真っ新な学習教材
麗らかな霞んだ空が街を覆うように広がる土曜の午後だった。亮の家に、ある大手の学習教材販売会社の営業員が、学習教材の売り込みに訪れた。
亮が高校に通い出した頃から、母の安江は、進学塾など学習事業を行う企業から、度々電話でのセールスを受けていた。営業員を派遣してきた学習教材販売会社も、そうした企業の中の一つだった。安江は断り切れず、取りあえず詳しい説明だけでも聞いてみようということで、担当の営業員に家に来てもらうことにしたのだ。
その頃、亮は母の安江から進学塾へ通うことをしきりに勧められていたが、それを頑なに拒否していた。亮は高校を受験するまで進学塾に通っていたが、高校に進んでからはそういう所へは通わず、自力で勉強に励むと決めていたのだ。亮の心の中にもたげ出していた幾らかの反発心を含んだ驕慢な自負が、そう決心させていた。
安江は所謂教育ママだった。亮が幼い頃より、ほとんど遊ぶ間も無くなるほど習い事をさせた。進学塾もその一つだった。亮が高校に進学してからも、安江は進学塾に通うことが当然のことであるように亮に迫っていた。しかし、安江が熱心に迫れば迫るほど亮の態度は頑なになった。営業員が訪れたのはそんな時だった。
営業員は五十代のベテランの営業マンだった。中肉中背のグレーのスーツ姿で、頭がぎらぎらと禿げ上がり、目はぎょろりと大きく、唇は厚ぼったくて、その顔つきはガマガエルを思わせた。いかにも太々しい印象で、亮は不快な威圧感を微かに意識した。
営業員の男は応接間に通され、亮、安江、そして父の英一の前で、何冊かのサンプルを見せながら学習教材の説明を始めた。説明は雄弁かつ淀みなかった。
彼の説明によれば、売り込む学習教材は、長年蓄積されたノウハウを駆使して開発された最先端のもので、説明も解り易く、教材に則ってやれば、進学塾などに通わずとも非常に効率的に学習を進められるとのことだった。教材を購入した他の顧客からも概ね好評であるとのことだった。教材は一年毎の購入も可能であったが、彼はまとめて三年分購入した方がお得だと言って強く勧めた。必要な費用の総額は三十万円だった。
最初は半ば懐疑的に説明を聞いていた安江も英一も、彼の巧みな弁舌に次第に気持ちが動きつつあった。彼はさらに畳みかけた。
「塾や予備校なんかに通うよりも経済的だと思いますよ。息子さんよりもずっとレベルの低い高校に通う生徒さんが何人も東大に合格した実績もあるんです。これで東大へ行けるなら私はお安いと思いますね。もちろん、息子さんの頑張り次第ではありますが、息子さんほどのレベルなら、うちの教材で難なく学習を進めていけるはずです」
亮といえばこの言葉にすっかり自負心を刺激されていた。亮はぼそっと口を開いた。
「……僕、これで良いよ。塾行くとお金も大変でしょ? ちゃんと頑張るから」
その一週間後、亮は自分の学習机の横にどっさり積まれた真っ新な学習教材を前に、途方に暮れていた。これまでは、学習を進めていくとき、通っていた進学塾の至れり尽くせりのお膳立てがあった。だが、それが無く、いざ独力で進めていかなければならないとなると、亮は頭が真っ白になってしまったのである。教材はいつまで経っても真っ新なままだった。