第二話
藤咲中学校に入学して、早いもので一カ月ほどが過ぎた。
小学校の頃とは打って変わって、制服も夏服と冬服があるし、校舎は少しばかり狭いが(十階建て校舎には敵わないよね)、かなり居心地の良い学校だ。
「はい、本田一誠君」
赤いセルフレームの眼鏡をかけた女性教師が、教卓を指先でとん、とん、と叩きながら本田君の名前を呼ぶ。
今は自己紹介の時間。入学してから一カ月も経って、もう皆部活に入っていると言うのに、何でこの時期に自己紹介をするのだろうと思ったが、よくよく考えたら藤咲中に色々と問題のある生徒が入学してきたから、きっと大変だったのだろう。
「うっす。本田一誠です。好きな食べ物はみかん。好きな教科は体育っす」
本田一誠。
私の好きな人でもあり、そして、私の理解者である、唯一の男子。
そんな不思議な境遇で知り合ったものだから、まぁ当然、友達になったり、話したりするわけで。
その中で私は、本田君に好きになっていった。
周りを見渡せば、出席番号順に座った皆の顔が見れる。
一号車、二号車、三号車と分かれ、一号車の最後尾に座っているのが、片桐絵糸君。眼鏡をかけた無口な男子で、現在私達「天才カルテット」の中で一番静かで絵が上手い。美術部所属。
続いて、本田君の前に座っている、自称「天パ」の冬坂然闇さん。初対面のときは髪型がえげつないと引いてしまった女子だが、片桐君のことが好きで、私達「天才カルテット」のことを上手くまとめてくれる心強い女子だ。吹奏楽部所属。
そして、本田一誠君。端正な顔立ちをしている、いわゆるイケメンタイプの爽やかな男子。
笑うとえくぼがへこんで、少しだけ見える白い歯は、歯並びが整っていて綺麗で。
サッカー部所属で、三年生や二年生が出場する、勝てば都大会出場決定の、かなり重要な地域別大会に出場出来ちゃうほどの実力の持ち主。
それでいて優しくて、ちょっと馬鹿っぽいところもある男子だし、この高級感のある藤咲中学校で一般人的な、庶民的と言うか、素朴な感じもある。
聖ハスカではそんな生徒が滅多にいなかったため、不思議と新鮮な気持ちになれた。
明るくて優しくて、辛いことをまるで一緒に乗り越えてきたかのような、そんな不思議な感覚が芽生えていた。
だから私は、そんな本田君が好きなのだ。
何人かクラスメートが呼ばれ、その何人かの同級生は次々と自己紹介していく。
続いて赤い眼鏡の担任、宮沢莉乃先生は、今度は眼鏡の縁をとんとんと叩きながら、私の名を呼んだ。
この先生は、何かをとんとんと叩く癖でもあるのか。
「はい。私は結崎紫織です。好きな食べ物はイチゴ、好きな教科は数学です。一年間、宜しくお願いします」
私の発表がそんなに珍しかったのか、皆はひそひそと何かを話している。特に本田君は私をマジマジと見つめていた。
一体何がそんなに珍しかったのだろう。イチゴが好きな人はきっと沢山いるだろうし、数学が好きな人も、藤咲中にいると思うけど。
「では、これで全員の自己紹介が終わりました。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
宮沢先生が、学級委員に号令を促す。
学級委員の男子が、「授業を終わります。ありがとうございました」と挨拶をする。皆は一礼をして、次々と友達のところに駆け寄っていった。
私は特に仲の良い友達が「天才カルテット」以外にいなかったし、作る気もなかった。
だから私は、自分の席で窓の外を眺めていた。出席番号が最後の方だから、自然と席が窓際になるんだよね。
「絵糸くぅ~ん!」
「おい、一誠、助けろ」
ちょっと高い声と、思わず「声優さんですか?」と突っ込みたくなる綺麗な声が聞こえた。
冬坂然闇さん。初対面の時はえげつない髪型をした不思議な少女だなぁと感じていた。そもそも然闇で「さくら」などと読むだなんて、親もどうかしていたんじゃないかと感じる。
が、本人は至って悪い性格はしていない。ちょっと自己中心的でぶりっ子だけど、明るくてポジティブ、女子力が高くて、女子には人気で男子にはモテる、可愛い女の子だ。初めは秦矢さんみたいだと苦手意識を持っていたが、段々彼女には、秦矢さんのような図々しさはないことに気付いた。
本人はモテるために努力を怠ってない。髪飾りも靴下も、どこで仕入れてきたと言わんばかりの物ばっかりで、モテそうな部活ランキングにランクインしてるような吹奏楽部で、フルートを吹いていると言う。合奏のときはいつも最前列にいるから、目立つには最適な楽器と言えそうだ。
片桐君のことが好きなのは確実だ。幼馴染みで、家を行き来したことが多いと聞く。
続いて片桐絵糸君。無口で話しかけても無愛想だけど、本当は根が優しい人。絵が好きで、実は結構なツンデレ。ちょっとでも反対されると、結構スネる。「天才カルテット」以外の人には分からないかもしれないが、私達には分かる。彼はよくスネると腕組みをする。
無表情で、殆ど表情を変えないが、私達と一緒にいると、表情が豊かになる。本人は、十二年以上の付き合いの冬坂さんを信頼していないと言う。彼女は、片桐君の友達の女子をいじめ倒した経歴があるというのだから、驚きだ。それ以来、片桐君は彼女を信頼するのをやめたという。
彼は私と同じ眼鏡仲間でもある。
片桐君と冬坂さんの仲は、小学校の頃から暗黙の了解で、両者ともモテるが、一度も誰かと付き合ったことがないと言う。冬坂さんは明らかに片桐君のことが好きなのに、片桐君はそれに気付いているのか気付いていないのか、曖昧なままだという。
その二人は無事同じクラスになって、……良かったのか、悪かったのか。
そういえば、片桐君の好きな人って誰だろう。
「おっす。ってか、絵糸喋るの久しぶりじゃね?」
本田君がそんな失礼なことを言ってしまう。
あぁ、そんなことを言ったら、絵糸君は更に喋らなくなってしまうではないか!
案の定絵糸君はその言葉を聞いた途端、黙ってしまった。冬坂さんが一瞬寂しそうな顔になっていた。
冬坂さんが何故そんな寂しげな表情をしたのか、分からなくて。
私が、冬坂さんに聞こうとした瞬間。
辺りが、異様な騒々しさに襲われた。
ふっと辺りに視線を配ると、ざわざわとした空気が、そこら中に漂っていた。
藤咲中は、名門校ってだけあって、元々静かだけど、今は何かが違う。
その「何か」に、私は心当たりがある。
誰かの絶望の声。
私を守ってくれた、強い瞳。
固く閉ざされた扉。
皐の、痛々しい、けれども凛とした瞳。
間違いない。これは。
殺人ゲームの、始まり。
殺人ゲームの前に、校庭に集められた、あの異様な光景。
パジャマ姿の皆が、そこにいて。
そこで、先生が不敵に笑っていて。
殺人ゲーム、始まりの合図を知らせていた。
途端に、スピーカーから不穏な音が聞こえてきた。ハウリングのような、ふぉぉぉぉん、という、心に響く大きな音。
ファン、ファン、と甲高い音がして、ザザザザッ、と妙な音も聞こえた。
「ッ----。ツッツ----。
えーっ……。藤咲中学校一年一組の皆さんに連絡です。
単刀直入に言うと、まぁ、今から殺人ゲームを始めます」
そんな不穏な声が聞こえた瞬間、辺りは途端にざわついていた。
私は、「天才カルテット」の三人を見た。
本田君は握った拳だけでなく、体中、わなわな震わせている。冬坂さんは、茫然とした表情で片桐君の手を握っている。片桐君は、眉間に皺を寄せていた。
もちろん、当の私も、落ち着いていられるはずはなくて。
心臓がドキドキと音を立ててせわしなく動いている。気を抜いたらすぐに倒れてしまいそうで、今は何とか気を保つのに精いっぱいだった。
……また、また私は、人が傷付けられる姿を、見なくてはいけないの?
皐達が死んでしまう、あんな凄惨な事件を、もう二度と見たくはなかったのに。
なのに、また……?
辺りは、「嘘、殺人ゲーム?」「え、あの、紫織とか一誠が体験した?」と次々と勝手なことを言う人達で溢れ返っている。
「嘘だろ……。またかよ!?!? ふざけんn……」
本田君が大声を上げるのを、私はすんでのところで止めた。
落ち着いて。落ち着いてよ本田君。皆が戸惑っているのに、経験者の私達がしっかりしていなくて、どうするのよ。
それに、この放送はドッキリではない。皆の表情は強張っているし、何よりドッキリするような学校ではない。
「皆、ざわつかないで。この放送が冗談だろ思った人もいるかもしれない。けど、この放送は恐らく『マジ』よ。ね? 本田君」
私の声は、微かに震えていた。二回目でも、やっぱりドキドキするものはドキドキするのだ。
また、命の危機にさらされてしまった。
こんなの……。最悪だ。
せっかく、楽しい中学校生活を送れると心待ちにしていたのに。
……こんなことって、あんまりだ。
「おぉ、おう」
本田君が、少し戸惑った様子で頷く。同じ二回目同士でも、やっぱり言葉は変な感じになってしまうんだ。
「とりあえず今から私の言うことを落ち着いて聞いて。まず静かになって。
そして落ち着いて放送を聞きなさい」
私の声で、皆が静かになる。
……結構発言力のある方だけど、こんな風に、人をまとめたことがなかった。
今この瞬間、皆の命を、私が握っている気がして。
一歩間違えたらこのクラスの皆が死にそうで、油断は禁物だった。
「ルールを説明します。制限時間は明日の日の出まで。殺人ゲームと言う名の鬼ごっことでも思ってください。
ただし鬼に見付かったら、ほぼ確実に死ぬと思ってくださいね」
スピーカーから響く、冷淡な声。
こんな冷淡な声を、まさか藤咲中でも聴く羽目になるだなんて。
合格して浮かれていた三か月前の私は、思いもしなかったんだ。
「し、死ぬ……!?」
冬坂さんの高い声が、辺りに響く。
皆がまたざわつき始める。死ぬって聞いて、いても経ってもいられなくなったのか、発狂しだす人もいる。
気付いたら、先生がいなくなっていた。
どうせ、また追いかけるんだろうな。……全然楽しくなんかないのに。クレイジーでサイコパスな殺人ゲームを、また繰り返す気なんだ。
私達が今、どんな思いをしているか知らないで。
これじゃあ、「紫織は生きて」と、私の人生を支えて自ら死んでいった皐に、何て言えばいいのか分からない。
ここで死んでしまっては、完全に聖ハスカでの沢山の犠牲者は、無駄死にになってしまうではないか。
「鬼は、一年一組担任と三組担任の、宮沢先生と前田先生だ」
「み、宮沢先生!? ウチらの担任の、宮沢莉乃先生!?」
途端に女子が悲鳴を上げる。
あの子は、テニス部で、テニス部顧問の宮沢先生を慕っていたから、ショックだったんだろうな。
……それにしても、前田先生まで、前田史也先生まで、殺人ゲームに加わってしまうだなんて。きっと、中学生で、体力も足も、それにもちろん、考えることも変わったから、鬼を二人にしたのかもしれない。
……名門校だったのに、一人で鬼をしてたなんて、小川先生、結構すごい人だったんだろうな。
私がふっと本田君を見やると、本田君は下を向いて、がくがく震えていた。
皆も、再び騒ぎだして、「いやだよぉ」「死んじゃうの?」と涙を流している子もいた。
……こんな事じゃ駄目だ。
そんなに慌ててしまっては、殺されてしまう。
心が丘で殺人ゲームが起きたときだって、そうだと本田君が言っていたじゃないか。
皆がパニックで、春日君が死んだ時、内心心臓バクバクだったって。
「しっ! 静かに!」
私は教室中に響き渡る声で叫んだ。すると教室はしんと静まり返り、皆私の方を向いた。
……私の方なんて向かなくて良いから。今は皆、逃げることに集中して。
そう言いたかったけど、もう一度あの状況にさらされた私は、そんなこと、言えるはずがなかった。
「それでは、鬼出勤までカウントダウンをします。十……九……」
その放送が流れた途端、皆は一斉に教室の外へ逃げ出した。教室へ隠れようと考えている人は……どうやら一人もいないらしい。
私達も当然、教室の外へ逃げ出す。藤咲中は公立だから、やはり聖ハスカよりは校舎も小さく、五回までしかない。それでも普通の公立中学校よりは広いと思うけど。
冬坂さんは片桐君の腕をがっちり掴んで逃げ出した。
私はもちろん、経験者の本田君と一緒に逃げる。経験者が一人加わるだけで、状況と言うものは大きく変わるからだ。
本田君は「皐……」と呟いた。
そんなに、皐を大事に想っているんだね。……何だかちょっぴり、嫉妬してしまうなぁ。
「優しいお兄ちゃんを持ったんだね、皐は」
するとふっと、本田君は笑みを向けた。そのふわんとした柔らかな笑顔が、私は好きなんだと実感する。
「八……七……六……」
「よし、逃げよっか!」
カウントダウンがスピーカーから聞こえ、私はそう言った。本田君は頷き、開け放たれた教室のドアから外へ出る。私もそれに続いて、外に出た。
すると本田君が、ふと呟くように私に尋ねた。
「このスピーカーから聞こえる声、どっかで聞いたことねぇか?」
……そうだったかな。
それを今、気にしている暇じゃないから。
私は首を少しだけ捻って、「さぁね」と囁くように言いながら、ペースを少しだけ上げた。






