外から来た少女
エンブリオ島のほぼ北西端にあるネイブル駅、この駅は貨物用の駅であるにもかかわらず立派なアーチ状の建物をしている。
貨物を乗り入れするには使いにくい構造なのだが、外に情報を漏らさないという意味でこの作りになっている。
駅舎は外から見れば美しい外見だが、中身は実に殺風景だ。
ホームに通じる狭い通路の他には税関用の事務所と、だだっ広い貨物置き場しかない。
今日はとても特別な日になる。三百年以上になるエンブリオ史の中でも特別な日だ。
なんといっても外部から人を招くことになっている。
外から人が移り住むなんてエンブリオが今の形になってから初めてだ。島としては歴史的な一日となるだろう。
こうなったのは先送りを続けた結果、起きた精霊士不足だ。
精霊とは自然の象徴のような存在、そんな精霊を扱うのが精霊士だ。
精霊士は生まれ持った才能に依存する。魔法のように学べば使えるという訳にはいかない。
先天性の精霊士は非常に貴重な人材だ。都合良く生まれてくるわけではない。
性質上、どうしても閉鎖的になりがちなエンブリオ島では精霊士の数がどんどん減っていく。
精霊術と魔法は厳密には違うが、魔法の一種として見なされているので文化保護の対象となっている。精霊術の絶滅はエンブリオ島の存在意義に関わる一大事だ。
文化保護の為に人の出入りを制限しているわけだが、文化保護を優先する余り文化が絶滅してしまっては意味がない。
エンブリオに残された選択肢は、外から精霊士の才能を持つ人を招くという方法のみだった。ここに辿り着くまで島の中も外も多くの議論が起きた。その末に外から招く事になったのである。
外から連れてくると言ってもエンブリオ島の情報は外に出せない。そんな状態で精霊士を探る……困難だろうと思っていたが、捜索から半年程度で精霊士は見つかった。
実際に全ての手続きが完了して来島するまで、もう半年かかったが……もっと時間が必要だと思っていたので拍子抜けだ。
エンブリオ島に物資を運ぶ貿易商、その知人の娘がたまたま精霊士らしき能力の持ち主だったのだ。
貿易商から聞いた時は驚いた。こんな近しい場所に精霊士という限られた人材がいたとは……。
とても幸運な出来事だった。
国際機関とエンブリオ島、本人とその家族……調整は順調とは行かなかったが結果的に実現した。
文化を保護するためには異文化を制限しなければならない。
だから外から人を入れる事を今までしなかった。実現に手間取るのは当然だ。
しかし、一度前例を作ってしまえば人間は慣れてしまう。次はもっとスムーズにいくだろう。
精霊士が不足している現状は今も変わらずだ。引き続き精霊士の捜索は続いている。今回のような幸運は続かない。次の精霊士が来るのはずっと先だろう。
列車は予定より少し遅れてきた。
遅れるのはよくあるので気にならない。まだ誤差の範囲だ。
いつもは僕も荷下ろしに顔を出すのだが、今回は優秀な保安官に任せることにした。
保安局なので治安維持が本業なのだが、副業であるはずの税関仕事の方がよっぽど板に付いている。
保安局長のサニーは税関仕事を嫌っているわけではないのだが、列車が来るたびに嘆きとも取れる愚痴を聞かされる。
仕事自体は真面目どころか優秀すぎるくらいなだし、島民の愚痴を聞くのも仕事だから我慢している。
外からの移住者の迎えは、たとえ相手が十五歳の子供であろうと丁重に行う必要がある。
島の代表者が迎えるべき事案だが、ライムには部屋に籠もって貰う事にした。
僕は島の代表者というわけではないが……この場合、島の代表者よりも僕が適任だと思っている。彼が出てくるよりも、ずっとマシだ。
島の政治を担う者は怠け者ではないが頼りない。すぐに三人居る年長者に頼ろうとする。保安局のサニーとは真逆だ。
では、来賓を迎える僕は何者なのかというと、この島で二番目の年長者である。
最も、見た目は二十代の男だ。島の中ならともかく、外で僕の年齢を当てる事は出来ないだろう……そもそも年齢がいくつなのか、とっくに忘れた。
確かに僕は年長者の内の一人だが、振る舞いは”二十代の見た目相応”に若者でありたい。
政治に参加した事もあるが、どうも合わない。それに、島の外の政治情勢を見る限り、同じ人が何百年も実権を握るのもよろしくない。
僕自身が雑務的仕事が性に合うようだ。
今回は来賓おもてなしという雑務を行う。要人が行う雑務が僕には丁度いい。
列車が到着したのでネイブル駅の駅舎まで来たが、外から来るという十五歳の精霊士はまだ来ない。
税関に手間取っているのだろう。輸入した物資以上に手厳しくなるのは必然的なので仕方ない。
この駅は貨物用なので降りる人は少ない。たまに保安局の人間が出入りするだけだ。この人達は名前は知らなくとも顔は知っている者ばかりだ。
見慣れた人の中から僕は見慣れぬ顔を探す。
列車が到着して一時間は経っただろうか? ようやくお目当てである見慣れぬ人を見つけることができた。
一目見れば分かる……お待ちかねの移住者だ。
見慣れぬ顔も判断材料だったが、最大の判断材料は顔ではない。彼女の体格だ。
十五と聞いたのは聞き間違いだろうかと思うくらいに彼女は小柄だった。
だけど体は丸く、どこか大人びている。流石に顔立ちにはあどけなさを感じるが、大きな瞳を時折、細めてくるところは妙に大人っぽさを感じられた。
彼女は駅を出てからどこに行ったらいいのか分からず、左右へキョロキョロ……初めて来ました感で溢れていた。
「日々谷ミストは君かい?」
だからそう声をかけてやった。
彼女に近づいてみて改めて彼女の小ささに逆に圧倒されてしまう。大きな瞳でこちらを見上げられてしまえば尚更だった。
「初めまして。僕はクローブ……まあ、君を迎えに来た役人だ」
正確には違うが、大体合っている。
「わ、ボクは……ミスト、日々谷ミストです」
言葉にするのは難しいが不思議な声を持っていた。
日々谷ミストは名乗る時に少しだけ舌を噛んだ。もしかしなくても緊張している。
少し彼女の立場になって考えてみた。友も故郷も家族も捨てて一人だけ見知らぬ土地に移住……その上、ここは彼女にとって一生の定住地になるだろう。
緊張する、当然だ。
「身なりはこの通りだが……一応、それなりな人だ」
ちょっと茶目っ気を聞かせてみる。余り慣れていないから様になっていない。
にこやかな笑顔が帰ってくることを期待していたが、その予想に反してミストは背筋をピッシリと伸ばして顔を強ばらせたのだった。
「緊張しないでいい、君とは長い付き合いになるからな」
そう声をかけたが頬を少し緩める程度で彼女の緊張は完全には解けなかった。 これは年寄りおじいさんの失態だ。
「立ち話も何だし、君の大荷物をどうにかしないとな。さあ、行こうか」
駅舎から出発する。当然、僕が先導……その背中からスーツケースを転がす少女が付いてくる。
「行くって……何処にですか?」
「君の“先輩”がいる場所だ。歳もそれほど離れていないし、きっと仲良くなれるさ。彼女も君の到着を心待ちにしていたよ」
ミストはこれから精霊士になるが、外から来たミストには知識がない。
だから彼女には優秀な先輩が必要だ。
今このエンブリオに精霊士は一人としていない。
精霊士は手を挙げたところでやれるものではなく、生まれ持った才能が必要……過去の精霊士達は精霊を動かすのは知識と言うよりも感覚に近いと言っていた。
「先輩って何の先輩でしょうか?」
「精霊士だよ」
こんなもの、誰が教えるのか。答えは単純、精霊士から教われば良い。
この島には精霊こそ扱えないが、精霊を知るものが一人だけ居るのだ。
人以外は何もない無色の広場を西に抜ける。そこには車二台が余裕ですれ違えるほどの大通りがあった。
「わぁ……」
ミストは目を輝かせる。
ここはエンブリオで二つあるメインストリートの一つ、オレンジストリートだ。
「これから君が暮らす場所はこの通りにある。先輩が首を長くして君を待っているだろうさ」
オレンジストリートは名の通り、オレンジ色に染まった道だ。
両際に建っている建物はオレンジのレンガ製となっており、足元も白とオレンジのレンガがモザイク状になっている。
今日は列車が来た日なので十分に一度位の頻度で軽トラックやワゴン車が通る。だから島民は道の中央を開けるように歩いているが、普段は端だろうが中央だろうが関係なしに歩く。
僕は毎日のように見えている光景だが、ミストはこの光景が珍しく感じたようだ。
オレンジストリートを見たミストは、軽やかなスキップで僕より三歩前に……そして一回転、長い髪が踊った。
黒髪かと思ったが彼女の髪は光に当たると反射してオレンジに輝く……不思議な髪だった。
髪だけじゃない、体格といい声といい、何処か特別に感じられる。
その姿に見とれていたのか、ただ僕は無言で三歩前のミストを眺めていた。
オレンジストリートの入り口を一通り見たミストは再び僕の背中までパタパタと戻っていく。
そろそろ出発しようという合図なのだと判断して、僕は足を進める事にした。
ミストは僕の前をゼンマイじかけの人形のようにひょこひょこ歩く。顔は正面を見たままだった。
さっきまで踊っていた少女と同一人物なのか疑わしくなるほどの変貌ぶりだ。
彼女は多彩な振る舞いを見せてくれる。お陰で彼女の第一印象という物が定まらない。
駅舎から出てくる時は、その身長から子供だと思った。これが第一印象なのかもしれない。
ところが僕の問いかけに応じて近づいてくると身長の割に体つきが成長している事に気がつき、そして十五という年齢はエンブリオ島の感覚からすれば立派な社会人な事もあり、思ったより大人という印象になった。第一印象はコレに完全に上書きされた。
オレンジストリートを見たミストは子供のようにはしゃいだ。やはり子供なのかと思った。
そして今、ほぼ無表情で僕の背中に付いてきている。もしかすると人見知りで慣れない顔を見かけると緊張するタイプなのだろうか、そういえば自己紹介の時にも舌を噛んでいた。
もう、どれが第一印象なのか分からなくなっていた。出会って数分しか経っていないので第一印象がどれだけ変わろうと構わないのだが、ここまで印象がコロコロ変わる人はどれだけ居ただろうか?
ふと、僕の右隣に気配を感じた。
気配のした方向に振り向くと、そこには誰も居ない……はずが無かった。
少し目線を下に向ければ小っこいミストが居る。
さっきまで彼女は僕の後ろを歩いていたはずなのに、今度は横を歩いている。
今度は周囲をキョロキョロしながら歩いていた。
さっきまでの仏頂面はなんだったのだろうか……。
オレンジストリートの中央付近に目的地は存在する。
いつの間にか僕の隣から一歩先を歩くようになっていたミストは目的地を通り過ぎようとしていた。
「ミスト、ストップ! 目的地はここだ」
「あ、ハイ!」
僕は慌てて静止した。
何処か慌てた返事が返ってきた。
オレンジストリート中央付近、小路地に続く道の角に隣接するように目的地はある。
この建物は”フェザーズハウス”と呼ばれている。
オレンジストリートにある建物の例に漏れず、この建物もオレンジのレンガが主体となっている。
三階建ての建物で一階部分には窓が多く設置されており、パッと見ると小洒落た喫茶店に見えるかもしれない。
実際に百年くらい前までは喫茶店だった。その名残が残っているのだ。
当時の精霊士がたまたま喫茶店の子供で、それで精霊士たちの溜まり場になった。
以降、百年にわたり精霊士の常駐場所のような存在となっている。
もっとも、何となく精霊士が集まるようになったという事情もあるので、精霊士が常駐する必要は無い。
公的な建物でもないのだが、精霊士を住まわせるには好都合だったのでミストの自宅として使う事にした。
部屋は十分に余っているので今後、精霊士が増えてもフェザーズハウスを使う事になるだろう。
外から来た精霊士のための寮……将来的には、そうなるだろう。
古い建築物らしく、焼けた木製のドアを開けて入る。ノックは無用だ。ドアを開けると縁に付けられた鈴の音色が耳を躍らせた。
しかし、中に入ったのにもかかわらず人影が見えない。
人の気配は感じる。不在というわけではなさそうだ。
ちなみにミストは……と言うと、僕の背中に隠れるような位置に居た。建物の中を見る気は無いのだろうか?
「セピア、居ないのか?」
フェザーズハウスの中は元喫茶店というだけあって、ティーテーブルがいくつも置いてある。バーカウンターまである程だ。
正直、ここには隠れる場所は沢山ある。
そう思っているとミストの姿が忽然と消えた。
少し焦るが、いつの間にか部屋の隅に移動していたようだ。今はカウンターの方をジッと見ている。
「そんなに呼ばなくても、ちゃんと私はいるわよ」
カウンターの奥から車椅子をキィキィ鳴らしながら”先輩”が姿を現した。膝の上にはコーヒーカップが鎮座している。
彼女は決して背が低いわけではないが、流石に車椅子に乗ってしまうとカウンターから隠れてしまう。
「ちょうどコーヒーを入れていたの。少しくらい姿を消したからって変な言い方しないでくれる?」
彼女は銀色混じりの金髪の、片方だけ三つ編みに編んでいた。よく見る髪型だ。服装は半袖、だけどコーヒーの乗る膝にはブランケットを敷いていた。暑いのか寒いのかよくわからない。
先輩の名前はセピア・アルカ、訳あって精霊術が使えない精霊士となり、訳あって車椅子生活をしている。
ミストから見れば一応、先輩になる。ミストの教育係も自ら買って出た。
「それで後ろにいる子がもしかして……」
セピアは部屋の隅に居るミストを見て何やらニヤケている。知らない人がいたら真っ先に警察を呼ばれそうなニヤケ面だ。
「もしかしなくとも君の後輩、日々谷ミストだ」
「よ、よろしくお願いします。日々谷ミストです!」
ミストは事情をよく理解していないかもしれない。とりあえず初対面だし、先輩と聞いたからしっかり挨拶した感じだ。
「セピア・アルカよ。これからよろしく」
セピアが少し腰を伸ばし、ミストは腰を縮めると互いに握手を交わした。
セピアは本当にミストの到着を待っていた。
僕がフェザーズハウスに用があるたびに、どんな子か、いつ来るのか、ずっと聞いてきていた。
きっと、カレンダーに丸をつけながら待っていただろう。
ま、彼女なら大丈夫だろう。
素直にそう思った。
セピアは車椅子の上からミストを抱きしめている。
ニコニコのセピアに対して、ミストが戸惑っているのは目をつぶろう。
ミストも歓迎されていることは分かっているはずだ。
この微笑ましい光景を見ると幸せだ。
来島に当たって何らかのトラブルがあるかもしれない……そんな嫌な予想を少しだけどしていた。心配は無用だったようだ。
「セピアさん……流石に苦しいですよぉ」
「ゴメンなさいね。あまりにも可愛かったから……だから、もう少しだけね」
どうやらセピアはミストの事を気に入ったようだ。セピアの色付いた頬を見れば一目瞭然だ。
「まあ、セピアが気に入ってくれたようで助かった。じゃあ、後のことはよろしく」
この様子なら安心してミストを任せられる。なんて言ったってあのセピアだ。きっとうまくやってくれる。