迂闊な私とオオカミさんの出会い
じゃぶじゃぶ
水音が涼しげに響く。
じーわじーわと蝉の声が耳につくこの季節、水音だけで3度ぐらいは体感温度が下がるんじゃないかと本気で思う。
私は川に足を突っ込んだ状態でひたすらに手の中の白い布を洗っていた。
岸辺には私の白いミュールがちょこん、と揃えられている。うっかり足をすべらせてどんぶらこ、なんてことになったら、きっとアレだ。自殺として処理されるに違いない。
洗っているものが洗っているだけに、いつも涼む場所からもう少し奥まった場所まで歩いてきた。ここまで来るのに歩いたあの険しい山道をもう一度戻るのかと思うと、少しだけ憂鬱だったが、背に腹は代えられない。だって、こんなところ誰かに見られたら死ぬ。それこそ自発的にどんぶらこコースだ。
そんなことを考えていたのに、神様はひどく残酷らしい。
「おい」
男の声がした。低い。ちょっとこもったような感じだけど、低い。確実に大人の男だ。
絶望した。
ここまで奥に来たのに、どうして人に出会ってしまうんだろう。
それでも、なんとかごまかせないだろうか、と考えて振り向く。
そして、凍りついた。
「は?」
後ろ足で立っている犬がそこにいた。いや、顔立ちを見る限り狼か。
「お前、オレのなわばりで何をしている」
「……別に、ちょっと汚れた布を洗ってるだけよ」
「布?」
しまった、狼男(意味そのまま)の興味がコレに向いてしまった。思わず正直に答えてしまったのは失敗した。
というか、狼男?
そりゃ、おばあちゃんから『山には狼さんが居てね……』的な話は聞かされたことはあったけど、はぁ? 何、ホントに狼男なの?
……っていうか。
どうして、こんな時にそんなものと遭遇しなきゃなんないのよ!
「あなたのなわばりとは知らなかったの。勝手に立ち入ってごめんなさい。すぐに出て行くわね」
ぎゅっと布を絞って、私は川の中をざぶざぶと歩く。
狼男の視線は拳の中に隠すようにしていた布にくぎ付けだった。本当に、やめてほしい。
「それを」
「……え?」
「それを寄越せ」
……絶句した。
「はぁ? なんであなたに渡さなきゃいけないの」
「いいから寄越せ!」
突然牙を剥いた狼に、私の足が竦む。
恐怖を感じて強張った私の身体を難なく川から引っ張り上げた狼は、そのまま私の手の中の布を取り上げた!
「やはり、これは……!」
ちょ、広げるな! 太陽に透かして見るな!
かーえーせー!
でも牙とか爪とか怖いー!
茫然とする私をよそに、その狼男は、私がせっせと洗っていた白い布を……
「はぁ?」
頭に被った!
「ヒトはこうして強い太陽の光から自分を守るんだろう? まったく、面白いものを作るものだ」
狼顔だから分からないけれど、なんだかドヤ顔をしてる気がする。
「それに、程よく頭を締め付け、これで落とすこともないのだな。それに、オレの耳のために作られたとしか思えない穴まであるではないか」
私は迷った。
それを指摘するか。それを取り返すか。全部放置で逃げ出すか。
取り返したところで、こんなことになってしまった以上、もう使えない。指摘して逆ギレされても困る。
「……よければ、それ、進呈します」
「おぉ、本当か」
「えぇ、なわばりに誤って入ってしまったお詫びと思っていただければ」
「うむ、なかなか殊勝な心がけだな」
「それでは、私、失礼しますね」
「うむ、うむ!」
ミュールに足を入れ、私は来た道を戻ることにした。
ちょっと足がすーすーするけど、仕方ない。身の安全には代えられない。
後日、変態な狼男が出現したという噂を聞いた。
まだまだ日差しも強いから、被ったままなんだろう、と、ちょっと遠い目になった。
私のパンツを被った狼男が、地元の名物にならないことを、ただ願うだけである。