第47話 四面廻廊1
連休中に間に合いました。アルカナ本編をどうぞ!
荒れ狂う加害魔法の威力が、講堂内をまるで別の空間へと変えてしまっていた。
一度、沙樹の魔法により復元されていた講堂内の空間は、再び力ずくで悪意に染め直されていた。
見る間に立ち込めてくる深い霧が、その場にいた全ての者達を学校という日常から隔離された場所へ誘う。
それが、望むと望まざるとに関わらずだ。
新たな局面へと移行した魔女との戦闘は、逃げ場の無い死闘という雰囲気を匂わせていた。
「どうして霧が!?」
驚いた沙樹が、不安な表情を見せた。
その傍らで、錯視の蛇が魔女を褒め称えていた。
『ククク……。“四面廻廊”とは、少しはやるようだな』
『四面……? フン、どうやら私の知らない事を知っているようね。この魔法は、”ユビキタスの迷路“。何を知っていたところで、簡単に破れるとは思わないことね!』
相対した二人の魔女。
その緊張が高まるなか、沙樹の使い魔である錯視の蛇が不敵に嗤う。
蠕動する錯視の円環が、急速に主人を護る鉄壁の陣を構築する。邪視による冷気が緩和されたのか、沙樹は体感温度の変化を感じていた。
魔女の眼差しに宿るものとは、一門の名誉回復にかける意気込みか、それとも憎悪に燃える炎だったのか。強烈な邪視に、沙樹は心を貫かれる想いだった。
『改めて聞こう。その魔術、誰に教えを乞うたものだ?』
放たれる加害魔法の威圧を柳に風と受け流し、錯視の蛇が魔女に問う。
『我が師は、デルフォイに誉れも高きダイダロス! 師と私の魔術を馬鹿にした以上、生きては帰さないから覚悟おし!!』
戦いの始まりを告げる魔女の口上を、使い魔が主人に代わって受諾する。
その一方で、魔女と話しながら使い魔が主人とも話をしていた。
同時二方向での意思の疎通を可能にする。それは、二つ口と呼ばれる魔術の効果。使用するためには並列思考を前提とするため、使い手を選ぶ高等魔術と言われている。それ故に使い手自体が少なく、貴重な魔術として珍重される代物であった。それを使い魔が行使する事自体、一般の魔術師には信じられないことであったのだが。
「主人よ、なかなか大物だぞ」
「ウロボロス! 何を話してたの?」
使い魔は魔女を警戒したまま、尋ねる主人に背を向けたままだ。円環の蠕動に伴う低い音が響く。
「あの魔女は、どうやらギリシャ魔法界なら知らぬ者の無い正統な系譜を持つようだ。ヘロデ王に起源を持ち、使う魔術は現在でも本流と呼ばれるもの。ククク……、なかなかに面白い」
低い嗤い声をあげる使い魔を見て、沙樹は困ったように口を閉ざした。その両手は少女自身の血で汚れている。
敵を見据える蛇の青い双眸から、叡智の光が溢れる。
(あの魔女の使う加害魔法……。まず間違いなく“奴”と同門の魔法だ。おそらく結界魔法の雄と云われた”四面廻廊“は、あの加害魔法の完成版だ。使い手たる“奴”の原型をこんなところで眼にする事ができるとはな。これだから、強者との戦いはやめられぬ)
珍しく上機嫌な眷族の様子に、沙樹は強い不安を感じていた。それを無理矢理抑えつける。
「その、どうしたらいい?」
「……フム。その前に主人よ」
青い双眸にチカチカとした光を見たと思った瞬間、沙樹の左手は治癒の光に包まれていた。
「えっ!? 痛みが引いて……」
左手に受けた傷が、嘘のように塞がっていく。潮が引くように消える痛みに、少女の顔が綻ぶ。
「ありがとう、ウロボロス」
「主人よ、万全の状態でなければ危険だ」
言外に怪我を負った事への非難が見え隠れする。魔女への警戒を緩めず、錯視の蛇が鎌首を沙樹に向ける。
「あの魔女は、世が世なら主人よ、そなたに会えるほどの強者であったようだ。尤も、死んで憎しみに囚われ、悪鬼と成り果てたようだが……」
「悪鬼……?」
沙樹の瞳に、再度不安の影が映る。
前を見た少女の瞳に、仁王立ちする狂気の魔女が映る。
距離を取ったままの魔女は、何故か直ぐには攻めて来なかった。周囲を威圧するように魔力が吹き荒れているのに、右に左にと視線を動かしている。
少女は、自身の使い魔が既に可視光線を操っているとは思わなかった。そして、魔女が無意識に炎の幻影を怖れているとも。
沙樹自身が不安に駆られるが故に、彼女の瞳に現れる青い魔力の揺らめきは魔眼の力を発揮出来なかったのだ。
「主人よ、怖れる必要はない。我が付いているのだ。そなたを護る結界が、あらゆる驚異を退けるだろう」
主人の不安な顔を見たのか、使い魔が進言していた。
普段は横柄な錯視の蛇の配慮が嬉しく思えた。有事の際に駆け付けてくれた従者に、少女は気を許していた。
沙樹は、自らの従者に訊いた。
「ウロボロス? その、聞いてくれる?」
青い瞬きを宿す錯視の蛇の双眸が、主人を映す。
「あの魔女、何かおかしいの。まるで、同じ身体に二つの魂が入っているみたい」
「なに!? 主人よ、どうしてそう思うのだ?」
鎌首を向ける使い魔に、沙樹は不安げな瞳を見せていた。
「見えたの。もう一人が、あの魔女の背後で苦しそうに叫んでた……」
主人からの説明に、従者たる錯視の蛇は深い思索に入る。魔術戦は、情報戦でもあるのだ。
「なるほど、それが死なない理由か? いや、或いは索敵をすり抜けられた理由か……」
主人に聞こえない小さな呟きは、魔女の秘密を暴こうとする魔術師のものだった。
「それより、主人よ。守護者はどうしたのだ? いつも一緒にいる護衛の娘は何処だ?」
「それが、その……」
言い淀む主人の様子に何を感じ取ったのか。錯視の蛇が追及する。
「何があったのだ?」
抑えていた感情が堰を切ったように噴き出す。
「春香がいなくなったの! ここで消えちゃって、本当に何処に行ったかさえ分からないの!」
錯視の蠕動が、見る者全てに影響を与えていた。その裏で、蛇は主人の言葉を一字一句食むように咀嚼していく。
「どういうことだ?」
「春香が……。私を庇ってくれたのに、急に姿が見えなくなったの!」
主人の話を聞きながら、錯視の蛇は思い当たる点について、考察を深めていた。
己の知識をして彼が思い至るものとは、他ならぬ結界魔法であった。
蛇が得意とする魔法群の中でも、その最たるものが結界魔法である。熱力学の諸法則を魔術的な側面から表現すると言われる魔術。適性の無い者には理解すら出来ないと言わしめる魔術理論は、使い手を選ぶと言わしめる所以でもあった。
(”四面廻廊“は、近代になって存在が明らかとなった比較的新しい魔術だ。亜流の魔女の時代には、決して完成している筈はないが? しかし、古式魔法に油断は禁物……)
思索に耽る使い魔を沙樹の嘆願が揺り起こす。
「ウロボロス、春香を探して。助けられる?」
「主人よ、主命とあれば……」
錯視の蛇の答えを遮るかのように、魔女の放つ邪気が塊となって飛来する。数発、続けて放たれる邪気は尾を引いて当たるもの全てを呑み込んでいく。
沙樹の顔が不安に曇る様を見て、使い魔がたしなめる。
「主人よ、大丈夫だ。幻惑の魔法により、魔女には我等が見えておらぬ」
「……そうなの?」
霧が姿を隠すように、講堂内は視界が悪くなっていた。魔女の姿も時折見え隠れする。
「加害魔法で作り出された霧を利用して、魔女には幻影を見せている。存外、苦手なようだな」
もし沙樹が平常時に見ていたならば、魔女の額に浮かぶ汗を認めただろう。
確かに魔女の行動は自分達が見えていないようだった。使い魔に幻惑され、余裕の無い顔をしているようにも見える。しかし、魔女は抗うように魔力を高めていく。
(亜流の魔女が火刑に処されたとは単なる推測だったが、これは……)
冷徹な青い双眸が魔女を見つめていた。
錯視の蛇の魔法が、見る者に焦点を結ばせない錯視の円環を造り出していた。よし、と蛇が沙樹に話し掛ける。
「反撃に出るぞ」
そして、続く言葉が少女を震撼させた。
「主人よ、あの守護者の少女は諦めろ。生きて戻れるとは思わぬ」
「えっ? な、何を言って……」
沙樹の声が裏返る。
従者が、親友を見捨てると言う。
「あの魔女が使う魔法は、特殊な追加効果を持つ。例外無く囚われた者の精神を蝕むのだ」
「ウロボロス!? そんなことより春香を助けて!」
「聞くのだ、主人よ」
展開していた魔法陣を新たにしながら、使い魔が離れた主人を追い囲む。
「主人よ、あの魔女が使う魔法は、現代において完成している魔法界でも有名な御業のひとつだ。其は、範囲内に囚われた全ての者達を決して逃がすことはない」
冷えた双眸が青く冴える。
「囚われた全ての者達が死ぬまで、だ」
「……春香」
震える声が、冷酷な現実を映し出していた。
魔法界の現実を突き付けられた沙樹は、自身が逆運に翻弄されていると感じていた。
しかし、今生命の危機に晒されているのは親友である春香なのだ。
これまで自分を幾度となく助けてくれた無二の存在が、魔女の狂気に囚われている。彼女でなくても助けられるものなら、助けに行きたかった。ただ、それが困難を極めるのだ。
(春香……、お願いだから無事でいて!)
少女の願いが閉鎖された講堂内に響く。それは不可能を可能にする魔法界の住人達にとって、只の甘えと容赦なく切り捨てられる類いのものでしかなかった。
『忌々しい……』
魔女ヘレナの身体に異変が生じていた。
(あの炎はいったい……)
指先が震えていた。
相手に驚異を感じた。その事実を打ち消すように、魔女ヘレナは拳を握り締める。奥歯を噛み締め耐える彼女は、不調の原因を理解出来ない。
ヘレナを警戒させている原因とは、獲物と思っていた少女が発した魔力の幻視だったのだ。
加害魔法の威力で再び戦場を支配権を握った彼女だったが、身体に異変が生じてしまったのだ。それが、攻めあぐねる要因となっていた。
(あんな幻影はハッタリだ! 戦う力の無い者の悪足掻きさ!! そうに決まってる!)
恐怖に心を支配させる算段だったものが、最後の一手という時に崩されてしまった。
そして、炎の幻影による目眩まし。嫌な搦め手を使う相手に、彼女は苛立っていた。
『幻惑させるのが趣味とは、畏れ入ったね。あの蛇め! 必ず仕留めてやるよ!!』
激しい敵愾心を燃やすヘレナの前に、炎の幻影が現れる。
ひとつ、またひとつと炎の幻が立ち上る。
人間一人を焼き殺すほどに大きな炎が沸き上がる。パチパチと弾ける音も、熱く滾る熱量も感じられる。幻とは思えないほど精巧な情景が作り出されていた。
『何処に逃げても無駄だよ!』
ヘレナの悪態が、講堂内に木霊する。
幾本も立ち上る炎の幻影を睥睨して、魔女は睨み付ける。右に左にと視線を動かす。
『まったく忌々しいね!!』
魔女の狂気が昂りを見せていた。
『だったら……』
唸るような魔力が、両手へと収束する。
『燻り出してやるよ!』
邪気となって放たれる塊は、炎に照らされる霧を凪ぎ払っていた。
尾を引く邪気に触れるもの一切は、狂気に晒されるように崩されていく。講堂内を埋め尽くす勢いで揺らめく炎の幻影を魔女は悉く潰し始めた。
(赤い……、熱い火。気に入らないんだよ!)
内なる激情を露にするヘレナに、もはや往年の姿はない。魔術師としての在り方を忘れた彼女の狂態に、炎の幻影が翻弄されていく。
赤い、赤い炎。
それは、ヘレナの記憶を呼び覚ます。炎に纏わる古い記憶が、忘却の彼方から抉じ開けられていく。
かつて、ギリシャの丘で師に学んだ。同門の兄弟達と切磋琢磨して魔術の腕比べに汗を流しあった。
幸せだった頃の記憶。もう戻らない過去の思い出。
得難いものに囲まれ、そんな日々が永に続くと思っていた時期の記憶。
様々な想いが、彼女の中から溢れだしていた。
家族サービス?の合間に執筆している今日この頃。皆さまは如何お過ごしでしょうか?
なるべく早めに投稿しますので、次回もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




