第38話 真実との邂逅1
連載を始めてから二年目のGW。お待たせしてます、はい。
朝の光がブラインド越しにオフィスに射し込む。早朝の静けさが薄れていくオフィスにいるのは、捜査官が二人。
長崎署の朝は早い。そして、いつも喧騒と熱気に溢れている。
その喧騒を慣れた感じで流し見しながら、一人がオフィスを颯爽と歩いて来る。濃紺色のスーツ姿も軽く着こなし、キャリアウーマン然と歩いて来る。現在、長崎署の特捜本部で働く立花であった。その顔に、昨日までの疲れは見えない。
「加藤君!」
駆け寄る立花の姿に、加藤が顔を向ける。同年代の二人は、自然と話が合った。配属以来、朝の恒例行事になりつつある挨拶に、彼は手をあげて応えた。
「聞いたわよ? あの娘、今度は人命救助で表彰されるんだって?」
「へぇ」
通勤用のバッグを肩から下ろし、自分のデスクに座る。彼女の席は加藤の隣だ。
「なに気のない返事をしてるのよ? あなたの春香ちゃんのことよ?」
噛み合わない話に、彼は手を止めた。
既にデスクでパソコンソフトを立ち上げている加藤は、集中していたせいでよく聞こえなかったのだろう。
「……は? 春香お嬢さんが、何ですって?」
怪訝そうに眉をひそめる。
「聞いてないのね。もう、つまらないなぁ~」
「先輩、お嬢さんがどうしたんですか?」
加藤のもうひとつの顔、守護者としての冷静さが多忙な中にも顔を覗かせる。
「昨日のうちに消防署から感謝状の打診があったらしいのよ。警察からも出すでしょうしね」
「へぇ……」
意外な事実に、彼も素直に驚く。
「彼女の事なのに、反応が薄いのね?」
立花がつつくように言う。視線に何処かからかうようなニュアンスが含まれている気がしたが、加藤は飄々とこれを捌く。
「別に僕と春香お嬢さんは、そういう関係じゃありませんからね」
「……悪い男。泣かれるわよ?」
立花の勘違いに、辟易したような物言いが返って来る。加藤の眉間に皺が寄った。
「なに勘違いしてるんですか? 久和参事官に話がいけば落ち着きますよ」
見返した立花の顔には、まごうかたなき揶揄の色が浮かんでいた。本人は笑顔に隠したつもりだろう。
それでも守護者として培った経験が、彼に精度の高い人間心理を看破させる。
好奇心に彩られた瞳が、彼を見ていた。
「騒がれるのは嫌いなんだ?」
予想の範疇にある回答に、加藤の肩が落ちる。
「先輩、仕事しましょうよ。ね?」
「なによ! リアルで充実してるんだから、少しくらい弄られなさいよ!」
正しくは同い年の立花が、予想通りに機嫌を損ねてみせる。恋愛方面での彼女は、すぐに熱し易い一面がある。有り体に言うと、子供だ。
「訳のわからない事で僕を巻き込まないでくださいね?」
「だってさ、あの娘って凄いじゃない?」
何処かさめた表情で加藤が立花を見つめる。
立花の悪戯も彼にとって、何度目かになる。もう慣れたものだ。彼女のほうも、加藤に必要以上に相手にされなかった悔しさがあった。
「私から見ても可愛いしさ、そのうえ性格も素晴らしいでしょ? あんな他人のために頑張れる娘なんて、探してもいないわよ!」
「はあ……」
「それにさ、将来は警察に来て欲しいじゃない? 私、ぜったい推薦するんだけどなぁ~」
ああ、またこれかと加藤は思う。
ひとつ咳払いをすると、彼は立花に向き直る。
「先輩、けっこうミーハーですよね。 確か去年もミス・キャンパスが警察を受験するとか言って騒いでませんでした?」
「いいじゃない、それくらい!」
新しいものが好きな子供が、目の前の玩具を見て我が儘を言うような微笑ましさがあった。
頬を膨らますような彼女の仕草も、可愛らしかった。
「殺伐とした職場がいけないのよ!」
「はあ……」
加藤は脱力感はないものの、何処か肩の力が抜けたような気がした。
知らず、口元に笑みが浮かんでいた。
「私も潤いが欲しいな……」
「そうですね。あ、加湿器はそこですよ」
加藤の指差す場所に、事務用品と並んだ加湿器が置かれていた。
「……納得いかないのに、マイナスイオンが気持ちいい自分がいるわ」
自分に加湿器を向けて、立花が呟いた。
それでも、立ち直る早さも彼女らしく前向きだ。
「でも……。いったい、どういう娘なの?」
「先輩? だから言ってるじゃないですか……」
既にデスクを向いていた加藤が、手を動かしながら相槌を打つ。
「私から見て、どうにも納得がいかないの。今回の人命救助だけならそう思わなかったかも知れないけど、年齢的に不自然なほど行動力があるし、不釣り合いなほど大人びた態度をとれる。そして、有り得ないほどの結果を引き寄せてる。そんな感じがしない? そう思わないかな?」
思わず彼の手が止まる。
「はあ……」
応えた声は、少し低かった。
意識せずに、加藤の警戒感が反応する。
「着ていたものも何処かおかしかったし……。そぐわないっていうか、どうしてスーツ姿だったのかしら? まだ高校一年生よね? 足下も女の子っぽくなかったし……」
まるで自分自身に確認するような立花の言葉が、彼の警戒心を刺激する。
(あの状況で、よく見てたな……)
感心するように心の中で考えた感想を、読まれたかのような問いに少しざわめく。
「……加藤君、何か知らない?」
「さあ……」
しかし、彼のポーカーフェイスも年季が入ったものだ。
立花の彼を見る目も、疑念などは映していない。ただ、彼を頼る健気さだけであった。
「例の高校……。あそこの生徒だけが、唯一未遂で終わってるわよね? ええと、支倉さんだったかな? そう言えば、あの娘の友達よね?」
思わぬ手札を切られて、加藤の背中に冷や汗が浮かぶ。
「それに、行方不明中の日野貴理子さんを知ってたのも、彼女だった……よね?」
「先輩、何が言いたいんです?」
彼女に、これ以上考えさせてはいけない。そう思って、加藤は逆に質問する。余計な事は口にしないのが鉄則だった。
「……」
「……」
沈黙が、二人の間に降りる。無言のまま視線を向けて、加藤は次の言葉を待った。
「まだ私にもわかんないのよ! 自分で言ってて理論的じゃないって分かってるし! ああ、分かってるから言わないで!」
「はあ……。要するに、直感的に思考したと?」
「うん」
自分のデスクで頭を抱えている立花に、彼の助け船が出される。勿論、行き先は真相に向かってはいない。
「そう言えば、あの入院中の娘は無事でしたけど、その後はどうだったんですか? 病状のほうは?」
「……ああ、中条さんね? 彼女もまだ意識が戻らないわ」
「そうですか……」
短い沈黙が、再度降りてくる。加藤も役者だ。
「非力だわ、私……」
次の台詞に、彼も素直に驚いた。
「は?」
「なに?」
アドリブで繰り出されたパンチは、思わぬところから彼を襲った。素早い二の句の切り返しに、加藤は一歩引いてみる。
「いえ、どうぞ」
「あんな少女達が被害に遭うなんて許せない。でも、その原因を突き止めきれない……。力及ばず、で終わらせていい話じゃないのに」
彼女の苦悩が滲む様を、加藤も改めて知った。
「僕ら頑張ってますよね?」
「でも、事件の全体像が見えないわ。そう思わない? 情報を精査しても状況を検証しても、やっぱり何か腑に落ちない。パズルのピースが、まだ足りない気がするのよ」
真面目な顔で尋いてくる彼女に、加藤も真顔で答えようとする。
彼にも良心が咎める時があるのだ。これほど真摯な心で向き合う者に、真実を伝えられないのは、彼としても辛かった。
良心の呵責ーー。
だが、事は主家筋にあたる支倉に関わる秘密だ。彼としても、おいそれと話す訳にはいかなかった。
再び、パソコンに向かう手を動かし始める。
「大きな事件ほど、見極めは難しいものですよ。特捜班長も言ってたじゃないですか」
「やっぱりそうなのかな……」
「そうですよ」
静けさを取り戻したオフィスに、コーヒーメーカーから芳しい香りが漂う。
長崎署の一日の始まりが、規則的に流れ出していく。
「先輩。何事も諦めたらそこで終わりですよ」
掛けた言葉は、彼の良心故のことか。
「……そうね。そうだよね!」
「ええ、そうですよ」
それでも、加藤にとって決してこの人助けは嫌いではなかった。
ただ、守護者として生きる事を選択したがために、生きづらいだけなのだ。
「あんないい子達が被害に遭うなんて許せないもの。私がやらなきゃ誰がやるってもんよ!」
「ええ、その意気ですよ」
そうした彼の良心を知らず、立花は明るさを取り戻していた。もう両目には輝くような力が漲っている。
「ところで、さっきから何してるの?」
繰り出された質問は、彼の事を気にしていた。覗き込むような姿勢で、立花が加藤の近くに立つ。見えたモニターには、事件情報を整理したものが流れていた。特捜事件ではない。だが知っている気がする、と彼女は思った。
「これですか? 手持ちの少年事件の報告書ですけど……」
「げっ! 何よ、朝から一仕事してたの?」
可愛らしい彼女の顔が歪む。
「齋藤課長から言われてないですか? 僕は言われたんですけどね」
「……忘れてた!」
途端に青ざめる表情を見せる立花に、加藤が聞き返す。
「……大丈夫ですか、先輩?」
心配する彼を余所に、嫌だやりたくないとか、課長からシメられるといった言葉が聞こえる。
ほとんど宿題を忘れた生徒のような彼女らしい反応に、加藤も朝から心配の種が増えた気がした。
そして、立花も慌てたなかにも冷静に考えていた事があった。昨日、自らが出会った運命とも云えるもの。
(あの娘のこと……。気になるんだよね。やっぱり少し調べてみようかな?)
彼女の持つ女の勘が、ちらりと顔を覗かせる。それが、後に災禍となることを彼女はまだ知らなかった。
着実に終結に向かっているのですが、まだ書きたい事が多いですね。




