第26話 アルカナ~其は力の証明1
遅くなりました。色々詰め込んでるので、手間取りました。
「えっ、学校に行っちゃだめなの?」
どうして、と沙樹の声が不満気に尋ねた。疑問ではなく、幾ばくかの不審を感じた少女の顔が刹那の間に曇る。
「ご不便をかけて申し訳ありません」
彼女の忠実なる使い魔、黒猫が己の主に対して頭を下げた。翠の双眸にあるのは、迷いや後ろめたさではなかった。そこに有るのは、主を思う気持ち、忠誠だけ。
「でも、今日は春香達と課外授業の打ち合せをする約束だったのに……」
「僭越ながら、沙樹様の今後を考えた末でのこと。どうか、お聞き入れください」
そう言われることも、予想した事だったのだろう。彼女もそれ以上の不平不満を口には出さなかった。ただ自分のとるべき選択肢を確認する。
「メフィスト、じゃあ私はどうすればいい?」
「学校は、こちらで連絡を入れておきますので、心配されませんよう。沙樹様は、このまま魔力適性の儀式魔法を行った部屋にお越しください」
優しく語りかける声が、彼女の警戒心を解きほぐした。
少女もまた、何か事情がある事を察するだけの器量があるのだ。二人の奇妙な主従が連れ立って行くまで、そう時間はかからなかった。
その後、二人の姿は館の一室へと移っていた。
沙樹にとっては魔眼が開いた場所だ。思うところはあるが、違う目的で来ているのだからと、沙樹は冷静さを保つよう努めた。見渡せば、何処か厳かな静謐さが感じられる。以前は見られなかった黒を基調とした調度類も、この部屋の厳粛な雰囲気を醸し出す役割を担っていた。
その部屋で、沙樹の使い魔が一度彼女を見た後、足元にある魔法陣を前肢で踏んだ。
「蛇よ、来い」
黒猫の言葉が、力ある言霊となって響いた。
空間に溢れ出す魔力が魔法陣に触れ、白と黒、縞と斑の魔術となって現れていた。見る者に焦点を結ばせない錯視の連環が魔法陣内に溢れ出し、大蛇の姿を形作る。
「我を呼ばれたのは主か? 召喚魔術を使用するとは魔術の研鑽に余念がない……」
「蛇よ、残念だが呼び出したのは私だ。お前の出番がきたのだ、喜ぶがいい」
「ウロボロス、ごめんね」
「……フム」
這い回る床上には、縞と斑の魔術紋が広がる。
ピリピリとした空気が、肌を刺すような緊張感を伝えてくる。不機嫌な蛇の魔力が、室内の空気に伝播していた。
「沙樹様、こちらへ」
黒猫の案内する先には、奇妙な置物が置かれた執務用の大型机があった。重厚な銘木で造られた机の上に、卵型をしたそれがあった。
それを眼にした沙樹が、説明を求めるように黒猫に視線を移した。机上に一足でトンと飛び乗り、黒猫は主人に向き直った。
「沙樹様、これは使い魔の卵です」
まるで何気ない朝の挨拶のように、黒猫が簡素に沙樹に告げた。そこへ、待ったをかけたのが錯視の蛇である。
「猫よ! どうすれば説明を其処まで省くことができる? このインペリアル・イースター・エッグを前にして、言う事はそれだけか?」
錯視の蛇の赤い眼光が、主に近しい黒の使い魔に注がれる。
既に殺意にも似た興奮を抑えきれないのか、蠢く円環が何かの術式を織り上げていく。
「蛇よ、鎮まるがいい」
なだらかな声が、沸き上がる蛇の殺意を掻き消す。
いかなる効果か、黒猫の真言が錯視の蛇の昂る感情を宥めていた。
沙樹の魔眼とは違う方法ながら、それは夜に闇が降りるが如く、現象にも似た絶対的な威力を見せた。
「さて、沙樹様。この卵に眠るのは、支倉が代々伝えてきた魔術の結晶……。亜也様の一族で使役し、受け継がれてきた特別な使い魔。名はルン。私が知る限り、最大級の力を持つと言っていい上位召喚獣です」
「……よく分からないけど、この卵がメフィストの言う大事な用件だったって事は、よく分かったわ」
事態の推移を飲み込めず、おどけて見せる沙樹に、黒の使い魔が言った。
「沙樹様には、この卵に眠る新たな使い魔を使役していただきたいのです」
インペリアル・イースター・エッグと呼ばれた卵型の置物は、薄いクリーム色の外殼を顕していた。
銀製の台座に固定されたそれは、鶏卵などより二回り以上も大きめで、飾りの類いは殆ど無かった。正面に、同じく銀色に光る時計盤が嵌め込まれていることを除けばだが。
困惑気味の主人に、黒猫が声をかける。
「難しい事をする訳ではありません。これに沙樹様の魔力を与える事で、中の使い魔を起こすのです」
しかし、と使い魔の言葉が続く。
「契約者になれるか否かは、また別の話です」
ここまで話して、黒猫が蛇を見やる。
「蛇よ、出番だぞ」
「猫よ、礼を言うぞ。ククク……」
任せておけとばかりに、蛇の姿が踊る。錯視の連環が床を這い回ると、見る者の焦点を狂わせる魔術が発露する。嬉々として進み出る蛇に、沙樹が尋ねた。
「やっぱり、ウロボロスも知ってたの?」
「主よ、この契約は我が猫に薦めたもの。そして、一族の使い魔を護るために、我も一役かっているのだ。このようにな」
言い終わるが早いか、蛇に異変が生じた。
赤い両目が光を放つ。輝く光彩が朱や赤、紅と煌めき、見るまに眩耀なる魔法陣を瞳の中に描いた。
蛇の魔法に呼応するように、誰も手を触れずに銀色の時計の針が動き出す。卵の外殻を護っていた結界が、時間を巻き戻していた。
キンという澄んだ音をたてて、銀色の時計が机上に落ちていた。先程まで、自動で動いていた時計の針が、本体ごと落ちてバラバラに崩れている。
「この卵には、時計に使われる材料の純銀、聖別された黄銅、そして紅玉を触媒に、文字盤の数字の並びを利用して“|一重の数からなる魔方陣”が護りの術式として発動していた。解錠できるのは、主の使い魔たる我のみ。つまり、そう言うことだ」
見れば時計の文字盤に並ぶアラビア数字の配置が、通常のものとは違い狂っていた。
通称、クレイジー・アワー。時計に詳しい好事家達が見れば毛色の違った逸品程度には思うだろうが、魔方陣だと看破できるか、またそれを解く事ができるかは完全に別問題であった。
驚嘆に口を開いた沙樹の眼前で、ゆっくりと魔力波動のヴェールが開かれていくような感覚があった。
鮮やかな乳白色へと色見も変わった卵型の置物が、明らかに存在感を増して迫る。
少女には、これと同じ感覚に覚えがあった。
初めて“魔術の園”に触れた日、沙樹は見えない圧力を感じていた。あの日の記憶が甦る中、沙樹は言いようのない感覚に囚われていた。
「主よ、この卵を護る結界は猫の依頼によるもの。これまで何者にも触れ得ざるものとしてきた一族の秘宝……。受け取るがいい」
錯視の蛇の言葉が様々な記憶を呼び覚ます。母の亡きあと、使い魔達が館と共に護ってきた魔術遺産。沙樹の眼前で、それは圧倒的な存在感を見せていた。
「……メフィスト。魔力を伝えるにはどうすればいいの? それに、どうなるの?」
沙樹の心配に、黒猫は淡々と答えた。
「ご心配には及びません。沙樹様は、ただ夢を見るのです」
「えっ?」
「イースター・エッグに手を当てると、それ自体が魔力を吸い上げるのです。あとは沙樹様とルンの間に魔力供給の回路が生まれます」
不安が残る主人の顔を見て、黒の使い魔が言った。
「そして、回路から流れる魔力を伝い、瞑想などの半覚醒状態になることで、夢の中でルンの意識が沙樹様にも感じられるようになるのです。危険なものではありません」
それを聞いて安心したのか、彼女も行動に移した。机に向かうと、黒猫に薦められるまま椅子に腰掛けた。
机と同じく銘木製のそれは、沙樹の体格に合わせたものだろう。如何なる熟練職人の手になるものか、緩やかな曲線を描く銘木は触れる部分の全てに、人体に合わせた繊細で優美な曲面でできていた。
イースター・エッグを間近に見て、少女も神妙な顔になる。
やがて意を決したように、沙樹が細い両の手をイースター・エッグに触れた。
「こう?」
言い終わる彼女の掌中で、卵の内側から魔術的な紋様が浮かび上がってくる。僅かに距離を取り、触れるか触れないかギリギリの境界で沙樹の両手が止まる。
まるで光に透かされたような印象的な影が、精緻な模様を象った。
「綺麗……」
思わず感嘆の声を漏らす沙樹に、使い魔達は見守るように控えていた。
黒猫が主人の感動を見守り、見極めてから切り出す。
「沙樹様、それは中に眠るルンの形象を象徴する魔力紋です。お気に召されたのなら、ルンも誇らしいことでしょう」
「ねえ、メフィスト。ママもこの子を使役してたの?」
「はい。しかし、亜也様は私以外の使い魔を使役した回数自体が少なく、ルンもついぞ出番はありませんでした。あの方は、殆どのことを一人で済ませておしまいになる器用な方でしたので……」
黒猫の回想が終わらぬうちに、少女が尋ねた。
「そうなの? じゃあ、ウロボロスは?」
「蛇は、それこそ新しい使い魔です。亜也様が長崎に移り住んでから手にいれられました」
「そうなの、ウロボロス?」
「我は一族のアルカナ所持者へと仕えるべく創造された使い魔。猫の言う通りだ」
今度こそ本当に感嘆の声を漏らして、沙樹は嗜められた。
「さあ、沙樹様。もう魔力供給は充分なようです。こちらへ」
使い魔の案内を受けて、沙樹は言われた通りにした。
室内に準備されたソファーベッドに横たわり、沙樹は使い魔からの説明を聞いていた。
「先程も申し上げたとおり、夢の中でルンからの、アプローチを待つのです」
「その、寝ちゃいそうなんだけど……」
「大丈夫です。心身共に安らかにあれぱ良いのですから」
そういうものなのかな、と沙樹は呟いて横たえた身体を安息させる。胸の上下動が、次第に落ち着いていく。主の傍で、黒猫が語りかける。
「夢心地と言っても、正確には明晰夢です。沙樹様も体験した夢の内容を記憶しておけるはずです」
「明晰夢?」
「完全な睡眠状態ではないので、沙樹様が夢をコントロールできるのです。夢の中で、思う存分楽しまれると良いでしょう」
黒猫の声を聞いて、沙樹は目を閉じ眠りの森に分け入っていた。
「主よ、そろそろ頃合いだ」
蛇の低い声が、閉じた世界に響き渡る。少女の意識が、ゆっくりと微睡みから覚醒していく。
起き抜けで調子が出ないのか、少女の動きは緩慢だった。吐く吐息も、何処か気怠い雰囲気を消しきれていない。花のような美貌も夜明け空のように、まだ明けきれていなかった。
「おはようございます、沙樹様。ご気分はどうですか?」
「……うん、もう大丈夫」
「初めての明晰夢はどうでしたか? 何を見たか覚えておられますか?」
黒猫の問い掛けに、沙樹はゆっくりと口を開いた。
「……空に、一面の青空に棚引く雲があったの」
恥ずかしさに戸惑いながら、沙樹は自分の使い魔に夢の内容を話して言った。少女の手が、こう夢の内容を追うように宙に何かを描く仕草をする、
「凄い速さで、流れてて……。その雲の中に、何故か私もいたの。足元は雲海なのかな? 怖くはなかったけど、不思議なの。凄く気分が良かった。それから周りを雲と風が流れ始めて、その中に、あの子がいたんだと思う……」
「沙樹様、ルンを見られたのですね?」
黒猫の問い掛けは、確認するものだった。少女の目が、優しい翠の双眸を見つけた。
いつのまにか錯視の蛇も沙樹の近くに寄っていた。話の核心を聞き逃すまいとする。
「龍だった……。気がしたんだけど?」
言い難いことを話した後のように、照れたように少女が俯く。夢の中で見たものが、現実に戻って来たいまでは信じられないのかも知れない。
「沙樹様。ルンはどうでしたか? 怖くはなかったのですね?」
「うん。その、一緒に空で遊んだんだけど……」
低い笑い声が、少女の耳にも届いた。
「主よ、”ルン“とは竜王の名前なのだ。姿形は決して同じではないが、等しく示す能力がある」
「……それって、夢の内容と関係があるの?」
「勿論だ。ルンは天空に住まうクラウド・ドラゴン。風と水の二つの属性を併せ持つ上位召喚獣だ」
そうか、遊んだかと尚笑う使い魔の声が、沙樹の耳に聞こえた。
「沙樹様、他には何か印象に残ったことは有りますか?」
「えっ? 特には無いかな……」
黒猫も考え込むように目を伏せる。
「沙樹様、我等も召喚獣との契約に関する触媒については詳しく知らないのです」
「それって、どういうこと?」
黒猫が申し訳なさそうに告げる。
「はい。本来ならお母さまの亜也様から直接教えを受けていただいたはずなのです。召喚獣との契約に必要な触媒は稀少な貴金属などである場合が多く、他の魔術師達が虎視眈々と狙うほどですから」
ですが、と黒猫が続けた。
「ルンも亜也様が亡くなられた事は知っています。ですから、魔力回路が繋がる時に、何等かのことがあると考えていたのですが……」
黒の使い魔が、真剣な眼差しで主人を見た。
「沙樹様がみられる夢の意味するところは、原初の契約に”雲“を必要とする、ということでしょう」
一般的に、蝦蟇蛙や黒猫のイメージがある“使い魔”には、実は多種多様な報告例がある。
知性の有無を別にすれば、使い魔や召喚獣を使役する魔術師は数多い。
その中でも、特に強力なもの。使役することに高度な技術が必要とされるものに『四大精霊』があげられる。何故ならば四大精霊、すなわち四大元素(地・水・火・風)を基にした属性を持つ召喚獣は、与えられた魔力量と質によって性質・形・機能・行動原理を伴った諸形質を表象するようになるからである。これが、どのような姿を取るかは、それこそ魔術師の能力次第であり、それゆえに精霊の格に関わってくるのだ。
召喚術式自体は、基本的で難しくない。しかし、召喚に際して何等かの元素を必要とされるものが多い。召喚獣の物質的な構成に必要不可欠だからだ。
召喚には、特殊な媒体を触媒として使用することがあり、特異・強力な召喚獣ほど必要となる触媒も稀少価値のあるものになる傾向がある。
光や闇といった特殊な属性持ちは、世界に数例しか報告されていないように、稀少種は簡単に契約出来ない事が知られている。
そんな状況を俯瞰していた錯視の蛇が、誰に言うでもなく口にした。
「……誇り高い上位種は、おいそれと力の無い者に従わぬ」
振り返った沙樹の顔を錯視の蛇が見つめていた。次に吐かれた言葉が、突き刺さる棘となって彼女の胸を抉った。
「主よ、ルンを従えるには雲を掴まねばならぬということだ」
何とか此処までたどり着きました。これから終盤へ向けて、色々と詰め込んでいきたいと思います。




