第57話 |死線《デッドライン》2
アルカナ(ARCANA)本編です! イメージの変換に手間取るやら何やらで遅れました。
沙樹と魔女ヘレナを結ぶ緊張の糸。その眼に見えない糸が、二人の生死を分ける死線を形成していた。迷宮に木霊する風の音が、荒涼とした匂いを運ぶ。
錯視の蛇が行使する円環の魔術の中で、沙樹の喉が何故か渇いた。
決別を告げた魔女の口上。
彼女の使い魔ならずとも、沙樹の身を案じる者達にとって非常事態を告げる時の鐘が鳴り響いていた。
「おい貴様、手を貸せ」
使い魔の声が厳しさを含んで少年に届いた。彼にとって、守るべきは主人たる少女唯一人。それ以外の者への扱いが、粗雑になっても仕方がなかった。何より今は火急の刻。蛇の意図するところが分からないながらも、光一も耳を傾けていた。
「こちらに来て娘の手を握り締めるのだ。最低限、身体に接触していればよい」
ウロボロスの思いがけない指示に、光一は狼狽えた。思わず声が裏返った少年の頬に朱が差す。
え、いや何をと訝しむ光一に、錯視の蛇の声が厳しさを増していく。
「お前が持つ赤の魔石には、その材料のひとつに不死鳥の血が使われている」
時間が惜しいとばかりに蛇が続ける。
その青い双眸に宿る魔力が険しい色を増していく。忌々しいと言わんばかりに、蛇が口早に続けた。
「魔力の譲渡に際して、“赤の魔石”の魔力を帯びさせたほうが回復率が高いのだ。早くしろ!」
他者への魔力譲渡は一概に魔力持ちだから良いという訳ではない。魔力の性質の違いなどにより思わぬ反発力を伴う場合がある。まして大量の魔力を注ぎ込む術式を展開している沙樹の使い魔にとって、少しでも効率の良い方法を選択するのは少年にも理解できた。
光一が沙樹の後ろ姿を見て、次いで春香を見た。その表情が真剣なものへと変わっていく。
「わ、分かった。協力させてくれ!」
少年が首肯する。その顔には先程までの慌てた様子はなく、少なからぬ決意が見てとれた。
単なる学校の同級生というだけではない付き合いの少女。その春香が死に瀕している。自分の身代わりとなり重傷を負って、だ。
(なんであんな真似をしたのか……)
光一が責任を感じるのは無理もない事だ。誰に非難されなくても、目の前で自分を庇う形で春香が魔女の凶刃に倒れたのだ。混乱し、責任転嫁したり、逃げ出さないだけ彼は胆力があったということだろう。
「それでこそ、主人の情夫よ」
したり顔で笑う錯視の蛇の笑みが凶悪なものとなる。その蛇の口元から小さな魔法陣が新たに展開していく。そして、その魔法陣ごと光一の後ろから魔術を行使する。
拘束の魔術。魔力による楔が、光一と春香の手を文字通り縫い付けていた。
何をと尋ねる間もなく、光一を衝撃が襲う。それは、春香へと譲渡され賢者の石へと導かれるはずの魔力。
突然の奔流を受けて、少年の顔が苦痛に歪む。
「ククク……。なに、死にはしない。多分だがな」
それは、沙樹の使い魔たる蛇が少しでも早く主人のもとへ駆け付けるためにとった苦肉の策であった。
光一と春香。二人の周囲に魔力が充満してくる。賢者の石を使った奇蹟の業が発現しようとしていた。
「……そう。分かったわ、ありがとう」
「誰からです?」
沙樹の通う高校へと急ぐ車内で、美佐子が携帯型インターフェースを閉じる。特徴あるフォルムの端末は、捜査員専用に使われている端末だ。
情報をレーザー光による投射や他のモバイル機器との連動機能により液晶画面以外にも表示可能なビジネスモデルで、以外なほど頑丈な造型で人気だ。
連絡は、間違いなく特別捜査本部からのものだった。
その内容を確認するため加藤が尋ねた。視線は運転に集中したまま、立花に回答を求める。穏やかな口調はそのままに、美佐子に短く聞いた。
「舞香からね。公開捜査のテレビ報道が始まった件よ。既に電話が鳴りっぱなしだって」
「そうですか……」
二人の間に沈黙が降りた。
車は市街地を随分長い時間走っていたが、坂の上にある高校はまだ見えない。
車内には微かなエンジン音が響いていた。
「公開捜査って……、思ってた以上に影響があるのねぇ」
「……そうですね」
ポツリと溢すように美佐子が口にした。
今更ながら、後戻りが出来ない状況になりつつあった。加藤にとっては想定内の内容だが、彼女の言葉の意味するところが分からず相槌が遅れていた。
嘆息した後、美佐子の横顔はいつもより引き締められていた。そのせいか、押し黙った彼女の内心は窺えない。その横顔を気にして、加藤が美佐子に声をかけていた。
「先輩、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよって……。弱気になってません?」
「……な、何言うのよ! な、何ともないわ」
サッと立花の顔色が変わる。元来、嘘がつけない性格なのだろう。分かりやすい反応に、加藤は二の句を続けた。
「舞香さん、他に何を言ってきたんですか?」
「うっ……。いや、あのね?」
動揺する彼女の態度が、言外に多くを語っていた。どうやら二人の目的を妨げる類いの情報がもたらされたことが推測された。
特捜本部からの連絡は、決して定時連絡などではなかった事を加藤は確信した。
「先輩、特捜本部には捜査で外に出るって連絡してもらってますよね?」
「えっ……! だ、大丈夫よ。私達はまだ呼ばれてないんだから!」
ダラダラと冷や汗が流れていそうな美佐子を横目に見て、加藤は当初の予定を狂わせる要因に眉根を寄せた。なるべく呆れた顔を出さないようにして、彼は美佐子に尋ねた。
「誰か呼ばれてるんですか?」
狭い車内で美佐子の心音だけが煩く早鐘を打っていた。警察署を出てくるまでのスマートさが微塵も無い彼女の様子に、加藤は頭を抱えた。
「……先輩、まさか連絡忘れてきたとか言いませんよね?」
「舞香が悪いのよ! 私は悪くない!!」
「なに子供みたいな事を言ってるんですか! 詳しく話を……!」
車の警戒音が鳴り、次いで急ブレーキのスキール音が響いた。道路の停止線を若干はみ出して、車は急停車していた。
市販車に搭載された自動運転補助システムが、咄嗟の交通事故を予防していた。
二人が乗った車両に停車を求めた自動運転補助システムが、警戒音を終了する。
認知・判断・操作の3つの段階を踏まえて、運転補助システムに組み込まれた各種センサーが機能を果たす。センサーの分解能と認識アルゴリズム精度は近年向上しており、卓越した処理スピードを誇る国産CPUがシステム全体を制御する。
車両に搭載された自動運転補助システムは、的確に運転者を補助し、交通事故を未然に予防していた。
二人の血走った眼が車の前方を凝視していた。運転者の加藤は脇道運転になりかけた事に一旦襟を正すようにして姿勢を直した。助手席に座る美佐子もまた、危険回避の瞬間に冷や汗を流していた。
横断歩道を横切る仔犬が見えていた。その後方には親子連れらしい姿があり、三歳くらいの子どもが無邪気な笑顔で笑っていた。その親子連れと飼い犬らしい仔犬が横断歩道を渡りきるまでの間、車内の二人は固まったまま前方を見つめていた。
おもむろに信号が赤から青へと変わる。今度こそ慎重に、加藤は車を発車させた。何処にでもある日常の風景が流れていく。
車内の雰囲気を変えようと、加藤が声をかけた。
「それで、誰が呼ばれたんです?」
「和田君が特捜に呼ばれたって。それ以上でも、それ以下でもないから……」
加藤の脳裏に友人の姿が浮かぶ。あまり社交性が無い友人だ。事件絡みの話題で特捜班長に問い詰められて、上手く話術で切り返せるとは思えなかった。むしろ自分を売らないか心配なほどだ。
加藤の額に冷や汗が浮かんだ気がした。
間違いなく、あの残してきた老婆の写真の件だと思えた。誰が依頼したのか。誰が入手したのか。どのような経緯で和田が関わり、何を知り、何処まで関わったものかが問い質されて確認されていく。
非常にまずい事態になる予感がして、加藤は無言になった。
彼は一先ず思考を切り替えた。
「和田は後で問い詰めるとして……。先輩、連絡はそれだけだったんですか?」
「あと、裏付け捜査に人を集めるって話しが出てるみたい……。市民から寄せられた信憑性の高い情報があるんでしょうね。刑事課の先輩達が慌ただしい雰囲気だって」
「なるほど。僕たちも班長に呼び出されますよね。確実に……」
「そうね、このままだとまずい事になりそうよね……」
交通事故を起こしかけた衝撃から、二人の脳が次第に正常さを取り戻していく。呆けたような表情が消え、二人のこめかみに浮かんだのは焦りと不安を示す冷や汗だった。
無言の空間に、先に耐えきれなくなった美佐子が吼えた。
「なによ! 高校行きはあなたも賛成したじゃない! もうどうするの!? ねえ、どうしよう!?」
美佐子が加藤に詰め寄る。狭い車内で美佐子の身体が加藤に触れるほど近付いていた。
どうやら帰還命令が出る直前らしい、と彼は得心する。それでも彼は引く訳にはいかない。この先で春香が救難信号を出しているのだ。
沙樹達が事件に関わっていることは彼女に隠しようがなかった。彼としては、美佐子より先に高校で春香達を発見、保護する事が優先的な命題となっている。守護者としての顔が、彼に選択を迫っていた。
「……そうですね」
静かに加藤は美佐子に返答する。
「僕もお嬢さんのことがあるし、引き返すつもりはないですよ」
平常心で、しかし力強く言い切る加藤の態度に無意識に安心感を覚えていた。しかし同時に、美佐子は何故かズキリと痛む胸を抑えたい気持ちにもなっていた。
靄がかかったような上手く説明できない感情に、理性的な彼女は戸惑う。
それでも彼女の表情と態度が、次第に明るさを取り戻していった。
「そ、そうよね! それに、彼女達の安全を確保するために行くんだから引けないわ!」
美佐子のほうも内心は思わず加藤に頼っていたことに気付き、赤面しそうなほど恥ずかしかった。ただ、さっき感じた痛みとともにそのことを彼に気付かれる訳にはいかないのだ。乙女の秘密として。
そんな彼女の葛藤など知るよしもないと、加藤が以外な質問を浴びせてきた。
「……先輩、もしこの先あなたが自分の常識や価値観を打ち崩すような出来事に遭遇したら、どうしますか?」
「……何の話?」
前を向いたまま尋ねられた質問の意図が分からず、美佐子はキョトンとする。
そんな彼女の表情を見て、加藤もまた笑って誤魔化すことにした。
「いえ、やっぱり今はよしましょう……。それに、僕は信じてますから」
信頼とも尊敬とも取れる加藤の言葉に、美佐子は黙っている。
「ん?」
美佐子の頭上にクエスチョンマークがつく。
(あなたなら、世界の真実を知ってなお、同じように前を向いて歩き出せると思うんですよ)
彼の五術が示したのか、加藤の言葉は意味深な雰囲気を醸し出す。
その真意を図る暇もなく、美佐子は彼から正しい現状を告げられ認識した。
「先輩、もう後戻りは出来ませんよ?」
「望むところよ。行きましょう、早く!」
加藤の言葉の意味するところも分からないまま、美佐子が即答する。
彼女が送る視線の先には、まだ見ぬ世界の真実の一端が広がっていることをこの時の彼女は知らなかった。
霧の迷宮の奥深くから、何者かの声が聞こえる。ひどく切なく、心に訴えてくる声が反響している。倒れた少年の頭に、直接的に聞こえる声が鳴り響いていた。
苦痛に歪む表情を抑えて光一は注意を向けた。そうしなければならない気がしたのだ。
「これは……?」
彼の目には何も映らない。魔力譲渡術式の影響によって、彼の身体感覚は鈍り始めていたからだ。理解しようと手元を見る少年の耳に魔力譲渡術式の低く唸るような音だけが響く。
光一の疑問を知っていたかのように、沙樹の使い魔が答えた。何処か警戒したような声色が耳に届いた。
「こんな時に奴の呼び声とは……。急ぐぞ! 急がねば奴は我等を巻き添えにしてでも亜流の魔女を討つはずだ!!」
焦りとは少し違う蛇の声に、少年は戸惑っていた。同じく彼の知る少女の仲間同士ではないか。この危険な状況にあって互いに警戒する理由が少年には分からなかった。
「奴の狩りは苛烈だ。気に入らない相手だと、その存在を髪の毛一本たりとも許さぬ」
蛇の魔術による魔力譲渡の波に晒されている光一にとって、聞こえてくる声は微かだ。しかしそれが、彼の意識を保つ要因になっていた。そして、それによって彼の苦痛は否応なしに増大していく。
更に使い魔の声は続けた。
「己の敬愛する主人を襲った相手に、奴が容赦などするはずがない……。周囲の事など気にも止めずに暴れ回るだろう。間違いなく、この建物は崩壊するぞ!」
使い魔の危惧するところが、今まさに眼前で主人の危機となって現実のものとなっていた。少年の知らぬ間に、沙樹の身に危機が降りかかっていた。
彼女は蛇の魔法陣を出て、魔女と相対していた。その意味するところは命懸けの戦闘である。その証拠に金属がぶつかり合うような激しい音が先程から此方にも聞こえていた。
亜流の魔女が繰り出す多彩な攻め技に、沙樹が防戦一方となっていたのだ。霧の中に潜む魔獣の気配が次第に濃くなっていく。魔女は明らかに全力で沙樹の生命を狙っていた。
「フフフ……。固い守りだこと!」
才気闊達でいて、妖艶な声が漏れる。
荒ぶる気性に乗せた致死の一撃が繰り出されていく。唸る片手斧が風を切り裂き、少女の生命を脅かす。
その度に、黒き蓮の花が舞い踊るように散っていった。
「……!」
言葉も少なく必死に守勢に回っている少女は、敵対心も露な魔女ヘレナに困惑していた。
錯視の蛇の守護の魔術ブラックロータスが乱れ咲く。空間に乱数的に現れ、魔女の攻撃を防ぐべく展開する。固定された主軸を元に高速で回転する濡れた花弁の艶めきが輝く。攻撃に対して螺旋の動きで即応する様は、とても一般人などでは動きを目で追えないほどだった。
片手斧の重さが、攻撃の威力に一撃死の危険を与えていた。
魔女の攻撃が更に激しさを増す。
「何かするのなら、早いほうがいいよ!!」
彼女にも沙樹の使い魔たるルンの呼び声が聞こえていた。沙樹に応援に来る事を知ってなお、魔女の攻勢は止まらない。むしろ水を得た魚のように、生き生きとした表情を見せる。戦う事を生業にした者が持つ自信としたたかさを魔女も持っていた。
そんな状況など見てとる余裕が無い沙樹は、必死に使う魔術式の後ろで自分の使い魔に尋ねていた。
「……ウロボロス! まだなの!?」
聞くそばからブラックロータスの花弁が散らされる。
片手斧が花弁の防護壁を削り取るたびに、少女の心臓は早鐘を打っていた。いつ守護の魔術を突破して刃が自分に迫るのか、考えただけで精神が削られていく。
「主人よ、まだだ。まだ耐えるのだ! 手元に魔力を集めよ!! 誘導に集中するのだ!」
蛇の魔術、二つ口が沙樹に届く。
少女の周囲に咲き誇る黒き蓮の花は、回転する花弁の残像が煌めく。沙樹の魔力によって任意の攻撃に向けて回転する花弁が誘導されていく。
彼女は必死に魔女の攻撃を見切り、それに黒き蓮の花をぶつける事で相殺していた。
春香の治癒が済むまで、何としても自分が守らなければならない。耐えなければならない。その一心で、これまで経験した事の無い極限の集中を強いられていた。上下左右、相手の虚をつくべく繰り出される魔女の攻撃を彼女は見切っていく。
錯視の蛇もまた、視界に入るものの離れた主人を守護するべく魔術を行使していた。主命を果たすべく行動するのだが、それが結果として主人に負担を強いている。彼にも分かっている。だが、賢者の石を使う治癒の魔術に意識と魔力の大半を取られているのだ。二つの頭を持つ蛇であるからこそ、沙樹の守護にも黒き蓮の花を展開することが出来ていたのだ。
そんな主従の事情など知らぬとばかりに、魔女ヘレナの攻撃は繰り出される。
何度目の攻撃か、数える事も出来なくなったころ、不意に使い魔の声が聞こえた。
「主人よ、今だ! 呼べ!!」
こと此処に至れり、とばかりに蛇の声が届く。
少女の助けを求める声が、霧の迷宮に響いた。
「お願い、来て!」
力の限りに助けを呼ぶ。
「来て、ルン!!」
沙樹が叫ぶのが早いか、霧の迷宮に一陣の風が吹いていた。
「……ん、これは?」
自らの支配領域で起きる有り得ない現象を見て、魔女が嘯く。自分の知らない事象の発生に、亜流の魔女は注意を引かれた。
風が、底冷えするような強い風が迷宮内に吹いていた。
「な、なんだい!? いったい何が!」
風が、霧の迷宮内に吹き荒れる。次第に唸りを上げ、吹き荒ぶ風が深い霧を押し退けていく。
霧もまた、どんどん濃度が濃くなっていく。まるで霧というより、雲が降りてきたかのように厚みが増していた。そしてヘレナはもうひとつ、迷宮内に魔力が濃くなっている事を感じ取っていた。
その魔力を帯びた風が一定の方向性を持っているのだと魔女が理解する前に、驚くべき早さで沙樹達を中心に雲が周囲を取り巻いていた。流れる雲が次第に早さを増していく。
その雲の渦巻く中に、巨大な何かが見え隠れする。
「な!? い、今のはなんだい……?」
唸る強風の中に潜む何者かの存在を感じて、魔女が眼を向ける。次第に強くなる風が不穏な空気を撒き散らしていく。
風は、いまや暴風へと変化し始めていた。
まるで嵐と呼べるような暴風が吹きすさぶなか、世界に類をみない幻獣種の使い魔が姿を現そうとしていた。
次回は「死線3」ですが、可能な限り早めに投稿したいと思います。
今回は、仕事が忙しい時期であるため遅れました。
それでも読んでくださる方に感謝して、次回への励みにかえたいと思います。




