第22話 魔女ヘレナ3
ようやく出せます。今回まで魔女ヘレナのパートです。
夜の帳を縫うように、一台の車が疾走する。
黒塗りの車が進む先は、丘陵地にある住宅街へと続き、やがて坂の上の洋館を視界に捉えた。
とても密やかで、静かな夜。
長崎市の夜景を尻目に滑るように進んでいくそれは、程無くして洋館へと辿り着いた。
すぐに車から降りてくる数人の人影は、夜に溶け込むように目立たず、また誰一人として口を開かなかった。
やがて、人影達は揃って館の中へと移動するや、吸い込まれていくように消えた。
彼等が出迎えられ、通されたのは二階部分までが吹き抜けのホールであった。其処は、彼等が知る数少ない洋館内の客間の一室だった。
通されて来た廊下や部屋の灯りは、彼等が入室した時、自動で明るくなり、通り過ぎると消えていく。最新型の光電センサー類がある事を連想させた。年代物の洋館に、そぐわない機械だが、館の主人のためなのだろう。
通された彼等が深く洞察するより早く、館の住人から声が掛かった。
「よく来た。浦よ」
強い魔力を秘めた声が、彼等に掛けられる。そこに待つのは招待客を招いた本人、黒猫であった。
「お久しぶりです。守護者よ」
長崎市を守る御三家の筆頭、浦の当主である浦健児が頭を下げた。短く刈られた頭髪や野太く低い声は、豪放磊落な彼の気質を端的に顕していた。
五十代にある彼の身体は、真っ黒なダブルスーツで身を包み、筋肉質であり、鍛えられた全身から醸し出す雰囲気は、未だ現役である事を主張していた。
再会の言葉も手短に、二人は話を進めていく。その後方に、膝をついて待つ栗色の髪の少女がいた。
「先ずは伝える事がある。この長崎を守る大魔法陣は無事に継承の儀を迎える準備に入った。あとは沙樹様の成長を待って、完成するだろう」
「ありがたい……。何よりの朗報です」
浦の声音が、己の感情を隠しきれていなかった。一礼し、目を閉じる彼の横顔からは、安堵の色が読み取れる。
黒猫が、やや間を置いて彼に声を掛ける。
「さて、浦よ。今宵、来てもらったのは他でもない……。そこに控えている少女は士族の魔術師で間違い無いか?」
掛けられた言葉の意味を知って、浦が受け答える。
「はい。久和の娘で、名を春香と言います」
名前を呼ばれた春香が、浦の後方でお辞儀をする。彼女もまた、真っ黒なスーツに身を包んでいる。
見た目以上に落ち着きのある春香だが、それでも黒猫の放つ魔力と存在感は、彼女に心理的な圧迫感を与えるに十分だった。
顔を上げた春香の目を見返す翠の瞳があった。
「闇色の瞳を持つ者は久しぶりに見る。それに、面白い力を持つようだ」
まるで面白いものでも見つけたように、翠の瞳が細かく表情を変える。
浦の後方に控えていた春香の眉根がピクリと動く。表情を隠したまま、疑問を反芻する。
(闇色? 私の瞳は、ヘイゼルだけど……。何か、違うものを見ているの?)
一見、和やかな会見の場には、先程からじわじわと魔力の密度が高まりつつあった。正面から放たれる濃密な魔力波動に、浦だけは動じる素振りも見せない。
「この年齢で、守護者の中でトップクラスの実力を持ちます」
「沙樹様の進学を機に、付けた護衛だったな」
ここで春香は、妙な既視感を感じた。正確には、何者かの視線が絡み付く体験。
数日前、この館の前で体験した覚えがある感覚に彼女は身構えてしまう。
警戒心から、気持ちが内向きになってしまう春香の心を見透かすように、黒猫が告げる。
「娘よ、警告する。沙樹様への不義不忠は許さぬ」
傲然とした物言いは、威圧的な警告となって春香の耳に届いた。
我慢していたことがそうさせたのか、春香は黒猫を真っ直ぐに見返す。
「……あなたが何者だろうと、とやかく言われる筋合いはないわ!」
春香の後方に並んだ者達に、明らかな驚愕と焦燥の色が見える。この場で、館の住人に逆らう者など本来ならいようはずも無いのだ。
心配して立ち上がろうとする者達に、浦が視線を飛ばす。
それだけで、後方の彼等が動きを止めた。再び降りた沈黙に、その場に居合わせた者達は固く口を閉ざした。
思わず口走った自分の独白に、春香は何故だか冷や汗が滴り落ちてくるような緊張を覚えた。
「威勢のいいことだ」
「守護者よ、若さ故の過ちは誰にもあること。早晩、言い含めましょう」
浦が春香を見て、それから黒猫に向き直った。
浦が、あの黒猫から視線を外す。ただ其だけの事で、春香の中では自らの師である浦に危機を感じるほどの重大事に感じられた。
無意識に緊張を強いられる。それほど、黒猫の放つ魔力が尋常では無いのだ。使い魔として、破格の魔力量を誇ると言える。
「例え沙樹様に学友と呼ばれようと、お前は我等と同じく守護者なのだ。主に仕える者として、主従の分別は弁える事だ」
黒猫が放つ魔力の重圧感に、春香の掌が汗ばむ。まるで見えない重力が彼女の身体を押さえ付けているかのように、動きづらかった。
絞り出した声に、春香のプライドが滲む。
「……私にどうしろって言うの?」
「守護者の役目は、言わずと知れた沙樹様の警護。命をかけて守ることだ」
「言われなくてもやれるわ!」
売り言葉に買い言葉。ついぞ春香は、自分の未熟さを呪う事になった。
「それは重畳……」
まるで春香の反応をからかうような遣り取りに、浦以外の反応は無言だった。魔術の道を極めた者なら、春香の後ろに控えた二人から認識阻害の魔術が発動されている事に気付いただろう。
春香にも気付かせない術式を行使するのは、残る二つの御三家の当主達である春香の父親、久和隆則と千々和の現当主であった。
眼前の黒猫は、配下である御三家の当主達の思惑なぞどこ吹く風と流しており、格下の春香の事を明らかに子供扱いしていた。
それがまた、春香のプライドを逆撫でする。
「ところで、浦よ。この街に、亜流の魔女が入り込んだのは知っているか?」
新に切り出される話題に、春香が眉をひそめる。
(亜流の魔女……?)
春香の疑問が、一つの波を生んだ。
浦が黒猫に返答するが、その内容は芳しくない。
「はい。ただ、残念ながら居場所を掴めておりません」
「それについてだが……。昨夜、私が手を下したにも関わらず魔力の気配が消えていない」
浦の表情が険を孕む。
「まさか……?」
「どうやら、自分の生命に固執した生き汚ない輩のようだ」
黒猫の口角が上がった気がした。
「使う魔術は、古いギリシャ様式のもの。おそらく、見た目よりも長く生き延びてきたことだろう」
「……本場、欧州の古流魔術の系統ですか。久しぶりに大物ですな」
「小競り合いを仕掛けてくるクラウド・ゲイトとは、歯応えが違うぞ」
黒猫に相対して話している浦の表情が険しくなる。将来的に起こる魔術戦の影響を考えているのか、真剣な顔付きが緩む事は無かった。
翠の瞳が、自らの配下である彼等を見つめる。
「この魔女の討滅を命ずる。士族を挙げて事に当たれ」
「承ります。守護者よ」
浦を始め、後ろに控えていた守護者達も頭を垂れる。春香も右に倣ったが、頭の中は先ほどの疑問の波に翻弄されていた。
「やり方は任せる。私は沙樹様の傍を離れるわけにはいかぬ事情がある」
黒猫の翠の視線が、春香を射竦める。
「久和の娘よ。これは忠告だ。昼間、沙樹様の傍を片時も離れぬことだ」
(こんな得体の知れない奴に、パパ達が……!)
春香の心を占める感情が何なのか。それは彼女自身にも分からなかった。自身を遥かに上回る魔力、知らされていない数々の事実、目の前にいる黒猫の存在感と目に見えない魔術的な何かに対する恐怖が、鬩ぎ合い次第に不安と綯い交ぜになって春香の心をドス黒く塗り潰していく。
それが彼女自身の抱く恐怖によるものなのか、届かない事への劣等感によるものなのかが分からなくなっていた。
春香の師である浦の態度も、彼女を困惑させる一因だった。
たった今下された命令に、春香が異議を唱える間も無く、事態は進んでいく。
彼女が迷っているその時に、鈴の音を転がすような声が凜として響いた。
「メフィスト? 此処にいるの?」
軽やかな、鈴の音にも似た声が耳に届く。それが、誰のものかと誰何する前に、黒猫がスッと春香達に背を向けた。
「これは、沙樹様。どうされましたか?」
春香が目を見開いて、固まった。
吹き抜けの客間に通じる扉が開き、黒い瀟洒なワンピースに身を包んだ少女が現れる。
「うん。召還魔術について聞きたかったんだけど……。誰かいるの?」
「はい。この長崎を守る守護者達を呼んでおります」
浦健児を先頭に、守護者達が一斉に膝を着いて頭を垂れる。大人達が礼を取るのを見て、沙樹も返礼に頭を下げていた。胸元には、一冊の本が握られている。
彼女としては、いきなり大人達に跪かれ、驚くよりなかった。
館の客に対する第一印象が定まるより早く、沙樹のほうが彼女に気付いた。
「春香……?」
真っ黒なスーツに身を包んだ少女は、今度こそ頭が真っ白になっていた。
見つめ会う二人の視線がぶつかる。
後に、魔法界で台風の目と呼ばれる極東の若き力。伏竜と鳳雛に例えられる二人は、この時ようやく魔術の園で出会った。
「でも、良かった。こうして春香と話せて」
沙樹の声は、穏やかなものだった。二人しかいない客間で楽しげにティーセットを準備する彼女は、もてなす側の女主人。一方で、もてなされる側の春香は、対面の席に座ったまま無言だった。
ティーカップに紅茶を注ぐ、香り高い音だけが響く。固い表情をした春香が、下を向いたまま、やっと口を開いた。
「……沙樹ちゃんは、何とも思わないの?」
「ん? 何のこと?」
紅茶を注ぐ手を止めて、沙樹は春香に続きを促した。
「……騙してたんだよ?」
小さく震えた声が、自らの罪を吐露する。
握りこむ手が、両膝の上で力む。堪えようのないほどの涙が目に溜まっていた。
「……何とも思わないの? ずっと友達面して、騙してたんだよ?」
「メフィストから聞いたわ。でも、私のためだったんでしょう? だったら、私からは有り難うとしか……」
ティーセットを準備し終えた沙樹が、春香の様子に気付く。親友の涙が、その頬を濡らしている。
「なんで……、なんでそんなふうに考えられるの、なんで……」
沙樹の手が、春香の手を取る。いつの間にか春香の隣に来た沙樹が彼女の顔を覗いていた。
優しい瞳は、親友の全てを受け入れていた。
「春香……。ぜんぶ一人で抱えてたの? 大丈夫。今度は私もいるから」
涙に沈む少女の心に、寄り添う心があった。
「辛かったでしょう?」
涙で顔をクシャクシャにした春香が顔を上げる。
「むしろ、私は嬉しいのよ?だって一人じゃないんだもん」
「沙樹ちゃん……」
嗚咽を洩らし、泣き出した春香を沙樹は胸に抱き留めてやる。罪の意識に押し潰されそうになっていた親友の涙を見て、沙樹は言い聞かせるように言った。
「大丈夫。ずっと傍にいるから……」
友人の背に手を回し、抱き締める沙樹の心中には、同じように泣いた過去の記憶が浮かんでいた。こみ上げてくる感情は、同情ではなくて共感だった。
一緒にいてくれる誰かの存在が欲しいと思う気持ちを他ならぬ彼女自身がよく分かっていた。
(あなたは、私の一番の親友だから。だから、私の事を……)
沙樹の心に浮かぶ気持ちと、無意識のうちに沈んだ気持ち。
彼女自身にも分かっていない本当の気持ちは、もはや他の誰にも推し量る事などできなかった。
館の一室で声を殺して泣く春香と、それを黙って受けとめる沙樹の姿だけが、まるで切り取られた世界の中心にあるかのように其処にあった。
二人の事をいたわるように、時間だけが寄り添うように流れていった。
夜の闇が静かに星を湛える頃、沙樹はようやく持ち直した春香と遅いお茶会を楽しんでいた。
客間には、設えられた調度と二人分のティーセット、そして落ち着いた照明に照らされた二人の美しい少女達だけ。
幾分冷めた紅茶に口をつけて、春香が尋ねた。
「ねえ、沙樹ちゃん。私の怪我ってさ、そもそもどうやって治療したの?」
「ん~。上手く言えないけど大きな魔力の器に、そーっと浸けておいた感じ?」
沙樹の返答に、栗色の髪の少女が驚いた顔を見せる。
「漬け物!? 私って、漬け物なの?」
「春香……。その発想力が、あなたらしいんだけど」
あたしって梅干しなんだ、大根かもとか、辞めようかな守護者なんて、という不穏な発言があったのは、この夜だけの秘密である。
「……いったい?」
何時の時代でも変わらぬ静けさで、そこにある夜。
深い闇は、所々近代的な光に照らし出されて幻想的な姿を見せる。小高い丘陵地から臨む長崎市内の夜景は、人の営みを美しく魅せていた。
「いったい、あいつは何を知ってた?」
魔女は頭に靄が掛かったかの如く、ぼんやりとした虚ろな視線を彷徨わせた。
私は、どんなに厳しい非難を受けても動じる事は無い。どんなに傷つけられても傷つく事は無い。敗北を永遠に知らない。
それは、勝者の特権だ。
次第に焦点を結ぶ魔女の両目が、鋭い眼光を走らせる。
「……こんなことは初めてだね。どうして記憶が曖昧なんだい?」
自分の手を見つめる魔女の足元に、生命の壺があった。壺の中に、神秘の星々を湛えている。
何時の時代でも彼女と共にあった壺は、今や戦友にも等しい存在だった。
如何なる場所でも其処にあり、彼女の力の源泉となった。
(私が死んでるって? バカをお言いでないよ!私は……)
独り言のように呟く傍で、生命の壺が神秘の光をその中に蓄えていく。
(私は……?)
炎の記憶が明滅する。
(私は、どうして此処にいる?)
赤い炎の揺らぎが、瞬間的で断片的な記憶と結び付く。思い出せないもどかしさに、魔女の口許が歪む。
(奴との戦いはどうなったっけねぇ? その前に私は何をしてたんだい? それから……)
頭を抱える細い腕に、次第に力が込められていく。震えるほどの力を込めて、意識を覚醒に導く。起きていながら、もう一度目覚めようと、まるで現実こそが夢だと否定するかの如く無理矢理に頭を掻き毟っていく。
酷い汗を吹き出しながら、魔女がふと、こぼしていた。
「嫌な感覚だよ。まったく……」
思い詰めたような鬼気迫る顔で、魔女は敵地となる眼前の夜景に浮かぶ街を睨んだ。
その顔は、覚悟を決めた者だけが持つ異様な気迫に染まっていた。
「この私が、死んでたなんてさ……」
今回のパートは、色々と試したい事があり、時系列を前後させた事で読みにくかったかと思います。まだ回収してない伏線もありますが、次第に収束していく予定です。また次回で、お会いしましょう。




