第一投:開幕! 水切り世界大会!!
二〇××年八月一日。正午のチリ・カルデラの気温は十四度。やや肌寒い気候だが、カルデラの街は熱気に溢れていた。なぜなら間もなく、三年に一度しか開催されない、水切り世界大会【グレートジャーニー】部門がスタートするからだ。
海に面したストリートに立ち並ぶ露店は、競技関係者や多数の観光客で大賑わい。海岸岩肌を見下ろす格好で特設された観客席は、超満員。同じく特設の大型モニタには、注目選手の情報やウォーミングアップする姿が繰り返し映し出され、その度に歓声が上がった。
キィィンと、マイクにスイッチが入る高い音。モニタ映像が海岸投石エリアの空撮映像に切り替わる。騒がしい会場が一瞬で静まり返った。
『世界中の水切りファンの皆さま、お待たせしましたーッ! 第三十一回、世界水切り選手権大会グレートジャーニー部門、これよりスタートでっっっす!!!』
マイク片手に叫ぶ、派手な金銀色ラメ入りスーツを着た実況席の男。即座に始まった10からのカウントが0になると同時に、スタートの合図を示す火薬が弾けた。海岸線の投石エリアを埋め尽くす二百人超の各国代表選手達が、大海原へと一斉に【石】を投げ入れる。
投入されたストーンの勢いはまるで、陸から海への大波。地響きを伴って、ドドドドと轟音が響いた。
『各選手次々とストーンを投入! そして【追従用浮遊装置】に搭乗していきます! 注目選手達の滑り出しは上々……、おおっと?! 今大会最年少のワタル選手、出遅れているゾォ?!』
多くの選手がストーンと並走すべく、円盤もしくはサーフボード型のフロートに搭乗し海上を疾走している中。未だ投石の構えすらしていない選手が一人いた。
大人と比べ頭一つ半ほども小さい体。右脇に抱える、楕円形で黒と白の絵具が混ざる途中のような柄の、巨大なストーン。白色のキャップからツンツンの黒髪をはみ出し、服装はサラサラ生地の白色半袖Tシャツに青色の半ズボン。腰には全選手共通の救命胴衣収納ポーチ、左腕には携帯通信端末をバンド留め。
その姿はどこからどう見ても、まだ生意気な年頃の子ども。しかしながらシャツ左胸に刺繍された日の丸国旗は、この少年【水切ワタル】が国家の代表選手であることを、これ以上ないほどに証明している。
『なんと! ワタル選手、俯いて震えています! 十二歳のお子様に世界の舞台は早すぎたのかァ?!』
実況の言の通り、俯くワタルは伸ばした左の拳を握ったまま、ぷるぷると体を震わせていた。……のだが。カメラが向いた途端、パアッと笑顔になって、左手を空へ突き出した。
「……すっごい、すっごい! コレが世界大会の迫力!! 体が震えちゃうよ!!!」
溢れるワクワクを解き放って喜ぶワタルの耳に、イヤホンを通して声が届けられる。
「〈武者震いしているようですね、ワタル君〉」
「保坂さん! わかってるねー!」
声の主は、保坂優一という男性。三十歳。文部科学大臣臨時補佐官を務め、本大会では日本代表選手サポートチームの代表も兼任。面倒見が良く物腰も柔らかいため、ワタルに信頼されている。
気持ち良く叫んで落ち着いたワタルは、抱えていたストーン【大和錦】を右手に持ち、まっすぐ伸ばして海を見せた。
「行こう! 大和錦っ!! オレ達の旅のスタートだ!!!」
大和錦からは、キラリと太陽光の反射が返る。縞々の白の隙間からのぞく光沢ある黒色が眩しい。大和錦はワタルが自ら掘り出したストーンで、楕円形ボディの天面や側面に菊の花のごとく、たくさんの小さな突起が飛び出した形状。サイズは大会屈指の大型。重量も最重量級だ。
「投法! 【竜々巻】!!」
右手を体まで寄せ、その場で回転するワタル。二回、四回、八回、十六回……。何回転したのかわからなくなる頃には、ワタルの周囲に竜巻並みの旋風が巻き起こっていた。
『これは凄まじいッッ! ワタル選手の投石フォームで、竜巻が発生しているゥゥ!!』
実況の言葉に観客席は大歓声。
ワタルはニヤリと笑みで、掴む右手を離した。
「よっし! 【ガリョウテンセイ】!!」
回転の勢いに乗り、大和錦が海へ飛ぶ。海面とほぼ平行に十数メートル進み、着水。他の選手に一切引けを取らない凄まじい勢いで前進を始めた。
追いかけてワタルは、あらかじめ海にセットされた大きな円型フロートにジャンプ。サーフボードの要領で乗せた両足の靴をベルトが固定し、フロートは僅かに浮遊、風を切って発進する。
高速船の迫力で海上を滑るように進み、あっという間に大和錦の隣まで追いついた。
「先は長いし、これから追いつけばいいよね、大和錦?」
向かう先には、先にスタートした選手集団が背中で作る広い壁。だが、見つめるワタルに焦りは微塵もない。
『全選手のリリースが完了! 見事なロケットスタートを決めてトップに躍り出たのは、【最速の男】イタリア代表ダンテ選手操る、超高速ストーン【フォーミュラ・ワン】! その背中を追いかけ、【リタイヤ知らず】フランス代表イザベル選手操る【ラリー・ダカール】、【絶対防御】ドイツ代表アーデルベルト選手操る【ビスマルク】が続くゥゥゥ!!』
先頭集団の更に先頭を進むトップ3のストーンに、洋上の船からカメラドローンが発進&接近。実況と映像に観客席が大いに沸いた。フォーミュラ・ワンは極扁平で深紅・中サイズ・円盤型のストーン。ラリー・ダカールはトリコロール柄の縞模様・大サイズ・独楽型。ビスマルクは透明・中サイズ・ラウンドブリリアント型。
同じ映像を、左腕の携帯端末から空中に投影したモニタで確認して、ワタルは胸を躍らせる。
「へへっ、どんな勝負ができるかなっ?」
これから始まる勝負の日々に思いを馳せ、良い気分になっていたのも束の間。ワタルの耳に突然、大音量の怒号が届けられた。男の、老人の声で。
「〈何やっとるかワタル少年! スタートには気をつけろと、あれほど言ったじゃろう!〉」
「総理のじーちゃん?! そっちは夜中じゃないのぉ??!!」
「〈スタートを見ん総理がおるかぁ!!!〉」
慌てて左腕の端末を操作し映像を変更。巨大な盆栽を背景に、紋付袴姿で頭髪薄く髭の長い老人が映る。ひどく興奮した様子で、青筋を浮かべ杖を振り上げていた。老人の名前は【石渡烈】。御年七十六歳。日本国の総理大臣を務める大人物。
怒り心頭の総理に、ワタルはいたずらっぽく言った。
「もう、そんなに怒ると血圧上がるよ?」
「〈ワシの血圧より順位を上げんか! お主はもっと日本代表としての自覚を――〉」
話の途中で総理の声が消音になり、グレースーツに眼鏡の優男、サポートチームの保坂が大きな枠で映される。
「〈――ワタル君、石渡総理の言うことはあまり気にしないでください。レースは長いですから、落ち着いて〉」
追いやられ小さな枠になった総理は、口を尖らせ文句を言っている(と思われる)。
しかし保坂は気にしない。
「〈ワタル君も大和錦もパワーとスタミナがありますから、序盤は後ろにつけ、隙をついて周りを蹴散らし前に出る、という作戦は悪くないですよ〉」
「さすが水切りだいじん! 話がわかってる!」
「〈臨時の補佐官です。……と、長話をしている場合ではないので、出発時のチェックだけさせてください。ルート設定はできていますか?〉」
「もちろん、バッチリ!」
「〈通信端末・フロートは正常稼働していますか?〉」
「エラーないよ!」
「〈マップ・翻訳機は起動できてますか?〉」
「できてる! 翻訳機は、誰とも話してないからわからない!」
「〈あとは~~〉」
保坂が映像に出した項目に従い、装置の作動状況などをチェック。結果は全て良好、問題ないスタートだった。
「〈~~何か必要な物があったり、異常があったりしたら言ってくださいね。全力でサポートしますから。では、幸運を〉」
話を終えた保坂の枠が閉じ、消音にされていた総理の声が聞こえてくる。
「〈……総理大臣に話させないとは。保坂め、とんでもない不良役人じゃな。と言うのはいいとして、ワシから一つだけ〉」
冗談ぽく悪態をついていた総理の表情が一転。眉を寄せた真面目なものに変わった。
「〈絶対に勝つんじゃ、ワタル少年。おぬしの肩に日本の未来が懸かっておるのじゃから〉」
それだけ伝え、総理は通信を切った。日本の未来。それは、【スポーツ界の未来】という意味ではない。水切りグレートジャーニーの結果に、【日本という国家の盛衰】が懸かっているという意味になる。
「……未来かぁ、なんだか大げさな気がするよ。大和錦は、どう思う?」
ワタルはぼやいて、足元を跳ねる大和錦を見た。海面を小気味良く跳ねる大和錦は、ワタルの目元にキラリと、太陽の光を反射させる。
「まぶしっ。……って、そういうこと!」
眩しさに上げた視界に映るは、海原を進む数多のストーンと選手達。
「りょーかいっ! もうとっくにレースは始まってるもんね!」
フロートを踏みしめる足に力が入る。拳を握って腰を落とし、視線は真っすぐ前へ。強敵達の背中と、一万九千キロメートル先のゴールを見失わないために。
~~
「見えてきたッ! ごぼう抜きしよっか、大和錦ッ!」
ものの十数分でワタルは、大集団最後尾からおよそ五百メートルのところまで接近。握る拳にチカラが入る。
「ここは必殺技でぶっちぎって……、えぇ???!!!」
大和錦へ意思を込めようとした瞬間、前方集団から悲鳴が上がった。理由は一目でわかるもの。
『これはッ! ヤコブ選手の必殺技、【奇跡】だぁぁぁぁ!』
実況が興奮して伝えたのは、碑文が刻まれたプレート型ストーンを起点に海が真っ二つに【割れ】、海底が露わになっている光景。
「見よ。私の技、奇跡を! 我らが民の歩みを阻むことは、決して許しません!」
海を割ったストーン【十の教え】を操る、緩やか白服・白ターバン・白髭の男ヤコブが、高らかに宣言。亀裂の長さも幅も、十の教えが進むに連れて伸びていく。暗い海底の地面に、次から次へと大量のストーンが飲み込まれていった。
力なく落下するストーンのほとんどは、このまま脱落してしまうだろう。
『ヤコブ選手の大技に、各国選手が飲み込まれていくゥ! おぉっと?! 中には優勝候補のルーカス選手や、燕青選手の姿もあるぞッ!? 大丈夫なのかァ!?』
ドローンカメラが二つのストーンに注目。すると、片方のストーンのそばを進むテンガロンハットを目深にかぶるカウボーイ服の男が、ポツリと反応した。
「……おっと、注目されちまったか」
指先でつばを上げてサングラスを取り、青い瞳をのぞかせるのは、アメリカ代表ルーカス。四十歳。無精髭まで金髪。大会出場数五回、うち三回優勝。一時行方をくらまし、前回大会から競技復帰。高い実力と魅せるプレイスタイルから、人々から【天才】と呼ばれ絶大な人気を誇る、名プレイヤーだ。
「五、六台……ってとこか。ちと少ねェが、見てんだったら応えてやるぜェ!」
ルーカスは指差しでカメラ位置と台数を確認。襟のピンマイクを口元に寄せた。
「ニック、アレを使うぞ!」
イヤホンを通し、ニックと呼ばれた男性の声が返る。
「〈ルーカスったら、目立ちたがりなんだから。でも、こんなに早くヤコブがしかけてくるのは想定外だった。僕的には、ビスマルク対策に取っておきたいけど……。……オッケー、プレジデントの打ち上げ許可がでたよ〉」
「サンキュー、ニック!」
作戦の許可を伝える文字が、投影モニタに出現。ルーカスはグッと拳を握った。
「いくぜ、【フロンティアスピリッツ】! 【オペレーションアポロ】、イグニッション!」
割れた海に落下していく、星条旗を思わせる赤白青柄で中サイズの砲弾型ストーンに、ルーカスが叫ぶ。意思を受けたフロンティアスピリッツは、側面の穴から水を数回噴射。天地を逆に変えた。
「圧縮水解放ッ、リフトオフ!! 飛べえッ!!!」
合図と同時に、天面の穴から高圧の水が噴出。推進力で一気に大空まで飛ぶ姿はまるで、宇宙を目指すロケットのそれ。
「もう一段上昇だ! スラスター分離!」
上空でストーン上部数センチを切り離し、次の天面が水を噴出。十の教えの遥か上空を、フロンティアスピリッツは悠々と飛び越えていく。
最後は側面から水を噴射して天地を戻し、十の教え前方数メートル先に見事に着水した。
『フロンティアスピリッツ、打ち上げ成功ゥゥゥゥゥ! アメリカチームのロケットが、観客の期待を乗せて先頭集団まで到達だァァァァ!!』
観客席は大歓声。打ち上げの瞬間は何度もリプレイ放送され、カメラが一斉にルーカスに集まった。
「ディスイズ、エンターテイメント! 楽しんでいただけたかな? 観客諸君ッ!!」
ルーカスは手で銃の形を作り、カメラを撃ち抜く仕草。サービス精神旺盛なパフォーマンスに、観客のボルテージは最高潮に。
……を、面白くない様子で睨み付ける者が一人。
「ぐぬぬ、ルーカスめ。珍妙なワザを使う……!」
中国代表、燕青。赤地に金刺繍の袖口の広い上着に黒ズボン、小柄でピンク色のセンター分けショートミディアムヘア。くりくりの目に中性的な可愛らしい顔立ちの選手だが、【中華の至宝】と言われる俊敏な動きと不思議な技の数々で、前回大会ではルーカスを破り見事優勝を果たしている猛者。
「朕も見せつけてやるヨ!」
良く通る声で言い、燕青はフロート上で次々と武道の型を繰り出した。
「〈燕青様。レースは長いので、ここは体力を温存して――〉」
イヤホンからサポートチームの声。へりくだっての意見を燕青は無視。鼻を鳴らす。
「フンッ、これくらい準備運動以下! 見せ場よ【満漢全石】!」
黄色で小サイズ、全面に漢字が並ぶ丸形ストーン満漢全石が、燕青の意思を受け紫色の異様な妖気を放ち始める。
「必殺、【騰空擺蓮】!!」
落下中の満漢全石は、燕青の型に合わせ、同じく海底へと落下する他の選手のストーンに飛び乗った。ストーンを足場に軽やかに跳ね、更に別のストーンへ。次から次へと他を踏み台に蹴落として進み、ついには十の教えの前に着水。
『中華殺法が炸裂ゥゥゥ! ルーカス選手に続いて燕青選手も前に出た!!』
見事な曲芸移動に歓声が上がり、カメラドローンが燕青に集まる。
しかし燕青は不満気の様子。
「『続いて』なんて言うんじゃない、おたんこなす。朕は朕の道を往くだけ。次に朕の覇道をそんな風に言ったら、オマエもコースの一品に加えてやるヨ?」
ジットリとした目つきで実況をひと睨みし、フロート上でぴょいと宙返り。打って変わった明るく可愛らしい笑顔でカメラ目線。黄色い歓声が巻き起こった。
強豪選手とストーン達の見事な技。かなり後方、投影モニタで一部始終を見ていたワタルは興奮して声を上げた。
「うぉぉ、すごい! オレも追いついて、勝負したい!」
燃え上がった闘志で、眼前に迫る割れた海に対して正拳の構え。
「オレ達もいこう! 大和錦、【御神渡――」
「〈――早くなんとかせんかワタル少年! 落ちかかっとるぞ!!〉」
「うへぇ?!」
技を放とうとした瞬間、イヤホンから大音量。声の主は石渡総理。
「もうっ、大人しく寝てなよ! なんとかするから、総理のじーちゃんは黙って……あっ」
鬱陶しそうに話すワタルが、素っ頓狂な声を出した。フロートはすでに海の裂け目の上を浮遊。近くを跳ねていたはずの大和錦の姿が見えない。
「〈へ? ……はぁ!!?? 何しとるんじゃ!!?? ……うそじゃ、うそじゃこんなの、日本の明日が……、社会保障の予算がぁ……〉」
大和錦が消えた事態に総理は泣き崩れ、次から次に嘆きの言葉を発する。
ワタルはちょっとだけ黙ってから、ペロリと舌を出した。
「……なーんてね。やるぞ、大和錦ッ! 【大滝登り】!!」
真面目な顔に戻り、大和錦に指示。しばらくして海の裂け目の内壁を、一つのストーンが滝を登るかのごとき力強い遡上で登ってきた。
『大和錦が海の壁を駆け上がるゥ! 滝を登った鯉は、大会を荒らす龍となれるかァ?!』
実況と観客は大盛り上がり。ワタルは得意気になった。
僅かなタイムラグの後、イヤホンから凄まじい怒声が響く。
「〈コラァ! ガキんちょ!! 心臓が止まるところじゃったぞ!!!〉」
声の主はもちろん総理。後ろでは側に控える秘書や議員までもが慌てていた。
そんな総理達とは対照的に、ワタルはニヤケ顔。
「総理のじーちゃん。カメラ回ってるし、ガキんちょはマズいんじゃない? それに……」
「〈くっ、このクソガ……、お調子小僧が……!〉」
「止まったら止まったで、出費が減っていいんじゃない? シャカイホショーの」
「〈き、きさまー!!!〉」
――数刻後・日本・とある町の商店街――
「もう、あの子ったらまた失礼なこと言って……」
商店街の特設モニタ前に座るふくよかな女性が、がっくりと肩を落として落ち込んだ。女性の名は【水切ミキリ】。ワタルの母親。モニタで流れる報道番組の映像には、【総理・選手が問題発言】という文字が躍る。
「まぁまぁミキリちゃん。レース中にうるさい総理には良いクスリだよ! それにしてもワタ坊はいつも、ビックリすることをやってくれるねぇ」
隣で見ていた八百屋の店主が言い、周りの他の人達も頷いたり笑ったりした。
「まぁ、そこがあの子の良いところ……なのかしら。でも、滝登り試練の時だって~~」
そう言ってミキリが昔語りするのは、ワタルが水切り選手になりたいと言い出した、六歳頃のこと。
近所に立派な大滝と清流があるこの土地では、子ども達はいつも、滝つぼや川で遊んでいた。そんな土地柄か水遊びをするうちにいつの間にか、ワタルも水切り選手を目指し始めた。
そこまでは良かったが、ワタルがなりたがったのは水切り競技のうち、とりわけ過酷なグレートジャーニー。だからミキリは、ワタルが選手を目指すことを認める条件として、ある試練を言い渡した。
「~~私は【ストーンが滝を登りきれたら】認めるって言ったのに、あの子ったら由緒ある滝をあんな風にしちゃって」
試練の内容は、『ストーンに大滝を登らせる』というもの。落差百メートルを越え、水量も多い大滝は、国内大会で上位になる選手をもってしても、登りきるのは難しい。そのためミキリは、ワタルができなくて諦めるか、できるようになっても、だいぶ先の未来だろうと考えていた。
しかし、ワタルは僅か一年で、見事にその試練を突破している。
「いいじゃない。これでワタ坊が優勝でもしたら、あの滝はまさに登竜門だって、拍が付くかもしれないよ?」
苦い顔のミキリに、老人が優しく話しかけた。モニタ周りでは何人もの人たちが、ワタルの思い出話に花を咲かせている。近くに併設された特別展示ブースでは、ワタルの戦歴を示すいくつもの賞状やトロフィーが輝いた。
展示物の中には一枚の、ひと際大きく飾られている写真がある。二又に割れた大きな滝と、それを背にするワタルの姿。大和錦を片手にVサインをするワタルは、とても誇らしげな笑顔で……。
──時は戻り・チリ・カルデラ近海──
「ずっと撮ってるんだっけ、あれ」
周囲をぶんぶん飛ぶ数機のカメラドローンを、ワタルは目で追った。撮影されている映像は、サポートチームやTV局、映像配信サイトなど、様々な箇所に送られている。
水切りは、水面にストーンを投げて進ませる大人気競技。古来より世界中で親しまれており、スプリント、ダンス、バトル、etc……。たくさんの競技スタイルがある。ワタルが参加するこのグレートジャーニーは、スタート地点から遥か遠くのゴールに到達した際の順位を競う、超長距離サバイバル・レース。しかし他のレース系競技と違い、バトル系競技のように、ストーンからストーンへの直接攻撃が許されている。
スピード・バトル・スタミナ。全ての実力が求められるのが、この競技が最も過酷だと言われる所以。更に今大会は史上最長コースで、スタートのチリ・カルデラから、ゴールの中国・福州市までの距離は、一万九千キロメートルにも及ぶ。各選手の速度次第だが、レースは二十日前後を予想されており、各国一名の代表選手は、専属のサポートチームによる様々な支援を受けながら、ゴールを目指して進むことになる。
「本当に大掛かりで、すごいや」
本大会は国連発足以後、三年に一度の頻度で開催されており、今回で三十一回目。主催は世界水切り連盟という団体だが、国連も大会運営を担っている。
「こんな大きな大会なのに、総理のじーちゃんもほかの政治家の人も『国民のけつ税がなんとか』だとか『国のイシんがなんとか』ばっかりで、保坂さん以外、誰も水切りの話しなかったなぁ……」
ワタルがぼやいているのは、大会前の出陣式でのこと。大人気競技であるのに、出陣式で競技に関する話題はとても少なかった。政治が絡む場所では、水切り競技そのものよりも、大会の結果を気にする人が圧倒的に多いからだ。
その理由は、優勝者に送られる景品による。
グレートジャーニーでは優勝者に、【グローリーアイランド】という南太平洋に浮かぶ孤島の、次回大会までの使用権が贈られる。この島はかつて、水切り好きの何者かが島長から譲り受け、景品用に連盟に寄付した島で、少し珍しい石が採れる程度の自然の遊び場だった。
始まりの頃のグレートジャーニーは、『競技のついでに遊び場が手に入る』程度の認識だったと言われている。
しかしある時、島に多種多様な【資源】が眠っていることがわかった。金銀銅やレアメタル、石油・天然ガス・核燃料・メタンハイドレートなど、地上・地中・海中問わずあらゆる資源がこの島には豊富に眠っていた。
それはたかだか三年間であっても、個人どころか国家すらも確実に潤すほど。いつしか島は、国家の繁栄を左右する存在となってしまった。そして当然の帰結として、国家が選手に多くの協力をし、グレートジャーニーを介して島の使用権を争う形になった(武力で争った時代もあったが、不毛だと反省されている)。
今では島を手に入れるため世界中で、選手育成・マネジメント・ストーン及びフロート研究に多大な出資が行われている。一方で選手は、競技者としての名誉、金銭その他の見返りのため、勝利を目指してレースに参加している(二位~五位の入賞者賞金も高額)。
優勝者は島の管理を国に委譲し、マージンを受け取るようにする場合がほとんど。一度優勝すれば当然、一生遊んで暮らせる。
つまりグレートジャーニーは人気競技でありながら、国家同士の激しい覇権争いの場でもあるのだ。
「よっし、やっと抜けられる! これでオレも先頭集団! ……あれ?」
割れた海を大和錦が登りきり、海上に到達。なのにどういうわけか、周囲に先頭集団の姿は見えない。
「序盤からとばしてるなー。四十ノット(時速八十キロ)は出てるんじゃない?」
手で目元に影を作りながら、かなり先を進む選手達を眺めた。レース開始から一時間になるが、先頭集団はスタート時のペースを崩しておらず、レース展開はかなりのハイスピードであると言っていい。
「総理のじーちゃんもみんなも、あんなに必死なんだもんなぁ。グローリーアイランド、良い石あるんだろうなー。……って、大和錦、ごめんってば!」
気の抜けた顔で想像にふけっていると、機嫌を損ねた大和錦が激しく蛇行。ワタルは、慌ててレースに意識を戻した。