースがあるだなんて驚きだ。心が丘の中学校に入学した佐々木からは、「俺数学発展コースなんだけど!」という歓喜のメールが来たことがあり、てっきり公立中学校にしかないのだと思っていた。
……だが俺は、藤咲中の発展コースのレベルをなめていた。その学校自体のレベルが高いと、発展コースのレベルも高いということを忘れていた。超ギリギリ、本当にギリギリで受かった俺は、発展コースではなく、基礎コースに落ち着くことになった。
しかし、こんなときに電話をかけるなんて、俺も随分、余裕が出てきたな。
『本田君? 紫織です。どうかした? さっき、悲鳴が聞こえたけど、本田君と片桐君の命に別状はないわよね?』
おっと。さっきの悲鳴が聞こえてたのか。なら話は早い。
……うっ。
さっきの光景が思い浮かぶ。
赤らめた杏奈の顔が、風船を割ったかのように、一瞬にして消えた。
顔は弾け飛んだのだろうか、それとも、吹き飛んでいったのだろうか。
噴き出した赤のような朱色のような血と、胸に両手をあてたまま動かない杏奈。
華も顔を両手で覆って。でも顔がないから、何を覆っているのか分からない。
それが動かないまま、ずっと停止していて。
吐き出しそうになるぐらい、気味の悪い光景だった。
気味悪いとか言っちゃいけないかもしれない。彼女達は一年一組で人気のある女子だからだ。クラスカースト頂点に立つ少女二人が最初の犠牲者になったことは、残りの生存者にとって最悪の出来事だろう。
「あ、あぁ、俺らにこれと言った身の危険はない」
殺されそうになったことは、言わないでおいた。
『ってか、殺された人って誰? 絶対、声的に、女子だよね?』
冬坂の「これぞ女子!」という感じの声が辺りに響く。杏奈や華のような女子の声とダブって、さっきの場面が蘇る。
蘇っただけで、俺は参ってしまう。心が丘小学校で殺人ゲームが起きて、カリスマ三人組と有村が死んだとき。そのときは、首が弾け飛ぶとかそういうグロい死に方はしなかったから、正直今は気が滅入る。
「あぁ。生田杏奈と上崎華が殺された。殺したのは宮沢莉乃だ。多分、あの二人が最初の犠牲者だ」
『えぇ!? 嘘っ! 杏奈ちゃんと華ちゃん?』
冬坂の痛々しい声が通話口の向こうから聞こえる。
「そうだ。正直、俺は今でも嘘かと思っている」
またあの光景を思い出し、眉を潜める。人が死ぬ姿っていうものは、あまり綺麗なものではない。
『そ、そっちに絵糸君いる? 全然、声が聞こえないんだけど!』
冬坂はまだ痛々しい声を出している。そういえばあの後、絵糸はどこ行ったんだろう。宮沢莉乃の頬を撃った時から、見ていない。
「いや。何か、俺が宮沢に襲われそうになった時……」
『宮沢先生に襲われそうになったの!? ……だ、大丈夫? 怪我なかった?』
俺が言いかけてる最中だと言うのに、紫織の声が電話越しに大声で聞こえた。
「あ、あぁ、俺は、何とか、無事だけど。あと一歩でも横にズレてたら、死んでた」
『……あ、大声出してごめんなさい。でも、無事なら良かったわ』
俺が言うと、紫織も謝った後に安心してくれた。
謝ると言えば。
「あ、あのさ、紫織」
『何?』
紫織の、夏に綺麗な音を奏でる風鈴のような声色が、耳元に届く。
「さっき、俺、怒っちゃってごめん。つい、紫織のことにイラッてきちゃって。それで、紫織の気持ちを考えないで、あんなこと言って」
あの時、紫織の涙を初めて見た。形の良い瞳からこぼれおちる水滴。俺はその涙に少々後ろめたさを感じながらも、二年一組を出たものだ。
紫織が泣いた時、あの場に残された二人が何を言っていたのかは分からないが、絵糸は間違いなく、紫織を泣かせた俺を怒っていた。
「さっきの紫織に対しての一誠の態度、ゆるさねぇから」
あの言葉。
明らかに、俺に敵意をむき出しにしていた。
何もそんなに怒るかよと思っていたが、今となっては当然と思えてくる。
紫織は別に、その男子が好きと言う話はしていなかった。あの動揺っぷりは不思議だったが、それでも、紫織の言葉を信じずに勝手にイライラをぶつけてしまった俺は、最低な奴だ。
お互いに非があったのなら、話は別だろう。だが、紫織は何も悪いことは言っていない。俺が一方的に怒ってしまったのだ。紫織は一回も俺を傷付けたことがなかったし、紫織が俺を咎めたことなど一度もなかった。
なのに俺は、俺とは全く関係ない紫織との行動で、イライラしてしまったのだ。
俺のありのままを受け止めてくれる紫織を、傷付けてしまったのだ。
『別に、大丈夫よ。気にしてないわ』
遠くで発せられる紫織の鈴のような声。その声が、俺の心にすとんと落ちてきた。
……まったく、電話というものを発明した人に、感謝をしたい気分だ。
俺が泣いているのを、紫織に見られなくて済んだのだから。
「……あ、ならよかった。それより、今、どこにいる?」
俺は目尻から垂れてくる涙を腕で拭いて、紫織に尋ねた。
『私達、今、二年一組を出て女子トイレにいるの』
『とりあえず、前田先生だけでもしのごうと思って! 女子トイレにいるんだ』
紫織の落ち着いた鈴のような声とは対照的に、冬坂のトランペットのように元気な声。
何だか、冬坂の声を聞くと、元気になっていくような気がする。
うん、本当に、天才カルテット、良い人達の集まりだな。
『前田先生が、一瞬でも女子トイレに入るのを躊躇えばなって!』
「そっか」
冬坂の声に、俺は頷く。確か、カリスマ三人組も、先生が女子トイレに入るのを躊躇ったおかげで、少しの間、生き延びることが出来たんだっけ。
「ほんじゃあ、俺も向かうわ。電話、切るな」
『えぇ』
『まったねー。一誠君!』
通話が切れた。
何だか、この非常事態でも安心できる人がいるって、何だか良いな。
さて、俺も、この教室から出るとしよう。
そう思って発展コースの教室から出ると、「わわっ」という悲鳴が聞こえた。
俺が声のした方向を向くと、そこには西条陸がナイフを持った姿で立っていた。
「な、何だ、めっちゃびっくりした、先生かと思った。何だ、一誠かよ~」
「お、俺で、悪かったな……」
「別に全然! 先生じゃなくてよかったって思ったよ。ってか、スマホ持ってきてる! いいなー」
西条陸。クラスに一人はいるおふざけ系の男子だ。俺も結構昔はふざけてた方だと思うが、流石に西条よりかは大人しかった気がする。
「マジかよ、二回目だからって用意周到すぎるだろ~」
「……西条は、誰かと行動とかしてないの?」
「え。……あー、まぁ、してないかな」
西条は首を捻って「ま、一人の方が普通に楽だし?」などと言っている。いつも友達に囲まれている彼がそういうことを言うのは、少々珍しい光景だった。
「あ、じゃあ、俺と行動する? 俺、この通り、ナイフ持ってるし、結構ゲームとかで培ってきた能力って言うのがね、あるんですよ!」
西条は何と頼もしいのだろう。俺も了承し、二人して発展コースを出る。
そういえば西条は発展コースだった気がする。うーん、クラスのおふざけ系なのに勉強が出来るって、何だか羨ましいな。
それから俺らは少しばかり話をしながら歩いた。こんなに余裕のある行動をとれるのも、やっぱり二回目だからというのもあるからだろうか。
部活の話、勉強の話、クラスの話。西条はバレー部の話をし、俺はサッカー部で大会に出れるようになった話をした。西条は素直に「すげー!」と褒めてくれた。西条は本気で良い人だ。中間や期末で理科や社会が難しいとか、運動会どうなるんだろうとか。
もしかしたら来ないかもしれない未来の話、そんなことばっかり話していたのだ。