第12話 覚醒:青眼の魔女2
二話同時投稿の続きです。
午前中の校舎の窓から、小雨の降りしきる景色をぼんやりと眺めて、春香は沈んだ表情を見せていた。彼女の気持ちを表すように、天気も暗く沈んでいる。
気だるいような瞳からは窺い知れないが、その内心は激しい焦燥感に駆られていた。
彼女の親友であり、学校でも一、二を争う美少女との呼び声も高い沙樹がいなくなってから丸一日が経過したのだ。
今回の沙樹の失踪は、春香にとって彼女の存在がいかに大きかったのかを思い知らされる結果になった。二人の出会いは最近の事だ。
高校に入学して、春香は沙樹と出会った。
実際に出会ったのは、入学式の当日。高校に近い桜並木の前だ。
大切な思い出の一つとして、春香の脳裏で反芻される記憶だ。
ただ、彼女は沙樹に言えない秘密があった。彼女は父親である久和隆則に言われて、もっと前から沙樹の事を見守ってきた。魔術に目覚めるその日まで、沙樹を陰となり日向となって護衛する事こそ、春香に与えられた役目であった。
春香も、支倉沙樹という人物についての情報を事前に知らされていた。曰く、彼女が高名な魔女の血を継ぐ者であり、春香の家を含む御三家がいずれは守護するべき者だと。沙樹の母親が敷いた大魔法陣のおかげで、平和の鐘を維持できているのだと。
「……沙樹ちゃん、何処にいるの?」
小さな呟きは、春香の精神に掛かった負荷の大きさを示していた。
前髪を掻き分ける仕草も、どこか億劫だった。春香が考える様々な方法を試みても、昨日は何一つ手掛かりが得られなかった。そればかりか、朝から担任の葛西先生に呼び出され、生徒指導室で昨日の行動について説明を求められた。
ついてない、と叫びたくなるものの、沙樹を探したい気持ちばかりが焦ってしまう。自分の感情すら、制御出来ない有り様だった。
降り続ける雨の音が、春香の心を急き立てる。教室を飛び出したい衝動を覚えながら、彼女は残る理性を働かせた。
「嫌な雨よね」
落ち込んだ春香に声をかける者がいた。クラスメイトの智子だった。
「春ちゃん、あんまり寝てないんでしょう?」
嫋やかな雰囲気を持つ智子は、周囲に対する気配りがある。人の気持ちを察する力が鋭く、それは春香も認めている。そして、警戒している。
一番の女子力がある彼女が真っ先に声をかけた事で、春香の様子を案じていた友人達も輪の中に入ってきた。
「……そう見える?」
「なんとなくだけど、どうしたら良いか分からなくて困ってるみたいだったから」
心配そうな視線が、自分に集まっている。智子の優しげな顔が、少し大人びて見える。
これはあたしの問題だと、春香の心が訴える。しかし、優しい友人に甘えてしまいたくなる自分がいる。聞いて欲しい、理解して欲しいと心の何処かで声がする。甘えは許されないというのに。
「参ったなぁ……。朝からゆっこに呼び出されたせいでさ、皆に心配かけちゃったね」
「沙樹ちゃん、まだ連絡ないんだよね?」
「……うん。学校が終わったら探しに行くつもり」
「春香、当てがあるの? 先生達も探してるけど見つかってないって……」
友達想いの友人に、感謝しなければならなかった。彼女の心の中にある焦燥感が、少しだけ小さくなっていく。
「昨日、パパには沙樹ちゃんの事情は話してるし。一つだけ当てがあるから」
「そう、私も手伝うよ。一緒に探そう?」
「あたしも行くよ! 沙樹ちゃん、心配だし」
友達が我先にと賛同して、すぐに人手が集まった。人探しには、有り難い事だった。
「そう言えば、柳楽君はどうしたの?」
「知らないけど、あいつは生徒会だし。大丈夫なんじゃない?」
春香の見せる笑顔に、少し場が明るくなった。ただ、いつも見せる屈託の無い笑顔ではなかったが。
「それよりさ、放課後だから計画的に探さなきゃね?」
「あと小中一緒だった子に聞いて見ようか? 沙樹ちゃんの実家とか何か分かるかも」
「狭いようで広いとこだしね。私、あと何人か声掛けてみるね」
友人達が意見を出して、それが瞬く間に拡がっていく。どれも建設的な意見だが、それじゃダメだと叫んでる。学校の生徒や先生達じゃ、見つける事など出来はしないと叫んでる。
春香の中で荒れ狂う感情が、しきりに危険だと警告している。彼女がいるとしたら、そこは魔術の園に関わる場所。その場所を探すには、魔術でもって挑まなければならない。友人達を連れて、そんな危険な場所に行くことは出来ない。まして、一般人に魔術の一端でも知られようものなら、どうなるか。
(私は、嫌な子だ。みんなの好意を素直に喜べないなんて……)
春香の心に、抜けない刺が刺さっている。かつて自分に向けられた視線を思い出し、知らず身震いする。悪意と嘲笑。それがどれ程の凶器となるか、春香は身をもって知っていた。
(危ない橋なんか渡れない……。でも、夜が来る前に花園まで辿り着きたいし。難しいかな? 最悪、また連絡するしかないのかも……)
彼女の晴れない心を表すように、雨もまた止むことがなかった。
春香が焦っていた理由は、昨夜のうちに附属学生寮の沙樹の部屋を見た事にあった。傍目には、何一つ荒らされていない整然とした部屋に見えたことだろう。沙樹が使ったらしい勉強机や家具類などは、特に不審な点が見あたらなかった。先生達が手掛かりが無いと頭を抱えたのも頷けるほどだ。
しかし、春香には見えたのだ。室内に残る何かを引き摺った跡と複数の霊障痕、そして窓際の壁に一際大きく残る低級霊が破裂したような痕跡が。
襲われたのだ。春香は室内に残る傷痕から推測して、最悪の結果を導き出していた。
沙樹は連れ去られたか、逃げ出したのだ。低級霊が破裂したような痕跡がある以上、沙樹は襲撃を躱して逃げているのではないかと思えた。今も、誰かの助けを求めて潜んでいるのだと推測していた。
昨夜の春香は、自分でも制御できない衝動に突き動かされて夜の市内を探して回った。ひたすら沙樹の無事を願って動き続けた。
春香の行動は、駆け付けた父親の隆則に止められるまで続いた。
(沙樹ちゃんは、私が助ける。絶対に誰にも渡さない……)
数時間後の行動を思い浮かべて、春香は頭をフル回転させた。そうする事でしか、彼女は逸る感情を押さえ付けていられなかった。
時を同じくして、沙樹の教導に使われた館の一室では、通過儀礼の儀式魔法が最終局面を迎えていた。
もともと、洗礼とも呼ばれる簡易な儀式であったはずが、彼等の主人である沙樹自身の持つ膨大な魔力量のために、予想外の結果を招いていた。
「沙樹様、無理に魔力循環に抵抗するのではなく、魔力が流れるままに任せるのです」
「無理よ! さっきから眼の奥が熱くて、どうにかなりそう!」
眼を閉じたままで、涙が零れ落ちる沙樹の様子に黒猫が気遣うように応える。
「沙樹様、大丈夫です。ゆっくりと眼を開けて下さい。見えるはずです」
「でも、まだ……」
沙樹の体内魔力もまた、彼女の身体能力と適応性の限界まで高まっていた。素人目には、異常な魔力量が沙樹の体内を駆け巡っている。
「大丈夫です、沙樹様。視力に異常は無いはずです」
黒猫の言葉に、沙樹も一旦は眼を開けようとする。しかし、視界に入ってくる光量に驚愕して眼を閉じてしまうという事を先程から何度も繰り返していた。
「猫よ、主は無事なのか?」
錯視の蛇が、魔法陣の制御を終えて主である彼女の元へと這い寄る。
蛇が来た事で、黒猫は一旦主人の傍から離れた。沙樹は依然として両目を押さえたままだ。
「沙樹様の症状は、急激な魔力の膨張と全身の彰孔が開いたせいだ。チャクラが開いたものの、まだ身体が慣れず安定していないのだ」
這い寄る蛇の姿を視界に捉えて、黒猫は彼が見るところの沙樹の様子を説明した。それに蛇が応える。
「主の資質の高さが仇になったとでも? チャクラが開き、魔女としての資質が現れたのではないのか? 現に主の両目に魔力が集中している……」
「まだ分からぬ。蛇よ、とにかく沙樹様の様子が急変する事はないが全身の魔力循環が高まっているせいで、下手に手が出せぬ。ご自身の身体が耐えなければ意味がないのは知っていよう?」
使い魔の翠の双眸が、魔法陣の上で痛みに耐える沙樹を見る。眼を押さえ、涙を流しながらも視界を開こうとする彼女の姿は、見ていて痛々しいものだった。再び沙樹の傍らへと駆け寄り、黒猫は主人に声を掛けた。
「沙樹様、落ち着きましたか? 眼が開かない訳ではないのです。ゆっくりと、眼を開けて下さい。そっと……」
黒猫の誘導で、ようやく沙樹は両目を徐々に開いていった。開く傍から涙が溢れ、少女としては少々問題のある情況だったが。
「沙樹様、私が見えますか?」
「メフィスト……。すごく眩しい、私の眼はどうかしたの? どう見える?」
なんとか痛みを堪えて、心配する使い魔を見た沙樹を黒猫が驚愕した様子で見つめ返していた。
涙に濡れた沙樹の瞳に、黒猫の姿が映る。
「……沙樹様、その瞳は?」
「おおっ! 主よ、魔眼とは!」
真剣な口調で問う黒猫の後ろから、蛇が感嘆の声を挙げた。
「待て蛇よ! 沙樹様、改めてお聞きしますが、我等が見えますか?」
「……やけに眩しいし、まだ変な感じだけどメフィストはメフィスト、よ?」
黒猫は改めて主人の瞳を覗き込み、そこに有り得ないものを見ていた。
「沙樹様は、どうやら魔眼を宿されたようです。珍しくはありますが、決して前例が無い訳ではありません。本来、儀式魔法は術者と魔力との親和性を高める事が目的ですが、魔眼のように特定の能力が現れることも確認されています」
黒猫の丁寧な説明に、沙樹は言葉を無くして聞いていた。やがて、絞り出すように彼女の唇が動いた。
「……ねぇ、メフィスト。私の目は、治るの?」
「沙樹様、病気の類いではないのです。治るという事はありません。この魔眼は、沙樹様が獲得した能力なのです」
「……でも、私こんなのいらない。治してよ、メフィストなら出来るんでしょう?」
見つめる沙樹の瞳に、魔力特有の波動が現れていた。
魔眼。代表的なものは、神話の世界に出てくる魅了や石化の魔眼であろうか。歴史上にも魔眼を宿したとみられる魔術師は少なく、魔法界においても魔獣や魔物に多いとされる能力であった。
「クククッ……。主よ、残念だが手遅れだ。しかし、心配はいらぬ。魔眼を得たのだ。それは主の身体に魔力の火が灯った証左だ」
蛇の賛美に、沙樹よりも黒猫のほうが暗鬱たる表情を見せていた。
「少し待て、蛇よ。まだ沙樹様に話さねばならない事があるのだ」
悲壮な表情をして俯く沙樹よりも、黒猫こそ真剣な口調で主に話した。
「沙樹様、よくお聞きください。恐らく、その眼に宿る力は魔眼ではなく、正しくは青眼です」
「……青眼?」
「待て、猫よ! 何を言っている?魔術の園に身を置くならば……」
驚く蛇の言葉を遮り、使い魔は主人に告げる。
「沙樹様の瞳に顕れた遊色効果のような魔力の揺らめきが何よりの証拠です。沙樹様、この青眼は本来ならば聖女や賢人に現れるのが普通なのです。ましてや魔女が宿すなど、有り得ないはずの能力なのです」
困惑する沙樹に正確な情報を渡そうと、黒猫は更に言葉を紡ぐ。
「古代中国の賢人、阮籍の時代から続く、人が修得出来る稀有な能力です。退化していく現代人の目と違い、世の中の全てを映し、森羅万象の本質を映しとると言われています。魅了の魔眼などより遥かに高尚で得難い能力です」
黒猫の言葉を聞く沙樹の瞳は、揺らめくような魔力を湛えていた。白い肌は一層白く、その手は小さく震えていた。
沙樹は、もう一度泣きたい気分になったというのに、今度は泣けなかった。もう戻らない自分の目は、これからどんな功罪を与えられるというのか。不安に駆られて騒ぎたて、衝動的な行動を取る勇気も無い。
そんな自分が、沙樹自身も不甲斐なかった。
「沙樹様、悪い事ばかりではございません。古代中国の唐の時代に書かれた『晋書』には、人を愛し親しむ時、人の眼は青いとあります。青眼が、魔眼の一種でありながら聖女や賢人達にしか顕れなかった所以です」
「……メフィスト。じゃあ私の眼は、このままでもいいってこと? 悪い力が顕れたんじゃないってこと?」
怯えた様子の主人に、使い魔は優しく言い聞かせた。
「沙樹様には、どのような危険や困難に直面しても我等がついております」
「うん……」
「我等の望みは主の栄達。この生命有る限り、何処までもお供いたします」
「うん……」
沙樹の教導の初日はこうして終わったが、それは永く困難な道程の始まりに過ぎなかった。
阮籍は竹林の七賢の一人です。お分かりと思いますが、参考まで。




