波乱の予感
それから数日の間、魔獣による被害が一件もなかった。
今日はルージェンスも風紀委員長室に来ている。
「なんで急に魔獣の襲撃がやんだのかしら?」
なぜ魔獣の襲撃がやんだのかは全く分からない。
そもそも犯人が分かっていないのにやむ理由が分かるはずない。
「流石にスノーウルフ召喚をするなり連れてくるなりするのが大変だったんじゃねぇか?」
「その可能性もあるけど……。」
何となく嫌な予感がしてならない。
オリア先輩の続けて言おうとして黙った事を心の内で言う。
今襲撃がやんでいるのは嵐の前の静けさにすぎないのではないだろうか。
学園内は襲撃が収まったという事で少しずつ安堵の空気が広がっている。
しかし風紀委員や生徒会、教師陣は逆に緊張感を高鳴らせていた。
「まあ、ここで考えていても仕方ありません。闇と空間魔法が使える人のリストアップありがとうございました。今日はもう夕方ですしお開きでいいのではないでしょうか?」
もっともすぎるルージェンスの発言に皆頷く。
「戸締りをして帰るか。」
立ちあがった風紀委員長に続いて風紀室の窓を閉める。
全員が部屋を出た後、鍵をかけた。
魔法の鍵なので登録してある人物以外が開けようとしてもびくともしない。
「はー、全然犯人がわかんねぇ。誰なんだよ。」
「とりあえず言える事は犯人が相当な実力者という事くらいではないでしょうか。」
「もっと現場に証拠残しちゃった、てへ、みたいな奴が犯人なら簡単だったんだけどな。」
風紀委員長がむちゃくちゃな事をぼやいた瞬間、近くで悲鳴が上がった。
同時に警報が鳴る。
「ちっ、魔獣か。」
舌打ちをしながら走り出した風紀委員長に全員続く。
現場に到着してみると、襲われていたのは転入生だった。
襲っている魔獣はシルバーウルフであり、まだ実技を行った事のない転入生のローブはあちらこちらが裂けている。
シルバーウルフの対処にはもう慣れたもので、無詠唱の水魔法を使い首を落とした。
「こ、怖かったぁ。」
座り込んで泣き出した転入生に風紀委員長が駆け寄る。
転入生は風紀委員長に縋り付いた。
「な、なんでこんなところに魔獣がいるんですか……。」
腕やスカートの部分が破れてしまっているローブを着て、泣く転入生の様子は憐れみを誘う。
オリア先輩が精霊魔法で怪我の治癒を行った。
それでもなお転入生は泣き止まない。
落ち着くまで待つかと考えていると、オリア先輩が肩を怒らせてこちらにやってきた。
「あの転入生絶対嘘泣きよ。あんなにヴォルグと密着して!」
どう見ても嫉妬の炎を燃やすオリア先輩をなだめていると、風紀委員長が転入生を抱えあげる。
「ちょっとリリンの動揺が激しいから事情を聴くのは明日で良いだろ。」
転入生ってリリンという名前なのか。
何回か顔は見ているものの初めて名前を聞いた気がする。
そんな事を考えているうちに、そのまま転入生の寮の方へ向かう風紀委員長を見てオリア先輩が怒りに燃えた。
今にも地団太を踏みそうな様子だ。
ハンカチが手元にあったら噛みしめているかもしれない。
「お、オリア先輩落ち着いてください。」
すさまじい事になっているオリア先輩を何とかなだめて寮へ送っていく。
オリア先輩は転入生と同じくAクラスだから寮が同じだ。
もし風紀委員長がまだその場にいたらどうしようと思ったが、風紀委員長の姿はなかった。
「まったく!」
いまだ怒りのおさまらない様子ではあったものの、オリア先輩が一度深呼吸をする。
そして私とルージェンスの方を向いて微笑んだ。
「みっともないところを見せてしまって、ごめんなさいね。送ってくれてありがとう。」
今まで怒り奮闘であったというのが嘘のように背筋をピンと伸ばし、オリア先輩は寮へと入っていった。
「流石、風紀副委員長となるとすごいな。」
風紀委員もピアスを見れば一目で分かる。
なかでもオリア先輩と風紀委員長は有名のようだ。
大勢の生徒の中では弱みなど見せないように凛と立つその姿に感動した。
「そうだな。」
ルージェンスが目を細める。
しかしよく考えればルージェンスも生徒会長だ。
下手な姿など見せられないため、いつも顔をしかめているのかもしれない。
昔はもっとふにゃふにゃしてた気がする。
「ルージェンスも大変だな。」
「いや、特には。家にいた頃からこうだった。」
「そうか。」
ガリアスと婚約してから学園に入るまでの期間の事を言っているのだろう。
そう思って頷いていると、ルージェンスが笑った。
「勘違いしてるだろう。俺はリュウカと会った時すでに笑顔の仮面をつけていたぞ。破天荒な事ばかりしでかしてリュウカが俺の仮面を剥いだんだ。」
「えっ、そんな変な事したか?」
立ち止まって、ルージェンスを見上げる。
ルージェンスは穏やかに微笑んでいた。
「初対面の俺に王子様みたいに綺麗な顔だね、と真正面から言ってきたのは誰だ?」
「そ、そんな失礼な事言ったか? あ、いや別にけなしているわけでもないから良いのか? いや失礼だな。すまなかった。」
全く持って記憶になく、首をかしげる。
失礼かどうか怪しいラインだと思う。
なぜそれで仮面が剥がれるのか分からないけれど。
「あの頃は同年代の子と会うと頬を染めてうつむかれるか、妬みを含んだ目で見られる事が多かったから珍しかった。責めてはいない。その後川に出て水遊びをするのかと思ったら溺れた小さい子供を助けようとして自分がおぼれかけていたりしてたよな。はっきり言って貴族階級の子とは思えなかった。」
懐かしそうなまなざしで語られる内容に変な咳が出た。
溺れかけていた子を助けようとして溺れた事は覚えている。
そういえば、その日は天使のような子が来て嬉しくなってはしゃいでいた気がする。
だからと言って貴族の子供を川に誘う時点でおかしい。
ホストの家の子供でありながらゲストを放置して溺れるなど言語道断ではないだろうか。
かなりの失態を犯していた事を思い出し、そっぽを向いて歩き出す。
ルージェンスはただ微笑むと、後をついてきた。
その笑みは小さい頃と違い、情けない笑い方ではなく成長を見守る大人のような笑い方だった。
部屋に戻り落ち着いたところで紅い月が目に入ってきた。
「今日は月満ちる日か……。」
30日程度に1度月が紅く染まる日がある。
この日は魔獣が活性化しているため、皆外出を控える。
突然変異の魔獣が誕生しやすいのもこの日といわれている。
立ちあがり、バルコニーに出た。
美しく、そして残酷な紅い月に魅了され手を伸ばす。
けして掴むことはできないと知っているのに、なぜか掴んでみたかった。
「何をしている?」
男性の声にふと我に返り、振り返る。
するとそこには水貴が立っていた。
「魔の月に魅入られたか? あの月は本当に罪深い。」
どことなく悲しげな様子の水貴の様子に首をかしげる。
水貴は何でもないという風に首を横に振ると、椅子に座った。
水貴の言った事がよく分からなかったが、玉露をいれて持っていく。
「あの転入生、かなりの陰の臭いがする。」
「陰の臭い?」
ぽつりと呟かれた言葉を聞き返すと、水貴が頷いた。
「そう、陰の臭いだ。心の内に何か暗い物をためているのだろう。」
暗い物……。
水貴は精霊ゆえに陰の感情に敏感だ。
もしかしたらそれの事を言っているのかもしれない。
だが、転入生が恨みや妬み、嫉妬などの感情を多く抱いている原因が分からない。
水貴と会った時たまたま何かに苛立っていたりしたのだろうか?
そんな様子には見えなかったけれど……。
首をかしげていると、水貴が意味深に笑った。
「恐らく明日、事態が動くだろう。身の回りに気を付けろ。狙われるのは風紀の副委員長とリュウカだ。手におえなければ我を呼べ。無茶をするな。」
「なっ、ちょ、どういう意味だ?」
薄れゆく水貴に慌てて問いかける。
水貴は笑みを深め口元を扇で覆うと、姿を消した。
「まったくもって意味が分からん。」
明日、何かが起こる事は理解した。
事態が動くとは恐らく魔獣の事。
狙われるのが、私とオリア先輩……。
一般の生徒でなくて良かったと思う。
一体何が起こるのだろうか。
事件が動く予兆に漠然とした不安を感じた。




