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二話 絵糸

 本当の両親に会いに行って、追い返されて、公園に行って、ココアを飲んで。

 家に帰ろうとしたものの、こんな早くに家に帰ってくるのもどうかと思い、俺はしばらく街を歩いていることにした。

 然闇に会いたいな、と思ったけれど、こんな状況下で会いに行くのもまた大変だ。彼女との関係が気まずくなるから、義理の両親に育てられているなんて、絶対然闇ちゃんに言っちゃ駄目よ? と母親に念入りに釘を刺されていたことを思い出す。

 はぁ、とため息をついて、しばらく夜風の吹く街を歩く。


 昼間は車が沢山行き交う大通り。だけど、今は行き交う車の数もまばらで、自転車をこいでる人も、歩いている人も少ない。時計がないから今が何時なのか分からないけれど、最早夕暮れと言うには暗すぎるんじゃないかというぐらい、空は真っ暗だ。

 学校の前を通ったり、家の前まで行ってみたり。だけどどうしても戻る気になれなくて、またさっきいた公園に戻ったりしていた。気がつくと、ちょびちょび飲んでいたココアはもう空っぽだった。財布の中にも二百円しか残っておらず、もう飲み物一本しか買えないかと、ちょっぴり苦笑した。

 今は不思議と何かを食べる気にもなれず、お腹が少し空いたので、夜食でも食べようかと、コンビニに向かう。

 いらっしゃいませーという店員の声を無視して、時計を見ると、夜の七時半。だからこんなに真っ暗なのか、と切なげに思いながらも、おにぎりやサンドイッチが売られているコーナーに歩み寄る。

 すると。


「おぉ、片桐じゃん、どうしたのこんな時間に」


 右側から声がかかる。

 背筋が冷や水を浴びたかのように冷たくなる。

 間違いない、クラスメートの西条陸だ。


「こんな時間にコンビニなんか来ちゃって。おつかい頼まれたの?」


 お調子者で人懐っこくて、明るく男女ともに人気の西条陸。

 無口な俺とは真反対の存在で、その実、俺は彼のことがさほど好きではなかった。人の心に土足で踏み込んでいくような、図々しいところがあるような気がしたから。

「……別に」

 こんな奴に今日起こったことを知られたら、たまったもんじゃない。お調子者の西条のこと、皆の目の前で何を言い出すか、知れたものじゃなかった。

「別にって何だよー、別にって。あ、ツナマヨか? 俺好きなんだよなー、ツナマヨ。片桐はおにぎりの具の中で何が一番好き?」

 いきなり話題を変えられて、俺は少しだけ面食らった。マジかこいつ。急に俺の持ってるおにぎりの話に話題を転換したぞ。

「……シャケ」

 とりあえず早くこの場から離れたくて、俺は適当なことを言った。


「え、マジで!? 俺もシャケ好きなんだよ。へぇ、気が合うなぁ。あの、ちょっと塩辛いのに甘い、甘辛が良いんだよな」


 げっ。これじゃ、まだ話が続きそうだ。

 俺が冷や汗を垂らして思った一言がそれだった。

 予想通り、西条はシャケがいかに上手いかについて語りだした。

「たまに俺も作る時があるんだけどな、そのときは中々、売っているように美味しくはいかないんだよな。一体どうやってあんなに美味しいシャケおにぎりを作っているんだろうな。製造者に今度聞いてみたいよ」

 確かに俺もシャケは好きだけど、こんなに熱く語る奴は初めて見たぞ。

 それから更に、おにぎりの話から牛丼の話にシフトし始めた。ご飯と言えばな、牛丼も良いぞ。ほかほかの白米にちょっと焦げた豚肉が最高にたまらないんだ。とか、うんたらかんたら。


 そんなことを延々と聞かされてるこっちは、大迷惑とまではいかなくても、迷惑だ。

 気がつくと時計の針は九を指していた。七時四十五分。このコンビニに来てから軽く十五分は経っている。熱から冷めてくれ西条。

 俺の懇願の視線に気付いたのか、それから約一分後、「あ、こんなに話しちゃって、ごめんな片桐」と謝ってくれた。

 こっちは本当に疲れたよ。少しだけため息をつく。


「あっ、そうだ、聞いておきたいことがあるんだけど」

 一刻も早くこの場から立ち去りたい俺に向かって、彼はそう尋ねてきた。

「何?」と俺は舌打ちを押さえて振り返る。聞いたらまずい、というような顔をしているのは何故だ西条。そんなに嫌なら、聞くなよな。


「古川に告白されてたけど、あれ、何だ?」


 ぎくっ。

 気付かれていたのか。家庭科室でのあの騒動。というか、自分のことを好きだと告白してきてくれた女子の名前しか知らなかった。古川あやねって言うのか。

「古川めっちゃ泣いてたけど、あれ、何があったんだ?」

 距離を置こうとする俺に更に詰め寄る西条。人の心に土足で踏み込んでくるような態度。だからあまり好きじゃないんだ。

「別に」

「別にじゃないじゃん! あの後片桐が逃げ出したもんだからさぁ。女子からは非難轟々だったよ。だけど、男子からはやるなぁって大絶賛だったぜ! いやぁ、ナイス片桐」

 何がナイスなのだろうか。古川がどうなったか知ったことはないが、とりあえず早くここから逃げ出したい一心だった。

 何で人のことまで知りたがるんだ、こいつ。それが、人気者って奴なのか。だったら人気者はろくでもないな。

 ……でもちょっとだけ、気になることがある。

「大絶賛って、何でだ?」

 西条はいきなり尋ねられて呆気にとられたのか、しばらくぽかんとした表情になり、「あ、あぁ、それね」と笑顔で話してくれた。


 古川は元々性格が悪く、ある女子をいじめたグループの主犯格らしかった。四年生の頃にいじめが起き、それが先生にバレてきつく叱られた時から表面上では反省していたようだ。だがまだ誰かの陰口は続いているらしく、心の底から反省はしていないらしかった。

 そんな奴が、我らがアイドル、然闇の幼馴染み、つまり俺のことが好きと言うことが、男子達はどうにも気に入らないらしかった。だから俺が振った時、スカッとしたらしい。


「古川って、ほら、あれだろ? ……四年の頃、桜坂をいじめてたって言われてるじゃん?」


 桜坂……って誰だ?

 交友関係が広すぎる西条の話についていけず、俺は首を捻るばかり。そのうち、「ちょっと」とサラリーマンがおにぎりコーナーからの退出を促したので、慌ててコンビニを出て駐車場に移動することにした。

 何もそんなに逃げなくてもいいのに、と苦笑いする西条に向かって、俺は「桜坂って誰だ?」と率直に訊いてみることにした。

 すると西条は目を丸くし、「お前、知らないのか?」と確認してくる。何がだろう。


「桜坂って、都内のピアノコンクールで賞をとったり、学校の吹奏楽バンドでフルートのソロを弾いていたりする、すんげぇ奴なんだぞ」


 へぇ、そんな奴がこの学校にいるんだ。でも、そんなすげぇ女子が何でいじめられてたんだろう。

 俺がそんなことを思っているとはつゆ知らず、西条は頬を紅潮させながら桜坂がいかにすごいかを語り始めた。いや、何でお前がそんな自慢げに語っているんだ。もしかして同じ学校出身なのがそんなに誇らしいのかと、突っ込みたくなった。

 どうやら桜坂という女子は、頭が良く、塾の模試でも好成績を残していたりするらしい。それでいてそのことを自慢したりしない、心の広い人なのだと言う。だけど古川達に嫉妬され、いじめられていたらしい。


「正直俺も、初めは嫉妬していたんだよなぁ。……嫉妬していたって言うか、羨ましかったんだよな。あんな小さいのに、何でそんなにすげぇことが出来て、周りから信頼されているんだって、超憧れてた」


 男子が女子に嫉妬するなんて、そんなことあるのか、と笑いそうになるが、ふと目に映った西条の瞳は、本気だった。

 なんというか、輝いているというか。桜坂に本気で憧れているのだなぁと、赤の他人にも伝わってくる輝きを放っていた。


「で、桜坂、藤咲っていう超名門校に行くらしくてさ。やっぱ、レベルが違うなぁって思ったんだよ」


 藤咲か。俺も知っている。都立の中でも超名門と言われている学校だ。確かに次元が違う。俺なんかが受けたら即落ちてしまいそうだ。

「なーんてな。片桐、興味ないだろ。視線が泳いでる」

 ふいに西条からデコピンを食らう。一瞬、おでこから体中に、電気が流れた。

「いった……。お前……」

 弾かれたおでこを両手でさすりながら西条に思わず牙を向けると、彼はきょとんとした表情を貼りつけて、その直後、声を上げて笑いだした。

「な、何がおかしいんだよ……」

「いやいや、何でもないよ。ごめんなぁ、興味もない奴の話しちゃって」

 西条は、笑いを押さえて、いつの間にか出てきていたらしい涙を人差し指で拭った。俺はおでこをこすりながら西条を睨みつける。


 と。



「あっ、陸と片桐さんだ、どうしたの?」



 弾むように元気な声に、西条がコンマ数秒で振り返った。そんな急いでいたら、首が変になるぞと注意したくなる。


「桜坂」


 なるほど、噂をすれば影がさすってやつだな。ご本人登場ってわけか。

 ん?

 俺の頭が、微かにちりっと痛んだ。


 華奢でショートボブ。黒い長袖のTシャツに、ポップな色合いのミニスカート。寒いのかスパッツを履いている。


 ……って、この子。

 間違いない、学校でぶつかった女の子だった。

 フレンドリーそうなこの女の子が、頭も良くて性格も良くて、フルートのソロ担当して、都内のコンクールで賞をとった桜坂……?


 そう意識した瞬間、俺の腕にぞわりと鳥肌が立った。

 もしかしたら、彼女に怪我をさせちゃったかもしれない。彼女が気付いていないだけで、実は大切な指が骨折しているなんていう可能性も有り得るぞ!


 ヤバい。


 瞬時に考え抜いて、俺はピシッと背筋を伸ばして、桜坂さんの方に体ごと向き直り、膝におでこがくっつきそうな勢いで謝罪した。


「さ、先ほどはごめんなさい! 何か、お怪我ありませんか!?」


 二人は完璧に沈黙して。

 そして、二人揃って大爆笑。

 コンビニの前は異様な騒々しさに覆われて、道行く通行人が振り返る。

 そんな情景が背中越しに見えて、俺はヘドバンするような勢いで顔を上げた。


「ど、どこがそんなおかしいんですか?」

「だ、だって、すごい勢いで謝っていたから、そんなにさっきのこと気にかけてたんだって思うと、何だか面白くって」

「片桐がそんなに面白い奴だなんて、想像もしなかったって言うか、いつもすごい無口だから」

 理由の言葉も、笑い声が入り混じって、ちゃんとした声になっていなかった。

 そこまで、俺がおかしいのか?

 何だかムッとする。俺はせっかく謝ったと言うのに、このお気楽そうな奴らときたら……。

 俺の表情の変化に気付いたのか、二人はほぼ同時に笑いを止めて、「ごめん」と逆に謝ってくれる。息ピッタリだ。


「というか、桜坂、どうしてここにいるんだ?」

 西条がふいに尋ねる。その瞳にはまだ涙が浮かんでいる。

「うーん、塾の帰りかな。ちょっとお腹すいたから、おにぎりでも食べようかなって。陸は?」

「ミートゥ! 俺も塾帰り。……片桐は?」

「お、俺?」

 二人から期待の視線を浴びる。何だか照れくさくなって、俺は二人から目を逸らす。


「ちょっと、色々あって」


 コンビニに一台の車が入る。俺達はそれを避けて、コンビニの前に置いてあるゴミ箱の所に移動。

 西条は顎に手を当てて、何か考えるそぶりを見せている。桜坂はミニスカートのポケットに両手を突っ込み、天を仰ぐ。


「家出か……」

「は? いや」


 西条の呟いた一言に、俺は全力で首を振る。

「っていうか、家出したのかって聞いてただろ……」

「あぁ、そうだったっけ」

 今度は人差し指をこめかみに当てて小首をかしげる。

「本当だってば」

「あれ? 俺そんなこと言ったっけ? とにかく片桐、家出なんてしちゃ駄目だぞ。あとで自分が恥かくだけだからな。「やっぱりこの子にはまだまだ私達が必要なんだ」って、親に再確認させちゃう絶好の機会なんだから」

 俺の肩に手を置いて、西条は真剣な瞳をぶつけてくる。まるで実体験を語っているようだ。

「それってお前の実体験か? ……って、勝手に話を変えるな」

「あれ? まぁそんなことどうでもいいじゃん。それより、何か買おうぜ」

 西条の言葉に桜坂もうんうんと頷く。おいおい、と俺が呆れの声を出すより早く、店内に消えていく西条。


「……ごめんね片桐さん、陸って低学年の頃から変わらずあぁなの」


 何故か何も悪くない桜坂さんに詫びられる俺。返す言葉もなく戸惑っていると、桜坂さんは怒涛の言葉を発した。


「本当に陸は、正義感が強いから。よく人のことからかったりするけど、相当良い人なんだよ。四年生の頃、私を救ってくれたのも陸だから」


 後半はか細く、囁きのような声だったが、この耳ははっきり拾うことができた。

 四年生の頃、古川あやねにいじめられていた桜坂さんを、西条が救ったのか。


 先ほど向けられた真剣な、人の心の奥底まで見透かしているような瞳。確かに、正義感の強そうな瞳だった。


「誰からも愛されるけど、誰に対しても態度を変えないし、曲がったことが嫌いで正義感が強いんだから、憧れちゃうなぁ……」


 なるほど、二人はお互いに憧れ合っていると言うことか。これをお互いに伝えてあげたら、相当びっくりされそうだなぁ。

 何だか恥ずかしげに下を向いている彼女の頬は、バラのような赤色だった。

「そっか」

 だけど、不器用で無口な俺は、口が達者だったさっきとは打って変わって、気の利く言葉をかけることが出来なかった。


「って、おーい二人とも、中、入らないの? 桜坂の好きな、チョコミントのアイスがあったけど」


 自動ドアから出てきた西条が、俺達二人を中へ入るよう促す。すると桜坂は頬を紅潮させたままパッと顔を上げる。瞳が宝石のように輝いていて、コンビニの光を浴びたその瞳は眩しく光る。

「嘘ッ、チョコミント!? それ食べる!」

 意気揚々と店内の中に消えていく桜坂さん。

 俺もそれについていき、再び店内へと入っていく。



 結局、俺はシャケのおにぎり、西条と桜坂さんはチョコミントのアイスを買った。

 好みが分かれるチョコミント、実は俺嫌いなんだよなあ。それに何より、夕御飯がおにぎり一個だけって寂しすぎだから、もう一個食べたかったのだ。

「美味しーっ! やっぱりアイスはチョコミントだねぇ」

「ちょっと寒い日に食べるアイスって何だか良いよな! しかもスースーするミントだから、涼しさ倍増っていうか!」

「あー分かる! それな!」

 先ほどココアを飲んだ公園のベンチに座りながら、俺達は三人で食事をする。

 俺が黙々とおにぎりを頬張っている中、隣に座る二人はさっきからチョコミントアイスの食レポに夢中だ。何だよ、チョコミントが嫌いな俺への当てつけか?

「チョコミントって好みが分かれるけど、俺は大好き! 甘いチョコと涼しげなミントの最強の組み合わせっていうか」

「ねぇ何で陸は私の考えまるっきりそのままを言っていくの!?」

 二人で仲良く食レポをしながらアイスを食べている、その様子はまさに。


「カップル……?」


 ボソッと呟いたその一言に、二人は瞬時に反応した。

 ヤバい、しまった。怒られるに違いない。

 感じ取って目をつぶると、二人からは俺の想像を遥かに上回った言葉が発される。


「カップル!? どこどこ!?」

「こんな夜の公園でイチャつくなんて、ご飯食べてるこっちの身にもなれよ!」


 ……は? 馬鹿なのかこいつら。

 本音がぽろっと滲み出てしまうが、まさかこんなにも馬鹿みたいな奴だとは思わなかったぞ。この状況下なら、普通自分達だって気付くだろ!

「あの、カップルみたいってのは、そこの二人のことで……」

 次の瞬間、二人はぴたっと固まり、それから、ほぼ同時に顔を赤くさせた。

 特に西条は火山という言葉がぴったりなほど顔を紅潮させている。いまにも噴火しそうだ。


「お、おおおおおおれたちがカップルなわけないじゃん、馬鹿なの?」


 何だそれ、バレバレじゃんかよ。

「え?」

 今度は桜坂さんが素っ頓狂な声を漏らす。しまった、心の声として言ったつもりが、声に出してたか?


「え? 付き合ってるんじゃないの、二人」

 また殆ど同じタイミングで首を横に振る二人。っていうか、馬鹿なの? って何だよ急に。頬を膨らましたくはなかったので、何とかそれに対しての怒りは抑えた。

「付き合ってなんかないよ。どこをどう判断したらそうなるの?」

 そう反論する桜坂さんは、眉を少しだけ吊り上げて、小さな口を尖らせて。

 ムッとしているようだ。


 そんなに西条と付き合っていると思われるのが嫌なのか? 俺みたいな無口で女子を泣かせてしまうような奴より、よっぽど良い奴だと思うのに。

「というよりかは、片桐も人のこと言えないだろ。冬坂さんとあんなに仲が良いくせに、今更付き合ってないとは言わせないぞ?」

 西条は仕返しだと言わんばかりに、びしっと親指を突き立てる。その動作に一瞬苛立ちを覚えながらも、俺は何とか抑え込む。

「はぁ? 何でそうなるんだよ。然闇と俺は幼馴染みだ。幼馴染みは付き合うもんだって法則、誰が作った?」

「それと同じだよ、俺達は幼馴染みなんかじゃないけど」

 まんまと言い返されて、少々プライドを傷つけられた気持ちになる。黙りこくる俺を見て、隣でチョコミントアイスを食べている桜坂さんは、噴き出しているし。

 あぁもう、何だこいつら!

 途端にこの場が面倒くさくなって、逃げ出したくなる。


「あぁもう分かったよ」

「何でそんながっかりしてるんだよ。っていうか俺達、何で付き合ってる疑惑が出たんだよ」

 西条はもう食べ終わったらしく、食べる部分と掴む部分の区別がつかないスプーンを口に放り込む。


「そりゃ仲良いからだろ。大体、二人ともお互いにお互いのこと憧れてるし。……あっ」


 言ってしまった。

 本当なら二人は、隠していたかったはずだ。こんなに仲良さげに話す二人が、実は密かに羨ましいという気持ちや、羨望や憧れを持っていると知ったならば、気まずくなることは明白だ。

 これは、まずいことをしてしまったかもな。


「あっ、ご、ごめん……」


 そうは言ってみたものの、二人は戸惑いの視線を、俺にではなく、互いに投げかけ合っていた。


 どういうことだ、これ。

 やっと人に興味を持ち始め、更には付き合ってるだのいないだの、失礼な質問を投げかけてしまった俺が悪いのだということは、分かっている。だけど、俺のせいで二人の関係を悪化させたくはなかった。

 二人で仲良く食レポをする姿が、羨ましかったのかもしれない。俺はまだ然闇と仲良くしたかったのに、周りがそれを許さなかった。勝手にカップルだと決めつけて、幼馴染みは必ずくっつくだのとほざいて、俺達が気まずくなるような雰囲気を、周りが作りやがった。

 だけどこの二人は、周りからの冷やかしもなく、それどころか親密な関係をほのめかすことすら、表面上にはないように思える。教室の中では、何も関係ないクラスメート同士を装っているが、実は仲良くなりたがっているなんて素敵な話じゃないか。


 何だか羨ましい。俺達幼馴染みも、こんな風にならないものか。


 って、無理か。

 然闇は相当にモテるし、桜坂さんみたいにピアノが上手いわけでもなければ、俺だって、西条のように誰からも愛される明るさがあるわけではない。


 俺の西条と桜坂のペアは、素敵な関係で終わりそうな気がしていた。

 だが、俺の頭が「違うそうじゃない」と呼びかけてくる。


「ろくでもないことって何だよぉ、桜坂、気が合うな」

「うん、私もたった今そう思ったところだよ」


 何故か「ふっふっふ……」と揃って奇妙な声をあげながら握手をする二人を見て、俺はそそくさと逃げ出した。

 どうかあいつらが、友達以上の関係になっていますようにと祈りながら。


 ◆◇


 はぁ。

 今日は散々な目に遭ったなぁ。

 家に帰ってから、すぐさま手短にシャワーを浴びて、それから少し本を読んで、歯を磨き、布団の中に潜り込む。時刻は夜の十時。いびきが遠く離れた寝室から聞こえたので、義理の両親は恐らく寝ているのだろう。

 

 しかしまぁ、うん。本当に色んなことが起こったなぁ今日は。本当の父親と仲良くなったのに、母親は怒って俺を追い出しちゃうし。それにショックを受けて、お腹が空いたことに気付いてコンビニに寄ったら、まさかの西条陸と出くわしちゃうし。

 おまけに西条と仲の良さそうな桜坂さんと会っちゃうし。二人の仲が少しでも進展してくれればいいのだが。


 そう言えば、俺は以前より西条のことが嫌いじゃなくなった気がする。

 むしろ、好きの部類に入るようになった。


 俺にも進展があったなぁ。別れがあれば出会いがあるということかな。うん。


 そのとき。

 俺の頭の中に、引っ掛かる何かがあった。

 その引っ掛かる何かは、それが何か追い求めるうちに、明確に輪郭を現してきた。


 桜坂さんと西条は、元々友達以上の関係なのではないだろうか。


 考察をどんどん練っていくと、俺の頭が寝る直前なのに冴えていることに気付いた。

 話は今日、西条とコンビニで会ったところから始まる。西条は俺にシャケや牛丼がいかに美味いかを語りつくしながら、その一方で、俺が古川あやねに告白されたことに関心を持っていた。

 古川が振られて、男子一同スカッとしたと、男子は皆俺に感謝していると教えてもらった。むろん西条もそのうちの一人。理由は、古川が桜坂さんをいじめた経験のあったから。


 ここで引っ掛かるポイントが一つ。


 桜坂さんをただの女子と思っていたのなら、そんな風にスカッとはしないはずだ。「嫉妬していた女子」ならば尚更だろう。なのに何故あんなに嬉しそうだったのか。

 桜坂さんに、ただの女子以上の好感を持っていたからだろう。


 うんうんと頷く俺。このまま布団の中でずっと考えてしまいそうな勢いだ。


 そして次の引っ掛かるポイントが、噂をすれば影がさすを表現した、桜坂さんの登場。

 桜坂さんが登場した時、首がおかしくなるぐらいの勢いで彼女の方を向いた西条。ただの友達ならば、あんな風に振り返ったりはしないはずだ。くるっと、何てことないように振り向いて、「よぉ桜坂。噂をすれば影がさすってやつだなぁ」と気楽そうに言うはずだ。彼が「噂をすれば影がさす」という言葉を知っていたらの話だが。いやむしろ彼なら「噂をすれば何とやらってやつだなぁ」と濁すに違いないか。


 最後の引っ掛かりポイントが、桜坂さんを紹介していた時のことだ。

 友達のことを喋るくらいなら、何もあんなに頬を紅潮させなくてもいいのに、と今冷静に考えると簡単に分かることだった。

 友達のことを自慢するくらいなら、「桜坂ってすげーだろ!? 俺仲良いんだぜ!」と言うようなノリで、やったとしても瞳を輝かせるぐらいだろう。なのに何で頬を真っ赤に染めていたのか?

 これは友達以上の好意があるとしか、考え付かない。もっと他の理由があるのかもしれないが、そう考えるのが妥当だろう。


 次に桜坂さん。

 都内のピアノコンクールで賞をとり、全国模試で好成績を叩きだしたという異様な経歴を持つ桜坂さんだが、こんな鈍い俺でも分かるぐらい、分かりやすいんだ。

 西条が自分を救ってくれたと言っていた時、バラのように頬を染めて、とても愛らしい笑みを浮かべていた桜坂さん。

 西条に話しかけられた時、あんなに嬉しそうな顔をして。コンビニの光を受けただけの瞳とは違っていた。決定的な何かがあったということが、今の俺には分かる。


「イニシャルs、両想い説かぁ……」


 呟いてしまってから、俺の心の仲は大爆発した。


 うわああああああぁぁぁぁ。

 何を馬鹿みたいな考察してるんだ俺は!

 こんな考察をして、桜坂さんと西条に失礼じゃないか! ……いやでも、あんなに分かりやすい想いをひたすら相手にぶつけている二人も二人って言うか……。


 ぬわあぁ、もう。こんなことを俺が考えているなんて知ったら、二人とも、何て思うだろうか……。


 布団をぼふぼふと叩くと、布団の隅に置いてあった目覚まし時計が、俺の腕に乗った。

「いてっ……」

 目覚まし時計を腕から払い落しながら、俺はちらっと目覚まし時計の指す時間を見やる。


 十時四十五分。


 俺が話のネタにもならない下らない考察をしているうちに、もうこんなにも時間が経ってしまったのか。

 ヤバいヤバい。最低でも十一時までには寝ないと成長しないんだってか。


 ふいに、本当の母親に言われたあの言葉が、頭に蘇る。


「可愛げもない、声も低い、そんな体で声変わりが来て可哀想にね。生きてて惨めにならないの?」


 その言葉を思い出すと、怒りとは違う、悲しみとはまた違う、切なさが押し寄せてくる。

 本当の両親に、「生きてて惨めにならないの?」と言われる、切なさ。苦しみ。


 それが波のようにざぶんと押し寄せてきて、泣きそうになる。

 誰かがいるわけでもないのに、俺はその涙を誤魔化そうと、大あくびをして、目をこすった。


 どうか、どうか俺にも、少しだけでもいいから、幸せが舞い降りてきてくれたらいいのに……。

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