郷土研究同好会の話
辺りは一面、すすき野原だった。小高い山の上に広がるここは、バブル時に市の新都市計画によって整備された地域で、道路は広く、歩道もしっかりと設けられている。しかしバブル崩壊により計画は頓挫。結果、道路だけが整備された荒れ地が残された。
市街の中心部から外れているために、人の気配は全くない。青柳泉弥は通学用に使っている自転車のペダルをのんびりと漕ぎながら、すすきの海が波打つ様を目的もなく眺めていた。
強めの横風が、明るい茶の短髪を揺らす。視界を遮られるほどではないがうっとおしい。
何の見所もなく面白味もない、殺風景な風景が、見渡す限り延々と続いていく。自然が多いと言えば聞こえは良いが、カーキ色一色のすすき野原である。花にさほど興味はないが、まだコスモス畑の方が目の保養になって良いだろう。
泉弥は、目的地があってここまで自転車を漕いで来たわけではなかった。泉弥が所属する郷土研究同好会の部長である桐生善守が考案した、郷土研究を目的と称したゲームの真っ最中である。
それは『信号を見たら右折。右折できない場合は左折。一度右折(左折)した後は次の信号では右折はせず、その次の信号――つまり2つ目の信号で右折する』といったものである。とにかく色々な所を散策して、多くの発見をし郷土愛を育むといったもっともらしい名目のゲームではあったが、桐生善守と二桁の年の付き合いである泉弥は、同好会の活動には桐生の理解しがたい趣味というか、性格が色濃く反映されていることをうんざりするほど察していた。
しかしその二桁の付き合いから、桐生の熱心な――執拗とも言う――頼みで興味もない郷土研究同好会に参加する羽目になり、更には今現在のように悪趣味な桐生のお遊びに付き合う羽目になっているのだから、腐れ縁とはやっかいなものである。
泉弥の今の悩みは、いつまで経っても信号が見つからないことである。何せこの一体は道路が整備されているだけなのだ。家の一件も建っていない場所に、信号があるはずもない。いっそのことぐるりと一周してこの地域に入って来た交差点まで戻れるか、行き止まりに突き当たってくれれば良いのだが、確かこの一帯は山道に繋がっていたはずだ。
終わりどころのないゲームに、溜め息をひとつ。
そのうち、周りの景色はすすき野原から林に変わり、道も平らな道路から、消耗していたるところがぼこぼこに隆起したアスファルトへと移行していった。本格的に山道に入ろうとしているようだった。
紅葉の気配はまだ見られないが、先日上陸した台風の影響で落ち葉があちらこちらに散らばっている。強風で折れてしまったらしい細い枝をばきりとタイヤで踏み折った時、泉弥は道の先に何か小さな黒い物体が横たわっているのに気が付いた。
自転車を寄せてみると、それは息絶えた黒猫だった。泉弥ははっとなって自転車から降りて黒猫に触れた。
黒猫の毛は薄汚れ、ぐっしょりと濡れている。首元の毛の合間から青い首輪が見えていた。冷たく、ずしりと重い体を起こしてやると、首輪に取り付けられた『青柳』と書かれた銀メッキのネームプレートがぶらりと揺れた。
泉弥は黒猫をそっと自転車の籠の中に横たえると、来た道を引き返してすすき野原に向かった。
確か、住宅建設予定地は地ならしされただけのむき出しの地面だったはずだ。
記憶を頼りに、ペダルとハンドルを操った。しばらくして、迷うことなく無事に住宅建設予定地に辿り着く。どこも雑草が生え放題になっているが、すすきよりは背が低い。大きいものでも泉弥の膝より少し高い程度だ。
どの辺りに埋めてやろうかと、辺り一帯を回ってみる。すると、何者かが予定地の一角に入り込んで、うずくまっているのが見えた。どきりと心臓が跳ね上がる。
このまま無視して通り過ぎてしまおうと、ペダルを漕ぐ足に力を込める。しかし、それが同い年くらいの女の子であることに気付くと、泉弥は一端ブレーキを引いて自転車を止めた。
――どうするべきか、幾ばくか逡巡する。膝を抱えるようにうずくまっている後ろ姿だけを見れば、体調を崩しているようにも見えたからだ。ただ、一体どうしてこのような人っ気の無い所に、おまけに1人で居るのか。散歩が趣味か、それとも危ない人か。
腕時計の秒針がたっぷり3周するほど悩んだ末に、泉弥は声を掛けることに決めた。万が一襲い掛かられても、相手は同年代の女の子である。力ではこちらに分があった。凶器を持っている可能性も全く無い訳ではなかったが、そちらは一般常識的に考えたくなかった。
意を決して、泉弥は少女に近付いて行く。少女の物であろうシルバーの自転車の脇に、自分も駐車する。その時、泉弥の通う高校の校章が描かれたシールが、少女の自転車のフレームに貼ってあるのが目に付いた。泉弥の自転車にも同じものが貼ってある。通学自転車証明のシールだ。
色は緑。これも泉弥と同じで、少女が同級生であることを示していた。
泉弥の警戒が、幾分薄らいだ。よくよく少女を見てみると、確かに見たことのある後ろ姿だった。
アスファルトから、地ならしされた土に足を踏み入れる。先日の雨でふやけた土に少しだけ足が沈んで、止まる。更に足を前に出し、少女に近付いて行く。
あと数歩、ということろで、少女がこちらに気付いて振り向いた。肩ほどまである丁寧に切り揃えられた真っ黒な髪の間から、白い肌と、険しく細められた目が見えた。形の良い薄い唇は真一文字に引き結ばれている。
あまりに鋭い視線に、思わず足が止まった。警戒を通り越して敵意すら感じる表情だ。
目を逸らすと誤解されそうな気がして、泉弥は少女の、髪と同じく真っ黒な瞳をじっと見つめた。喉がからからに乾き始める。何とか目の前の少女の情報を記憶から引っ張り出そうと、定期試験の時に匹敵するほどの勢いで頭を回転させた。
その甲斐あって、何とか彼女の顔と名前が記憶の中で一致する。
篠野夕季。クラスは違うが、泉弥の学年では彼女は良くも悪くもちょっとした有名人だった。
見た目が良いとか、成績が良いだとか、家柄が良いとか、凄い特技があるとか、話題を呼ぶ要因は人によりけりであるが、篠野夕季の場合、目を引く一番の要因は、容姿の良さだった。有り体に言ってしまえば、凄く美人だ。
真っ白な肌と、つり目がちな大きな瞳に、シャープな輪郭。日本人にしては少し掘りが深くて、鼻筋もすっと伸びている。唇は薄く小さめ。和服が似合いそうなおかっぱ頭は一歩間違えれば暗く見られそうだが、彼女にはとても良く似合っていた。遠くからだと日本人形のような儚げな雰囲気があるように見えるのに、近くで見るとその印象は一蹴される。凛とした存在感は大和撫子というより、格好良い女性、だった。
そんな彼女だったから、入学当初から男女問わずかなりの話題になったものだった。しかし、その熱狂は長くは長くは続かない。彼女は非常に無愛想だったのだ。ぴくりとも笑わないとの噂が広まり、それが事実であることが知れ渡ったるのに、さほど時間は掛からなかった。篠野夕季を落としてみせると息巻いていた好色な男子生徒も、あまりの篠野の感情の無さに次第に気味が悪くなっていったらしく、次々と手を引いていった。
彼女に残されたのは、『日本人形』『鉄仮面』といったどちらかと言えば不名誉なあだ名であった。
元々交友関係は広くない泉弥はどれも噂で聞いただけで、篠野とは廊下ですれ違う程度であったが、それだけでも何かあると彼女に関する話は自然と耳に入ってきた。
それだけ、悪い意味でも篠野夕季は目立つ存在だった。
だが、そんな他人の篠野夕季像を思い返してみて、泉弥はおやと首を傾げた。今の篠野の目は感情に――あまりよろしくないベクトルではあるが――溢れている。どうやら全く感情がないという訳ではなさそうだ。
「E組の、篠野さんだよね?」
いつまでも睨み合っていても仕方がないので、思い切って泉弥は口を開いた。まずは彼女の警戒を解かねばならないが、名前を言い当てられたのを不審に思ったのか、彼女の目つきが更に怖くなっていった。
「お、俺、A組の青柳っていうんだけど……。その、すれ違ったくらいなら、あると思う」
篠野夕季は瞬きだけをしている。拒絶されていることは、泉弥にも分かった。しかし、「やっぱ何でもない」と立ち去るのも気不味く、とにかく何か話題を振らなければと気力を奮い立たせた。
「あのさ、何してたの? 偶然通りかかっただけなんだけど、具合でも悪くしてるのかなって思って」
言葉にしてみるとかなり胡散臭い台詞だったが、事実なのだからどうしようも無かった。これを無視されたら大人しく引き下がろうと思っていたのだが、篠野は首を右に捻った。そのまま顔を左に向け、具合が悪いわけではない、と言外に表明されると思ったが、予想は裏切られ視線は右に固定されたままだった。
むしろ視線は、彼女の後方に注がれていた。その仕草を「答えはそこにある」と言う風に解釈した泉弥は、改めて篠野に近付いた。
彼女の後ろには、形の崩れた汚れたダンボール箱があった。そしてその中に虎柄の子猫が居ることに気付いて、思わずあっと声が出た。
「捨て猫?」
「飼われているように見える?」
「……いや、見えないね」
遠慮の無い言葉に思わず言葉を濁らす。篠野夕季は噂通り無愛想な上に、かなりの皮肉屋なようだ。しかし、返事をしてくれたという事は、こちらとの対話を受け入れてくれたと受け取っても良いのだろうか。驚きを悟られないよう、そっと子猫に手を伸ばしてみる。子猫は怯えているのだろう。泉弥の手から逃げるように後ずさり、ここには居ない親猫に助けを求めるかように「にい」と鳴いた。
泉弥は、その鳴き声に応えるように「にい」と声真似をしてみた。鳴き真似で意志疎通が出来るなどという、メルヘンな考えはさすがに無い。強いて言えば、祈りにも似た気持ちだった。
「にゃあー、にゃー」
辛抱強く、鳴き真似をしながら子猫の警戒が解けるのを待った。背後にいるので表情は窺えないが、今の自分を見て篠野夕季はどんな顔をしているのだろうか。まさか人が来てくれたからといって、帰ってしまったりしていないだろうか。若干の不安に駆られていると、それを打ち払うかのように子猫が、そっと鼻先を泉弥の手に寄せてきた。
にゃう、と鳴いて、ついに子猫が一歩前進した。おそるおそると言った様子で、泉弥の手に触れてくる。そうして慣れてきた頃を見計らって、泉弥は小さな体を優しく抱き上げた。
後ろを振り返ると、篠野夕季はまだそこに立っていた。その表情からは、先ほどまでの敵意じみた圧力は感じられなくなっていた。
じっと手元の子猫を見ているので、そっと篠野に差し出してみる。篠野は戸惑ったように一瞬硬直したが、泉弥から子猫を受け取った。
「篠野さん家って、猫飼えるの?」
猫を愛でる篠野夕季の鉄仮面が、少し曇って、首が横に振られる。
きっと、飼えないと分かっていつつも放っておけず、長い時間ここにいたのではないだろうか。学校で語られている篠野夕季とは違った姿に、泉弥の胸が疼いた。
「……じゃあ、提案。俺ん家が飼っても良いかな?」
篠野夕季が、目を丸くして泉弥を見た。鉄仮面が脱げた、と泉弥は思った。
「飼えるの? ……あなたの、家」
「青柳ね。A組の」
不自然な間に、名前を覚えていないのだろうと思った泉弥が改めて名乗ると、篠野は不愉快そうに眉根を寄せた。
泉弥はそれを無視して、自転車に向かって走った。
「ちょっと、待ってて」
籠から「ミツル」と名付けていた愛猫を抱き上げ、篠野のもとへ戻る。
「猫、飼ってたんだ。最近元気なくて、突然居なくなったと思ったら、さっき向こうの山で見つけて」
篠野夕季は黙ってミツルを見つめていた。にい、と篠野の腕の中の子猫が鳴く。
「うち、マンションだから埋められなくて。昔、猫じゃらしの代わりにすすきで遊んでやったことがあるし、ちょうど良いからこの辺に埋めて上げようと思ったんだよね。そしたら、篠野さんを見付けたってわけ」
篠野に抱かれた子猫に向かって手を伸ばすと、何かくれると期待したのかしきりに指の匂いを嗅いできた。
頭を撫でてやると、居心地が悪そうに手を払おうともがく。
「たぶん、この子を飼うのも大丈夫だと思うよ。うちはみんな動物好きだし。万が一駄目でも、ちゃんと責任もって飼い主見付けるからさ。……で。その代わりと言っちゃ何なんだけどさ、コイツを埋めるの、手伝ってくれない……かな」
まるで眠っているような愛猫に視線をやった後、篠野の目を見つめた。彼女の顔は鉄仮面に戻っていたが、ゆっくりと頷いてくれた。
自転車の籠の中には、泉弥が着ていたパーカーが敷き詰められ、その上で虎猫がちょろちょろと動いていた。泉弥は篠野と自転車を併走させながら帰路に就いていた。
「何で青柳君はあんな所にいたの?」
新都市計画跡地を抜ける交差点に差し掛かった時、篠野に声を掛けられて、泉弥は肩を跳ねさせた。色々と発見はあったものの、篠野のイメージは鉄仮面から脱却できていなかった。
「同好会のゲーム……じゃない、活動の一環で、いつの間にか」
そういえば、例のゲームは図らずも中断されてしまった。とは言え真面目にやっていると本当に終わりが見えてこなさそうだったので、これで終了とすることにした。
「同好会って、何の?」
「郷土研究同好会……」
「……そんなのあったんだ。貴方にぴったり」
「なにそれ」
歩行者信号が赤から青に変わり、ペダルを思いっきり踏む。篠野は答えない。
「……そういう篠野さんは、何であんな人っ気の無いところにいたわけ」
嫌みを言ってきたくらいだから、篠野の答えは至極納得のいく物に違いないと、視線でプレッシャーを送ってみた。だが篠野の横顔は至って涼しげで、全く動じた様子はなかった。
「散歩よ」
朝起きたら顔を洗うのは当然、とでも言うようにあっさりと、さも当然であるかの如く、堂々と篠野は言い切った。言ってやりたいことは山ほどあったが、あまりに自信たっぷりな姿に気力も削がれてしまう。
言葉に詰まったものの、ここで会話を打ち切ってしまうのも勿体ない気がして、何とか話題を繋げる。
「……散歩で、あんなつまんない所に行くもん?」
「つまらない場所だって、一から百までつまらないとは限らないじゃない」
つまりは、確かめに行ったということだろうか。変わっているなと思ったが口にはしない。世の中、色々な人間がいる。その中の、自分の理解の及ばない人間にいちいちケチを付けるのは、気力と時間の無駄遣いだ。
似たような台詞を吐く悪趣味なゲームの提案者との盛大な討論で、泉弥は胃に穴が空きそうなほどそれを痛感していた。
何より、その藤野の性格が一匹の子猫の命を救ったのだ。泉弥1人では、猫に気付かなかったかもしれないのだから。
「でもさあ、危なくない? あそこにいたのが猫じゃなくて不良集団とかだったら……とか、考えない?」
篠野の鉄仮面が渋いものに変わった。一応気になってはいることらしい。品のない集団に出くわせば、容姿の良い篠野であるから、厄介事が起こる可能性が無いとは限らない。マンガやアニメだったら、実は喧嘩が滅法強い、なんて話が飛び出ただろうが、さすがにそんなことはないらしい。篠野は黙ったままで、泉弥は溜め息を吐いた。
「篠野さん、交差点をひたすら右折して街を散策したり、田んぼ道の先に何があるのか探ったり、ひたすら一方通行の標識探して歩き回ったりする散歩に興味ない?」
「……何それ?」
「同好会の活動。部長が変なルールで街を散策させるんだ」
「私に同好会に入れってこと?」
突き刺すような鋭い視線が泉弥に向けられた。
「あ、いや、そういうわけじゃ、ないことも……ないか。その、何か話してると、部長と篠野さん、気が合いそうだし。同好会の部活なら、俺か部長か、どっちかが付いて行ってあげることも出来るし」
「余計なお世話」
ぴしゃりと即答され、泉弥はぐうの音も出せず口を噤んだ。今日初めて口を利いたような人間、しかも異性が急にこんなこと言うのは、確かに迷惑だったかもしれない。下心があると勘ぐられてもおかしくない。
呆れられただろうな、と泉弥は内心頭を抱えた。篠野は美人だから、まったく下心が無かったというわけではないが、まともな思慮があれば、友達とも言えない関係で急にあんな台詞を口に出すなど、どうかしているとしか思えない。
「そ……そうだよね、ごめん……。幽霊じゃない部員、俺とヨッシーの2人しか居ないから、その、活動がマンネリ気味でさ。篠野さんみたいな人が同好会入ったら、ヨッシーも喜ぶと思ったんだけど……」
必至に言い訳を並べて場を誤魔化す。ちらりと篠野の視線を感じたが、振り向くことは出来なかった。
「ヨッシーって?」
「……え、ああ、部長。善守って名前だから」
そう、と呟いて、篠野はそれきり口を閉ざした。市街の交差点で別れるまで、沈黙はずっと続いていた。
拾った虎猫は無事青柳家の一員となり、「チロル」と名付けられた。
週明けの月曜の昼。いつものように郷土研究同好会の部室で購買のパンを頬張っていると、突然、乱暴に扉が開け放たれた。
「喜べ、泉弥! 我が同好会にニューフェイスだ!」
部長の桐生善守が、部室に入ってくるなり芝居じみた動作をしつつ叫んだ。人目を忍んでジュリエットに愛を囁きに来たロミオのような、大仰な手振りに呼応して、善守の切れ長の目を飾る銀縁眼鏡のフレームがキラリと輝いた気がする。
知らない人間がこの光景を見れば絶句必至だったが、この男が騒がしいのはいつものことであり、そして泉弥はこの騒がしい男と10年以上の付き合いだった。あしらい方も心得ていて、普段なら軽く流して終わりにしてしまうところだったが、今回ばかりはニューフェイスという耳慣れない言葉に引っかかりを覚え眉をひそめた。
「新入部員? 今更?」
「そうだ! しかもとびっきりのだッ!」
まるで偉業を成し遂げたかのように胸を張る桐生。何事もなければ、桐生の執拗な勧誘に根負けした哀れな子羊に合掌するところなのだが、このタイミングでの新入部員となると、心当たりが1人いた。鉄仮面、篠野夕季。しかし、彼女はバッサリと誘いを断ったはず――。
「篠野君! 入って来給え!」
桐生の朗々たる声と大仰な動作に迎えられ、つい先日あったばかりの少女が部室へと一歩足を踏み入れた。
白くシャープな輪郭を飾る、つり気味の大きな目と、高い鼻筋。肩ほどで切り揃えられた艶やかな黒髪。感情に乏しい顔貌。
新入部員は紛れもなく、篠野夕季その人だった。
今、自分は素っ頓狂な顔をしているだろう。桐生が得意そうに腕を組んでいる。その桐生の視線が、篠野から泉弥へと移った瞬間、篠野が鉄仮面を脱ぎ捨てた。
目尻が僅かに下がり、反対に、唇の端がつり上がる。
泉弥はしばし息をするのも忘れ、その笑顔に見惚れた。
「E組の篠野です。よろしく」
――何だか、取り返しの付かないことをしてしまった気がした。