第53話 日野貴理子1
年の瀬も押し迫り、皆様いかがお過ごしでしょうか? と言いながら、アルカナ本編です! 遅くなってすいません!
沙樹と光一が貴理子と不意に直面した邂逅を知らぬまま、春香は親友に再会できた喜びからか、ゆっくりと目蓋を閉じていた。
「あっ……」
春香の意識が落ちたせいで、一瞬、沙樹は緊張を強いられた。離れた手に、容態の急変を心配して春香の様子をつぶさに見る。
だが、心配も杞憂に終わり、沙樹が胸を撫で下ろしたのと同時に、新たな人の気配を覚った。
其の人物を見た沙樹の脳裏に、ある記憶が甦っていく。
「……あなたは、誰?」
この少女が現れたことに、沙樹は戸惑う。
何処か儚げな印象を持つ少女に、沙樹の視線が止まる。それは、彼女の魔眼が発動した事を意味していた。
「支倉、この娘は久和の知り合いなんだ。俺も一度会ったことがある」
幾分、警戒を露にした沙樹の声に光一が答えようとした。しかし、その声を遮って件の少女が答えた。
「私、日野貴理子といいます」
はっきりと通る声で応え、貴理子は沙樹を見ていた。臆する事がないというよりは、何処か必死さを持つ視線だった。
見覚えがある少女の登場に、沙樹は警戒心を引き上げる。
「やっぱり、さっきの人ね。春香の知り合いでいいのよね?」
はい、と首肯した貴理子の様子は神妙であった。
春香を心配する少女の視線を認めて、沙樹は貴理子と名乗る少女を見定めていた。
(この人、あの魔女の背後にいた娘に似てる……。ううん、多分そう……)
沙樹が気を失った春香を心配して、彼女を庇うように抱き寄せ膝に乗せる。沙樹自身も動けなくなったが、もとより彼女に春香を見捨てる選択肢などなかった。
それを見た貴理子は、視線を落とす。何処か寂しそうな所作を見せる少女に、気付いた者はいなかった。
しかし、何か決意のようなものを胸に秘めて、貴理子は再び顔をあげた。
「実は……」
一歩を踏み出す勇気を振り絞り、貴理子は口にする。
「あ、あの……。私、実は……」
言いにくい事を口にするのか、貴理子の喉が鳴った。痛みを抑えるように、貴理子は胸に手を当てていた。
そんな貴理子の様子に、沙樹達が心配していた。
「信じてもらえないかも知れませんけど、聞いてもらえますか? 私……、なぜ自分がここにいるのか、分からないんです」
小さな声は、少女の感情の昂りに煽られる。
「ここを出る迄でいいんです! 一緒に行動させてくれませんか?」
一気呵成に言い放つ貴理子に、沙樹の質問が飛ぶ。
「それって、どうしてなのか理由を聞かせてもらってもいい?」
「……はい」
今度こそ、貴理子の瞳には強い光が宿っている。
「少し前から……、時間が飛ぶんです」
「えっと、どういうこと?」
理解に苦しむ告白に、沙樹も聞き返していた。その問いも当然と言うように、貴理子は続ける。
「私の知らないうちに、自分の時間が飛ぶんです。いきなり時間が過ぎていってて、理由が分からないんです」
俯いたまま話す貴理子の表情は読み取れない。しかし、その話しぶりは真剣だった。
「最初は、思い違いだと思いました……。初めの頃は一、二時間くらいで……。てっきり、眠ってしまったとも思いました。でも、知らない場所にいることはしょっちゅうですし、身に覚えがない事をしたって人に言われだしました。それに、最近は段々無くした時間が長くなっていって……。お願いします! 出口辺り迄でいいですから!」
真摯な瞳には、悲壮な決意が込められていた。貴理子の瞳を沙樹の魔眼が見返していた。
「それに、春香ちゃんがそうなったのも私が何か関係しているかもしれないんです」
言われて初めて、沙樹も最悪の可能性に気付いた。貴理子の悲痛な眼差しが、痛々しかった。
「それは……」
それは、亜流の魔女に身体を乗っ取られた犠牲者の存在だった。
(この人、自分のことに薄々気付いてるんじゃ……)
真摯な瞳は、自らの罪に怯えているように見えた。
錯視の円環が、沙樹の周囲を包むように広がり続けていく。その中から、蛇の声だけが響く。常人には焦点を結ぶことすら出来ない魔術の発露に、沙樹は座ったまま動かない。
「主人よ、この少女は何者だ? 守護者の娘を知っているようだが!?」
「ひっ!」
突如響く使い魔の声に、貴理子が驚きの声をあげた。
「ウロボロス、まだ待って……」
一般人なら出会うことなく生涯を終えるはずの事象に、貴理子は開口したまま言葉をなくしていた。その反応を予想していた沙樹が、従者をたしなめる。
それでも、使い魔は己の主人を守るべく寄り添う。
いきなり巨大な魔力をあてられ、取り乱していた貴理子は沙樹の声を聞いて何とか持ち直した。
「……いえ、いいんです。自分でも変だと思ってますから。変だと思われたのも仕方ないことです」
落ち着きを取り戻した貴理子は、円環をチラチラと見ながら落ち着かない様子だった。だが、戸惑うことなく自らの落ち度を沙樹に申し出る。それは、自分の知らないうちに仕出かしたかもしれないことの責任を感じている証拠。自らの罪を認めようとする決意だった。
「調べていだいても構いません。むしろ、私も知りたいんです!」
「あなたは……」
鬼気迫るほどの真剣な貴理子の表情に、沙樹は言葉に詰まってしまう。膝に眠る春香を見る。
(春香は、今はちょっと動かせないかも……)
ただ、彼女の気持ちが痛いほど伝わってくるのが沙樹には分かる。魔眼の力が、沙樹に貴理子の真実を伝えているのだ。
(どうしよう?)
彼女の気持ちを考えても、やはり調べることなど躊躇われた。
そんな沙樹の逡巡に、少年が助け舟を出した。
「久和を病院に運ぶんだろ? 俺も手伝うよ」
「光一君!? あ、でも……」
「今は一刻でも早く此処を出ないと、全員が危ないんじゃないか? さっきから俺も鳥肌が立ってる」
使い魔の視線を感じて、沙樹が振り返る。青い双眸が冷静に事態を見つめている。
「ウロボロスはどう思う?」
傍に控える従者に、沙樹が問い掛ける。
「守護者の娘は任せてよい。この少年もどうやら無関係ではないようだしな」
使い魔の台詞は続く。
「それより主人よ、その娘には魔力そのものが無いようだ」
「……それって!?」
「この時期に現れた事を考えれば、亜流の魔女が関係している可能性は高い。しかし、この娘を警戒すべきかと問われたなら、必要ないと答えよう。だが、わざわざ危険な因子を抱え込むこともない」
蠕動する錯視の円環が、沙樹の視野外を埋めていく。
「危険はないのよね?」
率直で素直な問い掛けに、彼女の従者が応える。
「どちらとも言えぬ」
「お願い、もし彼女が巻き込まれてるなら助けたいの。このまま一緒に行動させて」
青く揺らめく魔眼の効果が、使い魔の精神に警戒心以外のものをもたらす。それが、今は何より幸運だったと沙樹は嬉しく思った。
「主命とあらば、従おう」
首を垂れる蛇の様子に、貴理子は場の主導者が誰なのか理解していた。
貴理子が、涙ながらに礼を述べる。
「ありがとう……」
「今は何よりも此処を出ないと、ね?」
うん、と首肯する貴理子は手の甲で涙を拭っていた。霧の迷宮に一人で放り出されては誰でも心細いと思うのは当たり前なのだろう。これまで彼女が体験してきた過酷な状況を垣間見た気がして、沙樹はやるせない感情に眉根を歪めた。
それから、膝上に眠る春香の髪をすいてやる。
「春香……、少しだけの辛抱だから」
幼児に言い聞かせるように、優しく髪を撫でる。沙樹の目に、青く揺らめく魔力特有の輝きがあった。
少女の横から光一が尋ねた。覗き込むように見るのは、普段の春香が持つ印象故か。
「久和の奴、意識が戻ってたんじゃなかったのか? 気を失ってるのか……」
「疲れて寝てるんだと思うの。もう大丈夫そう」
疲れて眠る春香の無防備な寝顔が、静かに寝息をたてる。
頼りにする少年の申し出に、答える沙樹の顔は優しく笑みを湛えている。
「支倉、悪いけど背負うの手伝ってくれるか? 流石に移動するとなったら、お姫様抱っこは厳しそうだ」
少年の素早い対応に、その負担を考えて少女が言う。
「大丈夫? 光一君」
「なんとかなるさ。此処を出るまでなら大丈夫そうだ」
そう言って親友を背負うため向けた光一の背中を沙樹が見つめていた。
光一の何気ない優しさは、今も昔も変わらない。いつも自分を気遣ってくれる少年に、彼女は心に温かいものを感じていた。
僅かな間を空けて、沙樹が春香を抱き起こす。そして、光一が背負うのを助けてやる。
自分の顔に少し朱がさしていたのを沙樹は俯いて遣り過ごした。
肩に回される春香の両手を掴んで、光一が気を失った春香を背負う。沙樹の手助けもあって、少年は苦もなく人ひとりを担ぎ上げた。
(気を失った人間は重さを感じると聞いてたが……。そこまでないんだな)
背中と肩にかかる負担を苦にせず、光一は背筋を伸ばそうとして、やめてしまう。
ツーっと冷や汗が流れてくる。
彼は、時ここに至ってようやく自分のミスに気付いた。
(こいつ、けっこうあるな……って、俺は何を考えてるんだよ!)
背中に当たる二つの柔らかな感触を感じて、光一は今更ながら自分の選択ミスを後悔した。
(くっ! そう言えばこいつ、無駄にスタイルは良かったな……)
春香の体温と耳元で聞こえる寝息が、彼女のプロポーションを連想させるに至って、光一は自身の置かれた状況に苦慮する。
「光一君?」
「い、いや何でもない! 大丈夫だ!」
沙樹の声に、理性を総動員して光一は返答する。よりによって、沙樹の目の前で理性と戦うことになる思いもよらぬ結果に、少年は歯噛みしたい心境だった。
「それより、先を急ごう!」
「うん。日野さんもいい?」
当たり前のように掛けられた声に、貴理子が驚いていた。
「あの……」
声を掛けられたのが信じられないと言うように、少女の表情が崩れる。当然のように断られるものと思っていたのか、貴理子の頬に涙が流れた。
「ありがとう……」
少女の返礼は、簡潔だった。ただ、本当に感謝している者の言葉だった。
「さあ、一緒に行きましょう。それに、春香ならあなたを無理矢理にでも連れて行くと思う」
「こいつはそういう奴だぞ。この前、走らされたろう?」
光一の同意に、貴理子は春香との出逢いを思い出していた。
明るく屈託のない彼女の笑顔に、陽が当たるような暖かさを感じて、貴理子は涙を拭っていた。
「うん。ありがとう……」
「日野さん? 早く行きましょう」
そうして、三人は共に霧の迷宮を歩きだした。目に見えぬ危険を孕んだまま、終結へと向かっていた。
「日野さんは、中学校は何処だったの?」
和やかな雰囲気のまま、光一を先頭に歩いていく。
「私は、離島の出身だから船で通ってたの。高校に進学する時に本土に引っ越して……」
貴理子の説明に、前を行く光一が尋ねた。
「ほんとに春香と一緒じゃなかったのか?」
「春香ちゃんとは、この前会ったばかりで……」
申し訳なさそうに話す貴理子は、春香の後ろ姿を見ていた。
「でも、不思議な魅力がありますよね。単に人懐っこいんじゃないっていうか……」
「それが、春香の持ち味よ。学校でもいい意味でムードメーカーだもんね」
「そうだったか?」
三人三様の話に、他愛ない談笑が続いていた。
本来、まだ高校生でしかない彼等にとって、そうした姿こそが相応しい世界なのだ。魔術と関わりが有るがゆえに、歪んだ青春期を過ごさなければならないとしたら、それは誰にとっても不毛で不幸なことでしかなかった。
「あっ、あれ!」
和やかな会話の最中、沙樹の声が響く。
三人の見つめる方向に、霧の迷宮とは違う建物の壁面の一端が垣間見えていた。
「なに? あっ……!」
少女が言葉に詰まる。
「あれ、出口じゃないか?」
「私もそうだと思う」
光一の声に、沙樹の声が同意する。
「日野さん、良かったね。もう大丈夫よ」
鈴を転がすような沙樹の声に、貴理子にも安堵の息が漏れる。
溢れる笑みに、貴理子の表情も彼女本来の優しいものになっていた。
「良かっ……た……」
途切れる声に、他ならぬ貴理子本人が驚いていた。
「あ……!」
ドクン、と少女の胸が波打つ。貴理子の目の焦点がぼやけていく。
(こ、これは……。私は……、今まで……)
貴理子の手が自然と胸元に添えられる。彼女の無意識な行動が流れるような動作を促す。
「あ……、う……」
添えられた手が、胸を掻き毟る。服を掴む力が、尋常ではないほどに強い。
苦しそうな呼気に、少女に起きた異変の片鱗が覗く。額に浮かぶ汗が次第に珠のように大きく、数を増やしていた。
(私は……、私は今まで、何をして! 何故こんなことを……)
貴理子本人の意識が朦朧としているのか、ふらつく彼女の足取りが弱っていく。いつしか、貴理子の瞳に映る沙樹達の姿が遠く離れていった。
貴理子の足が止まろうとしたその時、彼女の意識を呼び戻す声が響いた。
「日野さん! 大丈夫?」
駆け寄ってくる沙樹の姿が、貴理子の意識を繋ぎ止める。
「あ、ありがとう。ちょっと気分が悪くなって……」
「大丈夫? 出口はもうすぐだから。一緒に行きましょう」
俯く貴理子の背を沙樹が優しく擦る。心配して少女の顔を覗く沙樹の瞳には青くなった貴理子の顔が映っていた。
「……本当にありがとう。もう大丈夫、だから」
弱音を吐くような貴理子の言葉だったが、彼女の意思は沙樹達と行くことを了承していた。
そして、自分の足で前に向けて一歩を踏み出す。
歩き出した貴理子の表情に、迷いは見られない。誰も彼女に異変が起こっていることなど知るよしもなかった。
胸の内に沸き上がるどす黒い何か。何物にも染まらぬ其れは、貴理子にも分からぬ理由で目を覚ました悪意に他ならなかった。
今回のタイトルに時間がかかりました。あと二つか三つで本編の各章のタイトルも終わります。そう考えるとラストまで必ず繋ぎたいと考えています!




