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アルカナ (ARCANA)   作者: 1484ー5
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第16話 魔術戦3

 遅れ馳せながら、投稿です。ペースを上げていきたい今日この頃です。

 はっきりしない意識の中、春香は小さな赤い煌めきを見ていた。緋に橙に、揺らめく輝きが踊る様は、何処か違う世界のことのように彼女の目に映っていた。

 小さな紙片を焼く赤い煌。

 それが何かを気付かないまま、春香の心に安堵が生まれる。視界には、赤と緋が揺れる。音の無い世界で踊る、赤い妖精のように彼女の目前で飛び爆ぜる。


 (綺麗……)


 霞がかった頭の中で、春香は視界に映る緋色の輝きに魅せられていた。

 バックミラーに映る火が彼女の意識を呼び覚ますまで、余り時間はかからなかった。


 「うっ……」


 事故の衝撃であろう身体的なショックに、思わず呻き声が漏れる。

 春香は、自身の無事を確認しながら、運転席に目を遣る。すると、そこにいたはずの加藤が居なくなっていた。


 (加藤さんが……。あえぇ~!)


 後ろからドアが開放される音が響いたかと思うと同時に、誰かの手によって彼女の身体が脇からすくい上げられた。それが加藤の手だと判明するのに、頭で分かっていながら理解が追い付かなかった。


 「お嬢さん! 早く、離れますよ!」

 「ひゃい!」


 強引に車外に連れ出されながら、春香は急速に意識を切り替えようと藻掻いた。

 抱き上げられた事に対して思う所はあるが、助けてくれたのは加藤だ。埒もない事を考える暇は無かった。迫り来る危難に、彼女の表情が冴える。普通の女子高生としての感情は、一時お預けにしておく。

 事故の衝撃が残っている春香を連れて、加藤は素早く車から離れた。十分離れた所で、路肩にあって白煙をあげる愛車と、次いで春香に目を向ける。


 「ここで伏せていてください!」

 「待って、まだ危ない!」


 春香の心配を知って、加藤が真顔で頷く。春香の右肩に加藤の左手が置かれる。彼の真剣な目に、事態の深刻さが窺い知れた。


 「お嬢さん、あなたに怪我をさせるわけにはいきません。それに……」


 言い終わる前に、唐突に車から火の手が上がった。ボンっという音がして二人は咄嗟に身構える。一瞬とはいえ圧力を感じるような音に、二人は肝を冷やした。

 燃え上がる炎は人の背丈より高く、何物をも燃やし尽くさんと、焔の舌で全てを呑み込んでいく。


 「俺のジュリエッタ……」


 呟くような加藤の声は、後悔と惜別の色を孕んでいた。彼の背中を見ていた春香には、加藤の表情は窺い知れない。しかし、大事な愛車を壊された痛みは、彼女にも理解できた。もっとも、車に名前をつけるのはどうなのだろうと思っていたが。

 そんな春香の勘違いを余所に、加藤が唇を噛むのが分かった。しかし拳を握ろうにも、彼の右手は力なく垂れたままだ。事故の衝撃で骨折しているのだろう。その顔に苦渋の表情が浮かぶのは、左手で抑える痛みのせいだけではなかった。

 胸のうちには、激しい怒りが沸き上がっているに違いなかった。

 春香は手探りでポケットに残った呪符を探した。何かに使えないかと思ったからだ。春香ができる事は、加藤の右手の治癒くらいだった。

 彼女もまた、大事なものを失う辛さを知っていた。何より危機に直面しているのだ。かける言葉は無くとも、次の一手に繋げる手段を託すほうが加藤にも有用である事は明らかだった。

 春香が呪符を一枚だけ探り当てた時に、それは現界した。

 炎の中で車体を揺らし、上方へと影が伸びる。細いながら、はっきりとした人型の手が現れようとしていた。周囲に黒い魔素を伴った魔力が漏れ出してくる。魔素の拡散に呼応するように、周囲の気温が下がる。

 車体を食い破るように天に挑み、空を掴む。青白い腕は、まるで見えない力に抗うように異常な長さまで伸びていく。

 指が、爪が次第に姿を露にする。質量を持たない霊体でありながら形をとる様は、決して安易な騒霊(ポルターガイスト)などではない。現代魔術師の常識に当て嵌めれば、人を呪い殺し、喰い殺すために現界した魔物と断じていい有り様だった。

 春香は、そっと加藤の右手に触れると呪符を発動させた。直ぐに無色の陽炎が上がる。増殖する魔物から視線を外さず、彼女は治癒術を続行する。

 加藤も春香の心遣いに感謝して、謝辞の代わりにこう告げた。


 「お嬢さん。あれは僕が潰します」


 明るい青年然としていた加藤の一言に、春香は全てを察した。彼の本気が伝わる。

 魔物と二人の間の空気に、緊張が走る。春香の首筋にもピリピリとした感覚が強くなっていた。


 「……もう大丈夫(オッケー)です」


 治癒術の終了を告げた春香の声に、加藤が動いた。

 放たれる異様な魔素をものともせずに駆ける。一足飛びに間合いを詰め、正面から魔物に迫る。無防備に距離を詰める。それでも、加藤に迷いや躊躇いは見られ無い。

 蛇が鎌首を擡げるように揺れ、撓り来る魔物の腕を上体の動き(ウェービング)で危なげなく躱す。擦れ違い様に風が唸り、速度に比例した重さがある事を感じる。

 魔物の制空権に入った瞬間、伸びた腕の横合いから瞬速の拳が入った。

 途端、弾け飛ぶ魔素の塊が、春香の目に映った。

 魔物に対して戦い、調伏する術を加藤は知っていた。

 この地で魔術師達の不正な干渉を防ぎ、侵入してくる魔物を討滅する。その技術を体系的に伝え、生業とする者。それが守護者と呼ばれる存在であった。

 加藤の使う技は霊力を使った発勁の一種であり、格闘技(アーツ)の技に上乗せすることで威力を増大させる方法である。ただ、どちらかと言えば力業と呼べるもので、豪胆な分、効率は悪い。それでも乾坤一擲の一撃であるため、術者には好んで使う者が多いことも事実であった。

 春香の眼前で、守護者としては先輩に当たる加藤の技が炸裂していた。彼の技術は、スクエアスタンスと呼ばれるものだ。

 千切れ飛び、飛散した端から魔物の腕が次々と再生する。

 声なき雄叫びを挙げて、その腕を伸ばす。一息に殺さんとする咆哮が、殺意となって放たれる。魔物は、今や加藤を獲物ではなく、敵と見做して狙っていた。

 強烈な魔物のそれを受けても、春香達に怯む様子はなかった。これ迄の守護者としての戦闘経験が、二人を後押しする。前衛と後衛の位置取り(ポジション)を保ったまま、警戒を崩していない。

 魔物の攻勢を掻い潜り、二発、三発と発勁を叩き込む。苛烈な攻めで、加藤が戦う。


 (うわっ! なにも治したばかりの右手で殴らなくても……。よっぽど腹に据えかねたのかしら?)


 春香の知る彼の本気は、そう何度も目にした事は無い。だが、目の前の彼は凶悪な笑みを口許に浮かべていた。

 熟練の魔術師にとっても魔物との戦いは命懸けだ。その戦いを、加藤はまるで楽しんでいるようにも見える。


 (男の人って、わかんないなぁ……)


 春香は、そんなピントのズレた感想を抱いたまま嘆息した。

 加藤と魔物の戦闘を視野に入れたまま、春香は自分の準備にかかる。足を肩幅に開き、息吹を調える。両手を合わせて印を切り結ぶ。

 加藤の戦いぶりを参考に、自己の経験則から得られた法則(ルール)を確認する。まだ事故の衝撃から完全に復調していないが、いつ魔物から襲われるか分からないのだ。悠長な事など言ってられない状況である事を彼女は十分理解していた。

 一際大きな打撃音と悲鳴のような魔物の断末魔に、春香は加藤の戦闘が終わった事を直観した。燃え落ちるように崩壊する魔物に春香は一瞥をくれたが、直ぐに拡散する魔素が魔物の消滅を教えてくれた。


 (……こっちも準備完了っと!)


 魔物への構えを取ったままの加藤を見て、春香は警戒から戦闘準備へと意識を切り替える。

 彼女の体得したバトルスタイルへの移行準備が整っていた。


 「さあ、行くよ。私の十二天将……」


 春香の全身に気と魔力が巡り、神経が研ぎ澄まされていく。

 一種の脳内麻薬だなと感じながら、彼女は不退転の決意を胸に刻んだ。まだ魔物を警戒している加藤の元に走って行く。

 近くで見た加藤は、眼光鋭く、魔物が分解された辺りを睨んでいた。着ていたスーツも汚れ、戦闘の激しさを物語っている。


 「加藤さん、お疲れ様です」

 「ええ、お嬢さんもお怪我はありませんか?」

 「私は大丈夫。なんともないよ」


 まるで午後の挨拶を交わすような気軽さで、二人は事後の確認を行う。命懸けの戦闘も守護者としての認識では、特段の事ではないらしい。


 「歳破(さいは)を使うまではありませんでしたが、こいつは厄介ですね……」


 戦闘経験者の言葉が重く響く。加藤の語る真意を聴くべく、春香も注目する。


 「生霊に近いものを(しゅ)で縛るような……。僕達とは違う魔術系統なのは間違いないですね」

 「見てる限りは分からなかったですよ?」

 「最後の勁を打ち込んだ時に、魔物の本体らしいものの存在を感じたんです。まるで現世(うつしよ)とは違う場所から僕らを狙っていたような……」


 加藤の先読みが、高い確度を誇るものである事は春香もよく知っていた。これまでにも数回、助けられた事実がある。


 「それより、お嬢さん。準備は……」

 「現状で取れる手は打ちました。呪符は、さっきのが最後です」


 先を言わせぬ対処と、肩を竦めて見せた春香に加藤も苦笑した。


 「愚問でしたね。ここには人払いを掛けておきます。急ぎましょう!」

 「いいんですか、このままで?」

 「一応、緊急連絡(E・コール)はしてますよ」

 「さすが先輩!」


 二人はようやく本来の目的に向かって走りだそうとする。


 「あ、それとこれを……」


 呼び止められた春香が目にした物は、なんと中規模魔術を発動可能な大呪符であった。


 「僕の手持ちも、緊急用のこれだけです。お嬢さんが使うほうがいいでしょう」


 流石に、これには春香も困惑した。魔術師にとって、時に生命線ともなる虎の子の装備を渡すとは。

 笑えない冗談に、春香は彼の手を遮る。


 「……無理です。受け取れません」

 「遠慮なく使ってください。僕の魔力じゃ、どのみち保たない」

 「でもっ!」

 「侮っていい相手じゃありません。だから貴女に託します」


 守護者としての使命なのか、加藤は躊躇いなく最善の策を取ろうとする。誰にも出来る事ではない。そして春香も言われた事は無かった。面と向かって、自分の命を託しますなどと。


 「それに大丈夫です。僕は愛車の仇を討つつもりですから。それは最適な時に、最適な場所で使ってください」

 「……はい」


 翳る春香の表情に、口に出せない多くのものが含まれていた。両手で受け取った大呪符を大事に胸に仕舞う。

 この場では、多くは語るまい。そう心に決めて春香は顔を上げた。加藤に向ける目は口にできない言葉に代えて、覚悟のほどを伝えていた。

 二年前、春香が守護者の中でエース級と呼ばれた時から、遠くない将来の事として考えていたIf(イフ)が、目の前にあった。


 「常に感謝の心を忘れずに……。先生方が言っていた事が、いま分かりました」


 微笑む加藤の眼が、優しい色に変わっていた。


 「さあ、早く行きましょう。お嬢さん」


 春香は、胸の奥に熱い気持ちがこみ上げてくるのを感じていた。まだ未熟な自分にとって、この形容し難い感情は上手く制御できない。それでも彼女にとって、心に温かいものを生み、前に踏み出す勇気と力を与えてくれた。


 「はい……」


 言葉も短く、春香は戦いに臨む事を決めた。まだ見ぬ今回の黒幕たる術者に、必ず一矢報いると心に決めて。

 あのとき感じた敵の悪霊は、まだ数体はいたはずだ。獣のような気配は、はっきりと術者である春香達に分かった。その内の一体を倒したとはいえ、あれらに同時に狙われたならば、その危険度は計り知れない。


 「……必ず、沙樹ちゃんの所へ!」


 春香の榛色(ヘイゼル)の瞳に、決意の光が宿る。


 「おっと……。どうやら仲間を潰された事に気付いた連中が集まってきたみたいですね」

 「降りかかる火の粉は……、邪魔をするなら祓います。構ってなんか、いられないし」

 「その方が効率が良さそうだ。さて、僕も暴れるとしましょう」


 春香の心を占めるバラバラの感情。自分でも涙脆いとは思ってなかった。それなのに、堪えきれず、溢れそうになるものを必死に我慢して春香は前を向いた。


 「……行くよ、春香。泣くのは後だよ」


 自分を鼓舞する言葉も控えめに、春香は胸元に添える右手に、確かな硬い感触を感じてひとつ深呼吸をした。シャツの下に忍ばせたペンダントは、いつも彼女の支えとなっていた。

 母から譲られた護符。翡翠の勾玉に、細い革紐が通してある。

 その勾玉(セーマンドーマン)のトップを握りしめ、春香は走り出した。


 (やるっきゃないでしょ!!)


 同時に展開する魔法は、“身固”。色彩は”裏梅“。手元から指先にいくほど薄い紅色となっていく、仄かな紅梅の匂いを思わせる緋色の魔法陣が、春香の両手に現れる。遅延発動型の呪術返しとして、手堅い術式だ。

 予め決められた術式のみを発動するように機械的に作られた呪符による魔術では、霊力や魔力といった人間の感性に依存する要素が薄いため、発動に色彩を感じる事はまずない。

 しかし、魔術の工程全てを完全マニュアル制御するとなると、よくも悪くも術者本人の“色”が出てくる。手作りの呪符に込められた職人的様式美が、魔力の伝達に(むら)を作り、発動に影響しない僅かな凹凸のそれが、魔力に特有の流れを生み出す。それが時に、鮮やかな色彩となって現れるのだ。

 色彩の妙と言うべき陣の組み立ても古来から続く型があり、彼女独自のスタイルに一役買っていた。


 「来たっ!!」


 追走する悪霊は、獣じみた咆哮を挙げながら、春香達を追跡する。魔素による非戦闘区域への影響もあり、二人は迷うことなく魔物を惹き付ける事を選択する。

 荒事に慣れた様子は、本来なら十代の少女の行いではない。彼女の人生を狂わせた守護者としての戦いに、春香は逡巡する素振りも見せない。

 追従する加藤は、そんな春香の内心を知っているのか、笑顔で彼女をサポートする。

 彼女の事を妹のように気遣いながら、ふと加藤は思い至る。


 (お嬢さん、貴女だけが守護者の中でただ一人、魔女の隣に立てるのかもしれません)


 まだ誰も知らぬ未来に、彼の五術が卜占を示す。それは、春香の近い将来を恐ろしいほど正確に言い当てていた。












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