第31話 異変3
ヒロインの出ない回は、色々と大変ですね。
その日の午後、風雲急を告げる事件の発生に二人は翻弄されていた。
市内の高校で、昼休み時間に何らかの犯罪が発生した。被害者の少女は救急病院に搬送され、通常では有り得ないほど衰弱していた。現場からの応援要請を受けた長崎署少年課の立花は、加藤達と別れ、搬送先の救急病院に駆け付けていた。
一見、高級ホテルのように見える大病院の一階ロビーで、一人で俯いて時間を潰す立花の姿があった。その胸元には見慣れぬIDカードがある。病院側が用意した公安関係者用のものか。赤いセキュリティの文字が目を引く。
苦悩する表情は、少女達の事を思いやる心の現れだろう。彼女の方へと駆け寄る足音に気付くや、立花の表情が幾分晴れた。
「加藤君、こっちよ!どうだった?それで、学校のほうは何か分かった?」
大きく手招きする立花に、加藤が合流した。
「いえ、特になにも。あの高校は、今日中に全校集会を開いて生徒達に説明するそうですよ」
「そう……。本署から連絡が来たけど、誘拐未遂って本当なの?」
訝しむように尋ねた訳は、違っていて欲しいという彼女の願いのためか。
「現場の状況と目撃した生徒達がいましたから概ね間違いないと思います。ただ、当事者の話が聞けないんですよ」
「怪我が酷いの? 特捜本部からは連絡は来てないけど……」
加藤の顔に、僅かな陰が射す。
「いえ、意識が戻らないだけです」
「また?」
立花が思わず声を荒げた。
「ええ、またです」
そこには、本当に困惑した顔の立花がいた。報告を聞く姿に余裕が無い。
「どういう事? 医者の説明は……まだよね」
「先輩、こっちはどうなんですか?」
「芳しくないわ……。わざわざ院長先生が来てくれたんだけど、まだ処置中だそうよ」
「そうですか……」
加藤も嘆息して応える。
頭を抱えるようにして、髪をかきあげる。彼女の綺麗な黒髪が乱れた。
数瞬の間、沈黙を嫌うように立花が尋ねた。
「ところで加藤君、あの娘達はなぜ意識が戻らないのかしら? 皆が一様に衰弱している訳ではないのに。やっぱり、誰かが言ってたようにカルト的な集団催眠とか……」
ロビーにある待合用の革張りソファに腰を下ろして、立花は手荷物のバッグを置いた。両手を重ねて顔の前で組む。その仕草は、真剣な眼差しを援護するものだ。
「先輩、それはないですよ。薬物検査の結果が出てるじゃないですか?」
現実を見せるように、加藤が告げた。
「でもおかしいじゃない? あの娘達には共通の接点になるものが無いのよ? 医学的に原因は分からない、家族も理由に思い至らない……。でも、現実的に病床に伏せってるのよ?」
まるで苛立ちを隠すように、立花は疑問をぶつけてくる。
「それを捜査して、解明するのが僕らの仕事でしょう?」
抱えていた疑問を吐き出す作業が続く。
「……上手く言えないけど、何かがおかしい。見えないパズルのピースが欠けてるような、そんなもどかしさがあるわ」
ロビーに行き交う人の喧騒も、彼女の耳には届かない。あくまで真剣な眼差しは、揺らぐ事は無かった。
「そんなものですか?」
「ん~。形容し難いのよ……」
加藤は心の中で、誰に言うともなく立花に賛辞を送った。彼の口角が上がる。
(この先天的な勘の良さは、称賛に値するんですけどね……)
彼もまた、秘密を持つ者だった。同僚達には言えない使命を持つ者なのだ。
守護者として、彼は立花を見つめていた。
その二人の様子を遠巻きに見ていた看護師が、彼等の方へと近付いてきた。
「警察の方ですか? 処置が終わりましたので、こちらにどうぞ」
待たされた二人は、すぐに移動した。
案内されたのは、医師の使う診察室のひとつだった。中には三十代と思われる男性医師が、デスクに向かってカルテを書いていた。
看護師が彼を呼ぶ。
「ああ、どうも。担当医の野村です」
いかにも働き盛りの男が名乗った。鬚がある風貌は、頼れる父親像が近しいところか。そんな事を思いながら彼女は返答していた。
「長崎署少年課の立花です。こちらは同僚の……」
「加藤です」
隣に立つ加藤が頭を下げる。紹介の手を下げて、立花は仕事の顔に戻った。
「先生、さっそくですが、この少女の容態について尋ねたいのですが?」
向こうも心得たもので、男性医師の説明は丁寧且つ無駄の無いものだった。机上にあるモニターに手をかざして画面を操作する。すぐに欲しい情報が呼び出された。
「この患者さんは血圧や自発呼吸といったバイタルが、軒並み低下しています。今はLSS器具に繋いで経過を観察している状態です」
「有り体に言って、衰弱しているのでしょうか?」
「まあ、そうです。栄養材等の点滴を続けているので、徐々に体力は戻ると思います」
基礎的なデータを閲覧しながら、医師は話を進めた。
「いつ頃になったら意識は戻るでしょうか?」
肝心な点を立花が尋ねた。
「CTやレントゲン、血液検査等の結果を見ても、特に身体には異常らしい異常も無いのですがねぇ。まあ、一両日中には回復を示すと見ています」
先程から医師の手に合わせて、モニター上の画面が次々と新しい画像を映していた。CTの連続的な人体内部の画像が流れる。
「病歴は分からないのでしょうか?」
彼女が丁寧な口調で尋ねた。病歴は、重要な個人情報だからだ。捜査に関する要請だからこそ、医師も答えている。
「元々、この患者さんはうちの病院に掛かっていたので病歴は分かってます。しかし、この容態に繋がるような病気も怪我もありませんね」
医師の返答に、立花は落胆した。また、手掛かりは何も無いのだろう。
「そうですか……」
「外傷は、身体の数ヶ所に軽い打撲と擦過傷があります。救急隊から校庭で倒れていたと聞いているので、その時の傷跡だと思われますね」
ただ、と言いながら医師はモニターから目を離して彼女に言った。
「後は、左の首筋に母指頭大のアザのようなものが一ヶ所ありましたね」
「痣? 拝見しても?」
了承の意を表すように、医師は立ち上がると隣にある処置室へと案内した。
救急病棟の処置室は、以外に狭く感じられた。全体的に白っぽく感じるのは室内の壁紙に使われた蓄光塗料の反射光のせいか。よく地下鉄の通路等の天井に使用されているものだ。
その処置室のベッドに、一人の少女が横たわっていた。
血の気の引いた顔色は、死んでいるように青白く見える。立花は、自然と息を飲んだ。
小さな電子音だけが室内に響いている。野村医師は、ベッド脇に配置された管理用医療器具を見る。システム的に最適化された配置にあるためか、半ば自動的な動作で野村医師は大きな液晶画面を自在に操作する。
そのモニター画面の数字を確認してから、少女の首筋を指し示した。
「これは……。内出血か何か?」
「この患者さんは、校庭で倒れたと聞いているので、その際に首筋を打ったかも知れませんね。まだ詳しく検査した訳ではないので分かりません。皮下組織を採って見れば正確に分かるでしょう」
少女の首筋に、青黒い痣のようなものがあった。
加藤が目を伏せる。彼にだけは、一見して分かる痣だった。まるで、爪で皮膚に刻みつけたかのような粗い傷跡が正確な五芒星を描いている。一般人には見えない、魔術の心得がある者にだけ見える痕跡だった。
しかし、少女の首筋にあるのは死を招く魔術刻印なのだ。この少女の呪われた未来を見た気がして、彼は目を伏せたのだった。
「他には、何か所見はありますか?」
「いえ、残念ですが……」
「……そうですか。先生、ありがとうございました」
立花は説明してくれた医師に一礼して、処置室を去った。
それから、二人は駐車場に向かう足取りも重く、互いに口を開かなかった。
加藤の前を歩く立花が、ぴたりと立ち止まる。振り返らないまま、後ろにいる同僚に話し掛ける。
「ねぇ、加藤君。私、何かしらやってみる価値はあると思うんだけど……」
ピクリと加藤の眉が反応する。
「僕に変な期待はしないで下さいよ?」
「また同じ所見なのよ? いたいけな少女達が苦しんでるのよ? 何とも思わないの? もうこれ以上、私は手を駒根いているわけにはいかないわ!」
振り返り、やや見上げる立花の熱い説得に、加藤が冷静な口調で反論する。
「だからって、毎回毎回僕を巻き込まないで下さい」
「私達、苦楽を共にする仲よね?」
「タダ働きは嫌いなんです」
二人は、お互いに譲らない一線を探り合う。
「今度奢るから、ね?」
「ランチメニューなら、間に合ってます。せめて、夕御飯でお願いします。あ、もちろんアルコール込みで」
「くっ、人の懐具合を……。仕方無いわね。OK、特捜本部には私から連絡するわ!」
「人使いの荒い上司にならないで下さいよ? まったく……」
加藤は嘆息混じりに彼女を見る。小柄な立花が息巻く様は、見ていて微笑ましい。しかし、それも自分が巻き込まれなければの話だ。
(張り込みですかね? せめて、お嬢さんに連絡しないと……。ん?)
公用端末のアラームに、加藤は視線を落とす。
「加藤君どうしたの?」
「いや、今メッセージがですね……」
立花の問いに、軽く返事をしたままデータの情報を確認する。そそそと、寄って来る立花の姿を目端に感じながら、加藤は確認を急いだ。
「……これ、何のデータなの?」
「刑事課の知り合いからですね。ちょっと頼み事をしてたもので、その連絡です」
公用端末に送られてきた圧縮データを閲覧できるように変換する。
何のデータなの、と尋ねてくる立花に仕方無く返答する。
「外国人、もしくは外国製品絡みの事件関係をちょっと……」
「……三景台町の盗難事件? これ、何か関連あるの?」
「まだ秘密です」
「むう!」
頬を膨らませた立花を見ながら、加藤は思案する。彼の期待していた望ましい条件に合致するものは、ひとつしかなかったからだ。それが果たして真実に辿り着ける鍵となるか。
占術に出た微かな可能性を引き寄せる鍵を、彼も探していた。
(ギリシャの壺……。盗難に遭った被害品ときましたか。次の一手に繋がるかどうか)
まだ見ぬ魔女の顔を思い浮かべ、加藤は静かに闘志を燃やしていた。
人気の無い医務室で、少年は横たわる。
高校の一階にある医務室。その簡易ベッドの白いシーツを掛けられただけの少年が、今は静かに寝息をたてていた。全身に受けた魔術の痕跡は、まるで嘘のように跡形も無い。
安らかな寝息をたてる少年の胸元には、一粒の灰色の石があった。色合いの悪い石は、彩度も低く、曇った灰色をしている。それが、不自然な状態で置かれていた。
否、正確には胸元にあって確かな波動を放っていた。
室内の空気は対流を始めたのか、微風のように流れる。微弱な魔力の波動が、室内に少しずつ伝わりはじめていた。
灰色の石は対流の中心にあって、その存在感を高めていく。流れる微弱な魔力の波が、ひとつの紋様を織り上げていた。
高まる波動は、複数の魔力溜まりを捉え、導いていく。
周囲にある僅かな魔力だけで、薄いヴェールのような魔力紋様が生まれつつあった。
見る者がいれば、輝き始めた灰色の石を眺めたかも知れない。透明度が増し、彩度が上がる石は、より高い波動に包まれていく。赤く、より赤く輝きを増す石は、まるで再生の歌を謳い上げるようだった。
赤の魔石が、再び輝きを取り戻す。
それは、この学校の一角で行われるには希な奇跡。はじける程の光を取り戻した魔石の力が、やがて室内を満たし、横たわる少年の身体へと集まる。
それは、自らが仕える主人をいたわるような優しい光を放っていた。
活動報告で、また連絡します。




