第1話 プロローグ
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世界は、時間・空間・充足理由の原理によって構成されている。すなわち表象である。
我々がこの世界で認識しうる全ての事象は、原因と結果の法則によって支配されている。
その因果の法則性に干渉して、術者の望む事象を発現させる体系が魔術。
隠された秘密の扉を開く資格を持つのは、選ばれた22人の魔術師のみ。
いつの日か到達するだろう。その道程こそ、我が人生。そして、これぞ我が世界である。
(或る魔術師の手記より抜粋)
古い置時計が、室内に乾いた音を響かせていた。
人の背丈ほどもあるそれは、木目の美しい重厚な外観を誇り、据えられたその家の品格まで上げるような、どっしりとした佇まいがあった。
一定の間隔で鳴る機械音は、決して大きくはないというのに、室内の空気のせいか、何故か耳に障った。
その室内には、四人の高校生風の少女と円卓の机、四組の椅子、室内を朧気に照らす四本の蝋燭の灯、そしてタロットがあった。
一人の少女が手繰るカードは、外国製のものなのか、古い壁画のようなギリシャ様式の絵柄と、格式すら感じさせる雰囲気を持つ逸品であり、白と黒の幾何学模様に見える。カードの表面の図柄は、多少くたびれて見えるものの、滑りが良いのか実に滑らかに少女の手のなかで踊った。
クロスの上で混ぜられ、躍るカードは見事な手並みでスプレッドされる。
少女が手慣れているのか、衣擦れのような音と共に、タロットカードが少女達四人の前に実に滑らかな動作で配られていった。
二枚のカードがそれぞれ目の前にくると、三人の少女達は一様に興奮しているようだった。この時期特有の少女が持つ恥じらいと期待感からか、全員が自分に配られたカードに注目しつつ、明らかに興奮を抑えきれない様子であった。
「ねぇ、やっぱり怖くない?」
一人の少女が不安そうな顔をのぞかせながら言った。
「しーっ、静かにしてよ。せっかく貴理子に占ってもらってるのよ」
隣の少女が言う。
「そうよ。恋占いの結果が目の前にあるのに、見ないで帰るつもり?」
三人三様の言い分を聞きながら、一人の少女がテーブルの中央に残りのカードを山積みにした。その口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。同じ年頃であるだろうに、他の三人より落ちついた印象を与えるのは、内側から溢れる自信のためだろうか。
貴理子と呼ばれる少女は、テーブルの前に置かれた自分のカードを一枚めくって言った。
「さあ、みんなの左側のカードを一枚めくって見て。それが過去のサインになるわ」
この言葉に押されたのか、さっきまで不安そうだった少女も含めて、三人は好奇心に負けてカードを手にした。
美しい彩色の絵柄が、目に飛び込んで来た。
カードをめくった少女達は、一様に絵柄の内容、その意味するところを知りたがっていた。一人の少女が口火を切るように貴理子に尋ねた。
「ねぇ、これは何を意味するの?」
「そのカードは『女教皇』ね。正位置にあるから、女らしい行動力と機知を示しているわ。恋愛については、積極的で溢れるような情熱を持っている人が多いの」
貴理子が滑らかな口調で言う。
「わぁ、ぴったりじゃん。ミサ、良かったね。スポーツも万能だし」
蝋燭の灯りに照らされるテーブルの前で、貴理子はやはり笑っていた。
「ケイちゃんのカードは『ソードの10』。同じく正位置にあるから、困難を意味するカードね」
「それとハスミのはペンタクルのエース。これは逆位置にあるから、警告と捉えていいかな」
そう言い放つ貴理子の顔が、この時わずかに曇った。言い終わると同時に、左手でこめかみを押さえた。
「ねぇ、貴理子。それって恋占いでは悪い意味なのかな?」
ハスミの質問に、貴理子は軽く頭を振ってから答えた。
「ああ、ごめんなさい。ちょっと頭痛みたい」
まだ表情が曇ったままの貴理子の様子に、他の三人の少女達は一様に注目していた。
「エースは良くも悪くも強い力を持っているから、のめり込むのに気をつけろという意味よ」
「恋は盲目よね」
合いの手を入れた少女に貴理子は微笑んで返したが、その笑顔に精彩がない。
「二枚目のカードを見ましょうか」
苦笑するような顔で貴理子は自分のカードをめくった。周囲に合わせている自分の行為が何か愚かしくも思えたのか、彼女の顔は謂わば自嘲気味であった。
他の三人が同じように手元のカードをめくってみる。
綺麗な彩色が施されたカードは、ドキドキするような何かを少女達に予感させるに充分だった。色鮮やかな絵柄のカードを見て、貴理子は、ふとある考えが脳裏に浮かんだ。このカード、すべて古いはずではなかったか。
しかし、彼女の考えが行動に移される前に、貴理子の意識の中で、何かがその考えを抑えこんでしまったようだった。まるで何事も無かったかのように、滑らかな動作で手元に一枚のカードを取った貴理子は、それを左手で不意に握り潰した。
次の瞬間、それは元の姿で彼女の手のなかにあった。カードマジックとしては鮮やかな手並みだった。
「あれ、いま私何を……」
貴理子と呼ばれた少女は、ふと呟いた。
怪訝な顔をする彼女に向かって、いま少女達の熱い視線が集中していた。
「貴理子、すごいよね」
ハスミという少女が胸の前に手を組んで彼女を見つめている。
「やっぱり校内一の占いの名手だよね」
貴理子は何を言われているのか分からないまま、カードの意味を推し量ろうとしていた自分が、違う答えに行き着こうとしているのではないかと不安になった。
けれども、自分の不安を友達に悟られたくないのか、問いただすことができないまま、貴理子はカードに集中した。
「二枚目のカードは、未来のサイン。これからの運命を指し示しているから、注意深く見なければ……」
その時、掠れたような低い声が言った。
「手元のカードをごらん。自分たちの未来を描いているから」
驚く貴理子をよそ目に、三人の少女達は言われるままに手元のカードに注目していた。そして三人が裏返した二枚目のカードは、三人とも一枚目と同じ図柄だった。
「女教皇は、殉教者を祝福する」
「金貨を受け取る者は、仲間を裏切る」
「そして、剣は昔から血を呼ぶと相場が決まってる」
その場にいる少女達は、自身の運命をねじ曲げる何者かの存在を把握できずにいた。
貴理子一人が、声の主の存在に恐怖を感じて、椅子から立ち上がっていた。身体は震え、顔色は蒼白になっている。不吉な声は、他ならぬ彼女自身の口から発せられていたのだ。いまや悪い予感を抑えきれなくなった貴理子は、少女達に危険を告げようとして、止めた。
頭を抑えて突っ伏する貴理子に、明らかな苦悶の表情がある。
「貴理子?」
幼げな六つの瞳は、かつて貴理子と呼ばれた少女の姿を映していた。友達の痛みを訴える表情に、その場にいる誰もが驚きを隠せないでいた。
あれだけ耳障りだった時計の音が、いつの間にか止まっていた。
しかし、すぐに項垂れた彼女の手は、ゆっくりと犠牲者を指し示し、彼女の口は予言の成就に笑みをこぼした。いま、指差された少女の腹部に、一滴の赤い染みが落ちていた。
それは見る間に広がり、滲んでいく様子を不思議そうに見る少女の染まっていく視界と、それに触れた掌さえ血に染め、濡れているのを見た。
まるで血の色を見て卒倒したかのように少女は意識を無くして前のめりに倒れると、木製の円卓に崩れた。
その背中に何本もの短剣が突き刺さっていた。
隣に座っていた少女が悲鳴を上げて椅子から立ち上がると、何かに足をとられて倒れた。同時に甲高い音が床に何度も響く。
「痛いっ、何?」
足下を見た彼女の目に、床に散らばる無数の金貨が鈍い光を放っていた。
床に倒れたまま、金貨から遠ざかろうとする少女は腰が抜けたのか、立ち上がることができなかった。目前に迫った恐怖と対面したまま、少女は何度も立ち上がろうとして、自分の手足がもはや言うことを聞かないという事実を受け入れなければならなかった。何かに触れるたび、手足の関節が外れていく。その姿は、奇怪なオブジェのように滑稽にも見えた。自分の手足が、言うことを聞かないようだった。
もう一人の少女は、友人の背中に刺さった短剣を見た途端、逃げようとする前に背後から掴まれた細い手に、身体の自由を奪われていた。
彼女の後ろには、貴理子が立っていた。
しかし、その目は虚ろであるばかりか、肌に血の気はなく、両手はひやりと冷たかった。
貴理子は円卓に倒れた友人の血を吸った布地を取りだし、ゆっくりと目の前の少女にかけてやった。母親が稚児に優しく毛布をかけるがごとく、友達の血がしたたり落ちる赤い布を胸の前に宛がってやる。首筋に生暖かい血の感触を覚えた少女は、声にならぬ悲鳴を上げた。
今際の際、恐怖で引きつった顔は異様な形に固まっていた。
「星が足りないというのに……。異国の果てかよ」
貴理子と呼ばれていた少女は、低い掠れたような声で言った。テーブル上に散乱したカードデッキに手を伸ばす。すると、その中から彼女は一枚を選び出した。ただ無造作に選んだような所作だというのに、またも女教皇のカードを引き抜いていた。
しかも、それを一瞥もせぬまま、それを高く宙に放った。そのカードが床に落ちた途端、弾けるように炎がこぼれた。
瞬く間に燃え広がる炎に、貴理子と呼ばれた少女は満足げな表情を見せた。
「炎なら、ディロス島におわす神にも届くはず……」
部屋中に炎の舌が広がり、全てを舐め尽くしている中、三人の少女達もある者は円卓に伏したまま、ある者は床で蠢くまま、ある者は椅子に座したまま焼かれていった。
炎に焼かれ、悲鳴と煙が閉じ込められた空間で、貴理子と呼ばれた少女は部屋の中央に立ち尽くして、その邪悪な笑みは赤く揺れているように見えた。
同じ時刻、市内にある高等学校付属の学生寮の窓から、夜空を見上げている者がいた。
長い黒髪に白い肌。口元は紅く、まだ幼さが残るものの、整った顔立ちが遠目からも分かる。三階の窓から夜空を見上げているのは一人の少女だった。
窓辺に一人、佇むその姿は、暗闇の中に溶けてなお、光輝くような存在感を秘めていた。夜風を受けながら、少女は不安げな瞳をのぞかせて、ぽつりと呟いた。
「赤い月……。何だろう、すごく嫌な感じがする……」
薄暗く淀む丸い月を見上げる少女の視線の先には、しかし、普段と何ひとつ変わらぬ美しい夜空が広がっていた。




