第23自然要塞ウィッチ空洞Ⅳ
右腕と左腕がぶつかり合うウィッチ空洞、何度も何度もぶつかり合う腕だったが突如”頭脳の左腕”ハリー・アレンが戦線を離脱した。
「ハリー、一体どこに行くのだ!まだ話も終わっていなければお前に槍一つ突き刺していない!」
「悪いがシード、状況が変わった!」
敵も味方もその場に置いてゴルの黄金の翼を広げハリーが飛び去っていく、全力で飛び去るハリーを全力で追いかける、距離は離れないが距離が縮まることもなくただ2つの影だけが移動する。
「……!」
ハリーが進行方向の先で何かを見た。少しだけ遅れてシードがそれを発見する。シードは一瞬それが大鳥に乗った巨大なハリネズミのように見えた。だがこんなところでハリネズミがいるはずも無いのだ。だからシードはその考えを振りはらって注視する。シードはようやくそのハリネズミの正体に気がついた。しかし声を上げるのはハリーの方だ。
「ブライアン!一体どうしたんだ!?」
何故ハリネズミのように見えたのか?それはブライアンの体に何本もの矢が刺さっていたからだ。その光景は敵ながら壮絶でありブライアンもハリーも隙だらけであったがシードは攻撃に移ることができなかった。この大量の矢、それは紛れもなくローサ・ブロートによるものだ。この時、ローサはアクエリアスの甲板上でこう呟いていた。「どんなに武器が強力でも、どんなに武器が異質であっても届かなければ意味がない」と……彼女は鉄球の届かない場所から弓を放ちそれを全て命中させていた。
「幸い内蔵や大動脈はそれているようだが早く撤退するんだ!命取りになる!」
ハリーはブライアンに叫ぶがブライアンはいうことを聞かず唸り声を上げていた今はハリーが大鳥で彼の周りを旋回することで通せんぼをしているがそうでもなかったら今にもシードに飛びつきそうだ。
「ハリーさん!」
やがてハリーの小隊が、ちょっとだけ遅れてロゼーの第3部隊が到着した。
「悪いがブライアンを頼む!あの輸送船に乗せてくれ!」
兵士は心底嫌そうな顔をした。そりゃまあ男の面倒を見ろなんて言ったら誰だって嫌な顔をする。
「しまったついうっかりした!ハリー、ちょっとまて!」
見ている場合じゃない、とにかく上昇して攻撃態勢を整える。だがその相手はその気ではなかったようだ。
「シード、悪いが君に関わっている暇はない!」
ハリーは再び飛び去っていき再びシードはそれを追う光景となった。シードの任務はハリーの牽制、抑圧、制圧……どちらにせよハリーを倒すことが任務だ。だがハリーは違う、彼はシードを抑制することだけが任務ではない。彼は元々物資の輸送任務及び拠点の施設だった。しかしその拠点がこのざまではハリー独断で行動しなければならない。そうなるとハリーが真っ先にするべきは状況の把握、ブライアンが重症となると自体は予想以上に劣悪、今は今をする事に徹するべきでありシードを倒すのはそのあとだ。
「内部だ、ウィッチ空洞の内部……あそこはどうなっている!?ダイアンはどうした!?」
空洞の外側はだいぶ制圧されてしまっている。内部は外側に比べれば安全だがその内部まで入り込まれてしまうと……そう考えるとハリーはゾッとした。
ハリーとシード、そして敵味方交えた兵士が空洞内部に潜入する。ハリーが移動に専念しているためそれを追う者も移動に専念しなければならない……かなりのスピードであるが殺し合いがないだけ平和だった。しかしハリーの目的地である空洞内部に来てしまうとそれも終わりである。
「空洞の外側にダイアンの姿は無かった、となると頼みの綱は内部か!?」
ウィッチ空洞内部でも状況はあまり変わらないようだった。どんどん空洞の奥へ追いやられてしまっている。負傷している者も多かった。
「ミリアは確か空洞の内部にいたよな……」
少し遅れてシードが、さらに遅れて1つの味方部隊と1つの敵部隊が入ってきた。内部で戦っている人間にとっては増援の到着というわけである。そしてシードとハリーはようやく探している人間を見つけた。
「ミリア!大丈夫か!?」
ミリアは言葉を発していないが状況はなんとなく理解した。ミリアには頬に赤い線が走っており敵のナイフのような攻撃に掠ったことを物語っている。ミリアに傷をつけるなど相当な相手、一体どんな相手なのだろうと見てみるとその相手は直ぐにわかった。
「ダイアンどうした!一体何が起こった!」
「……ひひゃひゃ」
ハリーはその白髪の女、ダイアン・コサインに声をかけるがそれは無駄だとすぐに思い出した。彼女は麻薬漬けにされているため重度の幻覚幻聴に犯されているからだ。ロクに会話はできやしない。だがダイアンの状況は見るだけで分かった。左手首から先が切断されている……相手はあの黒い装束の太刀乙女、まさかエアリーの黒太刀部隊?なぜここに居るのか、ハリーにはわかるわけもなかった。
「ミリア……おいミリア!」
シードはミリアに対して何度も声をかけるがミリアは下を向き口は接着剤でも塗ったような状態であり下唇を噛んでいるだけだった。ミリア自身は動かずただ乗っている大鳥だけが羽ばたいているだけ。
「……許さない」
下を向いたままミリアの口がようやく動いた。シードが横にいることにようやく気がついたのか?それともただの独り言なのか?ほぼミュートに近い音量で語り始めたのだ。
「女の子の顔に傷を付けるなんて……」
この語り方はシードに対してではない、自分自身に対してでもない、ましてやあのダイアンとかいう相手に対してでもなかった。
「女の子の顔に傷を付けるなんて……」
ただそれだけを口にする。
「女の子は傷つけちゃいけないのよ……まあここは戦場だから多少は勘弁してあげているけどそれでも顔と髪の毛だけは許せないから……」
ここでミリアはようやく顔をあげる……だけどその顔からはあどけなさが消えていた。シードはしばらく忘れていた事をここで思い出した。彼女はあの黒の四人衆なのだと……
「あなたを許さない、ただただ殺すだけじゃ足りない」
その冷酷な表情は禍々しく感じられた。ただ機械的に命を狩る死神、そのように感じる。
「おいミリア!」
声をかけるまもなくミリアが急上昇する。ダイアンに向かって攻撃を仕掛けるつもりだ。
「相手が動いた!ダイアン!」
「ヒャヒャヒャヒャヒャ!」
ミリアのただならぬ殺気はハリーにも感じ取れた。恐らくダイアンも感じ取ったのだろう……ハリーは思わずミリアから離れたがダイアンはむしろミリアにと同じように上昇する。
「馬鹿ダイアン!戻れ、戻るんだ!」
やがて上昇しきった2つの影は落下体制に入り交錯の時を迎える……結果はわかりきっていたことだった。
「ダイアン……」
お互いに怪我をしているがその度合いはかなりの差がある。その交錯の時を見届けるシードもハリーも勝負の結果はもう既に予測はできたのだ。2人が交錯したその場所に血が流れている。切られたのはダイアン、彼女は腹部をバッサリと切られていた。左手も切り落とされているところを見ると激痛どころの騒ぎではない、もう限界だろう。
「ミリア大丈夫か?」
多分大丈夫なのだろうが聞いてみた。先ほどのあの状態では無視されること覚悟で聞いてみることにした。じゃないとミリアがここに居て居ないような錯覚を感じてしまうからだ。
「うん、これで終わり……相手も女だったから切ったのは腹だけど」
ミリアは完全にミリアに戻っておりそれが返って不気味に感じた。だけどここは素直にミリアの無事を喜ぼう。だけど素直に喜ぶのはなんだか恥ずかしいのでシードはあえてそっけない返事をした。
「まあ生きてりゃいい」
変則的な動きをする相手だったので結局攻撃はそれたがそれでも左腕から流れる血と服から染み出る血は相当量である。失血死は必須だ。だがダイアンはそれでも嗤う……
「ふふ……ひゃは」
正直言ってまだこの声が聞こえるとは思っていなかった。だがそれでも彼女はまだ嗤っていた。痛みを通り越して快感になったのだろうか?シードは唇を噛み締めミリアは目つきを鋭くさせた。しかしハリーだけは少し、いや全くベクトルが違う思考をしていた。
「ダイアンはあの様子だとまだ戦い続ける。しかし彼女の精神が持っても身体が持たない……ブライアンもあの様子では数日動けないし」
この時点でハリーの決断は決まっていた。ハリーはまたまた飛び去る……今度は洞窟の奥だ。
「ハリー!またお前……」
今回の戦闘はハリーが逃げてそれをシードが追う、そればっかりだ。
「防衛部隊!今から2分シードを抑えろ!」
どうやら今度は追わせてくれないようだ。数は8人、さすがのシードでも足止めを強いられる。
「ハリー!てめぇ何をするつもりだ!」
しかしその時にはもう彼の姿は空洞の奥へと消えていた。その間にも8人の兵士が雨のように降ってきてはそのギラギラと輝いた槍先を向けてくるのだ。シードは急下降してそれらをやり過ごす。結局ハリーの後を追うことができなかった。
戦艦アクエリアスではハリーをシードが追い、そしてその後ろをほかの兵士たちが追うという状況は見ていた。しかし彼らがウィッチ空洞の内部に入ってしまったため今ではどのような状況になっているかわからないのだ。
「ねーねークラリュぅ」
「なんだよヒロキ」
ヒロキが暇そうに舵を握っているクラリュに声をかけていた。
「ヒマ」
「あぁそうかい」
空洞外部の制圧がほとんど終わってしまったため船内はだいぶ落ち着いていた。先程まで甲板上のローサがブライアン向けて弓を忙しく放っていたり別の場所ではイルをはじめとした砲手がやかましく大砲に火を付けていたりしていたのだがそれら全ては停止している。今は状況が落ち着いているのでこのような時は弓や大砲の弾は節約したい。そんな判断だった。今でも気を張り詰めているのは監視のリャーシャとニルス指令くらいだろう、窓から見るとローサは甲板で寝っ転がっていた。恐らくイルも大砲に座ってくつろいでいるだろう。
「ニルスさん!ウィッチ空洞内部から煙が出ています!」
リャーシャの声だった。ヒロキは目を凝らしてみるが生憎ヒロキは目が悪く見ることができなかった。目を細めたりメガネの位置を変えてみたりするが煙が見えているのか自分でもわからなかった。
「ヒロキ、目を凝らせば俺でも見えるぞ……メガネの度が上がったか?」
クラリュが茶化す。ヒロキは自分でも自覚していただけに少しだけ頬をふくらませた。
「なんの煙なんだよぉ」
ヒロキがブーブー言うので見張りのリャーシャはため息をわざわざ聞こえるように放ったあとに報告を続けた。
「あれはエンガオの狼煙ですね色は黒です」
「“危険”か」
ニルスが厳しい表情に声を低くして一言、ただエンガオの煙の意味それだけを言った。
「エンガオだって!?」
重い空気が流れる船内で最初に大声を上げたのはヒロキだった。
「エンガオ!?その煙はエンガオを空洞内部で焚いた煙だっていうのかい?ウィッチ空洞は燃えやすいカチパチの木だらけ……火気厳禁だぞ!地面を持ち上げる柱となっているカチパチに燃え移ったらあっという間に燃え広がって地面が落っこちるぞ!」
植物学者であるヒロキはムクドリのように叫ぶがそのようなことはヒロキでなくても承知である。
「だがそれでもエンガオを、それも“危険”を知らせるために使ったという事だ。危険を侵してまで危険を知らせるということはそれ相応の意味がある。リャーシャ、ウィッチ空洞の監視を怠るなよ。アクエリアス180度回転、いつでも離脱できるように体制を整えろ!」
緩んだ糸がまた張り詰める……積み上げた積み木が崩れる時だった。
シードは目の前が真っ黒になった。一瞬死んだかと思ったが痛みを感じなかった。だけどすぐに自分が今いる状況を理解した。目の前が真っ黒になったがその黒はムラがある……これは煙だ。
「黒い煙!?エンガオ……しかも大量に燃したのか!?」
黒の煙は危険を知らせるもの、大量に燃して空洞中に漂うようにしている。まさかハリーか?ウィッチ空洞内はもちろん火気厳禁、しかしそれでも火をつけて狼煙をあげたということはどういうことか?
「あれ、ちょっと待て焦げ臭くないか?熱くないか?それに空洞内なのに明るくないか?」
いや、分かっている……この状況は分かっている。カチカチと音が聞こえてくるし何やら視界がゆらゆらと動いているのだ。
「も、燃えている……」
ハリーしか居ない、あいつはウィッチ空洞を守りきれないと感じた。あのダイアンとかいう女は死に体だしブライアンはローサがどうにかしてくれるだろう……エース級の人間だけでなく他の兵力も押されている。
「取られるくらいなら自分で壊すってか!ミリア状況がまずい、逃げるぞ!」
「分かっているケド……」
「あいつは何もしなくても死ぬ!」
ミリアを言葉の腕で引っ張り動かした。その間も空洞内部の温度は上昇をはじめ何処かではガラガラと音を立て始めている。炎は確実にカチパチの木を燃やし強靭な柱を情弱な柱に変化させていた。そしてその空洞の奥からはワラタバの松明らしきものを持ったハリーが姿を現した。
「撤退だ、空洞内にいる奴は敵味方問わずに撤退しろ!」
エンガオの黒い煙を吐き散らし松明ですれ違う柱全てに火を放つ、そんな事をしているのに撤退しろとかほざいているのだ。
「火を放ったハリーに愛用の大槍でプスリとやりたいがその暇はないか!」
ハリーも敵兵も味方もそしてミリアも脱出を始めた。もちろんシードも全速力で飛び立つ訳だ。だって誰だって地面のペシャンコになんてなりたくない。既にカチパチの柱は数本焼け落ちてしまっている。奥の方から衣類箱をひっくり返したように地面が崩れ始めてきた。外の光が見え、そしてその光まで突っ込んでいく……
「抜けた!」
ミリアのお尻を見ながら空洞の外へ飛び出る。思いっきり最後尾だったシードはハリーを探すがそれは叶わなかった。そのときちょうど一本の柱が焼け落ちた、そしてその柱が失われたことで遂にウィッチ空洞は空洞では無くなってしまった。
「シード、地面が!」
ミリアの声はかろうじて聞こえた。そしてその直後、頭蓋骨を太鼓のバチで叩くような音が連続的に聞こえていく、そして地面が落ちればその地面が砕け、砕け、砕けていき砂となるとその砂は煙となりその煙は地面が落下した衝撃波によって辺りを茶色の霧で覆うのだ。
「ゲホッ、周りが見えねぇ」
袖で口を覆うシードだったがあまり効果は無かった。僅かな隙間から入り込んだ粉塵は構うことなくシードの口の中へ入り込み喉仏を刺激するのだ。
「シードあれ!光が見える。」
ミリアはどこから取り出したのか薄ピンクのハンカチを口に当てていた。いつもの女の嗜みだとかその類だろうか?
「あの光、アクエリアスか!?」
「どっちにしろ右も左もわからない状況じゃあれ目当てに行くしかないわ!」
戦艦アクエリアスでもウィッチ空洞の崩落は確認していた。エンガオによる危険を知らせる狼煙が出ていたので何かしら起こると踏んでいた。そのせいかヒロキを除いてみな落ち着いていた。
「ちょっとどういう事!ウィッチ空洞が、空洞が崩れたよ!あれがどれだけ地質学的に、植物学的に重要なものなのかわかっているのかい!?」
最も騒いでいたのは言うまでもなくヒロキである。
「騒ぐなヒロキ、よくある事だ」
そんなヒロキを黙らせたのはニルスだった。
「よくあることって……」
「ウィッチ空洞はボルーキのすぐ北だ、それにあそこは王都と北側の町をつなぐ地点でもある。あそこを奪われるのはクレインにとって非常に痛いだろうし息子のハリーにとってはそれを防ぎたかったのだろう」
「だからってあんな貴重なものを……」
「そんなもの関係ない、今は戦争だからな」
すべてを“戦争”その漢字2文字で片付けてしまった。何か文句を言いたかったヒロキだが言葉が出ずに結局引き下がった。
「カンテランの灯りは問題ないな、兵士を回収後すぐに離脱する!」
ニルスが指揮を再開する。結局この自然要塞の攻略は成功したのか失敗したのかよくわからなくなってしまったが少なくともマイナスではない。遠くから兵士たちが帰還する姿が見える。一番奥にはミリアとシードの姿が見えた。皆、砂だらけの格好になっていた。これは帰ったらシャワーの準備が必要だ。




