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霧のエンブリオ  作者: 氷室夕己
第2章 精霊士のお仕事
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農道を走るセダン

 エンブリオにも車がある。

 魔法の島だが、科学技術の結晶である車がある。

 だけどエンブリオは魔法の島だから車の台数は少ない。十台をちょっと超える位だ。

 そして今日はマキナ市場が開かれる日、エンブリオで車が一番動く日だ。

 少ない車をフル活用して、ネイブル駅から工業地帯までを何往復もする。

 車は外からの輸入品で種類はセダン、ワゴン、小型のトラックと完全にバラバラ、しかも中古車なので年期が入っている。

 つまり壊れやすい。

 荷物を運ぶ目的であれば、トラックのような車が欲しいのだが、輸入先の事情もあるので、そうも行かないと“城”の役人は言っていた。


「市で忙しい日だというのに車を出させてしまって申し訳ないな」


 申し訳ないと言いつつ、申し訳ないなど考えていないような声が後部座席から聞こえた。

 声の主はエンブリオでも最高の魔力を持つ三賢者の内の一人、シクータだ。

 一応シートベルトはしているが肘を窓枠につけ足をデカデカと広げて座っている。

 彼女の見た目は十代後半だが実際には三百年以上生きている。

 見た目に不釣り合いなオーラはそのためだ。


「荷物も人も運ぶのは変わりないですよ。それが私の仕事です」


 私の名前はマレー・ドク……エンブリオで運送業を営んでいる。

 外の産物である車を動かすのには許可証がいる。

 そもそもエンブリオ人の頭で外の機械を動かすには相当に勉強がいる。

 そういう意味では私は胸を張れる仕事をしていると思っているしエンブリオのあちこちに物を運ぶこの仕事に誇りを持っている。


「そろそろ農道の入口ですよ。ちょっと遅刻していますが精霊士さんを待たせて大丈夫なんですか?」


 シクータさんは待ち合わせに遅刻する事が多い。

 今回はネイブル駅に隣接している車庫に九時十五分に待ち合わせの予定だった。

 でも、実際にシクータさんが来たのは九時半……私との待ち合わせに遅刻した。

 そして外から来たという新米精霊士との待ち合わせは九時半なので、この時点でシクータさんは精霊士相手にも遅刻した事になる。

 同じ三賢者でもフェネルさんやクローブさんは遅刻をしないのだが彼女は遅刻する……何故か遅刻する。


「まぁ、アレだ。今日は市場の日だから人が多い、移動はどうしても遅くなる」


 確かに人ごみの中を歩くのは大変だし時間がかかるが……それだけが原因ではないと思う。

 農道の入口に到着。

 人は多い事は変わらずだが道の脇に誰かを待っているような人間が二人いた。

 片方は車椅子に乗っており、もう片方はかなり小柄だ。


「ありゃあセピアじゃねぇか。見送りするなんて……親バカにも程がある」


 車椅子に乗るのは木の精霊士だ。

 そしてその隣には小柄な少女……いや、小柄を通り越して小人ではないかと疑うくらいに小さな少女が立っていた。

 生まれが違うせいか容姿もオーラもまるで違っていた。

 少なくともエンブリオでは、こんな女の子は見たことない。

 雰囲気があまりに異質で彼女の周囲の空間まで異質に感じるほどだった。

 その空間は悪いものではなく良いか悪いかと言ったら良いだ。

 まぁ、悪いとも感じるが……。


「シクータさん、あの子が噂の……」


「そう……外から来た精霊士だ。名前はミスト」


 外からの精霊士ミスト……名前は初めて聞いた。

 私は精霊士を「精霊士さん」と呼んでしまうタチなので、名前まで覚えたことはない。

 深刻な精霊士不足により外から精霊士がやって来たという事は、新聞にも載っていたので知っていた。

 そして、その精霊士がやたら不思議な人であるという事も噂には聞いていた。


 だけど名前までは覚えていなかった。

 新しく来た精霊士だけでなく、木の精霊士も名前を覚えていない。

 さっき、シクータさんが車椅子の少女を「セピア」と呼んでいたので、多分それが名前だろう。

 セピアもミストも一日経ってしまえば忘れてしまいそうな気がする。

 でも今日だけは覚えておこう……お客様なのでね。


 そのお客様……精霊士の脇に停るようにブレーキを踏む。

 オンボロ車はキィと耳障りな高い音を立てて停車する。車が停まったことを確認してから、今度はエンジンを切る。オンボロ車はガタガタと二回揺れた。


 停車するなりシクータさんはドアを開けて車から飛び降りた。


「ミスト、待たせた」


 客の乗っているドアを開けるのはドライバーの役目なのだが、シクータさんは自分でドアを開けて飛び出してしまった。

 私の仕事を奪わないで欲しいと思いつつ、ここは堪えておく。

 私も直ぐに車の外に出た……深呼吸したかったのだ。

 この車はタバコ臭い……元の持ち主はヘビースモーカーだったのだろうか?

 このタバコの匂いは慣れたが、好きにはなっていない。

 車の脇で車椅子の精霊士が苦笑いを浮かべながらシクータさんの元に近寄ってきた。


「あのシクータ。言い忘れていたんだけど実は……私も一緒に行きたいなぁって」


「は? ちょっと待った。セピアが行くなんて聞いていないぞ」


 私も聞いていない。

 車に乗るのはシクータさんと、外から来た精霊士だけのハズだ。


「だから言い忘れたって言ったじゃない」


 なんで、この先輩の精霊士さんは“一割怒りモード”で喋っているのか理解できない。

 そして新米の精霊士さんは……立ったまま寝ていた。

 いや、この状況下で立ったまま寝るわけがない。

 ただの瞬きだったようだ。

 やたらと長い瞬きだったので、眠っているように見えただけだ。


「私の車椅子は乗るかしら?」


 そう言いつつ車椅子を車のトランクルームの方に進める。

 トランクの開け方が分からないのか、開けずに外観だけみて……、


「えっと……折りたためばトランクに乗りそうね。よかったよかった」


 奴は勝手に判断した。

 確かに折りたためる車椅子なら乗れるのだが……。


 急とは言え、同乗者が一人増えるのは別に問題ない。

 座席は足りるし車椅子もトランクに入るようなので問題は無い。

 問題は無いのだが……車の所有者を無視して話を進めないで欲しい。

 シクータさんから何か言って欲しかったが、彼女は横っちょで舌打ちしながら「ちょっと考えれば想像できる行動だったな」とか呟いているだけであった。

 私はというと……相手はお客様、それもVIPなお客様なので何も言わないことにした。

 精霊士は私より年下だが、私は大人だ。

 ヘタに怒るのも大人げないので、ここは堪える事にした。


「あ、セピアさん一人で大丈夫ですか? 乗り降りならボクが手伝いますよ」


「この程度なら問題ないわ。運転手さん、トランクを開けてください」


 彼女たちが車に乗り込むまで私は何も喋らず、そして何も行動せずを維持したかったのだが、呼ばれてしまったら行動せざる負えない。

 トランクを開けて欲しいと言われたが鍵は空いている。

 開けるのは簡単でトランクのレバーを引けば簡単に開くのだ。

 このセダン型の車のトランクは決して広いものではなく車椅子を乗せたらもう満杯だ。

 だけど車椅子以外に乗せるものはないので問題なしだし断る理由がない。

 トランクを開けるしかないのだ。

 しょうがない、諦めてトランクを開けることにする。

 私がトランクを開けると同時に先輩精霊士は行動に出た。


「よいしょっと」


 すこしだけ反動をつけて先輩精霊士は“立ち上がった”。

 普通に、まったくもって普通の当然のように彼女は立ち上がった。

 フラフラするわけでも、ガタガタ、ピクピクするわけでもなく、しっかりと立ち上がった。

 健常者以上に大地を踏みしめている。

 そしてクルリと振り返り、自分の車椅子を見ると手馴れた手つきで折りたたむのだ。

 折りたたんだ車椅子はそれなりの重量があると思うが、特に何の不自由もないようにトランクに乗せた。

 トランクの扉を閉め、最後に車左側の後部座席の扉を開けて座る。

 彼女が姿勢正しく座ると同時に彼女の足は力を失った……ように見える。


 後輩の可愛い子ちゃんは驚いたのか瞳を大きくさせている。

 元から大きい瞳なので、相当に大きくなった。

 そして三賢者、シクータさんは……こっちは実に分かりやすい、呆れているようだった。


「その魔法はなるべく使うなと言っているのに……」


 ため息をついたシクータさんをよそに、先輩精霊士は手のひらサイズのガラス製カプセルをチラつかせている。何故か得意げだった。


 先輩精霊士が乗るとシクータさnは特に何も言わず、自ら助手席の扉を開けて車に乗り込んだ。

 シートベルトを締めると眉の上を掻いている。まだ呆れている様子だった。

 残る新米精霊士には座席を選ぶ選択肢が一つしかない。

 後部座席の右側だ。

 当然だが彼女はそこに座る。

 私が座るのは運転席、ドライバーなのでこちらも当然である。

 エンブリオでは珍しい物理的な鍵をハンドルの下にある鍵穴に差し込んで捻るとキュラケラと音を立ててエンジンが回る。

 中古車なのでこの際にかかる振動は大きく、特に足が不自由な先輩精霊士は窓に頬をぶつけた。

 後輩が「大丈夫ですか」とか声をかけ、そして先輩が「大丈夫よ」と会話しているのが聞こえる。

 良い後輩を持ったものである。私にも後輩はいるが、彼女のような先輩思いの後輩ではない。本当に残念なことだ。


 車は駅前の広場から農道に入る。

 エンブリオで最も日差しが強い場所なので眩しく感じるが、市場を抜けたので夜のような静けさを感じる。

 窓から見える風景も畑か田んぼしかない。街中とは印象がだいぶ異なる。


 今、この車が走っているのはブラシストリートと呼ぶ。

 舗装されていないが、車が二台すれ違う程度には広い道だ。

 この道は農地の各所、そしてアップル工業地帯に行ける重要な道だ。

 しかし住宅街に隣接しているオレンジストリートやホワイトストリートに比べるとマイナーである。

 農地や工業地帯で働く人でも、この道の名前を知るものは少ない。

 この道は単に“農道”と呼ばれる事が多い。


 そんなブラシストリートと同等にマイナーのはこの農園地帯の名前だ。

 名前は“ソルト農地”である。

 この周囲の農園地帯全体のことを指すのだが、この名前も働いている人でさえ“農地”とか“農場”とか呼んでしまう。

 恐らく運送関係か行政関係の人しか地名を覚えていないだろう。


 中古車は舗装されていない道で乗っている人間に牙を剥く。車に乗る人間は天井の取っ手やシートなどにしがみついていた。

 私もハンドルを強く握りタイヤが砂利に負けないようにしている。


 後部座席で精霊士達の話し声が聞こえてきた。


「そういえばセピアさん、歩けたんですか? 歩いているところを初めて見ましたが……」


「えぇ、生まれつき歩けない体だったみたいだけど、無意識に精霊術で歩いていた身だから体が覚えている。今の私は精霊術が使えないけど、工夫して魔法に置き換えたのよ。身体強化系の魔法ね」


 バックミラーで後ろを覗くと先輩精霊士が先程使っていたカプセルを再び取り出していた。

 中身はここからだとよく見えないが、恐らく植物片を数種類混ぜ込んだ物だと思われる。

 マジックアイテムの中でも特に複雑な物で、これはオーダーメイド品だ。

 今は精霊術が使えないが精霊士は精霊士なので待遇は手厚い、だからあんなマジックアイテムが手に入るのだろう。


「セピアよ、分かっていると思うが、その魔法を乱用するなよ。アタシは“呆れた”で済むし、クローブの奴はテキトーに流すと思うが……相手がフェネルだとアイツ、ブチのギレだぞ」


 今度は横から聞こえてきた。

 チラリと目玉だけを動かして助手席を見てみると、丁度シクータさんがため息を付いているところだった。


「分かっているわよ。どちらにせよ私の魔力じゃ長時間は無理だし」


 ぶっきらぼうな返事を返す精霊士、その様子を見たシクータの顔は何故だか穏やかに見えた。


 窓の風景が畑から田んぼに変わった。

 そろそろ工業地帯だ。

 このソルト農地で育てられているものはとても多い。

 育てているものが多いから広さもある。

 畑や田んぼだけでなく、農園地帯の端には小高い山があり、そこには果樹園があるのだ。

 育てられた作物はエンブリオ島民の腹を満たすのと同時に、先程の身体強化魔法のようにマジックアイテムとして使われる。

 エンブリオは霧を弄る事で天気を操ることができるので、極端な凶作になる事はまずない。

 気候が安定しているエンブリオはこの農地だけで需要は殆ど賄える……と、言いたいが島という土地柄、育てられる作物や量は制限があるので一部は外から輸入している。


 今更かもしれないが実を言うと、この車が走り始めてからひとつ気になることがあった。

 それはシクータさんの態度だ。

 私と車庫で待ち合わせをし、そして農道の入口までの間はぶっちゃけ態度がデカかった。

 まぁ別に、これは毎回なので気にならない。

 後部座席にドシンと座り、喋る声も豪快、デカデカな態度……シクータさん的には平常運転だ。

 そんな毎度お馴染みな態度が変わったのは農道の入口で精霊士の二人と合流した後だ。


 先輩精霊士は体が不自由な事もあってか、トランクから近い後ろの席を選んだ。

 それを見たシクータさんは無言で助手席に乗った。

 突然同行すると言い出した先輩精霊士に呆れている様子は見られたが、何も言わない……急におとなしくなった。

 合流前の威勢の良さは消え失せていた。

 その後、声を出すことはあるが合流前の様子に比べれば相当に静かだ。

 私はシクータさんのお付の運転手というわけではないが、今までに何度も車を出すように依頼され、そして彼女や彼女に頼まれた荷物や人間を乗せている。

 そんな私だから言える。今日のシクータはいつもと違い静かだ。

 広い後部座席にデカデカ座るのではなく、窮屈な助手席に座り普段より少しだけ、体をコンパクトに丸めて大人しく座っている。


「そろそろアップル工業地帯ですよ」


「おう、とりあえず第一共同井戸に向かってくれ」


 そんなシクータさんの態度の変化、その理由がこの農道を走っている間に分かったような気がする。

 私は他人の心を読めるわけではない。

 だからあくまで想像の域を出ないのだが、シクータさんの態度が変わった理由は、あの精霊士二人だ。

 最も、それしか要因が見当たらないのだが……。


 私はまたバックミラーで後部座席を覗いてみる。

 精霊士達がこれから向かう場所はどうだとか、どんな事をするのか喋っている。

 先輩は……それはもう楽しそうな顔だった。

 後輩の方は……緊張しているのか? それとも感情を殺しているのか?


「…………」


 外から来た精霊士、名前は何だっただろうか?

 私はとにかく人の名前に関しては覚えが悪い。

 さっきから会話の中に何度も名前が登場しているはずなのだが、右耳から聞こえた名前は左耳に、左耳から聞こえた名前は右耳に抜けてしまう。

 この二人の精霊士に限った話ではなく、二年前までいた先代の精霊士も同じことだ。

 何度か会う機会はあったが、その名前は結局、覚えなかった。


「ミスト、そろそろ出番よ。島の外では精霊術をコソコソ使っていたんでしょ? 今回は本気を出さなきゃ」


 ミスト……そうだった。

 外から来た精霊士の名はミストだ。


「本気と言われましても……う~ん、どれが本気か分からないんですが……」


「大丈夫の大丈夫よ。ミストなら出来る。根拠は無いけどそう思うの」


 ミスト……今まで精霊士の名を覚えたことのない私だったが、彼女の名前は覚えておこうと思った。

 理由は外から来たという特別な事情か、それともあの大きな瞳か、それともあの小さな体つきか、どれでもないかもしれない。

 多分、自分じゃこの理由が分からない。

 でも、理由はいらない。

 だって私が彼女の名前を覚えるという事には変わらないのだから。


「ミストさん、そろそろ第一共同井戸に到着です」


 本来なら、この言葉は助手席に乗るシクータさんにかけるべき言葉だ。

 だって第一共同井戸に行けと言ったのはシクータさんなのだから……でも、私はミストさんに声をかけた。彼女の名前を忘れないようにするためだ。


「はい、道中ありがとうございました」


 彼女の声は私の耳から脳内に入り何度も反射した。

 名前に関しては意識していないと覚えられないかもしれないが、この声は例え悪魔の囁きだったとしても忘れはしないだろう。

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