第49話 四面廻廊3
取り敢えず、アルカナ本編の続きをどうぞ!
加害魔法による悪意が、今や閉鎖空間となった講堂内に吹き荒れていた。
肌を刺すような悪意に、居合わせる者は動きを止めていた。
(どうしよう? いったいどうすれば……)
消えた親友を心配していた沙樹だったが、予想を超えた悪意の奔流に心を乱されていた。
狂える魔女は霧の中に見え隠れしている。その動きに、異変のようなものを感じて沙樹は注目していた。
強烈な威圧を放つ魔女が、虚空を睨んでいる。殺意に燻る眼に幻影の炎が映り込み、憎しみが赤い色を足しているかに見えた。
見えない筈の狂色の炎が、魔女の邪気に煽られて揺らめいていた。
(あれは? さっきの娘は何処に……)
青く揺らめく瞳に、映り込む魔女の姿。
そこには、魔女の真の姿が映し出されている筈だった。魂の相克を抱えていた魔女の背後に、少女の姿が見えない。
沙樹にも苦しむ少女の姿は朧気に見えた程度だったが、魔眼の力によって其れが真実であると理解るのだ。
思わず両手にぎゅっと力が籠る。其処で、初めて沙樹は自分が身を乗り出すようにして前へと出ていた事に気付いた。
魔法陣からは出ていない。危ない真似は死を招くと自分に言い聞かせ、沙樹は改めて魔女の姿を追った。
(急に見えなくなった?)
自らが見た故の好奇心なのか、それとも他の感情に起因する故か、沙樹自身にも分からなくなっていた。
魔女に対する畏怖ではなく、もう一人の少女に対する心配が懸念となっているのだ。魔女の動向より、背後に見えたあの少女の叫びに何か引っ掛かるものを感じていた。
自分の心に蟠る霧のように曖昧なもの。それが常に形を変るような、不安定に揺れて定まらない感情が彼女を困惑させていた。
そんな沙樹の思惑など他所に、荒れ狂う魔女は怒りに任せて加害魔法の猛威を振るっていた。
四方八方に、魔女が放つ邪気の塊が乱れ飛ぶ。着弾地点から響く破砕音を耳にしながら、沙樹は姿を消した少女の影に心を奪われたままだった。
「主人よ、我の近くに……」
忠実な使い魔の言葉が、意識から遠のく。
主人の身を案じる錯視の蛇にも応えず、少女は或る事に集中していた。
無言で魔女を見つめる。沙樹は自分でも何故だか分からないまま、気が触れたように振る舞う魔女の狂態を見つめていた。
(あの眼は……)
思わず口にした言葉は、信じがたい事だった。
「狂ってなんかいない……」
沙樹の心に、確かな心証が宿る。魔女の瞳に、揺らめく炎の影。その奥に、炎より熱く赤い色を見ていた。
「理解てる……」
沙樹は直感的に感じた事を口にした。それが、本来なら如何に有り得ないことか分からないまま、だ。
「主人よ、聴こえているか? 囚われてはならぬ。この加害魔法には”四面廻廊“と同じく人間の精神に対する侵食作用がある筈だ!」
「ウロボロス、聞いて! あの魔女は炎の幻影を見ているのよね?」
事態についていけない蛇を急かして、沙樹は告げた。急がなければならない筈だ。
「私にも見えるようにして! 急いで!!」
「ム、いきなり何を……?」
「お願い!」
ブツブツと不満を漏らしながら、錯視の蛇が魔術を編む。
視界に現れてくる複雑な魔術様式の光のヴェールにも、沙樹は心を乱されることはなかった。むしろ急かされるような気持ちに、心が逸るのだ。
視界に現れる炎の乱舞。
燃え盛る火を糧として炎が吹き上がる。灼熱の熱さすら感じる幻影に、沙樹の周囲にもジリとした熱気が迫る。
それでも、その視線は微動だにしていない。瞳に映る現象を冷静に吟味して、少女は呟いた。
「やっぱり……」
主人の見せる唯ならぬ様子に、錯視の蛇が口を挟む。
「どうしたと言うのだ?」
「あの人は狂ってなんかいない。此処にいては危険だわ」
「心配いらぬ。主人よ、我の防御は……」
使い魔の言葉を遮るように、二人の近くに邪気の塊が被弾した。そこから立て続けに誘爆が起こる。
衝撃が振動となって伝わり、沙樹にも強い圧力を与えた。爆風が辺りの霧を払い、一時的に視界が開ける。
射線上の霧が凪ぎ払われ、幻影の炎が消えていた。
視界の悪かった講堂内に、魔女の姿がくっきりと浮かびあがる。
『見つけたよ』
その声は、いやにはっきりと二人の耳に届いた。
「あ、あ……」
向けられた加害魔法が運ぶ魔女の威圧に、少女の身が竦む。
『小細工の好きな蛇だこと。その首を落としてやれば、さぞ気が好くだろうねぇ?』
コツコツと、近付いて来る足音が聴こえてくる。いやにゆっくりとした歩調は、まるで闇夜を歩いているかのように慎重だった。
『見えないと思って油断したね? 結界魔法に通じているのは私も同じだよ』
泰然自若としながら霧を押し退ける強烈な覇気が、魔女から発散されている。
『当然、隠れているドブネズミを駆り出す方法くらい心得ているさ』
彼我の距離が心許ないほど近付く。立ち竦む少女の身に緊張が走った。嫌な汗が流れる。
縋るような声は、年端もいかない少女の不安を表していた。
「ウロボロス?」
「魔法陣から出るな、主人よ!」
突如開かれた戦端に、緊張が走る。
魔術戦独特の雰囲気に昂る魔力が、沙樹の心に忘れられないあの夜を思い出させた。
自分は無力な存在だと思い知らされたあの夜。
『フフフ……、そうなるよね? そうこなくちゃね!!』
魔女の赤い唇が歪む。向けられた殺意に何もできず、恐怖に震えた記憶が甦る。
魔女が見せる激情が迸る。
反射的に身構えてしまった沙樹に、蛇の対応が遅れる。
「きゃ!!」
「主人よ、動いては……!」
或る魔術を組み上げながら、使い魔が叫んでいた。二つ口による詠唱より早く、魔女の魔術が火を吹いた。
『受けてみな! 目障りな蛇め!!』
一際大きな邪気の塊が放たれ、空中で爆発した。
「させぬ!」
邪気の塊が爆発するのと、使い魔の編みあげた魔術が発動するのは、ほぼ同時。
どのような魔術による効果なのか、錯視の蛇の眼前に連続した魔術が発動する。
艶やかに花咲き誇るは、射干玉の黒い花。黒い蓮の花弁が花開く。闇属性防御魔法のひとつに、使い魔の自信が覗く。
空間に魔術を構築する際、その属性や特色に関わらず配意すべき事項がある。一番は、座標軸の制御である。
単純な放出系統魔術であれば、無意識下の制御だけで杖や指先などにより直接発動に指向性を持たせる事が可能だ。
しかし、同一方向に向けた収弾性を考慮する場合、指向性の基準値となる三種が必要となってくる。同軸度、対象度、位置度が其である。
それぞれが僅でも狂えば、発動した魔術の効果に致命的な齟齬が生じるのだ。
特に長距離射撃のような攻撃魔術を編む場合、座標軸の制御に魔法陣を用いる事も珍しくない。術者がその場で制御するには、あまりに煩雑な手間と永い時間を省略化するためにだ。
それだけに、使い魔の見せた二つ口による高速詠唱とでもいうべき技は、素晴らしいものだった。
錯視の蛇が使用した黒い蓮の花は、まさに精密機械のような魔力制御が出来なければ顕現不可能な高等魔術であった。
爆風が周囲の霧を凪ぎ払うなか、その猛威が沙樹達を避けるように流れていく。
「これは!?」
「主人よ、心配いらぬ。この程度、防げぬ理由は無い」
攻撃の手を緩めないのか、魔女の手元で邪気の収束が加速する。
『フン、二つ玉を防げるんだね。褒めてやるよ』
魔女の視線は、冷静に状況を吟味している。
『その黒い花弁……。多重化された防御魔術だね?』
感心した声が魔女に届く。錯視の蛇が直接的に行使する魔術に、沙樹も感嘆している。
『防御装置としては、確かに理にかなってる……。あれをやれと言われても即席で出来る魔術じゃないね』
『ギリシャ人が合理的な思考を好むというのは、どうやら本当らしいな』
『本当に忌々しい蛇だね!』
空間に黒い蓮の花が咲き誇る。繊細な魔術紋様を宿した花弁が、強固な物理防壁となって幾重にも現れていた。同軸上の一点から螺旋状に展開していく防壁は、さながら本物の花のように美しかった。
「だ、大丈夫なの?」
「主人よ、心配無用だ。完璧に作動した防御魔術は我等の身を傷ひとつなく守りきるだろう」
錯視の蛇が生み出した完全な防壁は、閉鎖された空間を二つに隔絶していた。近くにありながら触れることも出来ない見えない防壁。空間断絶にも似た魔術の発現であった。
『なら、仕方無いね』
俯く魔女の顔色は伺えない。
『……そうだよ。そうでもしなけりゃ、先に進めないんだから』
俯く魔女は、いったい誰に言い聞かせているのか。高揚する気持ちを隠すこともせずに、肩を震わせるように笑う。
『フフフ……。アハハハハハハハハハハ!』
その笑い声には、狂気の色があった。
「フム、何をする気だ?」
油断なく円環の魔術を発動させているあたり、蛇も 魔術戦に慣れた猛者なのだろう。
主人を守る使い魔の性質か、足元の魔法陣は絶えず蠢き、沙樹を中心に渦巻くように蠕動している。
「まだ仕掛けてくるつもりか?」
黒い蓮の花を防壁としながら、錯視の蛇が呟く。それでも、言い知れぬ不安が去来する。
「ウロボロス、その……。以前に見せてくれた魔術で無効化出来る?」
使い魔の主人が尋ねたのは、ふとした疑問からだ。
「主人よ、それは何時の事だ? それに並列発動ならば可能だが、同軸発動はできぬぞ?」
錯視の蛇も魔女を警戒している。
「以前、赤いハート型の硝子瓶に入った魔術触媒を渡されてたんだけど……」
「ああ、それなら吸収系統だな?」
しかし、と使い魔が告げた。
「主人よ、あの”枯渇の檻“は一匹目の蛇が得意とした魔術のひとつだ。我には使えぬ」
それに第一、と使い魔が続ける。
「あれは危険だ。あれは、範囲内外の魔力を無理矢理吸い取る類いの代物だ」
確かな口調で沙樹に告げた。
「あれは、魔術師の戦いに用いるものではない。もっと上位の存在……悪魔と相対し、従属させるような場合に用いるのが相応しいだろう」
「ご、ごめんなさい……」
「主人よ、こんな時でなければ魔術への興味を誉め称えるところだが……」
使い魔の言葉が終わらぬうちに、魔女の嬌声がやむ。
『なら、三つ玉はどうかしら?』
次の瞬間、猛烈な爆音と閃光が走り、爆風が周囲を凪ぎ払った。
先程とは比較にならない衝撃が伝播してくる。床に倒れ込んだ沙樹が目を開いた時、変わらず対峙する魔女と使い魔の姿だけがあった。
「ウロボロス? 今のは……」
立ち上がりかけて少女の声が届かぬかのように、緊張が高まっている。爆発の影響か、沙樹の頭がズキズキと痛む。
言い争っている声だけが、彼女の耳に響いてくる。
『よく防いだね? でも、四つ玉ならどうだい?』
『この距離でそれを放つつもりか! 自殺でもする気か!?』
『そんなこと、私には分からないよ! この距離で使ったことなんかないからね!!』
『馬鹿な! お前も唯では済まぬぞ!』
言い争う二人の会話は分からなかったが、沙樹にも険悪な雰囲気だけは伝わる。その様子から魔女の手元に光る球体に視線が自然と吸い寄せられた。
沙樹の理解が追い付かぬうちに、その球体が発光し、爆発四散した。
轟音と呼べる爆音が、耳をつんざく。
視界が真っ白な閃光に焼かれたのは、沙樹だけではなかったはずだった。
塞いだ視界から外の様子を伺おうとする間もなく、少女は床に投げ出されたような痛みに呻いた。
「主人よ、無事か? すまぬ、正面からの威力は消したのだが余波までは完全には防げなかったようだ」
「……ウ、ウロボロス?」
大丈夫、と応える主人に使い魔は魔法陣を囲うように展開していく。
主人の姿を使い魔は錯視の円環で覆い隠していく。常人には焦点を結ぶ事すら出来ない魔術も、今は頼りなく感じてしまう。
「どうなったの?」
「主人よ、直ぐに治癒魔術を掛ける。心配は……」
主従の会話すら許さぬとばかりに、魔女ヘレナが割り込んだ。
『久しぶりに使ったけれど……、どうだい? なかなかだろう?』
狂気を孕んだ瞳には、獲物となった二人しか映らないのだろうか。狩人のような油断ない動きで距離を詰めて来る。
『四つ玉は、戦争をしていた時によく使ってたからねぇ』
優雅な所作で右手を構えると、倒れていた沙樹を見下ろす。
『けれどね、まだあるんだよ?』
まさに隠し球であるのか、手元に凝縮していく魔力が光を放ち始める。
逸早く、その威力を察した使い魔が沙樹を背後に庇い警告する。
「主人よ、この魔女はやはり狂っている。刺し違えてでも我等と決着を着けるつもりのようだ」
球状の魔力の塊が目映いほどの光を放っている。
「結界魔法陣で囲おうにも、この加害魔法が干渉してくる。正面からは何であろうと防いでみせるが、このままでは主人に危害が及びかねん」
錯視の蛇の低い声は、彼の主人には聞こえなかった。円環の蠕動に遮られ、沙樹には届かなかったのだ。
『魔女よ、死は覚悟のうえか?』
『今さら何を恐れる必要があるんだい? さあ、覚悟おし!』
目前に迫る狂った魔女に死神の姿が重なる。少女と、その使い魔に危機が訪れる。
凝縮された魔力が宿る光が臨界を迎えるまで、もう猶予は無かった。
次第にはっきりとしていく視界に、沙樹が意識を取り戻した直後、講堂内の全てを巻き込むような大爆発が起こった。
閃光に霞む視野に、意識が途切れるのを感じて沙樹は息を飲んだ。
使い魔の傍らに身を横たえた一人の魔女。
霧がゆっくりと覆うように流れてくる。静寂で満たされた講堂内の閉鎖空間は、誰の息遣いも聞こえなかった。
拡散した魔力の残滓が、不意に泡立つ。魔力を持った何者かの動きに感応して、幽かな波紋を起こす。
やがて立ち上がるひとつの影。それは、片手斧を手にした魔女ヘレナの姿に他ならなかった。
魔女ヘレナのパートとなった「四面廻廊」でしたが、いかがでしたか?まだ続きますので、次回もよろしくお願いします!!




