第十一話 一誠
「あ……あぁ……」
俺の隣で、か細い掠れた声が聞こえた。
隣を見るのすらも、今のやられた精神力じゃ出来やしなかった。
辺りには、今までの沈黙とは比べ物にならないような沈黙が漂っている。絵糸が焦げた冬坂の死体を抱き締めているのを、俺達は見つめているだけだった。
「然闇……」
彼がひときわ強く抱き締めると、彼女の頭部から何かがするりと抜け落ちる。火がまた微かに残っている部屋の中で、ひときわそれだけが浮いて見えた。
抜け落ちてきたものは、冬坂の髪の毛だった。
絵糸が顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、冬坂を背負った。絵糸の肩からだらしなく垂れ下がった冬坂の黒い腕は、俺達に何かを訴えかけているようにも見えた。
「そ、そんな、嘘ですよね……?」
高山の目が、有り得ないぐらいに泳ぐ。左右に慌ただしく動き、ひゅっ、という一気に息を吸い込んだような音が俺の耳に届いた。
「う、うえぇ……」
西条が地べたに座り込んで、口元を押さえる。先ほどの殺人現場を見たからと言っても、やはり耐性はついていないのだろう。
「そんな……何で冬坂が……」
目を見開いて、口を押さえた手も小刻みに震えている。そんな西条の肩を、桜坂が支えた。でも、その桜坂も、冬坂から目を離すことが出来ない様子だった。
「然闇……」
桜坂の瞳からぽろぽろと水滴が零れ落ちたかと思うと、絵糸は立ち上がり、俺達の方へ冬坂を背負ってきた。
「なぁ、何で冬坂は……」
「俺に聞くな」
冷たそうな声を出していた絵糸だったが、しかしその表情は誰よりも暗かった。
「冬坂さん……」
紫織の泣き声が近くからする。弾かれたように振り向くと、紫織は顔を覆って泣いていた。
「もう誰も死なせたくなかったのに……何で……」
紫織の嗚咽を聞いていると、何だかこちらまで涙が出てきそうになった。
泣くまいと思っていたのに、ここは俺だけでもしっかりしなくちゃと思っていたのに。
どうしたって、そんなことが出来なかった。
「ふ、冬坂ぁ……」
周りを見ることも出来なかった。
目の前にいる絵糸は、目をつぶって苦しみに耐えているようだった。紫織の嗚咽も、高山の不安定さも、桜坂の泣き声も、西条の荒い呼吸も、全て聞こえていた。
だけど、木山だけは。
木山から声が聞こえてこなかった。冬坂のことがあんなに好きだった木山がこの惨劇を見たら、どうなってしまうのだろう。そう思うと怖くて、彼の表情なんか見れたもんじゃなかった。
「うわあああああああああああああああああああああ」
木山が突然、発狂した。
「冬坂、嘘だろぉ!?」
絵糸に背負われている冬坂を揺さぶる。
だけど、黒焦げになった冬坂は、答えようともしない。
「なぁ、返事しろよ、返事してくれよ、冬坂!」
木山は、必死で叫ぶ。
「お願いだから、お願いだから!」
ボサボサの髪を掻きむしって。ただ涙をこぼしながら、冬坂のことを見つめている。
木山、お前には一体、何が見えているんだ?
「触るな!」
またも触ろうとする木山の手を、絵糸が払いのけた。木山は驚愕の視線を絵糸に向ける。絵糸は木山を睨みつけ、「お前、いい加減にしろよ」と低く言いのけた。
「お前、いい加減、現実見ろよ。もう……いなくなっちゃった然闇に話しかけんなよ……」
「は? 何でだよ。だって冬坂は、まだ生きてるかもしれないじゃん!?」
木山、お前、何言ってるんだよ。
だって、冬坂が死んでるなんてことは……見たら分かるだろ? お前は、頭が悪いわけじゃないだろ?
なのに、何を言ってるんだよ。
「俺、冬坂と一緒にいたいんだよ」
木山の声が、頭の中に反響した。
ん? 冬坂と一緒にいたい?
おい、それってつまり……。
「冬坂が死んでるなら……俺は冬坂のいる、天国に行くんだ……」
うつろな瞳をしながら、木山は窓際に歩み寄り、窓を開けた。
「……お、おいっ!」
我に返った俺は、木山の左手を掴む。
「何やってんだよ! こんなことしたって!」
木山と視線を合わせ、肩を揺さぶる。だが彼はうつろな目をしたままだった。
「……もう、冬坂はいないんだ。俺は……冬坂だけが救いだったんだ」
「何言ってんだよ。いくら冬坂が救いだったからって、何も後を追うことはないだろ!? そんなことしたら、冬坂だって悲しむぞ」
お願いだから、死なないでくれ。
もうこれ以上、誰かが死ぬところを見たくないんだよ。だから、お願い。
「……冬坂はな、もういないんだ。だから、冬坂の分まで生きていくんだよ。な?」
「うるさい! 俺は冬坂と一緒にいたいんだ!」
木山は、俺の手を払いのける。俺は、その場に尻もちをついた。
「……もう……何もかも失ったあの日に……戻りたくないんだよ……」
最後の最後に呟いた木山の声は、とても小さかった。
彼は一瞬にして、窓に足をかけた。
そのまま転がるようにして、窓から飛んだ。
「龍平君!」
直後、高山が駆け出して、落下する直前の木山の腕を掴む。
「うぐっ……」
だが、掴んですぐ、高山の表情が赤くなり始めた。木山の体重は普通の中学生男子の倍ぐらいはあるから、当たり前といえば当たり前かもしれない。
「放せっ! 高山!」
「やだ! お願いだから、龍平君だけは……!」
その言葉で、俺はハッとして高山の腕を掴む。それに、紫織、絵糸、西条、桜坂が続いた。
「放せ、放せってば!」
木山は、なおもジタバタと暴れている。彼の体は宙に浮いているのだ。そんなに力が出せるなら、這い上がって来てもらいたいものだった。
だが、俺の息もそろそろ上がり始めている。
「ふざけんな、早くっ……」
木山の勢いが、急になくなった。
俺は、一つの願いにかけて、「高山、引っ張れ!」と叫ぶ。高山も一瞬反応が遅れたが、すぐさま木山の腕を引き上げようとした。
そのとき。
ぐしゃ、っという音がした。
高山が左手で右手を押さえ、木山を掴んでいた右手は、左手の上に置かれた。
そして、木山が落ちていく。
地響き。
体を襲った強烈な震えに、俺も高山を掴んでいた腕を放す。
何だ、今の。
そう思った瞬間、俺はあることに気付いた。
高山は今、自分の両手を重ね合わせている。
だとしたら、木山は……。
まさかと思い、下を向く。
赤い水たまりを作った木山の死体が、地面に転がっていた。
ちょうど、木山の死体は外灯に照らされていた。
まるで紙のようにぺらぺらになった木山の顔面が、少しだけ、顔の位置からずれている。手足はあらぬ方向に曲がっており、土に染み込んだ血は、ぬらぬらと不気味に光っていた。
「うぎゃああああああああああああああああ」
俺が発狂すると、次々と悲鳴が上がった。
「木山あああああああああああああああああ」
西条の声が、掠れていた。
紫織も、桜坂も、絵糸も、悲鳴を上げて。
高山だけが、ただ放心状態で、木山の死体を見降ろしていた。
◆◇
悲鳴が収まり、俺はそっと窓を閉めた。
もう木山は助からなかったのだ。
まだ激しく鼓動を続ける胸を押さえて、俯く。
先ほどまでの喧騒が失われ、辺りはすっかり静かになってしまっていた。
誰もが皆、茫然とした様子だ。中でも桜坂や紫織といった女子陣は、座り込んで涙を流している。
西条の瞳からも輝きが失われていて、その瞳に真っ黒な闇が浮かんでいた。
絵糸も、冬坂の焼死体を見つめている。輝きが失われたその瞳に、冬坂は映っていなかった。
高山は窓から離れているが、まだ重ね合わせた両手を放さない。心なしか、その手が血塗られているような気がする。
全員が全員、放心状態のまま、そこにいた。
「見ー付けた」
俺達の横で、今一番聞きたくなかった声がした。
「何かと思えば、まだしぶとく生き残ってた人達だ。発狂したりなんかして、どうしたんだよ。俺に殺されたかったのか?」
前田史也。
鬼の声で、皆はやっと我に返ったようだった。
「……ん? どうした本田。窓なんか触って。外に何かいるのか?」
前田は、左手にどこから持ってきたのか新しい銃を持ち、右手で窓に手をついた。
「……って、何だこりゃ。木山の死体か」
そして、なぁんだというような、呆れた表情を見せた。
ハッとなったように、皆が前田の方を向く。
正気かよ、と誰かが呟いた。
目の前に飛び降り自殺した人の死体があるというのに、こいつは呆れているばかりだ。
どこか頭でもイッてるんじゃなかろうか。まぁ、頭イッてるからこんなことを企てたのだろうけど。
「そして、そこで黒くなってるのは……」
前田は冬坂に近付き、そこでハハッと乾いた笑みを漏らした。
「誰かと思えば、目障りなぶりっ子か」
その瞬間、絵糸が目を光らせ、前田の顔を殴った。
誰もが絵糸に視線を向ける。先ほどまでの放心状態が嘘のように、絵糸に興味津々という視線を皆が注いでいた。
「いった」
殴られた頬を押さえた前田が、絵糸を冷酷な目で見降ろす。
「……何やってんの? 殺されたい?」
「誰が目障りなぶりっ子だって?」
ドスの利いた低い声が、絵糸の口から漏れ出た。
「あ?」
「然闇のどこが! 目障りなぶりっ子だって!?」
いなくなってしまった木山の代わりに、絵糸が叫んでいるみたいだった。少なくとも俺にはそう見えた。
「然闇は……目障りなんかじゃない! 俺の大切な幼馴染みなんだ」
怒気を含んだ絵糸の声が、段々弱々しくなっていく。それを聞いて、前田はほくそ笑んだ。
「よくもまぁそんな言葉がぺらぺらと。じゃあお前は、今までこいつのこと、大切にしてやったと胸を張って言えるのか?」
ぐっと言葉を飲み込む絵糸を見て、周りの空気がどんどん切羽詰まったものになっていく。
「冬坂がお前のことをただの幼馴染み以上に想っていることは、クラスの皆は理解しているはずだ。お前は勘が良いはずなのに、それを無視して、モテている自分に酔いしれていた。違うか?」
「ち、違う……。俺は……自分がモテているなんて、思ってもないし……」
もごもご、口を動かす絵糸。恐らくそれは本心なのだろう。自分に向けられる好意には少しばかり鈍感な彼は、冬坂から向けられる想いに気付くのもやっとだった。
「たとえお前は冬坂や色んな人からの好意に気付いていたとして、それをないがしろにしただろう、きっと。それにお前は、冬坂のことをうざったいと思ったことが何度もあっただろう。何度も」
絵糸は視線をあちこちに移したが、やがて何も言えなくなり、項垂れる。
「違うか?」
前田が尋ねると、絵糸は首を横に振った。それを見た前田の表情が段々歪んでいく。
「だろ。冬坂のことをうざったいと思ったこともあったくせに、よくも大切だ目障りじゃないだ言えるな」
ニヤニヤ笑いながら、彼は銃を取り出す。
「こんなことしてるなら、さっさと俺殺しちゃいたいんだけど、お前らのこと。正直生き残ってるの、お前らしかいないんだよな」
全員が驚愕の視線を前田に向ける。当の前田は得意げに、「俺と宮沢先生が他殺しちゃったからさ」と笑う。
「まぁ、俺達が仕留める前に、クラスの大半が死んじゃってるってことには驚いたけど」
誰かが木山、と呟いた。
「っていうかさ、こんなことのために女子更衣室全焼させんなよ。……ま、このにおいのおかげでお前らの居場所を突き止められたんだけどさ」
その点は感謝しないとな。前田は銃で頭を掻いた。
「じゃ、誰から殺そうかなぁ」
まるで商品を物色するかのように俺達を見渡す悪魔は、不気味な笑みを浮かべていた。
「結崎? 本田? ……うぅーん、この二人は残しておいた方が良いかな。以前の殺人ゲームでも生き残ってるし……。じゃあ、片桐? それとも、西条?」
うーんうーんと首を捻る前田。ぎりぎりという歯ぎしりの音が、俺のすぐ横で聞こえた。
見ると歯ぎしりをしているのは高山で、いつもはしないような憎悪のこもった視線を前田に投げかけていた。
「……よし、決めた。最初に殺すのは、桜坂にしよう」
空気が凍る。
桜坂は目を見開き、傍にいる西条に寄り添った。歯をガチガチ鳴らして、西条の腕を掴む。
「さ、桜坂っ」
「嫌だ、嫌だよぉ……。陸、助けて……」
すがるような目で西条を見つめる桜坂。そんな彼女の震える右手をただそっと掴んで、西条は何も言わなかった。
「さぁて」
人を殺すことを何ら躊躇わない殺人鬼は、銃口を桜坂に向けた。
「ん? ……あぁ、そっか、君は西条を道連れにしようとしてるんだね? 自分が一人で死ぬのは嫌だ。だったらこいつを道連れにしてしまおうと」
西条と桜坂を交互に見ながら、銃口をそれぞれに向ける前田。
「よし。じゃあ二人まとめて殺しちゃうよ。せいぜいあの世で元気に暮らすが良いよ」
冷酷な笑みを浮かべた前田は、次の瞬間、横に吹っ飛んでいた。
高山が、前田に体当たりしたのだった。




