第十話 一誠
「……やっぱ俺、もう一度然闇説得しに行ってくる」
歩いている最中、絵糸が突然そんなことを言い放った。
「俺も行く」
「お前は行くな」
木山が片手を上げたところを、西条が即答する。
「何だよ、何でお前が指図するんだよ」
「自分を撃とうとした相手を信用できるわけねぇだろ」
絵糸も攻撃。木山は相当なダメージを受けたらしく、「何もお前まで言うことねぇじゃんよ」と眉を八の字にしていじけていた。
「やっぱり、俺、幼馴染みだし、ちゃんと止めておかないと。あいつは本当は寂しがり屋で、誰かに支えてもらわないと生きていけないんだよ。一番長い付き合いの俺が、あいつを止めるしかないんだ」
絵糸の放った言葉は、ここにいる全員に突き刺さった。木山も一瞬詰まって、「でもよ」と反論をしたい様子だ。
「冬坂を助けるためには、やっぱり皆で行った方がいいんじゃないか? 途中で誰かに襲われたら、冬坂を助けるどころの話じゃないぞ」
確かに、と高山が頷く。
「冬坂さんが助からなかったら、龍平君がどうかなっちゃうから……」
高山は本心で言ったのだろうが、木山が牙を剥く。
「んだと!? お前、言っていいことと悪いことがあんだぞ。俺は別に、冬坂がどうなっても……」
彼はその後に続く言葉を探せなかったらしく、少しだけ考え込む。桜坂が「然闇が死んだら、自分も死ぬ予定でしょ」と断定した口調でにやりと笑う。
そこで顔が真っ赤になった木山は「るせー」とそっぽを向いた。桜坂は「分かりやすいなぁ」と腕組みをする。
「でも、片桐君は銃を持っているからいいんじゃないの?」
紫織が思い出したように言う。そこで俺も思い出す。
「そうだ、そうだよ。絵糸の撃った弾、宮沢の頬かすめたんだぜ。今度襲われても大丈夫だろ」
絵糸の、あの銃の使いこなし方。あの時俺に向けた殺すような眼差しが、今でも心に突っかかっている。
何も、何もあんなに拒絶することないじゃないか。
「一誠、それ、微妙に失礼じゃね?」
絵糸が柔らかい目つきで軽口を叩く。心が妙に軽くなって、俺も「え、マジか?」などと返す。
「……ま、いいか。俺、行ってくる」
ひらひらと手を振り、絵糸は廊下の向こう側へと駆け出していく。
あいつが襲われないか、冬坂が襲われないか、それだけが今の不安だった。
◆◇
残された俺達は、この広い校舎内で、隠れ場所になりそうなところを探していた。
もう生き残っている人は俺達を含めないと、あと十人ぐらいだろう。ここを通る途中、五回ぐらい、冥福を祈っていたのだから。
何だか気が滅入る。滅入らなかったらそれはそれで異常なんだろうけど、あの最悪な一夜からようやく立ち直れたところに、また最悪な夜が幕を開けたのだから。
時刻は午後九時。命からがら蛍光灯をつけると、廊下が一気に明るくなるような時間帯になった。蛍光灯をつけるときは、実は充分周囲に気を配らなくてはいけない。簡単につけようものなら、鬼に居場所を伝えるようなものだからだ。
「……片桐君達、大丈夫かな」
紫織のくぐもった声が、背後から聞こえる。振り向くと、不安に顔を曇らせた、いつもの彼女らしくない紫織がそこにいた。
「紫織、元気出せよ。気が滅入っちゃうのは分かるけど」
俺が紫織の背中をさすると、紫織が微かに震えているのが伝わった。そんなに不安なのか。何だか俺も、もらい泣きならぬ、もらい震えをしてしまいそうだ。
「……うん。ごめんね、本田君、気を遣ってもらって」
紫織が俺の腕を掴む。途端にそこから鳥肌が広がった。ぶわっ、という音がしそうだ。
紫織の手、冷たい。
ひんやりと冷たくて、紫織の細い一本一本の指が、赤くなっている。冬によく見るやつだ。
「……紫織、寒いのか?」
「ううん。寒くはないよ。ただちょっと怖くて」
桜坂が物言いたげにこちらを見つめている。何か言われるのだろうか、と身構えていると、想像通りと言うか、想像とはちょっと外れていると言うか、そんな言葉が飛び出した。
「紫織さんと本田、仲良いよね」
一瞬、紫織の震えが止まった気がした。だけどそれも一瞬で、またすぐに震えだした。一体どうしたと言うのだろう。
「な、何言ってんだ桜坂」
当の俺も、仲が良いと言われて妙に照れくさくなって、言い返してしまう。桜坂は首を捻って、「紫織さんと本田が付き合ってるのかってぐらい仲が良いから、そのまんまのことを言っただけだけど……」と正直すぎる一言を放つ。
「桜坂、もうそれ以上言及するのはやめておこうぜ。二人が可哀想だ」
西条も何故か悟ったような表情で腕組みをしている。
「西条君も桜坂さんも、何言ってるの? 今は誰かを冷やかす時間じゃないわ。今は片桐君からの報告を待つだけよ」
紫織が西条と同じように腕を組んで、二人を見据える。立ち直り早いなと思いつつも、からかってきた二人を見ると、二人は何故か慌てた様子でアイコンタクトをしている。
……この二人も、人のことが言えないくらい、仲が良いな。そんなこと言ったら、反論されそうだけど。
俺のポケットの中のスマホが、振動した。
紫織と俺はほぼ同時に目を見開いて、スマホを探し出す。皆に緊迫した空気が伝わったのか、辺りは静かになる。さっきまでアイコンタクトをしていた二人の視線が、俺達二人に集まっている。
急いでロックを解除して、LINEの表示を見る。右上に赤いマークがついており、一、と表示されている。
ごくっと息をのむ。これは、冬坂からの物かもしれない。新着メッセージを見ずにロックを解除しちゃったから、誰からの物かサッパリ分からない。
LINEのアイコンをタップして、画面いっぱいに緑色が表示される。その数秒がもどかしい。
トークの一番上に表示されていたのは、「天才カルテット」。
それを開くと、「さくらんぼ」が呟いていた。
『皆、心配してくれてありがとう』
自分のスマホを見ていた紫織の顔が、みるみる明るくなっている。むろん、俺だってそうだった。木山なんか、脱力しちゃったのか、床に座り込んでしまっている。
しゅぽん、と音がして、また呟きが表示される。
『だけどもう、無理なんだ。ごめん』
『絵糸君も助けに来てくれたんだけど』
『あたし、もう、無理だから』
だけど、続く言葉で紫織の顔から輝きが消えた。
その顔のまま、スマホをタップする。
『えぇ。分かった』
『先生を倒したら、またすぐに迎えに行くから』
紫織の言葉に、負けじと俺も返事する。
『そうだぞ、冬坂』
『迎えに行っても、助かりたくないなんて言うなよ』
『俺がサッカーで培ってきた能力をなめんなよ』
『木山を蹴ってドアを開けてやるから』
紫織がブハッと噴き出して、俺に耳打ちする。
「ちょっと、いくらこのトークを見てないって言ったって、目の前にいるのよ」
「いいじゃん、だってそれが木山の本望だろ?」
紫織がまたも噴き出して、口に手を当てる。当の本人木山は、祈るような目つきでこちらを見ている。
『シオリン、一誠君、ありがとう』
『あたし、もう少しだけ頑張ってみるよ』
冬坂のメッセージとともに表示されるアイコン。それを見て、何だか俺は泣きたくなった。
アイコンの中の冬坂は、頬にピースの形の手を当てて、微笑んでいる。盛ってはいるけれど、それは冬坂にそっくりだった。
これを撮ったときは、まさか自分が殺人ゲームに巻き込まれてしまうなんて、想像すらしていなかったんだろうな。
そう思うと、悲しくなる。
冬坂が、今、どう思って、何を思って、残るなんて言い出したのかは分からない。だけど、こんなに可愛らしいことをしていた冬坂が思いつめるなんて、きっと。
きっとこの殺人ゲームは、俺達にとって、慣れてしまったことでも、冬坂にとっては、何もかも初めてだらけの、一生体験したくない出来事に違いない。
「冬坂……」
俺が呟いた瞬間、桜坂がひくっ、としゃくりあげた。
「然闇、何でこもっちゃうのよ……。どう考えても私達と一緒にいる方が安全なのに……」
桜坂の言葉には恐らく、「然闇と一緒にいたい」という気持ちも混じっているのだろう。だから、涙が出ていたのだ。
何だか申し訳ない気持ちになって、俺は心の中で桜坂にごめんな、と謝る。
「桜坂さん……」
高山が桜坂を心配そうに見つめる。俺が高山を見つめるその視線に気付くと、彼は桜坂から目を逸らし、またも心配そうな顔をして俺のスマホに視線を送った。
「……やっぱり」
紫織が、何かに気付いた様子でスマホをスクロールし始めた。
突然の行動に、俺達五人は紫織を見つめる。
「おかしいと思ったのよ……」
呟く紫織は、スマホを見ながら、どんどん目を開いていく。それが何だか怖くなって、俺は目を逸らしそうになる。
紫織はバッと顔を上げて、そして自分に視線が集まっているのを知り、頬を赤く染める。それが何だか綺麗で、俺はもう一度、紫織に目を向けた。
「……皆、落ち着いて、聞いてほしいの」
紫織の、どこか上ずったような声。落ち着いてほしいのは紫織の方だ。
だけどそんなことお構いなしで、紫織は話し始めた。
「今、私達にメッセージを送っている冬坂さんは、冬坂さんじゃないかもしれない」
は?
俺が心の中で思った言葉を、西条がそっくりそのまま言ってくれる。
「冬坂じゃないって、どういうことだよ。だってこれ、冬坂のスマホから送られているんだろ?」
西条が紫織のスマホを覗き見る。あ、紫織の顔との距離が近い。羨ましいな、なんて今思っちゃいられない。
「えぇ、確かにこれは冬坂さんのスマホから送られているわ」
そう言って、紫織は冬坂のアイコンをタップする。出てきたのは、冬坂のアイコンが中央に置かれている、冬坂の自己紹介欄だった。そこには確かに、「冬坂然闇ことさくらんぼです。ウチがキラキラネームなのは知ってますよー」という、少しばかりぶりっ子感のある冬坂特有の言葉が躍っていた。
「見てほしいのは、冬坂さんの一人称なの」
そう紫織が言うもんだから、俺は自分のスマホを見て、それから先ほどの紫織と同じようにスクロールをする。
さっき、送られてきたメッセージは。
『あたし、もう、無理だから』
『あたし、もう少しだけ頑張ってみるよ』
あたし。
だけど、以前のLINEメッセージや、自己紹介の一人称は。
『ウチがキラキラネームなのは知ってますよー』
ウチ。
本当だ。
「一人称……違う」
以前のトークも見てみると、確かにその違いが明確に表れている。
『ウチ、課題覚えてないんだ。教えてくださいー』
『ウチが今日頑張って作ったドーナツだよー。ちなみにめっちゃまずかった(笑)』
「ウチ」が連呼されているのも少々気になるところだが、それにしても。
本当に、一人称が違う。
「じゃあ、これは誰かが……」
「冬坂さんのスマホを乗っ取っているということね」
確証はないけれど、と付け足す紫織。確かにまだ、確証はない。
「確証はない以上、誰かを問い詰めることは出来ないよな……」
こんな非常事態に喧嘩なんてしていては、全員死んでしまう。
「じゃあ、実験してみたらどうだ?」
木山の提案。
弾かれたように振り向くと、木山は視線を向けられたことが恥ずかしかったのか、「いや」と謙遜し始めた。
「冬坂が動揺して一人称が違うのか、それとも誰かに操られているのか。分からないんだったら、実験してみればいいんじゃないのか?」
「それだ」
高山が手を打って「すごいなぁ龍平君」と木山を褒めた。頭を掻いて微妙に口角の上がっている木山を見ていると、何だか地味にほっこりした。
「よし……それじゃ木山、どうやって実験するんだ?」
「え」
俺が早速意気込んで木山にアイディアを聞くと、彼は急に固まってしまった。
「そ、そこまでは考えていなかったっていうか……その」
なるほど。つまりは、そのアイディアは俺達に委ねるってわけか。
「じゃあ、然闇が一人称を答えるようにすればいいんじゃない?」
桜坂が呟く。紫織が「そうね」と頷いてタップし始める。しゅぽんという音がして、メッセージが画面に表示された。
『冬坂さん、とりあえず、場所は動いていないわよね?』
三秒後ぐらいに冬坂から返信がある。
『うん。あたしは絵糸君とずっと一緒にいるよ』
『だけど、もう絵糸君は離れようとしているみたい』
『さくらは絶対その場を離れるんじゃないぞって』
息が詰まる。
ここまで全く絵糸が出てきていないことに気付いたのだ。
「これ、操作しているの、片桐君じゃないかしら」
俺が勘付くのと全く同じタイミングで、紫織が呟いた。桜坂や西条、木山や高山もハッとした様子で俺達のLINEを覗く。
「ホントだ……」
「一連の話で、片桐だけ登場していない……」
「確かに、一人で二つのスマホを操作するなんて、無理だもんな……」
「だとしたら、本当に冬坂さんではないことは間違いないですね……」
茫然半分、納得半分で頷いている三人。紫織は「ここでやっちゃいましょう」と針のように鋭い声を出した。
『ねぇ、冬坂さん』
『今打っているの、冬坂さんじゃなくて、片桐君でしょ』
紫織がド直球で尋ねると、すぐさま返事が来た。認めてくれるのか、しらばっくれるのか。どうか認めてくれと祈った。もうこれ以上、嘘をつかないでくれ。
『何言ってるの紫織』
『あたしを疑ってるの?』
あぁ、あぁ。
またボロが出た。さっきまではシオリンと打てていたのに、取り乱して紫織になってしまっている。
『誤魔化すなよ』
『頼むから本当のこと言ってくれ』
『冬坂は自分のこと「ウチ」って言ってたんだぞ』
『騙すの失敗しやがって』
俺も紫織に続いてメッセージを送る。というより、どうして。
どうして絵糸は、冬坂になり済まそうと思ったんだろう?
『お願い、本当のこと教えて』
『私達、こうやってふざけている時間はないの』
紫織の切羽詰まった表情が、LINE上だと緩和されてしまうのは何故だろうか。顔文字もあまり使わない紫織だから、文字だと気持ちが伝わりにくいのだろうか。
「お願い、片桐君、本当のこと言って……」
祈るような顔つきで、祈るように目をつぶりながら、スマホを握りしめている。その握りしめている手がぷるぷる震えていることに気付いて、更に居たたまれない気持ちになる。
しゅぽん、という音がして、画面上にメッセージが表示される。
『あぁ、そうだ』
『さっきは俺が送った』
今度は、「さくらんぼ」からの送信ではなくて、「絵糸」からの返信だった。
『然闇がもう死にたいって言うから』
『上手く皆に伝えといてって言うから』
『だからやった』
『本当にごめん』
絵糸らしい、淡々とした、重要なことだけ伝えたメッセージだった。
だけど。
「死にたい」って、どういうことだよ。頑張ってくれるんじゃないのかよ。
紫織も同じようなことを思ったのか、真っ先に走り出した。俺も紫織に続いて駆け出す。
目指すは女子更衣室だろう。俺のような男子が行ったら、普通ならまずキモいと言われること確定。だけど今はそんなこと言っていられなかった。こんな非常事態に着替えるような奴なんていないだろうし、いたとしても然闇と絵糸がいるから、着替えるのを躊躇うだろう。
冬坂大好きの木山を筆頭とした四人も、俺達に続いてくれる。
俺達六人は、ただひたすらに、女子更衣室を目指して走っていた。




