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その六

                              14

そのとき、帰路に着いたはずの海崎奈央美が戻ってきた。もちろん鵜川を同伴していたが・・・。

「ど、どうされました?」

想定しなかった展開に、口の中にお茶が残っていることを忘れた松浦が、雫を垂らしながら訊いた。

「先ほどは余りにも恐ろしいことばかりで気が動転しておりまして、お伝えすることを忘れてしまっていたのですが、帰りながら彩子のことをあれこれ考えていたら、彼女からメールが届いていたことを思い出したのです」

「これで、とうとう事件解決って感じですよ」

横から鵜川がしゃしゃり出てきて、得意顔でそう宣言した。

「そんなに重要なことが書かれているのですか?」

「ええ、このメールが解決に結びつくはずだと世範君が言うし、私にもそういう予感がしてならないのです」

奈央美はそう言って、携帯電話を操作していたかと思うと、やがて松浦の眼前に差し出した。

見せられたメールの文面は、

『今日はいろいろな山菜を摘んで来ました。

これから天麩羅にしていただきますよ~^^。

そうそう、山菜採りは何年もやっているので、

今更驚くほどの珍しいものに遭遇することが少なくなったけれど、

今日はとても珍しいものを見つけたのよ。

それが何だか奈央美に分かるかな?

正解はね、八つ葉のクローバー。

四つ葉が幸福のシンボルだ言われているのだから、これは幸福が2倍ってことなんだよね~^^

早速、押し花みたいにして保存しましたよ。

では到着を待ってるからね♪』

画像が添付されていることを示す表示を、奈央美がクリックした。

そこには、採取してきたと思しき山菜を写した画像が添付されていたが、木立の中における光量不足の所為なのか、残念ながらその画質は不鮮明であった。

「刑事さん、どうですか? これはすごい手掛かりでしょう?」

松浦の数センチ近くまで身を乗り出して、鵜川が得意げに言う。

「現場の遺留品の中からは、クローバーがあったという報告はなかった。つまり犯人が持ち去ったということか?」

「流石はお見事な推理。クローバーが消えていたということは、誰かの手により持ち去られてしまった・・・。恐らくそれが正解ですね」

「それくらいは簡単に解ることさ」

松浦は胸を張って答えた。

「消えたクローバー・・・、それが最後の鍵という訳でしたね」

鵜川が海崎の肩に手をやりながら、まるで慰めるかのように言う。

「あとはよろしくお願いします。絶対に犯人を逮捕してくださいね」

そう言うと、海崎奈央美は丁寧に頭を下げてから、鵜川とともに再び帰っていった。

 

                              15

予想外の来客が去った後で、松浦は椅子に凭れて思考する。

八つ葉のクローバーはどこにもなかった。ということは消えたということになる。そこにどういうヒントが潜んでいるのだろう・・・。

「俺の幼少時代の記憶が正しければ、押し花ってものは、大抵は本に挟んで作るんだよな?」

一人で考えることに限界を感じたのか、傍でまだパソコンを打っていた各務に訊く。

「僕の記憶でも、押し花ってのは本に挟みますよ」

「現場から八つ葉のクローバーが発見されていたとは聞かされていないと思うが、どうなんだ?」

「ええ、そういう報告はないです。恐らく現場には無かったのでしょう」

「すると、犯人が持ち去ったのか? そうだとしたら何のために?」

「自分は四つ葉のクローバーさえ見つけたことがないですが、殺して奪うほどの価値があったのかも知れませんね」

「もしもだ・・・その葉っぱにそれほどまでの価値があり、それが目的で殺害しておいて盗んだのだと考えるとしても、犯行現場から一刻も早く立ち去ることを後回しにしてまで、背中にあのような刻印を施さなくてはならなかったという理由が、果たしてどこにあったのだろう?」

「海崎さんにメールしていたことを犯人は知らなかったのだと考えれば、それほど奇妙なことでもないでしょう。本当の目的である『八つ葉窃盗』を誤魔化すために『痴情殺人』を演出したと考えられなくもないのでは? 確かに、誰かに目撃される可能性は高くなりますが、八つ葉に余程の価値があったなら、それも有り得ることでしょう」

と答えながら、そのままの姿勢でパソコンを叩いていた各務だったが、

「ギネスブックによると56葉が現在の世界最高記録らしいですね。ちなみに発見者は日本人です」

と、興奮気味に声を上げた。

「ほほぉ。それほどの枚数ならほとんど球形をしているんだろうな? それにしても56葉とは凄いな」

「ただし、それは特別な栽培をしている株からのものらしくて、自然界でのこととなると八つ葉というのは相当に稀なるもののようです」

「すると、マニアにとっては、殺人までして奪い去るだけの価値があるということなのか?」

「いや、そうでもないようですね。少なくとも、四つ葉以外には取引き市場は存在していません。唯一四つ葉だけは幸福のイメージとして結婚式での料理皿に添えたり、あるいはアクリルに閉じ込めたストラップを作って贈り物にするために栽培している業者が存在するようですが、万年青のように観葉植物としてのマニアによる売買市場が存在するわけでもなく、誰かに自慢して悦に入るというサイトも存在しないみたいですね」

「だとしたら、犯人は何故、下手をすれば誰かに目撃されるかもしれないというリスクを冒してまで、ガイシャを裸にしてから文字を刻むといった手間暇を掛けたうえに、更には全てのページから指紋を消し去ったのか。そこまでして八つ葉のクローバーを持ち去った理由は何だろうか?」

「それは自分にも全く解りません」

「しかし、あの本にクローバーは挟まれてはいなかったという歴然たる事実がある。これはどういうことだ?」

やっとトンネルの先が見えてきた気がした途端に、再び新たな闇の中に突入したという感じだ。

理由は分からないが、犯人は被害者を殺害した後で八つ葉のクローバーを盗んだのだ。そのこと隠すために遺体にあのような文字を刻み、八つ葉を盗むときに付いてしまった指紋を全て拭い去った。本そのものを持ち去った方が簡単なのにそうしなかったのは、そこに何か理由があったのだろうが、今までのところその理由は分からない


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謎が解けないままで、3日の朝を迎えた。

天気は快晴のようだが、松浦の心はどんよりと雲っていた。今にも降ってきそうな趣きさえある。

そんなとき、大きな足跡が近付いてきたかと思うと、入ってきたのは各務であった。

各務は松浦の傍に近寄り、耳元に口を近づけた。

「例の、管理人からの聞き取りにあった『被害者の住所氏名をしつこく尋ねて来たという男』がやって来ましたが、どういたしましょう」

「ふむ。直ぐにここへ連れて来るんだ」

招き入れるようにとの指示を受けて一旦部屋を出た各務が、数分後に再び入ってきたときは、40代後半かと思われるヒゲ面で坊主頭の男を同行していた。

「まず、お名前から伺いましょう」

「三ノ宮四郎と申します」

「よろしければ御職業もついでに・・・」

「アマチュア写真家というところです」

「その写真家であるあなたが、管理人から被害者の名前などをしつこく聞き出そうとしたという情報があるんですが、理由をご説明いただけますか?」

「別に疑われるような怪しい理由ではないんですよ。どこから話せばいいのやら・・・そうですね、あれは1日の午後のことです。どこかに良い被写体がないだろうかと山の中を探し歩いていたとき、偶然にあの人に出会ったのです」

「ほほぅ、そのときの情況を詳しく話していただけますか」

「そのときの私の眼前には深い草叢が広がっていまして、その中から突然のように彼女が現れたのです。ちょうど綺麗な花を抱えて草叢から立ち上がったその様子が、周囲の風景と相俟って実に神秘的な雰囲気を漂わせていたので、そこは写真家の本能でしょうな・・・思わず『どうか1枚だけでも撮らせて下さい』と声を掛けたという次第です」

「それから何枚か撮影した?」

「ええ、数十枚ですかね。もちろんデジタルカメラですから、その程度の枚数なら少ない方でしょう。モニターを開いて彼女にもお見せしましたら、好感触な反応を見せてくれたので、それなら1箇所の撮影だけでは勿体無いと思い、場所を変えてあと2箇所でも撮影させていただきました」

「彼女は快く応じてくれたのですか?」

「さぁどうでしょう。写真家なんてものは少々強引に押すくらいでないとダメでして、彼女からしてみれば迷惑に思っていたかも知れませんが、かといって遠慮ばかりしていては良い作品は撮れませんからね。大和撫子が『ダメ』と言っている段階では、それは英語の『イエス』を意味しており、怒られて初めて『ノー』の意味と解釈するようにしています」

「何か個人的なお話とか?」

「私はもっぱら写真に関しての話題を話すだけで、彼女はと言えば山野草のうんちくを話すだけで、それぞれが得意分野について喋っていたといった感じですね。初対面なのだから普通はそんなもんでしょ? それで別れ際に、写真が出来上がったら送りますので名前と住所を教えてもらえませんか?とお願いしたのですが、何故か拒絶されまして・・・やっと教えてくれたのが苗字だけです。こんなことは滅多にないんですがね」

「それが理由で、まだ夜明け前だと言う時間にも拘らず、管理人のところに押し掛けて行ったという訳ですか?」

「はい、そのとおりです。管理人は明らかに不機嫌な態度でしたが、でも仕方なかったのですよ。あの日の午後からは外せない大切な予定が入っていまして、ここを5時には出発しないといけなかったのです。その前にどうしても彼女の名前だけでも知りたいと・・・。彼女のお陰で滅多にないほどの素晴らしい作品が撮れたので、どうしても彼女には御礼を込めてお届けしたいと思いまして・・・だから疚しい理由などは一切ありません」

「後ほど、そのカメラと画像を提出いただくことになると思いますので、もちろんご協力願えますでしょうな?」

「ええ、彼女を殺した犯人を見付けるためなら喜んで。で・・・用が済んだら当然返していただけますよね」

「あなたへの容疑がすっかり晴れたならお返しします」

「ええっ、私が容疑者ですか? まさかそんな・・・、それは違いますよ! 私は写真を撮らせて貰っただけですから!」

「そんなに興奮なさらずに・・・。今のところ、昨日このキャンプ場に居た人物は全員が容疑者ですから・・・。最後に、昨夜の午後7時から9時に掛けての行動を教えていただけますか?」

「ロッジの中にずうっと大人しくしていましたよ。昨日の撮影した画像データの中から消しても構わなさそうな画像を削除して、残すべき画像はパソコンに移動させて、コントラストや画質を調整したりしていました。そういう作業に一段落着いたときには、10時前になっていたと思います。だから当然、ロッジからは一歩たりとも外に出ておりません」

「当然ですか? だがそれを証言してくれる人も、これまた当然に居ないのでは?」

「まぁそうですが、まさかこんな事情になるとは思っていませんのでね」

「ところで・・・テラスにあったテーブル上の写真も撮りましたか?」

「ええ、何枚か撮ったと思います」

「そのとき、そこにトリカブトはありましたか?」

「トリカブトですか? 申し訳ありませんが、トリカブトがどういうものか・・・私には山菜の知識が全くありませんので、それは分かりません」

「そうですか。またお話をお聴かせいただくことがあるかも知れませんが、本日はひとまずお引取りくださって結構です」

各務が三ノ宮を伴って出て行くのを見送りながら、松浦はまたまた天を仰ぐ。

撮影された写真との突号をしてみないことには、三ノ宮の証言に嘘があるかないか・・・その判定を下せないのだが、彼の供述にはそれなりに辻褄は合っているように思えた。

この男が犯人なのか? それとも犯人ではないのか? 松浦は椅子から立ち上がって、窓の外に広がるキャンプ場を眺めた。

到着した時に比べて、テント数が増えていることだけは確実に分かった。そうか・・・ゴールデンウィークが始まっているのだ。世間では恒例となっているこの大型連休も、松浦にとっては何ら特別な意味を持たない、ただの詰まらない勤務日の一日でしかない。

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