第4話 山頂の望遠調査
アオヤ、フォイップ南部に位置する小さな町である。女神の花の影響を少なからず受けているこの土地では資源的にはさほど重要というわけではない。その為か争い耐えないフォイップ王国とエアリー共和国であったが南部の土地を巡った戦争は少ない。
「まさか死の土地がここまで重要な存在になるなんてな」
朝早く、日の出してからまだ時間の立っていない。あたりは薄暗く、そして薄いオレンジ色に包まれていた。
「人気が少ないうちにこの町とおさらばしよう。さぁ南ミーラ山だ」
「そうだな……」
アオヤは兵士に対して冷たい、シードは知っていたし当てられた事もあった、傷つくものであるがまだ覚悟は出来ていた。しかしヒロキはどうだろうか?ヒロキはこの町の事情や状況を知っていても実際に喰らったことはなかっただろう。昨日行こうあの高いテンションは控えめになっていた。
「シロ、少し長いし標高も高いが頑張ってくれ」
ホテルの入口からヒロキとシロが飛び立つ、護衛が必要だし用意もしているという事をヒロキは忘れているのだろうか?置いてかれないようにシードもボルと共に飛び立った。
「ヒロキ待ってくれ、ボディガードをおいていくなよ」
「まだ国境じゃない」
頭をむしゃむしゃ掻くしかなかった。これから向かうのは国境地帯である。確かに今は安全だが初めが肝心という言葉をヒロキは知らないのだろうか?先が思いやられた。
「ヒロキ!頼むがこれを持っていけ!」
大鳥の上で手を限界まで伸ばしてヒロキに一枚の葉を手渡す。
「これは……エンガオかい?」
「何かあったらそれを燃やせ、チャカはあるか?」
「ガスの実を持ってきているからね、一応持っている」
念の為にエンガオを持たせることにした。さっきの様にはぐれられるとこちらが困る。さっきのような事はもうゴメンだった。
広大な森、それは山の麓まで続いている。それでは山の上はどうだろうか?結局森である。しかし標高のある場所では風、気温などの影響で背の高い植物は生育できない。高木が生育できる限界標高を森林限界と呼びそれは山の気候や地域によってその標高は異なる。
開け始めた視界が更に開けると太陽が視界に入り光が視界を邪魔した……山頂だ。今回は山頂に降り立っての調査である。そうすることでヒロキが前回行ったクロウバ上とは異なり上空における揺れを抑え、より正確な調査が行えるだろう。
「ヒロキ、わかっていると思うがまだ降りるなよ」
「僕がそこまで馬鹿に見えるかね?」
山頂ではもはや芝生程度の高さの植物しか生えていないがそれでも地中にはジライソウが潜んでいる可能性があるのだ。シードはポーチからガスの実を取り出すとチャカの枝で火をつけた。
「あらよっと」
そして必要もしない掛け声を出しガスの実を放り投げる。数秒後には爆発音と共に炎立ち込めたがその炎はすぐに収まり辺りには焦げ跡を残すのみだった。
「降りて平気だぞ」
「おう、ちょっと焦げ臭いが……」
我さきにとヒロキが、2テンポほど遅れてシードが山頂に降り立った。まだ爆発を逃れた植物が残っているのだがジライソウは存在しない。ジライソウは熱や炎にめっぽう弱く小規模な爆発でも完全に消滅する。
「なぁヒロキ、こんなに簡単にジライソウが除去できるならフォイップ全域で除去も出来ると思うのだが……」
「それは無理無理、ジライソウは除去は簡単でも発育が早いんだ。この場所だって3日もすれば近くから運ばれた種によって元通りになっちゃうよ。それにガスの実の爆発はたかが知れてるけど予期しない森林火災の危険もあるしそれに……」
「あ~大丈夫、大丈夫だ」
ここで止めておこう、ここで止めておかないと調査も始まらないし何よりも聞くほうが参ってしまう。シードは両手を振ってもうこれ以上は話さなくていいと全面的にアピールした。
「本当に大丈夫か?」
「あぁ、大丈夫だ」
「そうか……シードは軍人だから知っていると思うがジライソウの被害はフォイップ王国が把握しているだけでも……」
大丈夫だと言ったのにも関わらずヒロキはまた話し始めてしまった。どうもヒロキは話し始めると終わらないようだ。特にこの手のような専門の話題となると手がつけられない。彼の脳みそは一体どんな構造になっているのだろうか?
「ヒロキ、話はもういいから調査を始めよう、ここは国境地帯だしエアリーの軍人にでも見つかったら面倒なことになるぞ」
「むう、そうだな……調査を始めようとしよう」
シードはここで心から思ったのだ……話が終わってよかったと……
調査に使用する器具は主に望遠鏡と測量器具だ。それに記録するレポート用紙や方眼紙など。機材は大学のものではなくヒロキの私物らしい、非常に使い慣れているようだった。ヒロキは調査の初めに現在位置の測量を行っている。
「え~と前回は南から東に50度の方角で見えた……前回の観測地点からここまで112kmか、南ミーラ山の標高は2305mで前回は200mの高度で観測したからそのズレを計算に入れて……」
初めて会ったときは正確に難があると思っていたがこのような姿を見るとさすがボルーキ大学の学生だと感じるのであった。今のヒロキはシードが戦場で見せるような氷のように冷静で、剣のように真剣な目つきを感じる。
「ヒロキ、君は植物学者だよな?測量もできるのか?」
「まあ専門は植物学だし測量は少しかじっただけだけどね」
こちらに笑顔を向けるヒロキであったがその手つきには迷いがなかった。私物の測量機材も何度も使った形跡が見られる。しかし丁寧に手入れされており竹製であるはずの望遠鏡は水面のように磨き上げられていた。
「植物は地面に生えるでしょ?だから地学の知識も必要なんだ。同じ植物でも地質、水質などによってだいぶ異なる生態を生み出す。だから僕は測量もするし水質調査や地質調査もする」
「徹底的だな……同じ植物でもそこまで変わるものなのか?」
「君も信号用に使っている“エンガオ”がいい例だよ。あの植物は与える水の量や土の養分によって咲く花の色、そして葉を燃やした時の煙の色が変わる」
エンガオは兵士にとって最も身近な植物の一つである。シードは今回も数種類のエンガオを持ち合わせてきた。花の色によって煙の色が変わるまでは知っていても詳しいことまでは知りもしなかった。自分たちの暮らしの中で当たり前のように使っているものでもそれは明らかな未知の物質になる。
「この方角とピントなら女神の花が見えるはず……」
シードは望遠鏡が指す南を肉眼で見てみた。肉眼で女神の花はもちろん見えない。シードが見えるのは緑色の大森林、しかしその緑色はすぐに薄い紫色となり濃い紫色となった。紫色の場所は正しく死の土地である。さらに目を凝らすとそこにはまた薄い紫色、波打っていた。死の土地の影響は地上だけでなく周辺の海域まで及んでいる。
「あれ?」
ヒロキはポツリとつぶやきアーでもないコーでもないと剣を振り回すように望遠鏡をあっちこっちに向ける。
「お、あった……」
「見えたのか?」
望遠鏡に寄るシード、ヒロキはそれが俺にも女神の花を見せろと無言で訴えているのはよくわかった。
「ほれ」
このままではシードが邪魔で調査もままならない。数秒で済むことであるしヒロキは望遠鏡を一度シードに譲った。
「あれが……女神の花」
紫の泉の上に浮かぶその白き花、真っ先に浮かぶ感想は“美しい”だった。身の回りに浮かぶ植物の中で近いものは睡蓮だろうか?あの美しき花があの忌々しき毒を吐き出しているとは到底思えなかった。
「女神の花……写真は真っ黒だったからてっきり花も黒々しているものだと思った」
「まあ写真だとモノクロだしあの写真はブレブレだったからね。大きさは4~5mある巨大な花なんだ。それにしても……」
「どうした?」
女神の花は確かに存在する、それは理解できるがヒロキはどうも腑に落ちない様子だった。1+1がなぜ2なのかを全く理解できていないような様子、落ち着かない様子だった。
「場所が違う、予想した方角に花がなかった」
「前回は空中で測量したんだろ?少し位のズレは誤差の範囲じゃないのか?」
「いや、だけどちょっとズレが大きすぎるような……」
ヒロキは相変わらず唸っているがひとまず記録だけは行うことにしたそうだ。妙な器具を望遠鏡に取り付け操作すると導き出された目盛の数値を用紙に記録していく……タイプライターの文字ではなかったのでかなり汚かった。ヒロキは悪筆らしい。
「望遠鏡用の測量器具やカメラなんてあったんだな……」
「カメラは市販のものだけど測量器具はこの為の特注品だよ~」
カシャリとの音と共に吐き出されるは一枚の葉っぱ。長方形に加工されたその葉っぱはフィルと名付けられているその葉はその名の通り写真のフィルムに使われている。
「とりあえず一枚っと」
カシャリとカメラが光を放ち吐き出されたフィルムはインク部分が染み付くまで時間がかかる。インクが乾く間の時間ももったいないとヒロキは観測や撮影を続けていた。先程まで死の土地を見ていたシードであったが今は別の場所を見ていた。
「……ヒロキ、早く機材を片付けろ」
「え?」
シードの見つめる先、まだ距離は遠いが大鳥らしき影が2つ見えた。軍用の双眼鏡で覗いてみると黒い大鳥の上で武装したエアリー兵が確認できこちらに向かって来ている。
「いいから早く片付け始めろ!」
「どうしたって言うんだよ?」
「“向こう側”に見つかったらしい」
正直言ってエアリー共和国側に見つかるのは時間の問題だった。南ミーラ山の山頂付近は植物が背の低い草程度にしか存在していない。南ミーラ山は標高が高い為に向こう側にも見られやすい。国境の真上でコソコソしていれば兵が来るのも当然だろう。
「シ、シード!もうちょっと掛かる!」
「早く!」
シードは愛用の大槍を構え大鳥にまたがる。しかし不用意には飛び立てなかった。相手は2人、いくらシードといえど2人を同時に相手するのは難しく1人を相手していたらもう1人がヒロキに向かってしまう危険性がある。
「あなたたち!ここで何をしているの!」
シード達の頭上でこちらを見下ろす黒い大鳥の上に黒い装束をきた2人の兵士、そのうちの片方は腰に一筋の太刀を下げた長い黒髪の女性だった。女性の兵士は何も珍しい事ではなく兵士全体の4割は女性である。体の軽い女性は空中で真価を発揮する。
「おや、片方は軍人では無いようだな?」
もう片方は華奢な女性兵士とは異なり体格の良い男だった身の丈ほどもある大きな太刀を背負っている。どうやらリーダーはこちらの方だった。幾多の戦場をくぐり抜けてきたであろうその男から放たれるオーラは計り知れない。
「黒い大鳥、黒い装束、そして太刀……お前ら、黒太刀部隊の者か」
厄介なことになった。あの黒太刀部隊が相手だとは……これは一筋縄では行かなくなった。