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霧のエンブリオ  作者: 氷室夕己
第1章 ミスト来島
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人形少女

 今の私は力なくリードを引っ張られる犬のような存在だ。

 正確にはリードどころか首輪も付けられていないが、結局同じようなものだ。

 ただ、ひたすら前をゆく男性教師の後ろをくっ付いて行って、この長くて直線の廊下を歩いている。

 そんな、どうすることもできない子供だった。


 "1年A組"


 引き戸の上にそのプレートが飾られていた。

 目の前の教師は少しだけこちらを振り向くとその1年A組のドアを開ける。

 こちらに配慮してか、すこし静かに開けた。


「はじめるぞ、号令」


 この学校は初めて、だけど号令だけは今まで日常的に聞いてきた。「起立、礼、着席」ただそれだけの事。

 違うのは数十日前とは号令をかける人間が違う事だ。

 それと制服も見慣れない物だ。その制服を自分も着ているのだから笑ってしまう。

 ここの制服はブレザーとスカート……かなり今時のデザインとなっている。

 少し派手かもしれないが周囲から浮くほどでは無い。個人的には気に入っている。


「さて、まあもう聞いているものが殆どだろうが新学期から転校生だ。見ての通り女の子!」


 黒板にチョークが砕ける音、振り返れば自分の名前……じゃなかった。


「先生その、名前が……」


 黒板に書かれていた名前"間坂ココ"は自分のものではない、ニアミスだ。


「あぁ、すまんこっちか」


 一度黒板の名前を消して名簿を見ながら先生が書き直す。教室内は苦笑じみた声が聞こえてきた。


「はいはい静かに! 場を崩してしまってすまん、自己紹介してくれ」


 今度の名前は正しいが、一度ざわついてしまったこの空気の中ではこれが精一杯の自己紹介だった。


「真坂ココです。よろしくお願いします」


 ノーマル……そのストライクゾーン真ん中の挨拶だった。

 背中の黒板には自分の名前である”真坂ココ”……その後ろに薄く”間坂ココ”と書かれていた。

 すこし洒落を入れて「真坂の”ま”は合間の間ではなくのマジの真です」とでも言いたかったが、生憎初対面100%の面子の中でそこまでの度胸は私には無かった。


「席は見れば分かるな? その空いている席に座ってくれ」


 座席は窓際から2列目、後ろのひとつ前だ。これは推測だけど単に名前の順でその座席になったと思われる。

 目標地点に向かうため机と机の隙間を歩いて通りすがりの生徒の面々を見る。

 向こうも見返してきたのが少し恥ずかしかったので、私はすぐに下を向いて歩いた。

 暫くは下を向いて歩いていた。そのまま自分の机まで続くかと思ったが、実際は違った。

 少し机の下が光ったような気がした……そして直後に机の下から覗く純白の足が私の目を奪った。

 思わず私は下を向いていた顔を上げて、その持ち主の顔を見る。

 その彼女はこちらを見るわけでもなかったが、そのビー玉のような瞳は私の方が吸い込まれた。

 吸い込まれてしまった……。


「出席を取る。阿井アキラ……」


 先生は出席を取り始めるが、私の目は自分の3つ前の席に目を奪われていた。

 先ほどの足と瞳の持ち主、一言で言えば美術品だ。

 まるで陶器製の人形でもそこに置いてあるのかと思った。

 髪は長く、ステンドガラスのように美しかった。蛍光灯の灯りに反射されてオレンジに輝く。そんな不思議な髪だった。

 背丈は小さい。周りから見れば頭ひとつ以上小柄だが美しさの為か、ほかの者の何十倍もの存在感を放っている。

 紺色のブレザーとチェック柄のスカートから覗かせる肌も漂白剤に浸したのかと思うほど白く、そして美しかった。

 すれ違いざまに見せたビー玉のような大きな瞳、口元、鼻、そのすべてのバランスが黄金比だ。

 彼女なら何時間でも見ていられる。それすら感じた。


 (彼女の名前はなんだろうか?)


 出席番号順に呼ばれる生徒の返事を聞きながら、その返事が自分に近づいてくることを楽しみにしている。

 最も自分の番ではなく彼女の番を待っているのだ。


 数分が経ってその時は来た。


「日々谷ミスト!」


 彼女の名前をようやく知ることができた。

 ひびたにみすと……日々谷ミストが彼女の名前だった。


「はい」


 その声は聞き取りにくい声質のはずなのに何故か、よく聞き取ることができた。

 しかし、その声に浸る余裕もなく自分の名前が呼ばれる。「真坂ココ」だ。


「はい……」


 自分の声は彼女のそれに比べると不純物が混じった声だった。

 自分の声にコンプレックスを持ったことはないが、この時だけは特別……比較対象が高すぎたのかもしれない。




 今日は始業式なので、始業式が終わってしまえばホームルームだけ。学校は半日で終わる。

 私は転校生とのこともあって始業式には参加しておらず、学校生活は十数分のホームルームだけ。

 その十数分の為だけに、私は四十分かけて登校してきたと思うと気が滅入る。

 しかし初めが肝心、そして初日が肝心である。

 転校生である私は当然クラスからの注目を浴び、そして人の壁に囲まれて質問攻めにされる……なんて事はなかった。

 大体の人は以下のように思っている。


「今日は始業式だけだから午後は何しようか」

「部活行こう」

「さっさと帰って寝る」


 そんなのを考えているもので、クラスの半分はチャイムの後すぐにこの教室から消え失せていた。

 そして残っている生徒の約半数はこちらに顔すら向けていない……眠っているのだ。

 半日授業だから時間を持て余しているのだろう。

 もっと有意義に使えば良いのに……。


 例の日々谷ミストはと言うと……控えめのレースで装飾されたバッグを机に置いており、いつでも帰れる体制をとっていた。

 しかし、なぜか彼女は"真坂ココ"としか書かれていない黒板だけを見つめている。

 その文字も時間が経つと学級委員によって消されてしまったが、それでも相変わらずただの板と化した黒板を見つめている。

 動かない……完全に人形だった。


「ミストちゃんが気になるの?」


「うわぁ!」


 左斜め後ろ、完全に死角の部分からいきなり声をかけられた。

 裏返った声から繰り出される中途半端な悲鳴が、周囲で眠っていた生徒の半分に目覚まし効果を与えモゾモゾと動き出す。


「え、え~と……」


「輪島よ、輪島トロン」


 そのポニーテールの女生徒はそう言った。

 "わじま"なので恐らく、私の左斜め後ろに座っていたことになる。

 つまり私の死角から話しかけたのは故意ではないと……そう思いたい。


「ミストちゃんをずっと見ていたでしょう? 私も初めて見たときはビックラだよ。あんな可愛い子見たことがないね。ただ何というか……意外とモテないし、友好関係も謎だし。別に無口って訳じゃないんだけどね」


 無口では無い……今の様子からだと想像できない。出席の時に返事はしていたが、それ以外に彼女の声を聴いていない。

 とても綺麗な声だったのは覚えている。

 そして美しい姿だ。

 こんなオーラを漂わせている人と普通に話すとか……余り想像できない。


「まぁ……話しかけないと話さないかな? ミストちゃんから話しかける時って大抵、事務連絡だし」


 ……でしょうね。


「あぁそうだ。運がよければだけどミストちゃんのプライベートを覗ければラッキーかもよ? あの子の私服姿、可愛いから」


 ここで暫く暮らしていれば拝めるかもしれないが、少なくとも今日、彼女の私生活や私服は拝めないだろう。

 トロンの口振りだと私生活も謎っぽそうだから、道中でバッタリでも無い限り私生活も私服も見れなさそうだ。

 それにミストの私生活を覗くのは、どこか気が引ける。

 個人的に気になるけど……気にしないようにしよう。

 しかし、ミストがモテない上に友好関係も不明……それは意外だった。彼女の容姿だったら人気者になってもおかしくないと思うのだが……、


 完璧すぎるから。


 その答えが頭に浮かんだ。

 彼女は完璧すぎる。精巧に出来ているが故に、どこか近寄りがたく、近寄ろうにもどこかに障壁が発生される。

 ちょっとした用事程度ならともかく、友達や恋人のような……そんな踏み入ったエリアは”立ち入り禁止”の立札と規制線が鎮座している。

 美術館の展示品が見ることができても、それに触れることができないのと同じだ。

 彼女に近づく方法なんてないのだろうか……、それを考えていた時だった。


「ミストに近づく一番良い方法を教えてあげる」


 私の心を読んでいたのか、右手人差し指を一本立てたトロンが頼んでも居ないのに教えてくれる。


「君もミストちゃんに占ってもらうといいよ。結構、当たるんだ」


 そして、これまた頼んでもいないのに「ミストちゃんごめん、転校生ちゃんにアレお願い!」と手を振り呼び出す。

 余計なことをしてくれた。トロンは彼女のクラスメイトだし、少なくとも数ヶ月は同じ教室で学んでいる。

 だからミストに話しかけるのも慣れているかもしれないが……こっちは当分、遠方からの鑑賞程度に止めておきたい。そうさせて欲しい。


「しかし占いね……」


 何というか不思議満載の彼女っぽい、そう感じた。


 トロンに呼ばれたミストは声に気づき振り向く。次に立ち上がって、こちらに向かってきた。

 あの時、私はあの瞳に吸い込まれそうだったが今は逆だ。今度は彼女がこちらに吸い込まれるように向かってくる。

 その足取りは彼女の周囲だけ月面じゃないのかと思うほど、ゆったりとしていた。

 座っている時も感じていたが、立ち上がると余計にミストの小ささが際立つ。小さいからこそ、この教室の中では目立っていた。


「ごめんねミストちゃん。帰るところ呼び出して」


「別にいいよ。占ったところで減る物は時間くらいだし」


 意外にも敬語では無かった。

 出席時に聞いた特殊な声は相変わらずだが、その話し言葉に驚きを感じる。無口ではないとは聞いていたが、敬語とは違う砕けた話し方をするとは思っていなかった。


「それに……転校生を占うんだろうなって思っていた」


 そう言いながら、彼女は私の首元あたりを流し目で見てきた。少し……反則だ。


「ミストちゃんもしかして……呼ばれるのを待ってた?」


「うん」


 二文字の即答。首の向きは縦でも横でもなかった。フクロウみたいに真横に角度が変わった。


「それで君は……ココちゃんだったよね?」


「えっ、あぁ……はい」


 ぎこちないがミストとの初会話。私は今、自分の席に座っているわけだが……それでも彼女と目線を合わせるのに首の筋肉を酷使する必要がない。小さいにしても極端だ。それでいて見た目が実年齢以上に大人なんだから神秘的である。

 何となくミストを眺めていると本人と目線があってしまった。見つめられると恥ずかしい……。あの瞳はブラックホールだ。


「ミストちゃん、転校生ちゃんには何が見える? 多分、その辺で寝ている人も気になると思うけど……」


 やや大きめのボリュームで言った。

 トロンがわざと声を上げた事で、残って居眠りに励んでいた者一気にグラつく、起き出す、そしてまた寝る。

 なるほど……みんなミストの占いが聞きたくて狸寝入りしていたという訳だ。


「ミストちゃんが転校生ちゃんを占う所を見たいなら、二人に声をかければいいのに。この時間まで寝る必要もないでしょ?」


 気持ちは分からないでもない。

 どこか近寄りがたい彼女に好んで話しかける人間は少ないと思う。

 トロンも恐らく最初は狸寝入りだったのだろう。だが、私から近い席だ。痺れを切らすのも早かった。だから行動に出たんだ。


 占うと言っていたミストだが、私の体を首と体を動かして見回すだけで一向に売らないらしい行動は取っていない。

 しばらく私を見つめていたミストが直立し、私と目線を合わせるとこう言った。


「じゃあ言っちゃうけど……君は緑と土っぽい」


 完全に一言のみだった。

 緑っぽい?

 土っぽい?

 何の話なの?


「多分転校する前は山と林とか……、そんなところにいたかな?」


「た、確かに私は山奥の方から来たけど……」


 私は農村部出身だ。収穫の鈍る冬場は父親がここまで出稼ぎに来ていたのだが、この度父親が出稼ぎしている会社での地位を確立、家族も住める社宅を借り入れることになり、家族揃って引っ越してきた。


「ミストちゃんは自然のオーラを見ることができるんだよ。確か五色だっけ?」


「うん。金、水、緑、赤、土……その五色。自然のオーラなのかは知らない。なんとなく、そうなのかな~って。そのレベル」


 テレビとかで見たことがある。その人の持つパワーだとか、自然のエネルギーだとかその類のものだ。

 ミストはオーラを見る事が出来る能力を持っているのだという。

 彼女の能力が本物かどうかは分からないが、少なくとも狸寝入りまでして聞きたい人がいるほど、彼女の能力は当たるし信用できるのだろう。


「でも、君の体に水が集まってきている。多分、明日あたり水絡みのトラブルかもしくは体を冷やすような事が……」


 なんか穏やかじゃない占いをしてきた。しかもそれを彼女はシレっと口にする。

 どこか機械的でマニュアル対応のようだった。


「効くかどうか分からないけど、君に土を寄り付かせてみるよ。占っちゃったから対処はしてあげないとね。土を操るのは苦手だし、何をつけたにしても付け焼き刃にすらならないけど……」


 彼女は空中にありもしないキーボードをカタカタとブラインドタッチしている。

 彼女の指はこれまた繊細であった。

 そして一通りその作業が終わったのか指を止める。彼女はオーラを見るだけで無く、そのオーラを移動させることもできるらしい。


「あっそうだ。ボクは金を呼び込みやすい体質だけど、水を増やしたりしないかな? 水のトラブルなのに……」


 最後の最後にかなり心配な発言、これまたシレっと言ってくれる。

 その顔は心配しているのか楽しんでいるのか? それすら表情からは読み取ることができなかった。

 しかし……なんていうか、今の発言で気になったところがある。


(一人称は"ボク"か……)


 その容姿、その振る舞い、そして妙な言動。

 やはり彼女はよくできた人形のようでただ美しかった。


 新しい学校生活は彼女が片隅に居る事になる。

 不思議な少女、その名は日比谷ミスト。

 彼女との学校生活は不思議で満ちているだろう。

 明日からが楽しみだ。

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