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第十一話 紫織

 生まれて初めて、人が飛び降り自殺をする現場を見た。

 誰も死なせたくなかったのに。

 また一人、帰らぬ人を生み出してしまったのだ。



「うぎゃああああああああああああああああ」



 本田君の叫びが、すぐ近くで聞こえた。

「木山あああああああああああああああああ」

 西条君も叫び、桜坂さんも「いやあああああああああ」と取り乱した様子で叫んでいた。


 私は……何を叫んでいたのだろうか。

 分からぬまま、木山君の死体から視線を逸らした。


 ふと、高山君の血に塗れた左手が見えた。

 高山君が、手を放したからだ。

 高山君が手を放したから、木山君は落ちた。


 木山君が、高山君の左手を刺したのだ。


 高山君は自分の左手を保護するために、右手を放した。その瞬間のことだった。

 木山君が地面に向かって落ちていったのは。


 ◆◇


 さっきまであんなに騒がしかった廊下は、今や見る影もなかった。

 私は、桜坂さんと一緒に、何も分からず、泣いていた、ような気がする。

 冬坂さんの死体を、ただじっと見つめる片桐君も、打ちひしがれている西条君や本田君、そして、まだ手を押さえたままの高山君。


 時が止まったようだった。


 私はそっと、冬坂さんの方を見る。


 木山君は、冬坂さんのことが大好きだったんだ。


 木山君はその見た目も相まって、女子に好かれるタイプではなかった。おまけに自分をフッた女子を追いつめるという徹底した最低男子だったため、好かれないというより嫌われた存在だった。

 でもそんな木山君に、冬坂さんはいつだって優しかったのだ。

 皆に振りまいている愛想を、彼の前でも絶やさない。木山君にとって、周りの男子と同じように扱われているのは、嬉しいことこの上なかったのだろう。だから冬坂さんが死んだこの世界に意味がないと悟ったのだ。人間、一度手に入れた物を失ってしまうのは怖い。木山君もそうだったのだろう。冬坂さんを失った日々と、冬坂さんと出会う前の日々は、圧倒的に違うのだから。

 木山君の冬坂さんを見つめるその表情は、恋そのものだった。でも冬坂さんはそれに気付かずに、片桐君に好意を振りまいていたのだ。それを知っていた木山君は、どんな気持ちだったのだろうか。

 そんなことは私に知る由もないけれど、何故だか今、無性に知りたくなった。

 大切な人だからこそ、その人を失った世界になんて生きる意味がないと思えるのだから。


 ねぇ木山君、貴方にとって冬坂さんは、どれほど大切な存在だったの?


 そう尋ねようとしても、もう遅かったけれど。



「見ー付けた」



 ねっとりとした、あの嫌な声が、背後から聞こえた。

 皆の肩が揺れる。必死に今の声を掻き消そうとする。だが無駄だった。


「何かと思えば、まだしぶとく生き残ってた人達だ。発狂したりなんかして、どうしたんだよ。俺に殺されたかったのか?」


 間違いなく、前田の声だった。

 皆の瞳に、やっと色が戻ってきた。だけどそれは、戻って来て欲しくない色でもあった。


「……ん? どうした本田。窓なんか触って。外に何かいるのか?」


 目ざとく反応した前田は、窓の外を見やる。そして、どうでもいいという口調で、吐き捨てた。


「……って、何だこりゃ。木山の死体か」


 呆れたような、笑みを見せて。

 正気かよ。思わず口からそんな声が漏れた。


「そして、そこで黒くなってるのは……」


 木山君から目を逸らして、チラッと私達の方を一瞥してから、冬坂さんの焼死体の方に近付く。



「誰かと思えば、目障りなぶりっ子か」



 その瞬間、自分の体が震えた。

 何だ、何なんだこいつ。最低にも程ってものがあるだろう。

 こいつは人殺しをするサイコパスなんだ、と言われても納得できないほど、今の私は殺意でいっぱいだった。

 思わず立ち上がろうとしたその時。


 片桐君が前田をぶん殴った。


 あまりの行動に、一瞬、喉の奥がヒュッと鳴った。

「いった」

 前田が殴られた頬を押さえている。片桐君を冷酷な目で見降ろしている。だが、片桐君の目も負けず劣らず、前田を冷酷に睨みつけていた。

「……何やってんの? 殺されたい?」

「誰が目障りなぶりっ子だって?」

 片桐君は、いつもの低い声を更に低くして、唸った。

「あ?」

「然闇のどこが! 目障りなぶりっ子だって!?」

 片桐君は、目を血走らせて、拳をわなわなと震わせていた。それほどまでに、前田が憎いのだろう。

「然闇は……目障りなんかじゃない! 俺の大切な幼馴染みなんだ」


 段々、片桐君の声が小さくなっていく。そう思う確証がないからだろう。冬坂さんのことをうざったいと思ったことのある時期が、きっと彼にもあったはずだから。


 突然、前田が、勝ち誇ったような顔になる。

「よくもまぁそんな言葉がぺらぺらと。じゃあお前は、今までこいつのこと、大切にしてやったと胸を張って言えるのか?」


 片桐君は、答えない。代わりに、どんどん前田が優勢になっていくような気がする。

「冬坂がお前のことただの幼馴染み以上に想っていることは、クラスの皆は理解しているはずだ。お前は勘が良いはずなのに、それを無視して、モテている自分に酔いしれていた。違うか?」

 その言葉に彼はバッと顔を上げて、「ち、違う……」と弱々しく、頼りなさそうな表情で、反論した。

「俺は……自分がモテてるなんて、思ってもないし……」

 もごもご、バツが悪そうに下を向いている片桐君。恐らく本当に気付いていなかったのだろう。表面はどんなにドライでも根は優しい片桐君が、そんなことをするはずがないのだ。


「たとえお前は冬坂や色んな人からの好意に気付いていたとして、それをないがしろにしただろう、きっと。それにお前は、冬坂のことをうざったいと思ったことが何度もあっただろう。何度も」


 更に追い打ちをかけられて、最後にはなすすべなく、項垂れる片桐君。前田の口角が、ニヤリとつり上がった気がした。

「違うか?」


 微かに、首を振る片桐君。それを見た悪魔の表情は、獲物をとらえた獣のように歪んでいく。

「だろ。冬坂のことをうざったいと思ったこともあったくせに、よくも大切だ目障りじゃないだ言えるな」


 そう言いながら、獣のような表情の前田は、銃を取り出した。

 この場に緊迫した雰囲気が流れたことは、誰の目にも一目瞭然だった。



「こんなことしてるなら、さっさと俺殺しちゃいたいんだけど、お前らのこと。正直生き残ってるの、お前らしかいないんだよな」



 そのとき、全員が目をひんむいて、前田のことを見つめた。

 今、何て?



 私達以外、全員死んでるって?



 ふらっと倒れこみそうになるのを何とか押さえて、頭の中で状況を確認する。

 待て待て、それじゃあ、あの子もそうなのか。私に勉強を教えてくれと頼んでくれた三つ編みの子も、私にプリントを渡すときに毎回個性的な配り方をしてくる前の席の男子も、皆、皆。


 皆。


 吐きそうになる私を横目に、前田はドヤ顔で「俺と宮沢先生が他殺しちゃったからさ」と言っている。よくもそんなことが平気で言えるな、この人殺し。

 そう叫んでやれたら、どんなに良かったことか。


「まぁ、俺達が仕留める前に、クラスの大半が全員死んじゃってるってことには驚いたけど」


 木山君の、ことだ。

 チラッと、私は窓の方を見やる。そして、またすぐに目を逸らした。彼が今も生きてくれていたならば、どんなに良かったことか。

 西条君が、誰に言うでもなく、木山、と呟いた。


「っていうかさ、こんなことのために女子更衣室全焼させんなよ。……ま、このにおいのおかげでお前らの居場所を突き止められたんだけどさ。その点は感謝しないとな」


 一体何を思えば「こんなことのために」なんて酷い言葉が出てくるのだろう。それが不思議でならなかった。

「じゃ、誰から殺そうかな」

 前田は、私達の顔をじろじろと穴があくほど眺めてくる。気持ちが悪くなって、慌てて目を逸らした。


「結崎? 本田? ……うぅーん、この二人は残しておいた方が良いかな。以前の殺人ゲームでも生き残ってるし……。じゃあ、片桐? それとも、西条?」


 誰を殺すかという話をしておきながら、前田の表情は、今日の夕食の献立を決める母親の表情とまんま一緒だ。一体どんな思考回路を持てばその顔でこの話をできるのだろう。



「……よし、決めた。最初に殺すのは、桜坂にしよう」



 胸が抉られるような思いだった。

 桜坂さんの方を慌てて見やると、彼女は傍に立っていた西条君にすり寄っていた。

「さ、桜坂っ」

「嫌だ、嫌だよぉ……。陸、助けて……」

 西条君の顔が、苦しげなものに変わる。狂ったようにぶるぶると震えている桜坂さんの右手を掴んで、前田を睨みつけている彼が、何だか頼もしくも見えた。


 でも、それでも。

 こんなのって、酷過ぎる。

 私も何か助けられることはないのか。そう思っても、体が動かない。もしかしたら自分が死ぬかもしれないと、そう考えてしまったら、足が、地面と接着剤で貼り付けられてしまったかのように動かなくなった。


「さぁて」

 銃口を桜坂さんに向ける前田。そして、口角をこれでもかというぐらい吊り上げた。

「ん? ……あぁ、そっか、君は西条を道連れにしようとしているんだね? 自分が一人で死ぬのは嫌だ。だったらこいつを道連れにしてしまおうと」

 二人に銃を突きつけて、前田は言った。

「よし。じゃあ二人まとめて殺しちゃうよ。せいぜいあの世で元気に暮らすが良いよ」



 その瞬間、高山君が、前田に突進していった。



 前田は横に吹っ飛び、それと同時に高山君も前田の横に寝そべる形になった。


「いった……。てめぇ……」


 前田はカチンと来た様子で、高山君の胸倉を掴む。

「お前、丸腰のくせして、俺に歯向かうなんて何様だ? なぁ」

 引きつったような表情をしている高山君だが、その瞳にははっきりと反抗の色が浮かんでいた。

「なぁ、こっちは銃持ってんだぞ? これでお前の脳天に一発ぶちかましたら、お前もう終わりだぞ?」

 余程体当たりされたのがショックだったのだろう。絞め殺してしまいそうな勢いで、自分より一回りも小さな男子のワイシャツの襟を掴んでいる。


「お前こそ……桜坂さんに何しようとしてんだよ」


 彼の小さな手が、前田の腕を掴む。

 そのまま一気に引き離し、高山君は床に転がった。

「は……? お前、舐めてんの? 何俺に反抗しちゃってんの?」

 前田は心底不思議そうな顔で、高山君を見つめている。そして何かに合点がいったらしく、「あぁ」と目を光らせた。


「お前、死にたかったんだ。あぁそっか。お前、親友、もうこの世にいないもんな。仕方ないよな」

「黙れ」


 大人しい高山君が、初めてそんな言葉を口走ったような気がする。

 高山君は胸倉を掴んでくる前田を睨みつけているままだ。

「何だっけ、根暗で、もっさりしてて、ぼそぼそ喋ってる……」


「黙れ!」


 高山君の拳が、前田の頬にクリティカルヒットした。

 誰もが唖然とした様子で、その光景を見守っていた。


「……いった。お前、教師殴るとか、ホントいい加減にしろよ」

「うるさい。人を殺しておいて、何が教師だ。お前に教壇に立つ資格なんてない!」

 鬼の形相で叫ぶ高山君。それを見て、前田がほくそ笑む。

「そんなこと言って、良いと思ってんだ」

 高山君は、ぎりぎりと歯ぎしりしながら、こっちを振り向いて叫んだ。


「逃げて! 僕が食い止めてるから!」


「……そ、そんなこと、出来るわけないだろ!」

 片桐君が冬坂さんの手を握りしめながら叫ぶと、高山君は「いいから!」と片桐君よりも更に大きな声を出して訴えた。


「せめて()()くらい、皆の役に立ちたいんです!」


 勇気を振り絞った様子の高山君にそう言われてしまっては、皆も言い返せないらしい。前田の顔面をまた殴った彼は、「いいから早く!」と、裏返った声を出す。


 そう言われても、数秒ほどは、誰も動けなかった。

 だが、足の速い本田君が先頭を切って走り出すと、高山君と前田を除く全員が走り出した。

 曲がり角を曲がって、階段を駆け降りる。


 ◆◇


 一階まで下りて、私達五人の息は既に上がっていた。


 高山君がどうなったかは、もう分からない。

 けれども、無事ではないことは……何故だか分からないけれど、察することができた。


 いち早く呼吸が戻ったらしい西条君が、「皆、無事か?」と辺りを見渡す。

 私と、桜坂さんと、本田君と、片桐君が、頷く。片桐君の手のひらには、まだ煤が残っている。


「……何で」


 ぽつり、と桜坂さんが呟いた。皆が彼女の方を向く。

「何で高山は……私のこと、助けてくれたの?」

 西条君が、言葉に詰まった。事情を知らないその他の男子二人は、きょとん。だけど私は、何となくだけど、こうじゃないかな、という気持ちはあった。


「それは……とりあえず、安全な所に行ってから話そうぜ。今はまだ高山が前田を足止めしてくれていることを願っている。……もう一人の鬼がどこにいるか分からないから、音立てないように」


 忍び足で歩きながら、私達は一階の金工室に入る。

 まだ凄まじい腐敗臭がする中に、五人がひっそりと隠れているのは、中々異様な光景だった。

 まだ少し肌寒い、五月の深夜の風が開け放たれた窓から入ってくる。

 窓からきっと、誰かが逃げようとしたのだろう。窓の桟に、血が飛び散っている。

 それらから目を逸らし、私は桜坂さんに目を向ける。大量のクエスチョンマークが頭に大量発生しているであろう彼女とまともに目が合っているのは、西条君一人だけだった。


「高山はな」

 西条君が、小声で囁く。



「桜坂のことが好きだったんだ」



 桜坂さんが目を見開いて、「え」と声を漏らす。

「高山が……私のことを、好き……? え、ちょっと待って……」

 脳の処理機能が追い付いていないのだろうか、桜坂さんが考え込む素振りを見せる。それを見て、西条君の顔が和やかなものに変わる。


「何で……何で高山が、私のこと……?」

「そういうもんなんだって」

 それから西条君が話し始めたことは、今の雰囲気には全くそぐわない、青春の話だった。


 高山は元々臆病な奴だっただろ。だから、女子にナメられていたらしいんだよな。だけど桜坂は違って、他の男子と変わらず平等に接してくれただろ。……え? だったら冬坂も同じだろって目をしてるな結崎さん。何かさ、高山は冬坂の性格を受け入れられなかったらしいよ。高山みたいな男子が一番冬坂みたいな女子のこと好きそうな顔してるのにさ、人って不思議なもんだよな。

 中学始まってから一番最初の音楽の時間にさ、桜坂、ピアノコンクールで受賞したこと皆に知られてるからさ、何か弾いてってせがまれてたよな。それで弾いた曲が何だっけ……ショパンかモーツァルトとかの、左手がめっちゃ動くやつ。それを弾いた時、高山は好きになってたっぽくてさ。

 ……俺が高山に直接聞いたわけじゃないけれど、でもあの時のピアノは本当にすごかったよ。本当にそう思う。

 まぁ、それ以来高山は桜坂のことを好きになってたみたいだから、桜坂を助けたのも、高山が桜坂のことを好きでいたからだと思う。


 西条君が話している間にも、桜坂さんはぽろぽろ泣きだしていた。

「そう……だったんだ」

 自分を守ってくれたことへの感謝と、自分を好きでいてくれている人を亡くした辛さが押し寄せてきたようだった。


「……だから、さ」

 西条君が照れくさそうに、桜坂さんから目を逸らして言う。


「高山が守ってくれたんだから、絶対生き残ってくれよな……」


 それが決め手となったらしく、桜坂さんはわぁわぁ泣きだした。

 流石に非常事態だからか、口元を抑えてはいるけれど、彼女の瞳に溢れている涙は、地面にぽろぽろと落ちていく。


「そ、それは……陸、も、だよ……」


 嗚咽を繰り返しながら、桜坂さんは声を振り絞っている。桜坂さんは私達の方を向いて、なおも続ける。

「それだけじゃない……片桐も……本田も……紫織……さんも……」

 涙を拭って、それから、少し笑って。


「絶対、生き残ろうね」


 断定した口調。声音は弱々しいけれど、はっきりとした意志が感じられる。

「あぁ」

 西条君が代表して頷き、立ち上がって、拳を突き上げた。「皆も立って」と呼びかけられて、私達も慌てて立つ。

 西条君が代表して、小声ながらも強い口調で言葉を発した。



「絶対、助かろうぜ。いや、助かんなきゃいけねぇんだから」



 彼は、ニッと笑みを爽やかな笑顔を向けてから。



 真横に、倒れた。

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