第61話 終幕~アルカナを継ぐ者3
アルカナ本編の続きです! なんとか早めに出せました!
沙樹はその一瞬で全てを悟っていた。
自分が魔女との戦いから逃げられないこと、学校の生徒達の危機に、時間が残されていないこと。そして、立花の視線があることを。
伸ばしていたはずの右手が、躊躇いがちに戻されていく。
なぜ刑事である立花が此処にいるのか。しかも“亜流の魔女”たるヘレナとの戦いに臨んだ今になって、だ。
思考が不安にぐらぐらと揺れ、、本能的に警戒心が警鐘を鳴らす。
自分が魔女と戦えば、立花に魔術の存在を知られてしまうだろう。そうなれば、もう自分は、何処にも居場所を無くしてしまうのではないかと思えた。しかし、戦わなければ級友達が炎に巻かれる未来しかない。
心臓の鼓動が急に大きくなった気がして、沙樹は息を止めた。
「あれは、支倉さんと……まさか!? 行方不明だった日野さん?」
遠巻きに事態を見つめる美佐子の脳裏には、無数の事件関係者の顔写真があった。日野の安否を気にしていたからか、今の美佐子は魔術的な影響すら効力を失っていた。
「先輩、火の勢いが強い! 生徒達を避難させないと。先に行きますよ!」
「えっ? 待って、加藤君!!」
避難誘導に向かう彼に、美佐子は狼狽えた。なぜだか分からないが、目の前の二人を放っておけなかったのだ。普通に考えれば事件関係者である日野貴理子の保護と、建物火災で逃げ遅れた生徒達の避難を二人で手分けして行うべきだった。
しかし、彼女の勘が何か悲壮な決意を見せる沙樹の瞳に釘付けになったのだ。目が離せない。なぜだか放っておくことができない確信があった。
その彼女自身にも判断のつかない旬順が、美佐子をその場に留まらせていた。
講堂の出口で、春香は錯視の蛇の結界に悩まされていた。
先ほどから全力で魔力抵抗を試みてもビクともしない其れに、焦る気持ちばかりが沸き立つ。
「うぅ……。ああぁぁ!」
練り上げた破魔の力を使っても沙樹の使い魔は微動だにしない。歳破を使っても撃ち破れない魔など出会ったことがなかった。彼女の常識を覆す存在に、弱った身体は膝をつきかけ、心は折れそうになる。
それでも渾身の力を込めて、春香は両手に全体重を掛けて結界に挑む。力で押し通さなければ、この場は通れないのだ。
(こうしてる間にも……沙樹ちゃんに危険が!)
春香は破魔の力を再び両手に集めていく。何度も繰り返した其れを諦めることなく魔術として編み上げていく。
呼吸を整え、息吹となす。残された体力で図れるタイミングは、おそらく次で最後だ。戦士として教育され、これまでの激闘を制してきた経験が、強大な使い魔への抵抗を試みる。
ギリと奥歯を噛み締め、春香は全身に魔力を巡らせる。最後の一撃に全てを掛けて。
(……もう二度と、恐れたりしない! 例え傷付いても、前を……向くから……!!)
駆け巡る破魔の力が、彼女の中で膨れ上がる。
白い光輪が、少女の身体を包むように現れる。
「ムッ……。貴様、何をする気だ!?」
錯視の蛇の口調に、初めて虚をつかれたような焦りが見えた。
「歳破ぁ!!」
両手に込めた全身の力にのって、白い光が結界陣に走る。
法外な量の破魔の力が、蛇の魔術を駆逐していく。春香の両手が掛かっていた箇所から、白い光に塗り潰されていた。
何事かを叫ぶ蛇の声を聞き流して、春香は崩れ落ちそうな身体をギリギリのところで支えた。途端に視界に明るい景色が入る。
探したのは親友の無事な姿。
そして、今にも始まりそうな二人の決闘を眼にして、彼女は一も二もなく叫んでいた。
「……逃げて!」
親友の未来に、かつての自分と同じ苦しみを与える訳にはいかなかった。覚束ない足で、前に進もうと足掻く。
「沙樹ちゃん……。魔術は、自分以外のために使わないで!」
自らの声が、親友に届くことを望んで。
春香の声が、魔術の行使をやめよと叫ぶ。
しかし、沙樹は改めて眼前の光景に言葉を失っていた。
聞こえてくる悲鳴。窓から煙と炎を上げる校舎。
そして、こちらを油断なく見つめる立花の姿を。
幾許の時間が過ぎたのだろう。沙樹の思考を押し留める理性が、警告する。踏みとどまれと、忠告する。
「沙樹ちゃん、ダメだよ! 絶対に他人に見せないでっ! やめてー!!」
彼女の耳に届く親友の悲鳴が、彼女の目に写る学校の被害が、理性を削り取っていく。
これが覚めない悪夢なら、まだ救いはあったかもしれない。
(私は……もう、逃げない!)
そして、沙樹は無意識のうちに再び右腕を掲げていた。その手が示す三本の指。それは、3つの事象を表し、魔法による三元的支配を象徴するもの。
其は、時間・空間・充足理由の原則ーー。
我が身が置かれた世界に、少女の迷いは消えた。
「天上の時紡ぐ神よ。我は東方の賢者の血に連なる者なり……」
聖句の奏上に反応して、大魔方陣が起動する。
沙樹を中心に、反応した魔方陣が黄金色の魔力光を伴って顕現していく。
それは、現存する巨大魔方陣としては世界最大。稼働する巨大魔方陣としても世界唯一のもの。
市内一円を範囲内におさめ、見渡す限りの地平に積み重なる魔法文字と複雑でいて精緻な紋様が浮かび上がった。
音もなく起動を始めた大魔方陣が、主人の次なる言葉を待つ。
「……金枝の盟約に従い、今こそ約束の大地に降り立ち、永久の祈りを捧げん」
肌に風を感じながら、少女は最後の言葉を紡ぐ。
「OMNIA」
魔力の載った詠唱は、澄んだ早春の空に木霊した。天空の雲に、一点の穴が穿たれる。
それは、見る間に広がりを見せ、雲を蹴散らし、空を青一色に染めた。
校舎に上がる黒煙は白煙に変じた。
殺伐とした空気は、少女を中心にその色を変えた。
「えっ? 火事が……」
美佐子が驚きに見たままの感想を述べる。
「こ、これはなんだい!?」
ヘレナが唱えていた対抗呪文が中和され、無効化される。
「沙樹……ちゃん……?」
三者三様の驚きに、事態の異常さが垣間見えた。
しかし、その中心に立つ少女は満足そうな微笑みを浮かべていた。
「春香、もう大丈夫だから……」
「沙樹ちゃん? これは……」
驚愕を告げる親友に、沙樹は青い瞳を向けて言った。優しい輝きを秘めた瞳が、犠牲など払う必要がないと告げる。親友の性格を誰より知っている春香だからこそ、沙樹の行使した魔術に困惑したのだ。
「大丈夫だから。心配しないで」
鈴を転がすような声が、春香に届いた。今にも倒れそうな少女に、癒しの音色を感じさせる声が届く。
「ほら、もう誰も傷付かない。誰も自分を犠牲にしなくていいの。だから……」
腰まで届く長い黒髪を靡かせ、沙樹が親友を励ます。その青い瞳が、魔女ヘレナへと注がれていた。
魔力と呪文を相殺されて、ヘレナは未だに事態の把握に努めていた。魔女が示す混乱は、普通の者なら当然の結果だった。
「なんで、星の魔力が消えて……。魔力が感じられないなんて!?」
ヘレナの困惑を他所に、沙樹の瞳に光のヴェールが映り込んだ。大魔方陣の領域内全てから溢れ出す光が、ヘレナの元へと流れて行く。
危険を感じた魔女が身構えようとした時、足元に立ち塞がる何かを感じてヘレナは視線を落とした。
「!!」
声にならない声は、足元にいる少女を指して罵ったのか。其処にいるはずのない日野貴理子がヘレナの片足にしがみついていたからだ。いや、ヘレナの眼にそう見えただけなのか。
だが、その一瞬の刹那の間に光はヘレナを包み込んでいた。何もかもを呑み込んでいく白光に、沙樹と春香は魅入っていた。
流れ込んでくる暖かい心。故人の記憶と呼んでいいそれにヘレナも同調される。魔力とは違う温かい波動に、ヘレナの意識は引っ張られた。
『私には子どもはいない。弟子達が、息子がわり、娘がわりだった』
かつて耳にした我が師の声。優しい師の心は、いつもヘレナの支えとなった。
口数は少ない人だったが、それを補って余りあるほどの優しさを彼女自身が知っていた。
『私は得難い娘を得た』
成人した自分を称え、魔術の才能を褒めてくれた言葉。当たり前のように聞けると思っていた、師の導き。
「ああああぁぁ……!」
溢れてくる師の心。自分を大切に思ってくれていた記憶が、頑なだったヘレナの心を溶かしていく。
「師よ。あなたの心も知らず、私は……! 私はぁ!!」
理解が及んだ瞬間だった。師の愛情に気付けた彼女は、激しい動揺に見舞われていた。
脳裏に浮かぶギリシャ様式の列柱。見覚えのある緑の風景と列柱の続く廻廊が回る。
無限に続く廻廊の列に、彼女は何を想い浮かべたのか。
その彼女の姿が小さな光の粒となって消えていく。
まるで星々の光に呑まれたかのように、魔女が消滅する。ただ、美しいとさえ言えるその光景に誰もが言葉を失っていた。
「浦の? どうした?」
守護者達の指導者たる浦を呼び捨てにするのは、御三家のひとつである千々和の先代当主、千々和草城そのひとであった。
山手の丘陵地に集まった彼等は、皆この地を守るために集った精鋭達であった。坂の上にある館からの参集命令を目にした時、彼等は別の任務のため亜流の魔女を追っていた。
その最中、程近い場所での作戦命令を受けて、折よく陣頭指揮を執っていた浦達が駆け付けてきたのだ。
傍らに立ち、周囲を警戒する姿も堂に入った浦本人は何事かを考えこんでいるように見えた。
「いえ、わざわざ来ていただきましたが、大した戦果にもならなかった。申し訳ありません」
頭を下げる浦を片手で制して、草城は言った。
「仕方がないよ。久し振りの参集だったし、僕も間に合って良かった」
「そう言っていただけるのでしたら、助かります」
部下達が周囲の警戒をしながら確認作業をしていく。そのさまを見て、浦健児は深く溜め息をついた。
今回の事件は何かと謎が多い、と浦は沈思黙考した。
「それに、大金星かも知れないよ。これは」
草城が不意に告げた。
それは、考えごとをしていた浦を驚かせる内容だった。
「この傀儡使いが、ですか?」
彼等の視線の先には、外国人の魔術師の亡骸と、いったい何の用途に使うのか分からない割れた壺が散らばっていた。
市内の高校で発生した火災は、大きな被害もなく速やかに終息した。
それは、魔術的な支援による被害の回復と怪我人の治療やケア等を含んだものだったが、加藤をはじめとする者達が人知れず活躍した。
事件関係者である日野貴理子は、高校に近い河川敷の一角で発見されたが、その時既に事切れていた。
「先輩、第一発見者の事情聴取は?」
加藤の声が河川敷の一角に響いた。駆け付けた彼等は、長崎署の一員として、また特捜班のメンバーとしても奔走していた。
「終わったわ。データを本部に送るから、こっちの鑑識の案内をお願い!」
「分かりました!」
立花と加藤の役割分担を受けて、本部から到着したらしい鑑識課員達が河川敷の遺体発見現場へと入っていく。
「外周の規制は終わってます。現場は荒らされないように一人張り付けてもらってます」
「分かりました。あれですね?」
加藤の案内で発見現場に鑑識が入っていく。制服姿の警察官が彼等を敬礼で迎えていた。
現場を荒らさないよう一列で進む彼等はプロフェッショナルだ。後は、任せて問題ないと加藤は思っていた。
「写真! 全景から撮れよ」
「器具の準備を急げ。変質する微物はないか確認を急げ!」
班長らしい人物から次々と的確な指示が飛ぶ。その様子に、加藤はようやく肩の荷を下ろした気になっていた。
「加藤君? あれ、こっちで刑事課長を見なかった?」
駆け寄って来る立花の姿が目に入る。事件現場で取り乱す事なく立ち振舞う彼女は、やはり生粋の女性警察官なのだろう。
荒事に慣れた自分とは違う何かがあると感じながら、彼は返答した。
「五分くらい前に来てましたけど……。たぶん、特捜班長を迎えに行ったんじゃないですか?」
「ほんと? ありがとう!」
慌ただしく捜査に奔走する立花を見ながら、加藤の目には彼女の今後を気遣うような視線が混じっていた。今はまだ仕事に忙殺されるだろう。だが、その後で彼女自身に降りかかる問題は解決することがないのだ。
「すみません! ちょっといいですか?」
鑑識から掛けられた声に二人は同時に反応する。
「この少女の病歴や通院の有無は分かりますか? ちょっとおかしな傷があるんですが」
「おかしな傷ですか?」
「ええ。後頭部から頸部にかけて、新しい傷のようなものがあるんですが。それがまるで、小さな人の顔のように……」
鑑識の言葉から困惑が見て取れることを加藤は鋭く感じ取った。
人智を超えた何かを恐れる本能は、誰にも備わっているものだ。それがどう現れるかは、理性と自制心にかかっている。見ておかなければならない、と彼は即座に判断した。
「私達が拝見しても?」
「ええ。どうぞ」
当然のように遺体発見現場に向かう加藤に、立花は一瞬だけ何か思い詰めたような表情を見せた。
「後頭部に何か腫瘍のような傷跡があるんです。それも比較的新しい傷です。ただ、この遺体は死んでから数日経ってるようなんです。詳しいことは検死結果を待たないと分からないんですが……」
そんな鑑識班の言葉が聞こえてきた気がして、美佐子は立ち去る加藤達を見送った。
それから程なくして、市内を騒がせた少女四人が犠牲となる放火殺人事件は、重要参考人の老婆を発見することなく迷宮入りをすることになる。
なんとか連休期間中に連続投稿できました。最近、仕事も忙しく、更新ペースが落ちていました。色々と大変でしたが、読んでくださる方に改めて感謝です!




