第25話 嵐の予感3
嵐の予感、最後の部分です。なかなか進まない話ですいません。
午後イチの授業は、数学のテストが行われていた。どこにでもある高校の授業風景である。
教科によっては電子機器の持ち込みが自由化されている現代で、より質の高い授業を実践する事が良しとされる高等学校においては、実力試験において検索エンジンに深度制限をかけた端末機の利用が認められていた。
電子機器の使用が日常的になった昨今において、責任の制約を早い時期に教えていく事が青少年の健全育成と保護に役立つと言われているからだ。
今では社会的にも無線通信環境を利用して自動的にセキュア化される携帯端末が主流となっていた。
これは、ネット上の個人認証を登録する事で利用できるサービスで、数百万人が利用する個人情報の保護と、特に未成年者への防犯対策などがとられているためだ。
そのため、学校でのテスト中に生徒が情報端末機を身に付けていても問題となる事はなかった。
そんな授業風景の中で、春香の手元にある腕時計型の情報端末にアラームを示すシグナルが明滅した。
(あれ? こんな時間に何だろ)
ショートメッセージ通信を示す画面表示を見て、彼女の疑問が増す。
大体の問題を解き終わっている彼女だけが、手元にあって忙しく繰り返さす着信通知を見ていた。
「どうかしたの、久和さん?」
教師の質問に、春香は無言で端末機をつけた手を挙げて理解を求めていた。
教師もまた、端末機の画面表示に頷く。流れるような指で、授業用のタブレット型端末を操作する。
「はい、どうぞ」
教室内にかけてあるセキュリティ信号の解除を操作して、教師が春香の端末機を利用できるようにする。
「ありがとうございます」
春香のほうも慣れた様子でメッセージの緊急性だけを確認中だ。
ややあって、何事も無かったように少女が微笑む。
「すみませんでした。別に緊急じゃありませんでした」
「……じゃあ回路の承認をお願いね」
タブレットを向ける女性の数学教師に、春香は手元にある端末機を通信用のアプリケーションに切り換える。そうして送られて来るシグナルを承認して、彼女の端末機にセキュリティがかかった。
実力テストの最中にあるやり取りが、何気なく終わる。
実際に、生徒の自主性を伸ばす学校の教育方針とそれに基づく授業内容は、当初心配された不正なども無く、好感をもって受け入れられた。
「どうしたの、春香?」
次の授業までの休み時間に、春香は前に座る沙樹から声をかけられていた。
「ああ、沙樹ちゃん。なんでもないよ」
そう言って指で画面表示の切り換える。現れたショートメッセージは、春香が裏稼業で使っているアドレスに向けて発信されていた。先程のテスト中に受信したメッセージを開く。
(何だったんだろ? パパから……)
そう言って内容を確認していくと、春香の目に信じられないものが飛び込んで来る。
(えっ!?これって、戦闘用のコード表じゃ?)
数字の羅列のような画面を見て、春香が真剣な表情をつくる。過去に何度か使用してきた事がある彼女だけに、送られてきた事実に愕然とする。
しかも丁寧に坂の上にある洋館を中心とした地図データまで附けられていた。
市街戦を考慮に入れた地図の区割りや通信内容の暗号化に、春香は周囲を見回してしまう。この場にいる沙樹と目が合った。
ちなみに、今いる学校は5時方向にある事からNo.5に区割りされていた。
「悪い知らせ?」
「いや、そうじゃないんだけど……」
改めて端末機に目を落とす。
「いったい全体……。なにしたの、師匠?」
春香の背中を嫌な汗が伝う。今日はクラウド・ゲイトの本拠地である長崎新地中華街で交渉が行われていた筈であった。
決裂したのだろうか?そう春香は考えた。
クラウド・ゲイトと戦いになれぱ、今度は小競り合いでは済まないのではないか。亜流の魔女を追う現状で、それはマイナスにしかならないと思えた。
暗い予想に春香の表情が曇った頃、手元の端末機が新たなメッセージを伝える。直ぐに開いて見た彼女が固まった。
(既に戦闘状態って……。ちょっと待って。6番ってこの近くじゃん!!)
迫り来る魔術戦の余波に、春香はあるはずのない血と硝煙と様々な薬品の匂いを嗅いだ気がした。
「……ど、どうしよう?」
逡巡する思考に、春香は自然と目が泳ぐのを自覚した。服の下に仕込んだ呪符は、限られている。
次の授業までのわずかな時間に、春香は決断を迫られた。
離れるべきか、留まるべきか。
何れにしても彼女にとって、護衛対象者は決まっている。それでも頭の中に鳴り響く警鐘は止まなかった。
「沙樹ちゃん。私、今日の放課後は、ちょっと早く帰るね?」
親友に告げた言葉は、口をついて出た彼女の不安そのものだった。
「蛇よ、それで奴の足取りは辿れたのか?」
館の一室で、主人を囲む使い魔が揃い、己の成果を披露していた。
「勿論だ」
応える蛇は、夜半の召喚に応じて参集していた。魔女となったばかりの主を守るべく、支倉の誇る強力な二匹の使い魔が集っていた。
坂の上に建つ洋館で、白と黒の縞と斑の紋様が蠢く。錯視の蛇の魔術が周囲の空間を染め上げていく。
暖炉には魔術の火が灯され、間接照明の灯りが室内を淡く照らして肌寒い夜に暖かな光を投げ掛けていた。その空間に、円環の魔術が軋みをあげて存在を主張する。
「この魔女の手掛かりは、欧州ではなく新大陸の方にあった。具体的には西暦1700年代初頭に、スペインから出航したサンタ・マルガリータ二世号に、まとまった数の魔術師が乗船して出航している。”時計塔“の記録保管庫の中に、魔女狩り時代の記録が文書で残されていた。出航記録の中に確認できたギリシャ人の女性魔術師は一人だけ。名前はヘレナ。どうやら魔女狩りを逃れて欧州から出たようだ。そして、その後の消息は不明……」
朗々と読み上げられる調査結果に、黒猫は翠の双眸を細めた。
「なるほど。しかし、新大陸でも魔女狩りは猛暑を振るっている。後ろ楯も無く飛び出した魔女など、捕らえられるのを待つ獲物と同じであろうな」
納得する黒猫の様子に錯視の蛇が相槌を打つ。
「当時の異端審問による魔女裁判の記録は碌なものがないのでな。欧州で名を上げた訳ではない以上、没後に振り返られる事は稀だ」
「いや、十分な成果だ。新大陸での足取りは暗黒時代の混乱期の事ゆえ、教会の記録にも見当たらないだろうからな」
「”時計塔“なればこそ、昔の伝も使ったが……。存外役に立ったようだ」
情報交換する二匹を脇目に、ソファの上に座る沙樹が感心していた。もとより主のために集められた情報であったが、彼女のほうは何を疑問視していいか分からなかった。
その瞳に、魔力特有の青の輝きが揺らめいていた。
「……えっとメフィスト、ウロボロス。ごめんなさい、何の話なの? そんな古い時代の記録みたいなことを引き合いに出して?」
使い魔に尋ねた沙樹が、首を傾げる。
黒猫が主人に優しい目を向ける。
「沙樹様、魔術師同士の戦いというのは万全を期すならば相手を知る事から始まります」
今夜の目的とは彼等の主人に迫る危機を回避するか、避けられぬ戦いを有利に運ぶための事前の情報交換だ。魔女になって間がない主人に、黒猫が魔術戦の基礎を説いた。
「沙樹様を不安にさせまいと黙っておりましたが、先日この館を襲撃した亜流の魔女を蛇が返り討ちにしております。その際、魔女は一本の魔道具を遺しました。”片手斧“です」
居着いていたソファの端から、トンと床に降りるや主の正面に回る。滑らかな黒猫の動きは、話の腰を折らないように慎重でもあった。
「魔道具は、魔術師が好んで使用するもので、それこそ様々な物が見られます。そうした“物”から相手の魔術師の情報を汲み取る事が可能なのです」
翠の瞳が、青の瞳を受け止めている。
「こと武器に関しては、資料が多く残されているので製造された場所や年代を特定することが容易なのです。特に、鉄やレバノン杉などの部材である場合は標本も豊富で、詳しい比較鑑定や年代測定が出来ます。鉄であれば古代製鉄法の違いによる区別や製錬課程で使用される樹木の違いに着目した炭素年代測定法、鉄の化学組成に関連する項目や時代背景を参考に区別されていきます。また、レバノン杉なら年輪年代学的方法で区分できます。この杉は古代の神殿建造に天井や床の材料として使用されていた記述が『列王記』にあるほどです。当時の高級木材は質が良く、火気にさえ気を付ければ恒久的に保存ができるほどです」
「……そ、それで?」
専門的な話に沙樹が及び腰になる。
「この魔女が遺した片手斧が過ごしてきた時間は、約三百年……」
黒猫の語る話が核心に触れる。
「必ずしも使う魔道具と使用者の経験が一致する訳ではありませんが、奴は少なくとも新しい魔女ではありません。使う術式が、かなり古い型である事は事実です。ですので最悪の場合、その三百年を生き延びてきた魔女と戦う事になります」
「……また、戦う事になるの?」
「沙樹様、御安心ください。例え数百年を生き永らえた魔女であろうと、我等の敵ではありません」
ニヤリと笑うように黒猫の口角が上がる。
「事実、我等は其々にこの魔女を仕留めています」
「えっ!?」
「正確には、討ち取ったはずだったのですが、結果的に奴は生き延びています」
方や市外のモーテルで、方や館に誘い込んでと方法は違えど、その実力は証明されていた。
それまで控えていた錯視の蛇が蠢く。
「猫よ、それについては何か分かったのか?」
「残念ながら、まだだ」
否定的な答を明確にする。
「ただ、ひとつ言える事は、奴は自分の生命に保険を掛けているということだ。単純に物理的な死を与えても甦る可能性が高い。奴を仕留めるには、魔術的な方法でもって息の根を止めるしかないだろう」
蛇の赤い眼が、不穏な光を宿す。うねるような錯視の円環が、床面に侵食し、幻想として消えては侵食を繰り返す。
「猫よ、ルンとの契約を本気で考えねばならぬのではないか?」
「蛇よ、何を言うかと思えば……」
呆れるような猫の口調を蛇は真剣な眼差しで制する。蛇もまた、主の使い魔であるからだ。
「亜流の魔女といい、主の成長を待っていては、今後も付け入ろうとする輩に隙を与えかねん」
更に蛇の独演は続く。
「今日の接触では守護者達が退けたと聞く。だが、出来うる限りの万全な体制を敷くほうが主のためだ」
「蛇よ、ルンを加えても、いたずらに沙樹様への負担を大きくするだけだ。我等がいれは例え悪魔であっても出だしはさせぬ。今日はもう下がるがいい」
蠢く円環の中、蛇の赤い眼が自らの主人へと向けられ、恭しく閉じられる。
「では主よ、失礼する」
黒猫の指示に従い、錯視の蛇が再度幻想を解いて動き出す。相手に焦点を結ばせない円環の魔術が見えなくなった後、不意に黒い使い魔が主人に向き直った。
「……沙樹様、まだ少しお時間をいただきたいのですが。よろしいですか? 重要な話です」
軽く驚いて見せた沙樹に、黒猫は唯ならぬ雰囲気を見せた。場の空気がすっと張り詰めるような緊張をもたらす。
「これから話す事は、秘密を前提としたものです。魔女として、例え家族や友人、恋人であっても他言無用です」
「……うん、分かった」
「今からお話するのは、謂わばお母様の遺言……。亜也様がこの地に遺した『大魔法陣』についてです」
神妙だった沙樹の顔が、今度こそ驚きに変わる。
「これこそが、亜也様が遺した真の魔術遺産であり、沙樹様に受け継いでいただきたい亜也様の全てです」
「……ママの全て?」
震える声で、確認するように問う沙樹の姿に黒猫は何故か懐かしむような愛おしむような視線を向けた。
沙樹は、それが自分に対するものだとは解らず、かつて自分の母親に仕えた頼もしい使い魔を見ていた。
「昔、この長崎は戦争の惨禍により、世界的に見ても例のない大きな被害を受けました。そう、原爆です」
黒猫の話す母の遺言は、沙樹の想像を超える内容で始まった。
「大魔法陣は、この原爆によって亡くなった大勢の人達が残した負の感情を昇華する働きがあるのです。言うなれば、鎮魂のための魔術だとも言えます。死に際して人間が残す強い感情や想念は”呪“となり、災いを呼びます。まして一度に数万人が亡くなったなら、そこで生まれる負の感情は、それ自体が力を持ち、強力な呪いとなって後世まで影響します」
黒猫の言葉に、沙樹の持つ魔力が高まりつつあった。母親の残した何かに無意識に期待しているのか、溢れる波動が周囲に干渉し始めていた。
「このような言葉があります。『怒りの広島、祈りの長崎』と……。どちらも被爆後の原爆に対する住民の反応を詠んで比較されたものですが、被爆したのは同じでも広島は怒りの感情が表に、この長崎は祈りが表に現れました」
黒猫の翠の瞳が、沙樹を真っ直ぐに見つめていた。
「どちらに非があるという類いの話ではありません。どちらも人間が持つ自我や無意識により、形成されたもの、言うなれば心的表象なのです」
黒猫の話す内容に、沙樹は聞き入っていた。一言一句聞き漏らすまいと。
「大魔法陣は、強すぎる感情や想念を昇華させて特定の範囲内、つまり魔女が治める土地に魔力として還元することができます。そして、僅かですがそれを利用することも……」
黒猫が一息つくように、言葉を区切る。
「沙樹様は、共時性の法則をご存知ですか?」
問われた事に、沙樹は首を横に振る。
「何らかの“事象”が意味やイメージにおいて類似性、近似性を備える時、こうした複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では何の関係性も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合を、そう呼ぶのです。先ほど心的表象だと言いましたが、亜也様はアルカナの所有者として、日本にある異なる特徴を持つ二つの都市を自らが居を構えるに足る候補地として選ばれました。この選定に、先程の共時性の法則が関わっているのです」
黒い宝石のような毛並みが、黒猫の所作に合わせて滑らかに光を受け流す。
「本来なら魔女として将来を嘱望された身でありましたから、広島に居を構えて偉大なる事を成し遂げられるべきでした。共時性の法則も流れは広島に向いていました。あちらには、それに相応しいイメージが定着していたからです。”怒り“からは攻撃的で能動的な、より本能的な根源に近しい力を得たはずですから」
しかし、と黒猫は言った。
「亜也様が選ばれたのは長崎……。“祈り”の地でした。自身の栄達よりも他に何か大切なものを守り、育む力を得るべく選ばれたのです。何故なら、亜也様は既に……」
黒猫の双眸が、柔らかな光を湛えていた。
「沙樹様、あなたを身籠られていたからです」
少女の胸の奥に、去来する何かがあった。
「魔女として、女性として、生まれてくる子の母親として生きる亜也様の想いを受けて、この地に設置された大魔法陣は、それ以後、この長崎を守る結界となりました。亜也様は、この長崎に住む人々の祈りを受け入れ、鎮魂の魔術として完成されたのです」
初めて聞く話に、沙樹の胸の奥に、今はなき母親とのつながりが確かなものへと変わっていく。
「この大魔法陣は、母親となる亜也様が感じた沙樹様への想いです。我が子に注ぐ愛情だと言い換えても過言ではありません。だからこそ、この大魔法陣を受け継いでいただきたいのです。沙樹様にとっても、いつの日か大切なものを守り、育む力となるでしょう」
「……ママの私への想い?」
少女が呟く言葉への返答に替えて、黒猫が頭を垂れて希う。
「どうかお受け取りください。我が主人よ」
使い魔の眼差しが、それが事実だと何よりも雄弁に語っていた。
その眼差しは、十代の少女に母親の残した大魔法陣を受け継ぐ決意を促すに足るものだった。
かつて、この館で主従の絆が生まれた時から、この日が来る事は必然的に決まっていたのかも知れない。
この夜、支倉沙樹は真に魔女の後継者となった。
深夜の館では、無事に後継者の選定を終えた黒猫が深い思索に耽っていた。昏く満足な灯りも無い部屋で、使い魔が身震いする。
しかし、その表情は険しく、唯ならぬ雰囲気を醸し出していた。
室内を廻る魔力の波が、波動となって周囲に撒き散らされていく。剣呑な気を孕んだ魔力の波は、当てられるだけで常人なら卒倒するほどだ。だが、魔力の制御を煩わしく思うくらいに、使い魔は真剣に或る魔術を繰り返し行使していた。
「……なんとも嫌な予感が拭えぬ。やはり、ナンバーズの力が失われているためか?」
闇と同化するように黒猫の足元には真っ黒な影が幾つもあった。インクを溢したような粘着質の黒いそれが、周囲の空間にも広がる。
それは、彼の者が闇の精霊である事を示していた。
「大魔法陣の継承を急ぎ終えた事は、むしろ幸いだったかも知れぬ。このままでは、何時牙を剥いてくるか分からぬ……」
黒猫の翠の双眸に、深い闇がうつし出される。静かに闘志を燃やすかのように、使い魔はゆっくりと起き上がる。
「……まったく舐められたものだ。この館の結界が、中から術者が招き入れなければ何者も入れない類いのものだという事くらい、私が知らないとでも思っているのか?」
誰に向かって言い放つのか。明らかに侮蔑と殺意の隠る激しい怒りに、黒猫が震えていた。足元に残った魔法陣を踏みにじる。
覚悟を決めた使い魔の瞳には、人間には無い破壊的な情動が潜んでいた。それは、闇夜にあってなお暗い、闇の精霊が持つ本能だった。
「蛇め、やはり裏切るつもりか……?」
次回、「力の証明」ですが、沙樹のパートになる予定です。お楽しみに!




