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霧のエンブリオ  作者: 氷室夕己
第1章 ミスト来島
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エンブリオ島の歴史

 取材……タイムは最初にそう言っていた。

 実際に彼が話しているのは魔法や精霊術、とても取材とは思えない。

 島の外に関する情報をミストから聞き出したいのは分かっている。

 ミストは答えないだろう……今朝、彼女は「そこは理解している」と言っていた。

 エンブリオ島が人や物だけで無く、情報の出入りも規制しているのも知っている。

 きっと来島前から今までの暮らしを話さぬようにと念を押されていたのだろう。

 簡単には話さない。

 

 タイムもそれは重々承知だろう。だから彼は遠回しに聞いてくる。

 さっきまで彼は「魔法と精霊術について」の説明を行っていた。

 今は「島の第一印象」や「魔法をどう思うか」などの質問をしてくる。

 ミストが話さないから、やや踏み込み始めた。


 「この島の第一印象? そうですね……三百年ほど前から世界と隔離されていると聞いていましたが、思っていたよりも文化が進んでいますね」


 島の第一印象に対する回答がコレだった。「思っていたよりも文化が進んでいる」という回答では島の外がどうなっているのか把握しにくい。


「魔法ですか? ボク自身が魔法みたいな力を持っているのでコレといったコメントは無いですね」


 ミストは島の外に居た頃から精霊術を使っていた。今更、魔法を見て驚くような人間では無いだろう。


「あぁ、そういえばボクの力と魔法は違うんでしたっけ?」


 島の外では魔法は使われておらず、科学や工業技術で暮らしている……私が知る数少ない外の情報。

 そんな世界だとミストのような者が寧ろ異質……きっとミストは今まで周囲から浮いた生活だったんだろうなと思う。


「どうやっても島の外を聞き出す事は出来なさそうだな……」


 ついにタイムは本音を漏らした。


「島に移り住むに当たって、今までの事は全て無かった事にしましたから」


「島のルールだから?」


「それもありますが……」


 この時のミストは少しだけ寂しそうだった。


「この島で暮らす以上、ボク自身が変わらないといけませんからね」


 表情こそ笑顔だったが、髪が氷柱のように淡い光を反射させていた。


 この様子だと、どうやってもミストから外の情報は聞き出せないだろう。

 タイムは頭を抱えた。外の情報がこれっぽっちも引き出せない。

「諦めよう……」

 本当に小さな声と共にタイムは白旗を揚げた。「そこは理解している」ミストに完敗したのだ。


 白く燃え尽きるタイムを横目にコーヒーを一口すする。その一口でカップは空っぽとなった。

 喉が渇いているわけではないのだが、お喋りに飲み物は付き物だ。コーヒー補充と行こう……。


「あれ、コーヒーのお代わりですか? ボクが行きますよ」


 立ち上がりかけたミストを左手で制止した。車椅子である自分の事を気遣っての行動だろうが、コーヒーくらいは自分でも入れられる。こんな所で後輩の手を煩わせたくはない。


「大丈夫よ、自分で入れるから」


 車椅子を転がしてバーカウンターの奥へ移動、いつもの場所に慣れ親しんだコーヒーメーカーが鎮座してあった。しかし、その横には見慣れない薄オレンジ色のポットが置いてある。


「あっ」


 今更な事を思い出した。

 ここにある調理器具の殆どは魔力で動くのだ。

 エンブリオの住民はあまりにも当たり前過ぎることなので、普段は特別気にすることではないが、外から来たミストにとっては重大なことだ。

 魔力の使い方を知らないミストは当然これらの器具は使えない。

 魔法仕掛けの調理器具を使えないミストだが、私が朝見た時には紅茶を飲んでいた。

 お湯を沸かさなければ紅茶は飲めない。


 「金属製のポット……まさか」


 どうやらミストは精霊術でお湯を沸かしたようだ。

 水道だけは外の技術を使っているから蛇口をひねれば水は得られる。

 その水を使ってミストは熱を発する未知なる金属でも生成したのだろうか?

 私も昔は未知なる植物を生み出したりしたものだけど、ミストお手製のポットを見て改めて思う……精霊術は異様な力だ。


 ミスト製のポットの中身はまだ暖かかった。

 せっかくなのでミストのポットでコーヒーを入れた。

 取材というものを諦めたタイムは既にペンとメモ帳をしまっていた。


「…………」


 妙にぎこちない空間だった。ミストもタイムも無言だったのだ。

 どうしてこんな空気になってしまったのか知らないが、こうなると私も遠慮がちに車椅子を横付けさせるしかない。


「何、コレ……」


 溜まらず聞く。


「いえ、大したことではありません。ただ……ボクってエンブリオ島の事をよく知らないまま島に来てしまったと感じたんです」


「やっぱりな」


 タイムは島の外を聞く事を諦め、逆にミストにはエンブリオ島をどれほど知っているのかという質問をしたそうだ。

 その質問にミストは答える事が出来なかった。

 私たちが島の外を知る事が出来ないのと同様に、島の外からエンブリオの情報を知る事も出来ない。


「ボクが知っている事はというと、島の中では魔法が使われていると言う事。それともう一つあります。これは言いにくい事ですが……」


 一回、息を吸う。目線をタイムに、次に私に向ける。


「この島が魔法狩り時代の監獄島だったという事……」


 これは住民が好んで話すような事ではない。

 一応、私は”教室”でエンブリオの歴史は学んだが、日常生活において話題にしたことは無い。

 暗黙の一般常識だ。


「島の外の人間は、とうの昔に忘れていると思っていたぜ」


「記録そのものは残っています。知っている人がどれほど居るかは知りません。ボクも来島するに当たって書物をあさって初めて知ったようなものです」


 ミストはここで紅茶をほんの少しだけ飲んだ。飲んだというよりも唇を湿らせたに近い。


 情報の出入りが制限されているエンブリオでも、出入りが制限される前までの情報なら残っている。

 古い記録だから残っているのは僅かだし、信憑性は少ない。歴史なんて見る立場や資料の発見などでゴロゴロと変わるものだから、今のエンブリオ島民からしても昔の記録はアテには出来ない。

 それでもエンブリオ島がかつて、魔法狩りの監獄島として使われた。それだけは事実だ。


 魔法はかつて、とても身近でありふれた技術だった。

 明日の天気を知る、火や風を起こす、荷物を楽に運ぶ……生活には必須だった。

 三百年ほど前、世の中の技術は革新的に向上した。

 人間は魔法や呪術に頼らなくても十分に生活できるようになった。

 魔法は生命力のようなもの。魔力を使えば疲れる。休めば回復するが、使いすぎた時の命の保証は出来ない。

 無理しない魔法運用を心がけたとしても、魔法を使わない者と比べれば寿命の差が出る。

 科学や工業技術の発展に伴い、魔法は”命”をかけて行うものでは無くなってしまった。


 やがて自らの命を犠牲にする魔法は悪と言われるようになった。

 魔法という時代遅れの産物を使うものは一方的に拘束され、形だけの裁判をして処罰された。大抵は死刑だった。

 

 この島は四方を断崖絶壁に囲まれている。それに泳いで大陸に渡るには遠すぎる。

 簡単には脱走できない……監獄島に最適だった。

 大量の囚人を集めて開発し、世界最大級の監獄島としての運用が始まる。ちょうど時期も重なった事もあって魔法囚人達が集められた。

 やがて、この島は”エンブリオ”と呼ばれるようになった。


 エンブリオは”胚”という意味だ。

 人が生を受け、胎児となる以前の状態だ。

 親にすら姿を見る事が出来ない。人という姿すら確定していない存在……。

 人の体をなさず、そのまま外に出るな……そんな皮肉から生まれたのだろう。


 胚は確かに外から見る事が出来ない。

 しかし、胚は確かに生きた存在だ。

 

 アリマ・アロマという少年がいた。

 少年といっても、それは見た目での話だ。

 実際は千年ほど生きていた。

 出生は不明だが、たった一人で数千人分の魔力は持っているような規格外魔力をもった魔法使いだった。

 もちろん、こんな規格外魔力を持つ人間を世界が放置するわけも無く、多額の懸賞金がかけられたアリマは追われる身になる。

 しかし、捕まるどころか姿すら見つけられない。


「アリマ・アロマの名前は本で読みました。監獄島だったエンブリオ島を今の魔法文化保護島にした革命者だって……」


 流石にミストも彼の名は知っていたようだ。島の中でも、そして島の外でも、アリマが伝説の魔法使いであった事には変わりないようだ。


「でも、実在したんですか? 魔法使いって短命なんですよね?」


「魔法使いが短命なのは事実、千年以上生きたというアリマはそれに反しているわね」


 しかし、エンブリオ島に居る私たちはアリマ・アロマの存在を認めるしか無い。これは宗教的だとか政治的なものではない。


「アリマはつい最近まで存命だったの。確か無くなったのは十年くらい前……私はまだ小さかったから、よく覚えていないけどね」


 幼き頃の記憶に「アリマが亡くなった」と島中が大騒ぎになった記憶がある。幼かったから覚えていないと言うよりも、幼かったから状況を理解していないという方が正しいかもしれない。


「俺は明確に覚えているな。教室に通っていた頃、アリマが授業を見に来た。子供と大して見た目が変わらないくせに教卓の上で偉そうに話していたのを覚えている」


 私よりも五つほど年上のタイムは私よりかは明確に覚えていた。まだ記者では無く学生だったので取材はしていない様子だった。


「会った事があるとなると信じるしか無いですね……」


「精霊士のお爺ちゃん達も認めていたから少なくとも百年近くは生きている事になるわね。少なくともエンブリオ島が今の形になって三百年、その間はずっと存命していた事になる。千年生きたといわれても不思議に思わないわ」


 そんな規格外魔法使いは自らエンブリオ島に入った。多額の懸賞金をかけたのに、その苦労が嘘のようにアリマは自首したのだ。

 最も、これはアリマの策略だったのだろう。


 アリマが投獄されてまもなく、監獄島の囚人達が反乱を起こした。

 リーダーは勿論、アリマ・アロマ。

 他にも三人の優秀な魔法使いがアリマ・アロマから力を貰い。三賢者としてその力を振るった。

 短期会とは思えないような恐ろしく統率の取れた行動、そして断崖絶壁に覆われた洋上の島という立地……あっという間にエンブリオ島は魔法使いの手になった。


 特に島全体を覆う”魔法の霧”の存在は大きかった。

 視界的に島に辿り着く事が困難になり、熱、電力、磁力……それらに頼った物体に対して過剰に反応するようになっている。

 この霧の中を突破しようとしたら、良くて遭難、悪くて絶命だ。

 魔法の霧は例えアリマ・アロマを持ってしても易々と作れるものでは無い。

 皮肉なものだが、監獄島内で大量に死体があり、それらが埋葬とは程遠い扱いをされていた。

 故に死体には残存魔力が大量に残っていた。


 アリマ・アロマはこの魔力を使い、霧を張った。

 これにより、外からの連絡と応援を絶った。

 残った魔力でアリマ・アロマは三人の魔法使いに力を与えた。

 これにより、中に残った監守を無力化……やむを得ない場合は殺した。


 魔法使い達は閉じ込められている状況から、立てこもるという状況に変えた。


 アリマ・アロマは以下の五項を要求した。


 エンブリオ島を魔法文化保護島の名目し、これら文化保全をする。

 魔法や魔法使いはエンブリオ島から外に出ない。

 その代わり、島の外の技術も中に入れない。

 魔法が必要な時は最低限の範囲で輸出する。

 その代わり、島の外の物資を最低限の範囲で輸入する。


 一方的に思えて、よく考えられた要求だった。

 エンブリオ島内であれば魔法使いの安全は保証される。世界中の魔法使いはエンブリオ島に入った。

 それによって世界中で魔法が使われる事は無くなった。魔法狩りを行う必要もなくなった。

 科学技術も完全ではない。時に古典的な考え方を必要とする場面があり、エンブリオ島の魔法使いは部分的に協力した。

 エンブリオ島も科学技術を必要とする場合がある。島の中で自給自足を心がけているが、どうしても限界はある。島の外に恩を売る事で、見返りの食料などの物資を輸入しているのだ。


 あれから三百年……魔法は禁忌では無くなった。今では物珍しい魔法を使ってみたいと思う人も増えたという。

 それでもエンブリオ島は魔法文化保護の形を保っている。三百年前の文化を守る事がとても難しい事、文化を残す事がとても素晴らしい事だからだ。


「それを聞くと、ボクがここに居て良いのか考え物ですね」


「殆どの人歓迎している様子だから安心していい。島の外に憧れる人の方が寧ろ多いからな」


「仮に気に入らない人が居たら先輩の私が許さない」


 可愛い後輩は先輩が守る……絶対に。


「そういえば……アリマ・アロマは亡くなったと聞きましたが、三人の魔法使いは?」


「三人とも存命よ。というか、昨日会ったでしょ?」


「え、誰ですか?」


 この様子だとあの人は正体を明かしていなかったようだ。なんというか、あの人らしい。

 あの人は魔法使いとしては大きい人間なのに、やる事は小さい者を好むのだ。


「クローブよ。ほら、ミストをフェザーズハウスまで連れてきた男の人」


 ミストは上を向いて、そして下を向いてそして瞬きを二回……。


「あの人ですか? そういえば自分の事を”それなりな人”とか言っていました」


 やっぱり彼は正体を明かしていなかったようだ。

 彼は有名人なので、いずれはバレることなのだが、その一瞬でも隠しておきたかったらしい。


「クローブさんらしいな」


「また、仕事で会うと思うわ。何時になるかは分からないけど」


 新しい精霊士が来たとなればコキ使うのは三賢者のどれかだ。

 お得意様……とでも言うべきだろう。


「ま、記事としては物足りなさを感じるが十分だろう」


 タイムは壁にかけられた時計を見て立ち上がる。

 一応、彼は仕事としてフェザーズハウスにやってきた。別にお喋りをしに来たわけではない。

 寧ろここでゆっくりして仕事は大丈夫なのかと心配になる。


「島の外に関する記事でも書きたかったんじゃないの?」


「ボクは喋りませんよ~。クローブさんからは特に何も言われていませんが、来島する前に耳にタコが出来るくらいに言い聞かされているので」


 ……やっぱり、そんな事をされていたらしい。

 そして、クローブは何も言わなかったのか……彼はこの島の代表者というわけではないが、この島の行政が心配になる。


「島の外には興味があるし聞いてもみたいが……記事にはしない。しようとしても、ウチの編集長がストップするさ」


 編集長……数回しか会ったことが無いが、タイムの幼なじみということは聞いている。

 島の外に関する情報は流さない……コウヨウ新聞はエンブリオのルールを遵守しているようだ。


「この時間になると……執筆は明日かな? いや、明日は飲みに行く約束があるし明後日……、二日酔いしなきゃ明後日だな」


 コウヨウ新聞は週刊新聞だが、そんなのんびりで記事が間に合うのだろうか? かなり心配になった。

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