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その三

                              7

「名簿の方からの調べはどうなっている?」

松浦が各務に聞いた。

「昨日の宿泊名簿に記入されていたのは、テント利用者が13人とロッジ利用者が6人の、合わせて19人。そして所轄が聞き取りで確認したときの人数が20人なので、その差が1人。しかし、その1人というのは幼稚園児なので親が記入対象外だと勘違いしていたものであり、名簿に書かなかったとのことでした」

「すると人数は合うということか。それで、その中にガイシャと接点を持つ者は居なかったか?」

「今のところ、そういう人物は見付かっていません。ただし、宿泊者のうち3名は早朝に立ち去っておりまして、そちらに関しては住所地を管轄する所轄署に聴取依頼をするよう手配しておきました」

「ガイシャと繋がる人物が絶対にいるはずだ。あれだけの遺体損壊をしたのにはそれ相当なる理由があったに違いないからな」

「その点に関しても、それぞれの所轄署へ連絡して、更に詳しく調査するように手配しておきました」

「目撃者の方はどうだ。誰ひとりとして異変に気付いた者は居なかったのか?」

「キャンパー共用の施設である水道やトイレは七瀬川に近い場所に造られていますので、特に用がない限りは、ロッジエリアにテント利用者がやって来ることはないと思われます。昨日の貸し出しテントは僅かに6張だけだったので、七瀬川に近い場所を割り当てられていたようですから、尚更ロッジの近くまで誰かがやってくる可能性は低かったようです」

「包丁の方はどうなっている? まだ発見できないのか?」

「ええ、周囲はこのとおりの大自然ですから、隠そうとすればいくらでも候補地がありますからね」

窓の外を指し示しながら、お手上げだというポーズを取って各務が言った。

「背中での習字に使った道具は、きっと包丁だと思うんだがな」

「鑑識もそのように考えているようです」

「それと・・・あの落書きに関して気になるのは、生活反応がなかったことだ。死亡推定時刻は昨晩の7時から9時ということだが、あの落書きが刻まれたのはいつ頃だ?」

「鑑識に因れば、死後8時間プラスマイナス2時間程度が経ってから付けられた傷だと考えているようです。もっとも、死後硬直は気温に左右されるので、ある程度の余裕幅は持たせないといけないようですが・・・」

「各務さんよ。それってどういうことだ? 犯人は一度殺しておいてから、その後8時間も経ってからやっとあの文字を書いたというのか? それは何故だ?」

「たとえば、犯人はどうしても屋根のある場所に泊まりたかった。だがお金もなく泊まるところがなかったので、目を付けたロッジの住人を殺害してそこに一泊した。朝起きてから、自分にとって何らかの不都合な点に気付いた犯人は、それを誤魔化すために背中に文字を書いた・・・というのはどうでしょうか?」

「その推理に水を差すわけではないが、財布には何枚かのカードの他に10万円余りの現金も残っていた。お金がなかったからとか、ロッジに宿泊したかったからとか、そういった動機と考えるのはかなり無理があるんじゃないかね?」

「そうでしたね」

「荷物も調べただろうが、そこから何か見付からなかったのか?」

「ロッジ内から発見されたのは、バッグに詰め込まれた何着かの着替え類と、懐中電灯、数点のお菓子、山菜入門という本、軍手、ミニショベル、万能ナイフ、といったキャンプには必須と思われるアイテムだけです」

「万能ナイフ? それを使ったという可能性はないのか?」

「血液反応はなかったようですから、植物採取専用として携帯していたのでしょう」

「荷物やテントからは、不審な指紋は出なかったのか?」

「菓子袋からは別人の指紋も出ましたが、流通過程でいろいろな人間の手を渡っているはずなので、複数の指紋が出てくるのは当然でして、それが誰のものなのかは今のところ不明です。あとのものからはガイシャ以外の指紋はほとんど見付かっていません。それと、おかしなことに本の内側からは誰の指紋も出なかったようです」

「犯人のヤツが不用意に触ってしまい、それで隈なく拭き取ったとでもいうのか?」

「そこはまだ分かりませんが、本を見るときは常に手袋を嵌めてからにしていたとか・・・我々の常識を超えたオタクなら、それくらい大切に扱っていたとしても強ち考えられないことでもありません」

「そういえば、アイドルオタクと呼ばれるマニアは、大切なグラビア写真集は必ず2冊購入して、うち1冊を鑑賞用、もう1冊は保存用としてラッピングしてしまうらしいな」

「よく御存知で」

「けっ、それくらいは常識だろ。しかし、仮にいくら大切な本だったとしても、指紋ひとつ残されていなかったというのは、どうも引っ掛かるな。繰り返しになるが、それにしてもよく分からないのは、死後数時間も経ってから背中に文字を書いたという点だ」

「たとえば、犯人が猟奇趣味だったとか?」

「もし俺が猟奇趣味だったとしたら、少なくとも背中だけを切り刻むことはないな。絶対に背中以外の女性らしい特別な部分を切り刻むだろうな」

本人が死んでいるから良いものの、生きていたなら名誉毀損で訴えられるに違いない暴言を、松浦は平然と吐いた。

「きっと何か意味があるはずだが・・・、それがさっぱり見えてこない」

松浦はイナバウアーの如くに深々と椅子に凭れ掛かって、小さく唸った。


                              8

県警は地元消防団の協力を得て、近隣の捜索を実施することになった。

警察犬まで動員して捜索をしたものの、とうとう包丁を発見することは出来なかった。それも仕方がないことではあった。山あり谷ありの、大自然に囲まれた場所だ。凶器を隠す場所はいくらでも存在する。

一方、死体からはアコニチンが検出された。それはトリカブトの持つ強毒成分である。それを裏付けるように、司法解剖の結果、胃の中からは未消化のトリカブトが見付かった。

被害者の死因は、トリカブトを食したことによる急性中毒であると鑑識は結論付けた。

管理人によると、あのキャンプ場からほんの少し山中に踏み入っただけで、簡単にトリカブトを見付けることが可能らしい。

「犯人が採取してきて、ガイシャに食べさせたということか?」

松浦は一人で呟き、更に思考を続ける。

被害者のテーブルには何種類かの山菜が天麩羅の材料として置かれていたが、一見しただけでトリカブトだとはっきり分かるものは含まれていなかった。紙皿に残されていた天麩羅の中も同様であった。ということは、犯人はトリカブトの天麩羅を持参したうえで、それをガイシャに気付かれないようにして、ガイシャの揚げた天麩羅の中に混ぜたのか? 数分間でも上手く席を外させることができたなら、それも可能なことだろう。そしてガイシャはそれとは気付かずに食べてしまった。犯人は計画を成し遂げたことを確認してから、その証拠となるトリカブトをひとつ残さず持ち去ったのだろうか。あの現場に残されていた山菜を、細かな破片も含めて、もう一度初めから調べる必要があるな。

そう考えながら、鑑識からの報告書を読み返す。

現場にあった山菜の一覧には・・・ウド・タラノメ・コゴミ・アケビ・コシアブラ・アザミ・タンポポといった山菜の名前が記されている。

松浦には、それがどういう山菜なのか半分以上はさっぱり分からない。

いや待てよ・・・。松浦には何かが引っ掛かった。解剖をすればトリカブトによる死亡だと簡単に判明してしまうことくらい、余程の馬鹿でもない限り簡単に予測できることだろう。それならわざわざ持ち去る必要などないのでは? ということは、ガイシャが全部食べ切ったということなのか? いや、それも何となく違和感が残る。それに、ガイシャは山菜の専門書を持参していたではないか。犯人が上手くトリカブトを持ち込んだとしても、もし気付かれたときはどうするつもりだったのだ? そのときは包丁で刺し殺すつもりだったのか? もし俺が犯人なら、トリカブトを食べさせて殺すよりも、手間暇を掛けずに最初から刺殺するだろうな。

松浦の思考が混乱し始めたとき、各務がドアを開けて、

「よろしいですか?」

と入ってきた。

お陰で、乱れて縺れた思考をシャットダウンすることが叶った。

「宿泊者全員から事情聴取した結果報告書がやっと出来上がりましたので、取り急ぎ持ってきました」

と、各務が綴じ紐で纏められた2冊のファイルを机上に置いた。1冊は正本で、もう1冊はコピーした副本らしい。

カツオ節を与えられた猫の如き俊敏さでそれを取り上げると、貪るようにして松浦は目を通し始めた。それを横目に各務も副本のページを開いた。

各調書は、住所、氏名、年齢、電話番号といった基本事項が冒頭の部分に書いてあり、続いて、ここへ来た目的、午後7時から9時までの間における行動、被害者について何か知っているか、不審な出来事を見聞きしなかったか、といった項目に分けられていた。

大勢から短時間で効率良く情報を集めようとすれば、この手法はかなり効果的である。

30分程度を費やしたところで、一通り読み終えた。

「君の感想はどうだ?」

「興味を引く証言が、2件はありましたね」

「ひとつは宮岡、もうひとつは及川のものだな」

「ええ。でも宮岡管理人の言っている怪しい人物は、今朝の大騒動が起こる前にここを立ち去っていますので、住所地を管轄する所轄署に要請してみますが、急には呼び戻せないでしょう」

「この及川という夫婦が目撃したという『被害者が隣のロッジの宿泊者らしき人と何かあったように見えた』というのは?」

「名簿によると、隣接するロッジの借主は高野誠二、44歳の会社員ですね。目撃情報に出てくる若い女性というのは、目撃された軽乗用車から辿ってみたところ、勤務先が高野と同じ所でした。おまけに、その女性は高野の南隣のロッジを予約しております」

「そうか。何か特別な事情がありそうだな」

「早速、今から呼んできましょう」

と、各務が勇んで出て行った。

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