第21話 魔女ヘレナ2
寝たいなら、寝てていいのよ可愛い子。
小さな怪獣達と、大変な毎日……。
朝の教室に、年頃の少女達が集う。華やいだ女子高校生達の喧騒は、いつの時代も賑やかでいて騒がしかった。
担任教師が来るまでの時間は、きっと特別なのだろう。その日に会えた喜びが溢れ、まるで気持ちを伝え足りないとでも言わんばかりに、あちらこちらで話に花が咲いていた。
この学校は男女共学だが、大学への進学率の高い昨今、男女が分けられた特別進学クラスが設けられていた。各学年ごとに男子クラスがひとつと、女子クラスがひとつである。
そんな女子生徒だけの特進クラスの朝は、一際賑やかな喧騒があった。
若さが溢れる教室の中で一人だけ、明るい髪色の少女が溜め息を吐く。テンションが駄々下がりの彼女を友人達が励ましていた。
その一角は、誰あろう沙樹達のグループであった。
落ち込む少女を励まそうと、周囲の皆が盛り上げていたのだが。
「よく気が付くし、働き者で、力持ち! しかも丈夫で長持ち、良いことづくめだよ!」
「まあ、春ちゃん! それって、お嫁さんにするなら、もってこいです!」
「ほんと、交通事故に遭ってもぴんぴんしてるしね」
友人達の慰めを聞きながら、いまだに春香が落ち込んでいた。ちなみに励ましの言葉をかけたのは、朱美、智子、静香の順番である。
「ぜんぜん誉められてる気がしない。なんか、白物家電製品のキャッチコピーみたい……」
春香の言に、一理あった。周囲から聞こえてくるのは、郊外にある大型販売店の広告みたいな誉め言葉ばかりだった。
日頃、人を惹き付けてやまない彼女の事を誉めそやしたにしては、首を傾げるものばかりであった。
春香が机に伏せる。
下から見上げる縋るような涙目で、彼女は自分の親友に助けを求めた。
「沙樹ちゃん……。みんながいじめる……」
「よしよし♪」
前の席に座っている沙樹が、振り向いて彼女の頭を撫でてやる。ほとんど幼児をあやすノリである。
沙樹の指先が、春香の栗色の髪を軽くさする。
優しい沙樹の微笑が、栗色の髪の少女に向けられる。廊下を行く男子生徒達が、チラチラと廊下側の窓から二人に目を止めていたのは仕方の無いことだろう。
春香の迷演技に、静香がじゃれついてくる。
「ほら、春香ちゃ~ん。お姉さんが慰めてあげるよ。おいで♪」
「イヤ!」
駄々を捏ねる春香に、静香も負けじと追い縋ってくる。沙樹の手が、まだ栗色の頭を撫でていた。
昨日、欠席していた春香の事情は、仲の良い友人達しか知らない。クラスの他の皆は、たまたま休んだだけと聞かされていた。
仲間意識が強い、春香らしい態度だった。だからこそ、友人達は彼女の示す自分達への信頼に、好ましい感情を持っていた。
いつの間にか、手を引っ込めていた沙樹が春香に尋ねた。
「それでホントに大丈夫なの、春香?」
微笑みながら見つめる目には、春香の容態を心配する優しい光がある。
「ん? 大丈夫だって。不本意ながら、ね。丈夫な身体に産んでくれた両親に感謝してるとこ」
沙樹を見つめ返して、春香は返事をする。青く揺らめく魔性の輝きを放つ彼女の瞳に、思わず魅入られそうになる。
頭を降る代わりに、春香は話題を切り替えていた。
「それより、はい。沙樹ちゃんが聴きたがってた“ヴィオロ”のミュージック・データ。最新版ね」
彼女は言うと、内ポケットから小さなカード型メディアを取り出した。掌に簡単に握り込めるくらい小さなものだ。これに、音楽データがアルバム数枚分も収録されている。
それに、正規品のロゴを認めた沙樹の口から、感嘆の声が漏れる。
「わっ!」
「色々心配かけまして、お詫びのしるしです」
畏まって三つ指をつく真似をする春香に、沙樹も手にしたカードを大事そうに受け取っていた。
サプライズな親友の計らいに、沙樹の頬が緩む。
「ありがとう。これ聴きたかったの。借りていいの?」
「そんなので良いなら、お安い御用かな」
そう言う春香の顔には、いつもの屈託のない笑顔が浮かんでいた。
「持つべきものは、友達よね!」
静香が、春香の後ろから絡んでくる。フィジカルに絡みながら、彼女は沙樹に呼び掛ける。
「あ、沙樹ちゃん! こんど私が4Cのデータ送ってあげるよ」
「じゃあ、わたしからはリアン・ライムスを推しちゃいます。カントリーですけど、どうですか?」
智子が続いた。
「……レッド・ツェッペリン、聴く?」
朱美が守備範囲外のジャンルを推す。
年若い彼女達にとって、音楽は大事な話題だった。好きな音楽の話なら、いくらでもしていられた。十代の感性が、共感を得る事を良しとするのだ。
春香も静香とじゃれているものの、身体は完全に復調していた。沙樹の使い魔によって回復魔法を掛けられた彼女の体調が悪い筈もなく、交通事故の影響など微塵も感じさせないくらい絶好調だった。
時折、本当に忘れてる節もあったくらいに。
春香の周囲に集まる彼女達にとって、明るい彼女の性格は好ましく思えたし、ぶれない言動は面白い話のタネになった。
多感な高校生の頃にできた友達は、生涯の友人になるというが、きっと彼女達もそうなるのだろう。
朱美が何気なく口にしたのは、そんな時だった。
「こんど春香の快気祝い、する?」
周囲の視線が、輝く。
「どこに行こうか? ヴィンランドはこの前行ったし、どこがいい?」
「とりあえず私も行きたいです!!」
「みんなで行ける日にするなら、先に部活の無いところを押さえないとダメよね?」
「じゃあ、予定表をちゃっちゃと作って、ラインで回すよ!」
素早い反応に、みんなの笑顔が重なる。楽しみが増えた喜びに、皆の表情も明るい。
楽しそうに笑う春香を見て、沙樹が顔を寄せて言った。
「ねえ、春香?」
「……なに、沙樹ちゃん」
「そのね、私……。春香と友達で良かったなって思ってる」
思いがけない告白に、春香の思考回路が止まる。
「……は?」
ようやく絞り出せた言葉は、またしても情けないものだった。
「私ね、昔からそう。引っ込み思案で、何一つ要領よく出来なくて……。でも誰もいなくて、上手くいかなくて、泣いてばっかり」
「沙樹ちゃん……?」
春香は間近に見る親友の瞳に、強い輝きを見た。
「私ね……。変わりたいの。春香は、そう思ったことない?」
親友の瞳に見たのは、果たして魔力の揺らめきだけだったのか。春香は息をするのも忘れていた。
「私ね……。春香といると、元気が出るみたい」
花咲くような沙樹の笑顔が、春香の胸に染み入ってくる。
「だから、ありがとう。春香も何かあったら遠慮しないでね」
心に響く温かい言葉は、春香の胸に届いていた。
中学のころ友達に裏切られ、傷付いていた彼女の心は、いま傷を癒す温かさに包まれている事を知った。固く周囲に壁を作っていた精神が、溶かされていくような気がした。
「沙樹ちゃん……。私は……!」
伝えたい、言葉にできない想いを抱えて春香は知らず声が震えていた。ゆっくりと染み込んださざ波が、大きな波濤になって春香の胸を内側から突き上げる。
「おはよ~! なになに、遅れて来たら良さげな雰囲気作っちゃってて?」
クラスの友人の一人が、沙樹と春香の席に駆けて来る。二人に挨拶もそこそこ、話題に食い付いてくる。
「ん? 二人だけの秘密、かな?」
沙樹の笑顔が友人を迎え、親友の動揺を庇うように見えた。
春香が急いで右手の制服の袖で顔を拭う。
「麗しい美少年同士じゃないところが惜しいな~」
遅れて来た友人に皆が声をかけ、笑顔で手招きする。
沙樹は春香のことを思いやって、友人達の相手を。春香は沙樹の言葉に感謝して、こみ上げる涙を隠した。
二人の友情は形のないものだ。だからこそ、決して壊れることはないと春香には思えた。
それは、周囲の友人達にとっても、同じ事だった。
「えっ、なに? 美少年って誰の話?」
「ほら、”ヴィオロ“のボーカルの事でしょ?」
友人達の明るい声が響く。
世はすべて事もなく、平和で満ち足りていた。
初春の朝。其処にいるものは、誰かを思いやる心を持ち、みな自らの幸せという日だまりの中で微笑み、微睡んでいた。
時は、前日の夜まで遡る。
市内から郊外に伸びる幹線道路沿いにあるホテルのエントランスに、暗い影が集まり始めていた。音も無く、闇が凝縮していく。その様は、生きているかのような動きを感じさせた。長く延びるホールの廊下に溜まり始めた霧状の靄は、ゆっくりとだが濃密な闇に変わりつつあった。
その中心付近から闇より暗い影が、ゆっくりとした足取りで歩み始める。黒いインクを垂らしたような闇の色が夜風に揺れ、隠していた魔性が姿を現した。
それは、漆黒の美しい毛並みを持つ黒猫だった。その翠に輝く双眸が、夜を見つめている。
「闇の精霊達よ。我等が主人に仇なす者達が此処にいる」
黒猫の声が闇色の空間に響く。残響を残す其は、自らの眷族を率いる将の一言であった。
「……魔女だ。魔女を探せ」
蠢く複数の気配が、我先にと黒猫の周囲に集まってくる。集まっては、忙しなく蠢くような気配だけが伝わってくる。
「さあ、狩りの時間だ。行け! 行って、燻り出せ!」
黒猫の号令一下、複数の気配が命令を果たすべく散っていく。霧散するという表現が実に相応しかった。
(この魔力の残滓……。ギリシャとローマの魔法を使うようだが、魔に魅入られたのであれば同じこと。何処に逃げようと、闇に潜む我等から逃れる事はできぬ)
黒猫の眷族である七匹の闇の精霊達が動き出す。それは、この街に入り込んだ“亜流の魔女”たる老婆を殺害するためであった。
暗い闇の中にあって、闇の精霊達の姿は、目にする事はできなかった。常人の目に見えない闇の精霊達は、天も地も無くホテル中を探し回る。
黒猫の姿が、音も無くホテルの一階ロビーに移動していた。現れる漆黒の闇に、周囲の影が濃さを増していく。
「蛇め。迂闊な真似をしたな。まあ、所詮”亜流の魔女“も手負いの獣も同然なのだが……」
黒猫の翠の双眸が、闇を見渡す。
黒猫の言う錯視の蛇の失態とは、金環の魔術を発動させたにも関わらず、彼等の主人を狙う魔女を取り逃がしたことだ。
使い魔として、主人の怨敵に敗れたならともかく、仕留める力が有りながら取り逃がすことは、ともすれば主人への背信とも取られかねない行為だ。
闇に佇む黒猫に気負いや動揺は無かった。ただ、主人のために仕える事こそ、彼にとっての命題だった。
黒猫の足元にインクを溢したような色が広がる。その途端、周囲の闇が同調していく。まるで闇を侵蝕していくような黒猫の様子に、使い魔の本性が顕れていた。
「どうやら、闇の精霊達が見つけたな」
暗闇に響く声無き声に、黒猫が頷く。闇の精霊達の声が、主に朗報を告げていた。囁くような声が人間の可聴域外にあるのか、その場に音は存在しない。
黒猫は翠の双眸を伏せるように細めた。
(おまえが、沙樹様に与えた恐怖……。この場で返してやるぞ)
そう呟くや、ロビーから黒猫の気配が霧散し、消えた。
「ん? 何だろうね」
暗い屋内で、魔女は其に気付いた。これまで自分の身を守ってきた直感的な感覚に、今しがた反応したのだ。確たるものを知覚した訳ではないが、小さな違和感を感じたのだ。
何かに勤しんでいれば見逃すような、小さな感覚。
気付いても、大事ないと後回しにしそうな感覚に、魔女は意を止めた。
用心深い彼女は、周囲を見回した。
(気のせいかね? まさか昨日の魔術師でも、此処を知る訳は無いからねぇ……)
室内は特に変わったところもない。元々、魔女は長崎市に来てからというもの、塒を一ヶ所に長く定めずに行動していた。何時何処から攻め込まれるか分からない大陸的な考えが背景にあるのだが、それは彼女の過ごしてきた環境が過酷なものだったことを意味している。
「しかし、この感覚が一番危険だからね。一応、調べてみるかね」
そう考えて、ふと魔女は手を止めた。
室内に置いていた水盤に近づこうとして、足を止める。
呪いをするのは、何時もの事だ。そう考えて、魔女は思い直す。“交感の絆”からは何の警告も無かった。魔女を支配者とした幽鬼達との契約に、知覚したあらゆる魔力に関する感覚共有があった。
それに起因する感覚が無いのに、魔女が何を警戒するというのか。
(いま無駄に霊力を使っちまっちゃ、神託が聞けない……だろうねぇ、フム)
ただでさえ、昨日の魔術師にやられた傷を癒したばかりなのだ。そう考えて、魔女は水盤による占いをやめた。
ローブを翻し、魔女はもといた場所に戻る。
「フン、明日には意趣返しをしてやらなきゃね」
「そうはさせん」
突然の声と共に、部屋の電源が一斉に落ちる。背筋に冷水を掛けられた魔女がたたらを踏む。
「なんだい!? いったいどこから……」
老婆が狼狽える。生成りのローブを纏う魔術師然とした姿が、暗い屋内で右往左往する。声の主の実体を掴めず、視線が泳ぐ。
何かの気配だけが、闇を掻き分けて近づく。魔女の目は、敵の姿を捉えようとしたが、目に映るのは月明かりが射し込む室内の様子ばかり。
焦りと驚愕に見開いた目に、床を横切る影が刹那の瞬間だけ映る。敵の存在に思い至った時、魔女の身体がビクンッと硬直した。
誰もいない室内で、魔女の首が宙を舞った。




