第44話 破滅の予兆1
アルカナ本編の続きを御覧ください。
「貴理ちゃん! ダメだよ!」
叫ぶような春香の懇願が、人気の無い講堂に響く。
少女の祈りを打ち崩すように、魔女の片手斧が唸りをあげる。
「やめて! 戦いたくないよ!」
邪気を纏う一撃に、魔力を帯びた手刀がギリギリのタイミングで斧を弾く。下手を打てば、両腕を失いかねない危険な攻防が、沙樹の眼前で繰り広げられる。
親友は防戦一方。攻撃に転じる素振りも無いのは、彼女の動揺が大きい事を示していた。
戦いに慣れた玄人が見たならば、間合いを取るため間断無く動くステップに、少女の戦巧者ぶりを見たことだろう。
畳み掛けてくるような魔女の攻めに、沙樹は見ていられない心境だった。
「春香! 春香!!」
親友の名前を呼ぶ事しかできない自分に、沙樹も心を痛めていたのだ。
魔女の舞うような緩急ある攻めは、見る間に親友を追い詰めていく。追い詰められた少女が体勢を崩した時、緊張した”場“が動いた。膨れ上がる邪気の波動に、春香も目を見開く。
「!」
片手斧が邪気を伴い濁流となって降り下ろされる。
春香は、まさに紙一重でそれを避けていた。まるで瀑布のように降り下ろされた片手斧が巻き起こす風圧を頬に感じながら、春香は一瞬にして顔を引き締める。
それは、戦場を渡り歩いた魔術師の顔だ。
一瞬の攻防は、周囲に息苦しいほどの殺気を振り撒き、息を飲む死の気配すら感じさせた。
危険な香りを漂わせる徒花の如く、二人の少女が戦いの余韻に酔う。
『ふふ……。やっぱり、最高ね』
受け止められた攻撃を見ながら、高揚した面持ちで魔女が告げる。
『自分を高めてくれる強敵との戦いは好きよ。でもね……』
細められた目が、春香の顔を睨め付ける。
魔女の口元に浮かぶ笑みは、残酷さを漂わせて歪む。
『相手を絶望に落とすのは、もっと好きなのよ!』
抗う気力を叩き折るべく告げた言葉に、呪符を手にした少女が呻く。
「くっ!」
対象となる物体の硬質化を促す術式が展開された呪符の力を借りて、春香はなんとか魔女の一撃を耐えていた。
無手の春香は、交差した自分の制服の袖で片手斧を受け止めているのだ。
迫り来る魔女は手強い。それは、彼女も知っていたことだ。ただ、抗う事に、かつて無い抵抗感があり、攻撃に転じる事を邪魔するのだ。
(何か方法はないの? 貴理ちゃんと戦わなくてすむ方法は!)
少女の祈りは、誰も血を流さない結果を欲していた。
それなのに、先ほどから迫る凶刃を防ぐため、宙を仰ぐ姿勢を取らされている。劣勢を強いられ、呪符の力も長くは保ちそうにない。
春香は、額に汗が伝うのを感じた。その汗が、一滴だけ目元に流れる。自然に瞬きをしたその一瞬に、春香の視界が奪われる。
その一瞬の隙を好機と捉えたか、魔女が片手斧を握る腕に力を込める。
ギリギリと音を立てて押し込まれる刃に、呪符から煙のような蒸気が立ち上る。
強制的に解呪された“強化”の呪符が、弾けて消える。
薙ぐように襲いかかる片手斧の圧力から、少女は床を転がって斬撃を避けていた。
打ち付けた身体を春香が庇う。
「痛ったぁ~~~」
「春香! 大丈夫!? 怪我は?」
九死に一生を得た春香に、沙樹が駆け寄る。
親友を助け起こす沙樹に、ヒヤリとした冷気が浴びせられる。それが魔女の視線だと気付いた時には、邪悪な雰囲気が背後に迫っていた。
春香が立ち上がって、自らを盾に沙樹を背に庇う。
「手出しなんかさせない!」
『あの夜は逃がしたけれど、二度目は無いのよ、お嬢ちゃん?』
あからさまに敵意を向けてくる魔女に、沙樹の思考が止まりそうになる。殺意と呼べる代物を向けられて、平静でいられる十代などいない。
怯える少女を獲物と見たのか、魔女の口角が上がる。
『楽しいねぇ』
春香の放つ呪符の一撃を難なく避けて、魔女が笑う。
『まだまだ楽しませて! 二人の怯える顔をよく見せて!!』
咄嗟に放つ春香の一手。
水神の法による呪符の一撃にも魔女は怯まない。邪気を纏う手で弾くように、打ち消してしまう。
焦る春香の脳裏に、かつて同門の加藤が言った言葉が浮かんで消えた。
あの魔女は手強い。このままでは終わりませんよーー。
十二天将の力を借りて、春香は踏み留まる。
(外国語だから何て言ってるか分からないけど、絶対ろくなことじゃない!)
漲る決意を胸に、榛色の瞳をした少女は唇を噛む。
身体の痛みなど無視して、春香が前に飛び出していた。
自分を庇うために打って出た親友を止められず、沙樹の伸ばした手が空をつかんでいた。
(春香、やめて! もういいから!)
声にならない悲鳴をあげて、沙樹が伸ばしていた手が降りる。自然と、少女の肩が落ちた。
(私が、不甲斐ないから……)
青い揺らぎを見せる沙樹の魔眼が、己の運命を呪っているように輝く。
項垂れそうになる頭を振りかぶり、泣きそうになるのを歯を食いしばって耐える。沙樹は戦闘前に、春香に言われた事を思い出す。
使い魔に連絡を取るべく、思案を巡らす。
(どうすればいいの? まだ私は攻撃に使える魔術なんて知らない……)
講堂内で戦う春香の姿を見ながら、沙樹はようやく集中し始める。
真円の広がりを見せる沙樹の魔力が、俄に活性化していく。思考がクリアになる感覚の後で、沙樹は不意に気付く。
ザワリと、首筋に何かが触る。
「……メフィスト?」
不吉な、けれど確かな予感。
確信にも似た何かに、沙樹の表情が固まる。使い魔との絆が訴える急くような焦燥感に、彼女の胸が痛む。
高まる魔力の波動。空を切り裂く片手斧の唸り。絶え間なく繰り出される邪気の弾丸。その全てが、沙樹の意識から遠ざかり、外れていく。
泡立つような拡張をみる意識の中、沙樹の魔力波動は予期せぬ高まりを見せていた。
一方、坂の上にある洋館では、事態は風雲急を告げていた。
異様な魔力が、館の至る所で高まり続けている。負の波動に包まれた館は、生命ある者なら本能的に目を背けたくなるような有り様へと変貌していた。
周囲の魔力を根刮ぎ吸い尽くす強制的なエナジードレイン。広域範囲魔法にも似たそれが作動していた。
床面から立ち上る淡い赤光が、室内にある全てのものを染め上げる。その狂色の赤に染まる多重円型魔法陣の中心で、蛇が厳かに告げる。
「既にこの館は“魔法陣の中”だ。枯渇の作用を止めねば、いずれ魔力を喰われて消滅するは必定……」
「だまれ、蛇よ! 主人に手向かうお前の好きにはさせぬ!」
周囲の魔力を強制的に拡散・消失させる魔法陣の上を黒猫が駆け抜ける。
地に着く足が通った跡に、黒いシミのようなものが魔法陣上に余韻を残して消えていく。まるで水に散らす一滴の絵の具のように、其処にある全ての魔力が魔法陣へと吸い込まれていく。
黒い影が一際大きく跳躍すると、三条の衝撃が走った。
淡い光を放つ床面の魔法文字からなる陣。その悉くが衝撃に潰されていく。刻まれた三条の爪痕は、途方もなく重い一撃となって魔法陣を破壊する。
「我等にとって、今代の主人たるは沙樹様お一人! それすら解らぬならば死ね、蛇よ!!」
館の被害など御構い無しに、二匹の使い魔は戦う。
しかし、破壊された魔法陣は即座に修復され、錯視の蛇には傷ひとつ付いていない。魔法陣の内側から幾重にも折り重なる模様と文字列が、支援の効果を発揮していた。
多重円型魔法陣の中で目まぐるしく変わる魔法文字列を俯瞰しながら、蛇が呟いていた。
「無駄な事を……」
猫よ、お前もと言いかけて、錯視の蛇は動きを止めた。
「目眩ましなど効かぬぞ、蛇よ!」
続けて放たれた衝撃が、蛇を捉えた。
室内の何も無い場所に、黒猫が爪痕を刻む。
その衝撃に耐えかねたように、空間に亀裂が走った。亀裂からなぞらえるように、蛇の姿が錯視の円環となって現れる。同時に、それまで其処に居た筈の蛇が形を無くして消えていく。
先程放った爪痕からも、闇の波動が侵食を始めていた。何物をも喰い破る闇の属性魔法が、かつての仲間へと襲いかかる。
魔法陣が崩壊する衝撃が館全体に響き、次々と錯視の円環が漆黒の闇に侵食されていく。
可視領域の光を操る錯視の蛇は、自らの姿を簡単に隠す事が出来る。だが、その隠蔽能力を看破する翠の双眸が、闇の中に浮かび上がっていた。
闇の力に侵食されていく蛇の姿が、黒一色に染まっていく。
やがて小さな黒い粒子となって散け、端から消滅する蛇を見ながら黒猫が警戒を強める。
(……手応えがない。魔力の消失も止む気配が見えぬ)
すると、黒い蛇が潰れた傍から 真っ白な蛇が姿を現す。
縞と斑の織り成す魔法生物体としての肖像は、すぐさま錯視の円環を形作る。見られる事で発動する類いの魔術が、空間に軌跡を残してみる間に拡がっていく。
完全な形質を取り戻した錯視の蛇の両眼に、邪悪な赤い光が宿る。
「我はアルカナの魔女に仕える者……」
二匹目の蛇が口を開いた。
「再生と輪廻を象徴する者。例え何度滅びようと、そのたびに生まれ変わり、やがて全てを呑み込む者だ」
錯視の蛇が告げる自身の存在理由を聞いて、黒猫が怒気にも似た魔力の膨脹を見せる。
「ほう、ならば見せてもらおうか。蛇よ!」
四肢が掴む魔法陣の端に、鋭い爪がいとも容易く食い込んでいく。
再び宣戦布告した両者の間に、更なる緊張が走る。
白と黒、縞と斑の織り成す肖像が色彩の魔法陣を組み上げていく。
対面に座し、尻尾を揺らす黒猫を狙うように、蛇の邪眼が赤い光を放つ。
邪眼に現れる魔法陣が、次なる魔術を発動させる。空中から万物を吸い込む“渦”が立て続けに出現する。
渦と呼ばれる魔術が、黒猫を狙って唸りをあげた。
(魔力の消失は、眷族達を呼ばせぬ心算か!? 私を孤立させて、何を狙う?)
翠の双眸が、蛇の魔術を見据える。飛来する“渦”をヒラリと身を躱して避けていく。
着弾した地点には淡い魔力光を生む小型の魔法陣が定着化していく。即座に展開する魔力吸収の術式に、蛇の思惑が透けて見える。
(なるほど迂闊に闇の精霊達は呼べぬ。”枯渇“に抗うには、気力を試されるからな……)
魔法陣が織り上げる効果は、当然ながら黒猫にも及んでいた。体表面付近に、霧状の魔素が細かく拡散している。それでも黒の使い魔は、主人のために戦い続ける。
”渦“の嵐から逃れる敵を認め、蛇が称賛とも取れる言葉を発した。
「流石よな! 一切の魔力を消失させる魔法陣の中にいながら、平然としているとは……。並の使い魔なら、とうに死んでいるぞ!」
「今さらなんだ? 助命は聞かぬぞ」
「ククク……。我の興味は尽きないという意味よ。なあ、猫よ?」
錯視の蛇が昏い笑みを漏らす。
(時間稼ぎならば、目的はなんだ? 蛇め、何を狙っている?)
黒猫の双眸に力が籠る。
その意思に呼応するように、漆黒の闇が色を濃くしていく。何物にも染まらぬ黒が、使い魔の気迫を現す。強力な魔法抵抗力を持つ黒猫でなければ、こうも枯渇の魔法陣には耐えられない。
不遜な使い魔の意思を現すように、黒い尻尾が揺れる。
「猫よ? 主人を亡くしたはずの使い魔が、何故に現界し続けるのだ?」
「なに?」
予期せぬ質問に、黒猫が意表を突かれた。魔力消失の魔法陣すら意に介さぬ使い魔が、警戒心を露にする。
「“契約”から解放された筈のお前が、束縛された筈の現世に拘るのは何故だ?」
闇の精霊である黒猫にとって、確かに人間との契約など破棄しても差し支えない些事であった。彼のお眼鏡に叶う相手でなければ、友好を紡ぐ事すら不可能なのだ。
「暗黒と夜の勢力であるお前が、人間に加担する理由は何だ?」
黒猫の殺気が膨れ上がり、見えない力が蛇を押し潰しにかかる。闇の眷族達だけが使用する禁忌の魔法。その一端が館の内部で顕現しようとしていた。
「主人への冒涜と見做すがよいな、蛇よ?」
低い笑い声が聞こえた気がして、黒猫の翠の眼が細められた。
突如として顕現する魔法陣を見たのか、黒い尻尾が驚き止まる。
居着いて足を止めた猫を捉えて、錯視の蛇が言った。
「裏切り者は、お前のほうではないのか、猫よ?」
何を言っている、と問い質そうとした黒猫の足下に目映い黄金色の光帯が浮かび上がる。
「おおっ!? 貴様、これはっ! いったい、どうやって私の魔三角陣に干渉した!?」
驚愕する翠の双眸が見開かれる。
「猫よ、我が操るのは結界だけだとでも? これでも祭儀的魔法の心得くらいはあるのだぞ」
黄金の三角形が“契約”を強制する。
「バカな!! 心ないただの使い魔に、何故このような真似が!」
原初の契約が記銘されていく。
不可視の力が黒猫に襲いかかる。闇と同一化した漆黒の毛並みが、見えない干渉を受けて縛鎖の呪いを受ける。
「捕まえてしまえば、呆気ないものよ……。記銘された三角陣も原初の契約者が分かっていれば、このようになる」
「ウロボロス!!」
苦悶の声を聞きながら、蛇は続ける。
「支倉の栄華に、お前は不要だ。猫よ」
「おおっ! 自由が効かぬ!!」
昏い笑みを浮かべた錯視の蛇が今や獲物も同然となった黒猫を見る。
見えない鎖に繋がれた使い魔は、抗う術も無く苦悶に喘いでいた。”枯渇“の檻が、凶悪な牙を剥く。一切の魔力を許さぬ魔法陣が唸りをあげて作用する。
黒猫の周囲には、俄に黒い霧が拡散していた。爆発的な量の魔力が拡散し、消失していく。
「ククク……。此処に留まる力も尽き掛けているようだな?」
「黙れ! 黙らぬなら、その頭を噛み潰してくれようか!」
折れぬ心で抵抗を示す黒猫を錯視の蛇が嘲笑う。
黄金の光帯から溢れる不可視の力に、使い魔は侵食されていく。足下の影から、黒い毛並みから漆黒よりなお暗い何かが拡がっていく。
室内に広がる枯渇の魔法陣とは別に、使い魔すら見たこともない魔法文字を含んだ術式が編み上げられていく。
「答えろ、蛇よ! 貴様は何を望む。何を企むのだ? 復讐などではないな?」
猫の形質を失いかけながら、黒猫が問い質す。
「……魔術の園に生まれたからには、魔法界最大の秘密に挑むつもりだ。“アルカナの扉”に到達する事こそ、我が望み。その道程こそ、我が人生よ」
蛇の狙いを知った使い魔が、愕然とした表情を見せる。
崩れかける自らの身体を案ずるよりも眼前の事実にこそ脅威を覚えて、だ。
「蛇ではない……。お前は、蛇ではないな! ぬかった。よもや、支倉の使い魔に憑依する魔術師がいようとは!」
縛鎖に囚われたまま、黒猫が苦悶に歪む。
「誰だ? お前は、いったい……?」
血を吐くような声に、応える者はいない。黄金の光帯を伴う特殊な魔法陣が完成しつつあった。
描きあげられるそれは、原初の契約に起因する術式。かつて黒猫と呼ばれた存在が、見知っている古き大地の風景が幻想的に浮かび上がってくる。
それは、彼にとって故郷と呼べるものだったのか。
耐え難い何かを抱えこんだ老人のように、彼の翠の双眸が闇を映す。急速に精霊である自分を取り戻しながら、黒猫と呼ばれていたものは声をあげる事もできず、忽然と支倉の館から消失した。
いつも長く待たせてすみませんでした。今回から「破滅の予兆」となります。ラストに向けて、迫り来る脅威に抗う話となる予定なのですが……。
頑張っていきますので、最後までお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!




