第43話 強襲3
急ぎたい時に限って、他の用件が発生する今日この頃です。取り敢えず、続きをご覧ください。
全校集会の最中、教職員や生徒達の視線が一斉に集中する。
普段は無関心を装う年頃の男子生徒ですら、少女の叫びに何かを感じ取ったのか。周囲にざわめきが広がるまで、時間はかからなかった。
「みんな! お願いだから、逃げて!!」
なおも続く振り絞るような少女の叫びに、入り口に近い生徒達は視線を奪われ、言葉を無くしている。
自分達とは面識も無い他校の女子生徒。
それが、頻りに危険を訴えている。真摯な瞳が、少女の言う事が嘘や出鱈目等ではないことを如実に伝えているのだ。
それでも、普通では考えられない行為に、生徒達はどう理解していいか分からない様子だった。
講堂内は、野次馬根性のある生徒達と、どう判断していいか分からずにいる生徒達とに別れつつあった。混乱ばかりが拡がっていく。
「ここは危ない……。狙われてるの。だから、早く逃げ、て……」
息も荒く、少女は前方の生徒達に訴える。ただ、何故か少女は講堂の中までは入って来ない。
何が少女を駆り立てるのか、誰にも分からないまま時間だけが過ぎていた。
「なんだ、君は!」
「他の学校の生徒だな? どこから入り込んだんだ?」
最初に動いたのは、教師陣であった。
バタバタと駆け付けるスーツ姿の大人達に、立ち竦む少女は動こうとしない。
むしろ苦し気な表情が、先程より酷くなっていた。
「……お願いだから」
小さな声が、喉から漏れる。
「おい! 君は……」
「ちょっと来なさい!」
囲まれ、矢継ぎ早に質問される少女は、頭を抱えている。痛みに耐える苦悶の表情が、痛ましくすらあった。
生徒指導の教諭が、逃がさないようにと腕を掴む。腕を捕まれて、細い少女の身体が傾ぐ。
「お願いだから、離れて……。私は、私には時間が……」
呻くような声は、近くにいた大人達にしか聞こえなかった。
しかし、それは周囲の大人達の耳には届くことはなかった。抵抗もしない女子生徒を教師陣が連れて行こうとする。その姿が不意に止まった。一際大きな声が、講堂に響いたからだ。
「みんな、お願い逃げて!」
全校生徒が集う講堂で、一人の少女の叫びが響きわたる。
「お願い、早くここから逃げて!」
少女の立ち姿の後方に、不穏な影が湧いた。数名の生徒達が、背後に迫る猛獣の姿を捉える。
「な、なんだ!? いったい、あれは……?」
少女の後方を見た教諭が呟く。
「は、早く……」
腕を掴まれていた少女が、頭を抱えた。
その脇で、教諭の手元に赤い血が吹き上がる。
誰も刃物すら持たない状況で流れる鮮血に、大人達は一瞬茫然自失となった。見えない刃に襲われた現実は、あまりに呆気なく現実感に乏しかった。
それ故に、その場にいた者には魔法に掛けられたように感じたのだ。
それが、始まりだとも知らず。
(えっ!? この感じは……)
何者かが行使した、小さな魔術の痕跡。
気を付けていなければ見逃しそうな魔術特有の波動を春香の感覚が捉えていた。
入り口付近で起きた騒ぎを気にしていた彼女は、突然の魔術の発露に困惑した。そして同時に警戒する。自分達が通う高校での魔術の発露。それは、守るべき沙樹の身に危険が迫るのと同義だったからだ。
振り返った春香は、親友と目が合う。此処で離れては逆に危険だと判断し、共に事態の源へと赴く事を即決した。
目配せとしか思えない会話を切り、春香は生徒達の並ぶ人垣を押し分けていた。
「ああ、手が!!」
目指す先から上がる悲鳴のような声に、春香は舌打ちしたい衝動に駆られた。
押し分けるほど、喧騒が酷くなる。沙樹と進む彼女が生徒達の最後尾まで来た時、事態は一変していた。
講堂の入り口目掛けて、迫りくる黒い野獣が見える。あの幻想の夜に見た獣の姿は、見間違える筈がない。そして視界にいる少女の姿を捉えた時、春香は叫んでいた。
「貴理ちゃん!!」
必死に入り口のドアを閉める貴理子の動きが止まる。
「……春香ちゃん?」
思わぬ知人に会えた事を喜ぶべきか、悲しむべきか。
貴理子と呼ばれた少女の表情は、言い知れない苦悩を湛えているように見えた。だが、直ぐに決然とした顔を見せるや、再びドアを閉める手に力を入れた。
「待って、貴理ちゃん! 危ないよ!」
「逃げて、春香ちゃん!」
続く貴理子の声が、最悪の未来を予想させる。春香の目の前で、無情にもドアが閉められていく。閉ざされたドア越しに、悲鳴があがった。
「なんで開かないのよ!?」
春香が全力を出して開けようとする扉は、彼女がどれだけ力を入れてもびくともしない。開けられるのを拒むかのように、一ミリたりとも動かないのだ。
春香は貴理子が警察に保護されず、あのまま行方不明になっていたことを知っていた。
己の過ちが、取り返しのつかない結果を引き起こしたと悩まない夜はなかった。今まさに、彼女を助けられるのなら春香にとって他のことは些事に過ぎなかったのだ。
「Voooooooooaaaaaaaaa!」
突然の咆哮が鳴り響く。野太い野獣のそれが、混乱しかけていた講堂内に木霊した。
続いて何か巨大なものが、ドアにぶつかる音が辺りに木霊する。複数の獣らしき咆哮と、肉を噛み千切るような音がドア越しに聞こえてくる。
あまりの事に、春香の動きが止まる。
「!」
ガァン、と金属製の扉に圧力が加えられた。大きく窪む入り口ドアに、春香も目が釘付けとなる。ビクリとして、数歩後退る。
誰かの悲鳴が上がったのを切っ掛けに、生徒達の喧騒はパニックへと変貌した。もはや、講堂は安全な場所ではなくなっていた。
「お、押すなよ!」
「いや、いやよ! 来ないで!!」
「待ちなさい! まだ集会は、おい!」
「なんだ!? なんだよ、あれ?」
「ライオンみたいな猛獣が、何匹もいたわ!」
パニックになる全校生徒に背中を向けて、春香は戦闘体勢に移る。戦いに馴れた身体が、心とは無関係に反応する。後ろに沙樹を庇い、獣達が押し寄せる気配に緊張する。
「二階に急げ!」
「クラス委員と生徒会は、本棟まで誘導を……」
「どけ!」
「やめろ! 押すなよ!」
興奮した生徒達を掻き分けて、柳楽が駆け寄って来る。
「二人とも、無事か!?」
少年の心配をよそに、春香は前を向いたまま九字の印を切る。
「委員長、他の生徒達を避難させて! 早く!」
厳しい表情で頷く光一は、事態の深刻さを理解していた。彼も幻想の夜を乗り越えたのだ。非常事態に優先させるべき事を弁えるだけの分別があった。
光一は傍らの沙樹を見つめて、短く告げた。
「すぐに戻ってくる」
「うん」
沙樹の信頼を寄せた答えに、光一は踵を返した。
想いを寄せる少女を危険な場所に残したくはなかった。だが、傍らにいる少女の実力も知っていた。少年は春香を一瞥すると、未練を振りきるように二階側の非常口を目指して疾走した。
その光一の後ろ姿を見る親友を安心させようと、春香が言った。
「沙樹ちゃん、心配いらないよ。必ず守るから」
「春香、私も戦いに……」
春香は息吹を調えながら、首を振るとダメだと否定の意を示す。
「沙樹ちゃんは、なんとか館の住人と連絡をとって欲しいの。流石に緊急連絡も間に合わないかも……」
手元に光る電子の点滅信号は、守護者達に緊急事態を知らせているはずだ。だが、言い知れぬ不安が春香にはあった。
ガチャリと音がして、変形したドアが開く。その音が、春香達の耳にやけにはっきりと聞こえた。
前を見据えた春香の目が捉えたのは、入り口付近の床一面に拡がる血溜まり。そして、殺意を隠さぬ魔女の姿だった。
魔女が講堂内に足を踏み入れる。
己の領域を侵犯してくる侵入者に、春香の警戒心はとうに針が振り切れている。フードの奥に光る危険な光りは、赤く燃え盛る炎のような艶を宿していた。
顔を上げた魔女が笑うように問う。
『ふふ……。今度は楽しませてくれるのかしら?』
その微笑みに、脳髄が焼けるような衝動を受ける。
「……なんで? どうして?」
春香の声は、力無くこぼれ落ちる。
『さあ、お互いの生命をかけた神聖な儀式を始めましょうか』
陶然と微笑む魔女を目の前に、春香の肩が震える。
『ねぇ、魔術師さん?』
血のように赤い魔女の唇が、愉悦の形に歪む。それは、獲物を見つけた狩人のそれだった。
「どうして、此処にいるの?」
春香は知っている。あの魔女が、誰かに似ていたことを。
クラウド・ゲイトと戦ったあの夜、彼女は見たのだ。フードに隠されていた魔女の素顔を。あの幻想の夜に見た悪夢が、追いかけて来たとしか思えない状況に、少女の心は切り裂かれるような悲鳴をあげていた。
「貴理ちゃん!!」
「猫よ、此処にいたのか」
白と黒の斑の魔法陣を伴い、坂の上の館に錯視の蛇が姿を見せていた。
館に、使い魔達の姿が揃う。
ただそれだけの事で、室内には言い知れぬ緊張が生じていた。
互いに使い魔としては破格の魔力を誇る強者同士。それ故に支倉に仕え、今日まで呉越同舟よろしく協力し合ってきたのだ。
その均衡が、崩壊してしまうような見えない圧迫感が充満していた。
「蛇よ、何故此処にいる? いや、待て……。貴様、沙樹様の護衛はどうした?」
黒猫の問いに、咎めるような不信感が込められていた。語気荒く蛇を見返す。
問われた錯視の蛇は、膨大な魔力を纏ったままゆっくりと床を這いずる。禍々しい魔力を纏わせたまま、館の住人を一瞥した。使い魔たる本来の姿を晒したそれは、気の弱い者なら直視に耐えない魔の力を宿している。。
黒猫の威圧も何処吹く風と、室内を這って近付いて来る。
「何故答えない?」
「ククク……。小娘のことなど、お前の配下に任せておけばよい」
黒猫の漆黒の毛並みに、光りが艶となって反射する。主人を恐れぬ蛇の暴言に、黒猫が眉根を寄せる。
「血迷ったか? 蛇よ、主人を裏切れば使い魔の存在確率そのものが危うくなることを知らぬ訳でもあるまい?」
ゆっくりと立ち上がる黒猫の姿は、蛇にも勝る魔力の膨脹を見せていた。
「我は守護者とは違う」
「なに?」
言うが早いか、蛇の直下から同心円状の魔法陣が広がる。
円環の理に潜む魔術効果に、黒猫の翠の双眸が細められる。
白と黒の魔法陣が、内側から様々な紋様と記号に埋め尽くされる。一拍の間に、無詠唱の術式が俄に形を成していた。
「……主従の分別は弁えているかと思ったが? やはり心無いただの使い魔。主人に刃向かうか?」
「猫よ、我は元よりアルカナの魔女に仕えるべく産み出されたのだぞ?」
赤い眼差しも煌々と、蛇の魔術が拡大を続ける。
「支倉の栄華を実現させるため、我はいるのだ」
室内を満たす魔術の効果か、微細な風が流れ始める。不穏な空気を感じて、猫の黒く長い影がシミのような漆黒に変じていく。
完全な戦闘体制をとった蛇の口調は、襲撃者のそれとは思えないほど落ち着いていた。
「そのために、猫よ……」
魔力の満ちた空間に、亀裂が入るような違和感が生じた。
「お前が邪魔になった。ただ、それだけのことよ」
同心円状の魔法陣が作動する。直後に現れるは“枯渇”の檻。かつて沙樹を守るため市内の庭園で見せた魔術作用が館の中で発動していた。
錯視の蛇の両目に赤い光が灯る。冷酷な光を湛えたまま、使い魔は告げた。
「もう現世に未練はなかろう? 猫よ、お前の住むべき闇に戻れ!」
明日中に、おまけの更新をしたいと思ってます。よかったら、そちらもご覧ください!




