頑張れ女の子
『学校にチョコレートを持ってきてはいけません』
と、昨日のHRで先生は言っていたけど、それじゃあ、一体、いつ先輩にチョコを渡せば良いと言うの?
サブバックの中に入っている小さな箱の存在を、あたしは布の上から、そっと確かめる。
昨日、お兄ちゃんからの妨害にもめげず、夜中までかかって一生懸命作った先輩へのチョコレートケーキ。
勿論、形はハートで、甘いものが苦手な先輩でも食べられるようにと、スポンジには純正の甘くないココアを使ってあるし、間に挟んだ生チョコには、お酒が好きだって言ってた先輩に喜んで貰えるように、お父さんのブランデーをたっぷりと入れてあるの。しかも、ケーキのコーティングに使ったチョコは、思い切りビターな高い奴なのよ。
それに、ケーキを入れた箱だって、雑誌の特集記事を見て、余計な折り目の一つも付かないように慎重にラッピングして、リボンも先輩の好みそうなシックな奴を選んで、格好良く結んであるの。
もう、そこら辺に売ってるチョコ並、ううん、それ以上に完璧に仕上がってるんだから、あたしのチョコ。我ながら、その出来映えに惚れ惚れするくらいだわ。
先輩だって、これなら受け取って、……食べてくれるわよね?
きゅっと、胸の前で拳を握る。
そう、後は、これを先輩に受け取って貰うだけ。問題は、……いつ、これを先輩に渡すかってことだけ、なのよ!
あたしの、チョコを渡したい先輩、崇光忍先輩は二年生。あたし達、一年生の一つ下の階にいるの。用事もないのに、そんな所には行けないわ。ううん、用事があっても、やっぱり上級生の階に行くのは、ちょっと気後れしちゃう。
今日は、朝からチャンスがあればいつでも先輩に渡せるようにと思って、休み時間も教室移動の時も、サブバックを持ってウロウロしてたんだけど、……先輩には遭えなかった。
本当は昼休みに学食で先輩を見かけたんだけど、いくらなんでも、昼休みの学食の中では、あまりに人の目がありすぎて、ちょと勇気が出なかったわ。
そして、今に至ってるって訳。
やっぱり、渡すのは放課後の部活の時になっちゃった。
先輩は、あたしの入ってる美術部の部長なの。一見、無愛想で目つきも鋭くて、怖い印象のある先輩なんだけど、凄く優しい絵を描くのよ。水彩画を主に描いてる人なんだけど、色の使い方が凄く綺麗で、柔らかい印象を与えて、こんな絵を描く人は、きっと優しい人なんだろうなって思ってしまう、そんな絵をね。
つまり、見た目の先輩とは、全然違うの。……そこが、また良いんだけどね。
うふふ。
ちょっと照れちゃう。
でも、こんな所でにやけていたら変な人よねと思い直して、顔を引き締めて辺りを見回してみる。オッケー、誰にも見られてない。てゆーか、美術室は旧校舎の一階にあって、そこへ行く渡り廊下は、美術室に用のある人しか通らないんだもの。こんな放課後に、ここを通るのは美術部員だけなのよ。
今日は何人来てるかしら?
あたしのクラスは、今日は帰りのHRが長かったから、きっと先輩はもう部活に行っているわよね。昼休みにあった時に、今日は部活に行くって言っていたもの。バイトは、その後で行くみたい。先輩のバイト先には、あたしは行けない。だから、もう、チョコを渡すチャンスは、この一時しかないの。
けど、やっぱり他の人もいたら、ちょっと恥ずかしいな。
どうやって先輩に渡したらいいのかしら? 出来れば、そっと誰にも見つからない時に渡したかったんだけど、もう遅いわよね。
はふ。と溜息を吐く。
美術室までの渡り廊下が、今日はやけに長く感じる。
うう、頑張れ、あたし。
「愛花。何しているのよ、こんな所で?」
渡り廊下の真ん中で拳を握って自分を叱咤してると、背後から声を掛けられた。
「由希亜?」
同じ美術部の由希亜。あたしの隣のクラスで、やっぱり先輩のことが好きな、あたしのライバル。
「あなたこと、何してるのよ。今日はバイトだって言ってたじゃない!」
由希亜がいたら、先輩にチョコを渡すなんて絶望的だわ。だって、由希亜って、ことごとくあたしと崇光先輩の間に割って入ってくるんだもの。今日は由希亜が部活に来ない日だから、あたし、部活の時に先輩に渡そうって思っていたのに。ヒドイわ。
由希亜は、あたしが先輩のことを好きなのを知っているの。けど、あたしが先輩を好きになったのは去年の12月からだから、入学した当初から先輩のことを好きだった自分の方が、レベルが上だと思ってるのよ。
好きになったら、時間じゃないわよね?
もっとも、あたしと違って由希亜は先輩に対して、実に堂々と『好き』って公言してるから、確かにレベルが違うんだけど……。
由希亜の、先輩に対する態度は、あたしには到底真似できないと思うもの。
「何って、先輩にチョコを渡しに来ただけよ。心配しないでも、渡したら帰るわよ」
くすくすと笑って、由希亜は面白そうに、あたしの顔を見る。
あたし、そんなに顔に出てる?
「バイトさえ無かったら、とことん愛花の邪魔をしてやるとこなんだけどねー」
何よ、それ。
むぅっと膨れてみせると、由希亜は更に面白そうに笑ったわ。
「ねぇ、愛花も、まだ崇光先輩に渡してないんでしょう?」
猫みたいに大きな瞳を細めて、あたしの顔を覗き込む。
「……うん」
こくりと頷く。
「ふーん」
あたしがそう言うと、由希亜は、あたしの抱えているサブバックに目を移した。
「ね、愛花のチョコ、どこで買ったの?」
興味津々に覗き込もうとする。
「あたしのは、……手作りだもん」
あたしは、由希亜の視線から逃れるように、サブバックを抱きしめた。
「手作り? わーお、やるじゃない愛花」
由希亜がビックリした声を上げる。
「あたしはデパートで買ってきた奴だよー」
そう言うと、サブバックの中から綺麗にラッピングされた箱を取り出した。
高そう。
由希亜は、あたしの視線に「先輩も食べられそうなチョコを探してたら、街中歩いちゃったわよ」と唇の端を歪めて笑ってみせた。
「やっぱ、本命チョコを選ぶのは、気合いが入るわよねー」
ふふん。と、勝ち誇ったように胸を反らす。
むぅ……。
けど、あたしのチョコだって負けてないもん。
「由希亜、何を言ってるの。本命チョコって言うのは、手作りチョコのことなのよ」
決めつけてやる。
「心を込めて、自分で作ってこそ、本命チョコなのよ。愛が籠もってるの。買ったものじゃ、そうはいかないわねぇ」
「甘いわね、愛花」
あたしの台詞に、一瞬唇を噛みしめた由希亜が、ふんと鼻を鳴らした。
「本命チョコは、手作りチョコって言うけど、あなたの家には、確か、お兄ちゃんがいなかった?」
「え? ……いる、けど?」
由希亜が何を言いたいのか分からない。
「お父さんもいるわよね。てことは、あなたの作った手作りチョコ、残りはどうしたの?」
うっ……。
どことなく、由希亜の言わんとすることが分かったような気がした。
「あなたの先輩への本命チョコ、あなたの愛が籠もったチョコは、先輩だけのチョコでは無くて、お父さんとお兄ちゃんにもあげたものなんじゃないの?!」
どどーん!
あたしに向かって指を突き付ける。
そっその通りだわ。確かに先輩への本命チョコを作った残りで、お父さんへのチョコも作ったわ。お兄ちゃんへは、分量が足りなくて溶かしたチョコがこびり付いた鍋とかやっただけだけど。
「ほ〜っほっほっほ!つまり、あなたの先輩への思い、先輩に対する愛情は、恋愛感情ではなく家族への愛情と同じってことよね」
わざとらしく高笑いをしてみせる由希亜の前に、あたしは敗北の二文字を見た気がした。
けど――
「ちょっと、待ってよ。それなら買ってきたチョコだって同じじゃない。店で売ってる奴は、それこそ、誰の為にもある奴なんだから」
「うっ、気が付いたか」
由希亜が臍を噛んだ。
「まあ、買ってきたチョコでも、自分で作ったチョコでも、渡す時に愛が籠もってりゃいいのよ、ね」
うんうんと瞑目して頷いてみせる。
もう、なによ、それ。自分が言い出したくせに。
「やっぱり、究極のチョコは、自分チョコな訳だしね」
「はぁ?」
また、訳の分かんないことを。
「だから、自分の体にチョコを塗りたくって、『あたしをア・ゲ・ル♪』って、先輩に食べてもらうのよぉ〜♪ああん、うっとり」
……。
いや、うっとりって。自分チョコって言うのは、誰にもやらないで、自分の為に買う自分のチョコレートの事じゃなかったっけ?
「由希亜、自分チョコって、そーゆー意味じゃないと思うわよ」
前頭葉が異様に痛いわよ、それ。
「そう?」
由希亜は本気なのか冗談なのか分からない満面の笑みで、「でも、絶対、先輩は喜んで受け取ってくれると思わない?」と拳を握る。
うーん……。それは、そう……かも知れないけど、その『自分チョコ』をあげる為には、大前提として、……先輩の前で、裸になってなきゃいけないのよね?
「あたしは、もっと普通の方法で渡したいかなぁ」
思わず想像して、顔が火照ってしまう。
「そう? あたしは、自分チョコを渡せるもんなら渡したいけどなぁ」
まあ、由希亜なら、いつかやりそうで、怖いわよね。
「兎に角、先輩に渡す時に、どれだけ愛を込められるかってとこが勝負の決め手よね。てことで……」
由希亜は、にやっと笑うと、突然ダッシュした。
「先輩にチョコを渡すのは、あたしが最初よ!」
「あっ?!」とか思った時には、美術室の扉を開けている。観音開きの扉が思い切りよく開いて、けたたましい音を響かせた。
「崇光せんぱぁ〜い♪」
そのままの勢いで部屋の中に駆け込んで行くと、由希亜はカンバスに向かって座っている先輩の背中に、ジャンプしてしがみついた。
「うるさいぞ、由希亜」
静かな声。
背後からいきなり抱きつかれた先輩は、絵筆を持ったままの姿勢で止まっている。既に由希亜の行動には慣れっこな他のみんなも、一瞬顔を上げただけで知らん顔しているわ。
「先輩。はい、これ。あたしの気持ちで〜す♪」
由希亜は、先輩の冷ややかな声にも全く動じず、首っ玉にしがみついたままで先輩にチョコを押しつけた。
「いらん」
思い切り冷たい声。あたしだったら、言われた途端、ショックで悲しくなっちゃうだろう声。
でも、由希亜は、「もう、先輩ったら、照れ屋さん♪」なんて言って、つん。と、先輩の頬を指先で突っついたりするの。
由希亜って、本当に凄いと思うわ。
「いいから、離れろ、由希亜」
「チョコを貰ってくれるなら、離れて、あ・げ・る♪」
ぴとっと、更に先輩の頬に自分の頬を寄せるようにしてくっつく。先輩が天を仰いだ。カンバスの陰で、西条先輩が笑いを噛み殺してるのが見えるわ。
「分かったから。ほら、由希亜。貰っておくから、離れろ」
先輩は絵筆を置くと、由希亜の手からチョコを受け取った。由希亜は、満面の笑みで、もう一度ぎゅっと抱きつくと、先輩から離れた。
「良かった。大事に食べて下さいね。あたしだと思って」
にっこりと笑う。
「……お前だと思ったら、胸焼けを起こしそうだな」
「どーゆー意味ですか」
何を言われても、にこにことしている。強いなぁ、由希亜。
「じゃ、そーゆーことで。あたし、今日はバイトなんで、これで帰りますね」
由希亜が、くるりと背を向ける。先輩は、その途端、手にしたチョコを西条先輩に向かって「やるぞ」とか言って投げようとして、振り返った由希亜に見咎められた。
「先輩!何してるんですか?」
思い切り怒られる。
「いや、別に」
口籠もる先輩が可愛い。
「西条先輩も、受け取っちゃ駄目ですよ。いいですか!絶対、先輩が一人で食べて下さいね!あたしの、愛が籠もってるんですから」
畳み掛けるようにして、西条先輩と崇光先輩とを交互に睨み付ける。
「分かったよ、由希亜」
「由希亜ちゃんの忍への愛を横から取ったりはしないよ。誓ってね」
二人とも宣誓をするように手を挙げている。それとも、降参のポーズなのかしら。
「あやめ先輩、見張ってて下さいね」
辺りの騒動を、にっこり笑った顔で傍観していた、あやめ先輩に向かって、由希亜は手を合わせた。あやめ先輩は「はいはい」と、由希亜の言葉に頷いて見せる。
あやめ先輩は、いつでもにこやかな顔してて、頼りになる女子の味方なの。あたしが崇光先輩のことを好きなことも知っていて、さりげなく由希亜を先輩から遠ざけてくれたりするのよ。
だからと言って、別に、あたしの味方をしてくれてる訳じゃあないんだけどね。先輩は単に面白がっているだけなの。あくまでも、傍観者としてね。
「それじゃあ、ホントに、お先に失礼します」
由希亜は、そう言うと何度も後ろを振り返りながら先輩を牽制しつつ、美術室から出て行った。しかも、最後の最後、入り口の所であたしの方を見て「お先に、愛花」と言って、にやりと笑ってね。
ううう、負けないもん!
あたしがイーゼルを置く位置は、先輩からちょっと離れているの。間には西条先輩と、今日は来ていないけれど、彰君とか他の部員が2名いて、実は描いている途中に顔を上げると、先輩の顔がよく見える絶好のポジションだったりするんだけど……、チョコを渡すには、遠すぎる。せめて隣だったら、先輩のバックの中に、こっそりと入れておくなんてことも可能だったかもしれないのに。
「やれやれ」
由希亜颱風が去った後、先輩は肩を落としてポケットから煙草を取り出した。小さな箱を指先で弾いて、一本飛び出してきた奴をくわえると、黒い細身のライターで火を点ける。
「由希亜にも困ったもんだな」
深く吸い込んで、溜息と共に、細く長く、煙を吐き出す。
「モテモテじゃねーか、忍」
西条先輩が、にやにやと笑ってる。
「由希亜から貰っても、有難味がねぇんだよな。食うか?」
「まあ、あれだけいつも、お前のことを好きだと連呼してたら、新鮮さには欠けるよな」
崇光先輩の差し出すチョコに、いらないと手振りで言って、西条先輩は、うーんと伸びをした。
「なかなか立派なチョコじゃないの。由希亜の気持ちが籠もってるんだから、ちゃんと食べてあげないと、罰が当たるわよ、忍」
あやめ先輩もくすくす笑って、受け取りを拒否した。
「お前ら、面白がってるだろ」
苦虫を噛みつぶしたような声でそう言うと、先輩はワゴンの上の携帯灰皿に煙草を押しつける。
「どうやったら、これが面白がらずにいられるか、教えて貰いたいね」
「由希亜は可愛いわよねぇ。ホントに」
二人とも、完全に楽しんでいる。確かに、由希亜の先輩に対する行動は、端から見ていたら爽快感さえある程大胆で、一種の見せ物だとは思うんだけど……。
でも、由希亜はあれで大真面目なのよ。彼女は、あれでも本気で先輩のことを好きなんだもの。4月に入学して、それ以来、ずっと崇光先輩一筋で追いかけてきてるんだから。どんなに先輩に邪険にされても、冷たい言葉を吐かれてもね。
彼女の行動は、神経が太いとか、そーゆー言葉で片づけてはいけない気さえするわ。
本当に、由希亜って強いのよ。
あたしとは、大違い。
「愛花」
先輩があたしの名を呼んだ。
「はっはい!」
思考の淵に沈み込んでいたあたしは、思わずドッキリして顔を上げる。
「お前、チョコ好きか?」
いきなり名前を呼ばれて、ドキドキして返事をしたのに。よりにもよって、先輩は、あたしに由希亜のチョコをくれようとするの。もう、そんなの絶対、駄目!
「要りません!てゆーか、バレンタインのチョコには女の子の気持ちが籠もってるんだから、それは先輩が食べなきゃ、駄目です!」
いくら由希亜のでもね。
先輩は、あたしの剣幕に、一瞬「おおっ」とたじろいで、溜息を吐いた。そして、「俺、羽生のもあるんだけどなぁ」と、爆弾発言をしたわ。
「何? やっぱ彰の奴、お前にチョコやったのか?」
西条先輩が大笑いをしている。
「男からもモテるとは、流石だね」
「頼むから、冗談で済ませてもらいたいんだが……」
頭を抱えて見せる先輩。けど、彰君も由希亜と一緒で、先輩のことを好きだって事は、既にみんなが知ってる。彼も、彼なんか、特に男なのに、誰の前であっても全然「先輩が好き」って態度が変わらないの。凄いと思うわ。
……あたしとは、大違い。
あたしは未だ、先輩に「好き」と伝えることも出来ていないんだもの。知っているのは、由希亜と、同じクラスの親友と、あやめ先輩だけ。
ちらりと、隣のあやめ先輩を見ると、あやめ先輩もあたしを見たわ。ううん、正確には、あたしの足下に置いてあるサブバックの中を。
あたしも、つられてバックの中に目をやると、ラッピングされたチョコケーキの箱が丸見えだった。
ハッとしたあたしに、あやめ先輩は「あらら」とゆー顔をして、崇光先輩を一瞬見て、あたしに視線を戻したの。そして「まだ渡して無かったの?」と、小さな声で囁いたわ。
あたしはその言葉に、こくんと頷く。
あやめ先輩は「なる程」と二三度頷いて見せ、「西条が邪魔ね」と不敵に笑ったの。
えっと……。なんか怖いんですけど、その笑み。
「西条」
あやめ先輩が、思いついたように声を上げた。
「何?」
「私、今日画材店に行こうと思うの。一緒に行ってくれない」
「俺?」
西条先輩が眉をひそめる。あやめ先輩から誘われることなんか無いからだと思う。あやめ先輩は、大抵、崇光先輩と一緒に行動してるんだもの。
「忍は、今日バイトなんでしょう? 私、もう帰らなくてはいけないの。と言うことで、西条、早速行くわよ」
そう言うと、西条先輩の返事も聞かずに立ち上がり、さっさと帰り支度を始める。
「あ、おい、白眉」
西条先輩の分まで片づけ始める、あやめ先輩に、西条先輩も帰り支度を始めるしかなくって、そんな二人をハラハラしながら見ていたら、あやめ先輩があたしを見て、とっても可愛くウインクをして見せた。
――ううっ、恩に着ます、あやめ先輩。
あたしはカンバスの陰で、思わず手を合わせてしまったわ。
「ほら、早くなさい」
あやめ先輩は、もう西条先輩の鞄まで持って、扉の所で待っている。
「それじゃあ、忍、愛花、二人とも、お先にね」
「おい、白眉、待てよ。何急いでんだ、お前? ……じゃあな、忍、白石」
バタンと扉が開いて、そそくさと出て行くあやめ先輩と、それを追いかけるようにして出て行く西条先輩。そして、ゆっくりと扉が締まった。
締まった途端、この広い美術室の中に、先輩と二人っきりになる。
「あやめの奴、どーしたんだ?」
崇光先輩が窓の外、渡り廊下の方を見ながら、首を傾げた。
まあ、確かにいきなりな行動だったけど、真相は、あたしとあやめ先輩にしか分からないわよね。
あやめ先輩の行為を、無にしちゃいけないわ。
こくりと、口の中に溜まった唾を飲み込む。
静かな部屋の中に、絵筆が滑る音だけがしている。先輩は、黙々とカンバスに向かって色を塗っていて、あたし一人、……凄くドキドキしてる。
旧校舎の一階にある美術室は、運動場の喧騒も聞こえてこない。ただ静かに、集中して絵が描ける場所なんだけど、そんな中にいるのに、あたしは、今日は全然、絵に集中なんか出来なかった。
「お前、今日は遅くまで残ってるんだな」
どれくらいの時間が経っただろう。先輩が、うーんと伸びをして傍らのワゴンの上から煙草を取り上げた。
いきなり話しかけられて、ドキッと心臓が跳ねたわ。
結局、二人っきりだって言うのに、あたしは先輩に話しかけることも出来ずにいて、ただカンバスに向かっているだけだったの。
絵を描いていた訳でも無いのよ。だって、全然絵を描く気持ちになれなかったんだもの。自分が何を描いてるのかさえよく分かって無くって、今日描いた所は、絶対、明日見たら描き直しだわって思うの。
あやめ先輩、ごめんなさい。先輩の行為、無にしちゃいました。
はぁ〜。
心の中で、あやめ先輩に懺悔しつつ、大きく溜息を吐き出す。
「頑張ってんだな」
先輩は何を勘違いしたのか、「偉いぞ」と言って、くわえた煙草に火を点けた。一息吸って、くわえたままで紫煙を一筋、細く吐き出す。
一瞬、泣きそうになったわ。
先輩にチョコを渡したいから、こんな時間になっちゃったのに。そんなことも分からないの、先輩?
「愛花、どうした?」
「なんでも、ないです」
ぷいとそっぽを向いてみる。
「ん?」
先輩は何か言いかけて、壁に掛かった時計を見上げて、「もう帰るか?」と言ったわ。
窓の外は、もうすっかり日が落ちている。確かに、もう帰らないといけない時間よね。
けど、ここでチョコを渡さなかったら、あたし、馬鹿じゃないかと思うの。昨日、お兄ちゃんの妨害にもめげずに、一生懸命作ったチョコが無駄になっちゃうのよ。あやめ先輩の行為も、無駄になっちゃうのよ。
そんなの嫌。
「あ、……あの、先輩」
あたしは、ありったけの勇気を振り絞ってみたわ。
「ん?」
先輩は、くわえ煙草のまま、あたしを見て、あたしは何か言おうとして、……でも、なんて言えば言えばいいのか考えもなしに声を掛けてしまったことに気付いて、
ああ、あたしって馬鹿!
「あっ、あの……、あの、先輩……。あたし、あの……一緒に、帰っていいですか?」
……。
一瞬の間があった。
あああん、もう、そんな事じゃなくて、もっと他に言うことあるでしょう、あたし。なんで言えないのかしら? なんで、こう、すらっと出てこないのかしら?
あたしの心臓の音、凄く激しくて、もしかしたら先輩にも聞こえてるんじゃないかって思うのに、肝心の台詞は、相手に伝えられないの。
先輩は微かに頷いて、「いいよ。もう暗いからな」と言ったわ。
女の子の夜道の一人歩きは危ないからって意味だと思う。先輩は優しいから、女の子には、特に優しいから……。
美術室の片づけをして、戸締まりをして、昇降口で待ち合わせて、一緒に帰る。
ちょっとだけ幸せ。でも、本当は――
サブバックの中の箱を、先輩に渡したい。あたしの思いを、受け取って貰いたい。
「夜は冷えるな」
吐く息が白い。
昼間はだいぶ暖かいけど、日が暮れると、まだ肌寒いわ。日の入りもだいぶ長くなってきたけど、もう、この時間じゃ、辺りは真っ暗。街灯無しじゃ、ちょっと怖い。
隣を歩く先輩の横顔を見る。
あたしよりも背が高くて、見上げなきゃいけないから、ただ横を向いただけだと先輩の胸の辺りしか見えない。内ポケットには、煙草が入ってるのよね。側にいると、ちょっと煙草臭い。最初、美術室で先輩が絵を描きながら煙草吸ってるの見た時はビックリしたけど、実に自然に吸ってたから、他の人も何も言わなかったから、そのうちあんまり気にならなくなったの。いわゆる、馴れって奴?
別に悪ぶってるとか、不良とかじゃないのよ。先輩は自然体って言うのかしら、自分のルールで生きてるって気がする。確かに校則には違反してるから、良くないことなんだろうけど、それでも、あたしは先輩のことが好き。
いつから好きかって言うのは、よく分からないけど、先輩のことが気になりだしたのは、ハッキリしているわ。
去年の12月。
買い物に行った帰り、電車に乗り遅れちゃうと思って、繁華街の裏通りを近道していたら、危ない感じの人達に絡まれたことがあったの。その時に助けてくれたのが、先輩。バイトに向かう途中だったみたいで、本当に偶然通りかかっただけなんだけど、助けてくれた先輩は、凄く、格好良かったの。
由希亜にそれを言うと、それはあたしの『勘違い』なんだと言うんだけどね。
あたしは『先輩』を好きなんじゃなくて、その怖かったと言う状況下で助けてくれた『相手』だから、先輩に引かれているだけだって。怖かったドキドキ感を、助けてくれた相手に対するドキドキ感にすり替えてるだけなんだって。
そんな事無いって思う。だって、本当に、その時は先輩って格好いいって純粋に思ったけど、好きになったのは、それからずっと先輩を見てきた後だもの。ずっと見てきて、いつの間にか、好きになっていたんだもの。
「先輩」
そっと呟く。
「あの、あたしを助けてくれた時のこと、……覚えてますか?」
小さな声だったから、聞こえてないかも知れない。そう思ったけど、先輩にはしっかり聞こえていて、「お前がアホな奴らに絡まれてた時のことか?」と言ったわ。
「……お前、まだあんなトコを近道とかしてんじゃねぇだろうな?」
しかも怒られた。
「もうしてません。ちゃんと表通りを通ってます」
ぷうと膨れる。
会話が続かない。
あああ、沈黙が痛いわ。
「先輩……もし、……もしも、あたしが、また誰かに絡まれていたら、助けてくれます?」
「……俺が通りかかればな」
絞り出した台詞も、馬鹿みたい。こんなこと言うつもりもないのに。
「いつでもどこでも、お前のピンチを察して飛んでいく、なんて真似は出来ないぜ」
「そー、ですよね」
自戒の念に苛まれるわ。
「……何考えてるんだ?」
先輩の声も怪訝そう。
「すみません」
もう、本当に、何を考えてるんだろう、あたし。自分で自分の馬鹿さ加減を呪いたいわ。折角、先輩と二人っきりなのに、こんな会話しか出来ないし、……しかも、もう駅に着いちゃうじゃない?
角を曲がると踏切を越えて、高架を抜けたら駅はもうすぐ。もう、向こうの方に一際賑やかに明るく駅前が見えてる。あんな所まで行ったら、もう絶対、チョコを渡すことなんて出来ないわよ、あたし!
「愛花?」
いきなり立ち止まったあたしを、一二歩進んだ先輩が振り返った。
人通りはあるけど、車通りもあるけど、幸い、それほど多くはなくて、少なくとも、学生の姿はどこにも無い。勿論、あたしには見えないだけで、あたしの後ろには実は大勢いの学生がひしめき合っているのかもしれないけど、……でも、でももう、あたし、ココで言わなきゃ、どーするの?!って感じよね。
「あの、先輩!」
サブバックの中に手を入れる。昨日一生懸命心を込めて作った箱が、指に触れる。
「あたし、あの、先輩に……」
慌てちゃって、巧く取り出せない。
「あたし、あの、あれ?先輩に……、あの、これ……」
引っ張り出したチョコケーキの箱、こう暗かったら、何が何だか分からないわよね。あれだけ一生懸命、包装紙とかリボンとか選んだのに。
「これ、受け取って下さい!」
勢い込んでしまった。心臓が口から飛び出しそうに脈打ってる。
ちょっと、差し出す手が震えちゃってるわよ、あたし。
それなのに――
この長い、長い沈黙は、どーして?
先輩は、固まったみたいに動かなくって、あたしの差し出す箱を受け取ってくれなくて。
「えっと、愛花」
先輩、困惑してるの?
突然だったから、当然の反応だとは思うけど、お願い、受け取って下さい!
「……お前、マジか?」
なんだか先輩の反応がおかしいわ。
「本気ですよ!」
思わずムキになってしまう。
「なんで、そんな事言うんですか?!」
ここまでドキドキしてチョコを差し出したのに、その反応は無いでしょう?ちょっとあんまりだと思うわ。
先輩は、あたしの剣幕にちょっとたじろいで、「いや、だって、お前いつも由希亜と一緒にいるから」と言ったの。
聞いた瞬間、目の前が、くらっとしたわ。
それはつまり、由希亜の陰に隠れて、あたしの存在ってものは眼中にさえなかったって事よね?
「由希亜は、関係ありません!あたしは、あたしとして先輩のこと……」
前半の台詞は勢いが良かったのに、後半の台詞は、かーっと照れちゃって、思わず口籠もっちゃった。
「愛花……」
でも、先輩は分かってくれたみたい。当惑した顔は相変わらずだけど、微かに微笑んだ。
「もしかして、それを渡したかったから、今日残ってたのか?」
こくりと頷く。
「馬鹿だな」
馬鹿って言われた。
ええ、どーせ馬鹿ですよ。由希亜みたいにジャンプして先輩の首っ玉にしがみついて、チョコを押しつけるなんて真似出来ませんよ。
それでも、それでも、あたしだって由希亜に負けないくらい、先輩のこと『好き』。
「由希亜も、知ってるのか? お前のこと」
もう一度、こくりと頷く。
先輩は「なる程」とか呟いて、「喧嘩になったりとかしない訳?」と素朴な疑問を口にしたわ。
「由希亜は、先輩が誰のことを好きだろうと、先輩が好きなんですよ。だから、他の誰が先輩のことを好きになったとしても、彼女の気持ちは変わらないんです。だから、大丈夫です」
説明してしまう。ライバルなのに、由希亜の気持ちは、どことなく分かるから。あたしも、他の誰が先輩のことを好きでも、先輩の事が好きだもの。
「そっかー、由希亜のは、マジなのか。やっぱり」
思わず考え込む先輩。もしかして、由希亜の猛烈アタックは、全然先輩には伝わっていなかったってことなのかしら?
そう思うと、由希亜って可哀相かも……。
「で、お前が俺をってーのは、やっぱアレか? あの時、俺がお前を助けたからか?」
見下ろされる視線が痛い。
あたしは、三度、こくりと頷いた。先輩も微かに頷くと、人差し指を立てて諭すようにして、「お前のそれは『勘違い』なんじゃぁ……」と言いかけたわ。
「先輩、由希亜と同じ事を言ってますよ」
先輩の台詞を途中で制するのは気が引けるけど、先輩がそんな事を言うなんて頭に来ちゃう。あたし自身が、そんな事は無いって分かってるのに。
「うわ?! 俺、由希亜とレベルが一緒かよ……」
あたしの台詞に頭を抱えて呻いてる先輩が可愛いから許すけど、今度そんなことを言ったら、絶対、あたし泣いちゃうから。
「先輩。これ、受け取って下さい」
あたしは、今度は落ち着いて、ハッキリとそう言えたわ。
先輩は頭を抱えたまま、あたしを見て、しばらく何か考えていて、でも、やっと受け取ってくれたの。
手渡す時、やっぱりちょっとドキドキしちゃった。
先輩は片手で箱の重さを確かめるみたいに微かに振って、「重いな」とか呟いたの。
「中身、何? って、チョコレートか。美味いのか?」
自分の台詞にセルフツッコミして、あたしの顔を覗き込む。
「それは、あたしの手作りだから……美味しいかどうかの保証はありません」
先輩の目が怖いわ。別に睨まれてるとかじゃないのに、どっちかっていうとからかわれてるに近いのに、そんな目で覗き込まれると、ドキドキして震えそうになるほど、怖い。
なんでそんな目をして、あたしを見るんですか?
もう、恥ずかしい。
「手作り? これ、愛花が作ったのか?」
手の中の箱を目の高さまで持ち上げて、まじまじと見つめてる。
「そうです」
なんか照れちゃうわよ、その反応。
「そっかー」
先輩は感慨深げに頷いて、「それじゃあ、これは俺が食べなきゃなぁ」って言ったの。
えっ? とゆーことは。
「先輩、由希亜のとか彰君のとかは、……食べないんですか?」
「うん。バイト先の店で客に出そうかと思って」
あっさりと言うし。
「俺、甘いもの駄目だから。貰ったチョコは、いっつもバイト先で出してんだよな」
極悪非道のことを、平気で言う。
ヒドイ、ヒドイわよ、それ。女の子の気持ち、まるっきり無視してる。
「最低ですね、先輩」
うう、自分で作ってて良かった。てか、自分で作ろうと思って良かった。
思わず、お祈りしちゃう。
「そっかー?」
先輩はチョコの箱をバックに仕舞うと、歩き出した。
「俺、普段からチョコは食わないって言ってんだぜ。それなのに俺にチョコをくれるってのは、悪意さえ感じるぜ。喧嘩売ってると思われないだけ良いと思って貰わないと」
何ですか、その言い方?
「そんなこと無いです!あたし、そんなつもりじゃないですからね!」
小走りに追いつくと、並んで歩きながら先輩を見上げる。
「今日はバレンタインディなんですよ、先輩。女の子が好きな男の子にチョコを渡す日なんです。だから、みんなチョコを渡してるんですよ。先輩がチョコが苦手なのは知ってます。それでも、普段気持ちを伝えられない女の子は、今日と言う日を、チョコを利用するしかないんですよ。今日のチョコは、普段のチョコとは全然意味が違うんですから。……それなのに、受け取っても食べてあげないなんて、ヒドイです!」
「力説するなぁ、愛花」
歩きながら、先輩が苦笑してる。
だって、だって、あたし……。
「お前が俺に喧嘩を売ってるとは思ってないよ、愛花」
見上げるあたしを見下ろして、にやりと笑う。
その顔を見ると、なんだか、急に自分でも恥ずかしくなっちゃった。
何をムキになってるのかしら、あたし?
火照った頬を両の手で包むと、もう何を言っていいのか分からなくって、前を向いて黙々と歩いてしまう。
そんなことをしてたら、程なくして駅に着いたの。
あたしが乗る電車は、まだ来ないみたい。でも、先輩が乗る電車は、もうすぐ来るんだって。ホームに出ると、電車が入ってくるとアナウンスがあった。
先輩は、もう何も言わない。人の目があるからかしら、あたしの事も、見てくれない。
でも、あたしは、もうちょっと先輩と話していたいと思って、声をかけたの。
「あの、先輩!」
「ん?」
先輩は、ゆっくりとあたしを見たわ。小首を傾げるようにして、あたしのことを見下ろすの。長めの前髪が、顔に影を落としている。無口で無愛想で、格好良い人って言われるよか、怖い人って言われることの方が多い先輩なんだけど、こうした何気ない雰囲気は、凄く柔らかい。
先輩の描く絵みたい。
「あっあの……」
あたしは、また少し口籠もっちゃって、でも、これだけは言いたくって、
「今日は、あの、チョコ……貰ってくれて、ありがとうございました」
ぺこり。
お辞儀をしちゃった。
……。
先輩は一瞬、少し垂れ気味の切れ長の目を細めて、くすっと微かに笑ったわ。
そして、あたしに向かって手を伸ばしたの。
あたしは身動き出来ずに立っていて、先輩の手があたしの頭に触れる時、ちょっと体に緊張が走っちゃった。
けど、先輩は、ポンポンって軽くあたしの頭を叩いたの。すっごく優しい感じにね。
美術室の裏に居ついてる野良にゃんこの頭を撫でてやる時みたいな感じに、凄く暖かくて、大きな手で。
体の緊張が一気に解れて、先輩の手から温もりが伝わってきて、あたしの中が、幸せに満たされていく気がしたわ。
ぽーっとなったあたしに、先輩は、「返事は、一ヶ月後な」って言ったの。
一ヶ月後?……ホワイトディ。
「期待すんなよ」
そう言って手を離したけど、……駄目。そんなこと言われても、絶対、駄目よ。
あたしも、期待なんかしちゃいけないって、そう思うけど、でも、もう絶対、あたし先輩のこと……、好きだもん!
「します!」
電車が入って来たわ。ホームに滑り込む電車の音に負けじと、あたしの声も、知らず大きくなってしまう。
「あたし、期待して待ってます!」
こんな優しい顔してくれる先輩、他の誰にも渡したくないもの。
プシュー。
圧搾空気の音がして、扉が開いた。
「だって、あたし……あたし、先輩のこと、好きですから!」
言っちゃった。
言った途端、かーっと耳まで赤くなったのが分かったわ。
こんな、駅のホームで言うことじゃないわよね。電車の中から吐き出される人達と、乗り込んでいく人達。周囲にいた人達が、一瞬あたしの方を見たのが分かったわ。
うちの学校の人はいないみたいだけど、それでも、恥ずかしい。今まで部活で二人っきりでいたのに、どーしてこんな所で言わなきゃいけないの?
我ながらタイミングってものを外しすぎだと思う。
それは分かってるけど、でも、言っちゃったものはどうしようも無いわよね。
先輩は、ちょっと困ったような顔してて、……ああ?!この電車に乗るつもりだったのよね、先輩は?
「ごっ、ごめんなさい、先輩!あたし、あのっ!」
悪かったとは思うわ。でも、あたし、言っちゃいました!
慌てふためくあたしに、先輩は苦笑していて、「女の子は、強いなぁ」って、呟いたの。
その声の色に、少しだけホッとする。
でも、ううん。全然、あたしなんか、全然強くない。
それでも、伝えなきゃって思うから……。
だから、言うの。
今日はバレンタインディなんだもん。女の子が、ありったけの勇気を出して、普段言えない台詞を言って良い日なんだもん。利用しない手は無いわ。
きっかけとか無くって、自分でチャンスを作ることも出来なくて、ただ遠くから見つめることしか出来ない臆病な女の子が、今日だけは堂々と自分の気持ちを相手に伝えることが出来る日。ありったけの思いを、チョコに込めて、告白できる日。
今日がチョコレート会社の策略で生まれた日だって、なんだっていいの。あたしみたいな、普段、相手に気持ちを伝えることが出来ない女の子には、どれだけこの日が有り難いか知れないんだから。
『好き』
たった一言なのに、口に出すのに凄く勇気のいる言葉。目の前にいる相手に伝える為に、どれだけの精神力がいるのか分からないくらい、ドキドキしてしまう言葉。
伝えたくても伝えられなくって、何度溜息を吐いたか分からなくって、何度泣きそうになったか分からなくって、でも、伝えなきゃ何も始まらない言葉だから……。
だから、言うの。
今日はバレンタインディなんだもん。あたし達、臆病な女の子の後押しをしてくれる日なんだもん。少しだけ、勇気を貸してくれる日なんだもん。
だから、今日だけは、あたし、言えるの。
「あたし、……先輩のこと、好きです」
【FIN】
以前、バレンタインディなんかいらない派の友人(♂)と喋っていた時の会話が元になっております。
彼は今も元気にチョコを貰えないこの日を過ごしているのでしょうか?・・・(遠い目)。
え?私ですか?・・・私は、勿論バレンタインディは、いる派です。
チョコは嫌いなくせに、こーゆー甘甘イベントは好きなんです(笑)。