その一
これが第2作目の投稿となります。前回は「少年もの」だったので、意識的に死体なき謎だけで構成してみましたが、今回はやっと死体解禁です(^^)
少しでも楽しんでいただけたなら、作者としては嬉しい限りであります。
1
5月1日の午後6時過ぎのことである。海崎奈央美の携帯から、メール着信を知らせるメロディが流れた。
奈央美がメールを開くと、それは中学時代からの友人である吾妻彩子からのものだった。
『今日はいろいろな山菜を摘んで来ました。
これから天麩羅にしていただきますよ~^^。
そうそう、山菜採りは何年もやっているので、
今更驚くほどの珍しいものに遭遇することが少なくなったけれど、
今日はとても珍しいものを見つけたのよ。
それが何だか奈央美に分かるかな?
正解はね、八つ葉のクローバー。
四つ葉が幸福のシンボルだ言われているのだから、これは幸福が2倍ってことなんだよね~^^
早速、押し花みたいにして保存しましたよ。
では到着を待ってるからね♪』
画像が添付されている表示があったので、奈央美はクリックした。
そこには、採取してきたと思しき山菜を写した画像が添付されていたが、木立の中における光量不足の所為なのか、残念ながらその画質は不鮮明であった。
2
5月2日早朝。
鐘見隆広は目を覚ますと、反射的に室内を見回した。
いつもと様子が違うのに気付いた脳からの命令に従っただけのことだが、視線がゆるりと一周を終えた頃には、脳からの中止命令が出された。
そうだ、ここは鎧塚山キャンプ場の中にあるロッジなのだった。
今年の3月末をもって出版社を退職した鐘見は、自由人になって初めて迎えるゴールデンウィークを有意義に使おうと考え、退職の日まで2ケ月近くを残しているというのに2月初めには予約を済ませていた。そして昨日の夕方にマイカーで家を出発して、4時間半を掛けてやっとここに到着したのである。
約40年に亘って勤めた会社では、それなりに職責を果たしてきたつもりだ。いくつかのヘマはあったものの、辛うじて大過なく無事に退職できたことは喜んでいいのだろう。ただ、その記念すべき日を祝ってくれたのが、上司と数名の同僚達だけといった職場関係者だけであったのは、いささか残念であった。
妻とは14年前に離婚していたし、二人の子供達も既に結婚して独立している。妻と別れてからの寂しさは未だに消えはしないが、そのことを今更後悔しようとも思わないし、そのように考えたところでただ空しいだけ・・・と悟らされるには充分に足りるだけの年月を経ていた。
ロッジは杉の丸太で拵えられたログハウス様式で、1階にダイニングキッチン・バス・トイレ・居間があり、ロフトになった中2階にベッドルームがある。ひとりで宿泊するには勿体無いほどの広さだ。更に、南側の吐き出し窓から外に出ると、そこは地上から1mほどの高さのウッドデッキとなっており、欅製の大きなテーブルと椅子が置かれている。
鐘見はベッドから降りると、パジャマから外出用の軽装に着替えて、手摺り伝いに檜製の階段を下りていった。薄紫色した早朝の光が、大きなガラス窓から部屋一杯に射し込んでいた。
朝食は予定通りに手抜きをして、昨日ここへ来る途中のコンビニで買い込んでおいたサンドウィッチを食べることにする。しかしコーヒーだけは手抜きする気になれず、自宅から持ってきたコーヒーメーカーで淹れることにした。
「なんて美味いのだ」
自然に言葉が口をついて出た。
腹ごしらえを終えると、火を点けていない煙草を咥えて屋外に出てみた。現役時代を都会で過した者にとって、いま目に飛び込んでくる緑の世界はまるで異空間のように感じられた。一歩ずつ感触を楽しむかのようにゆっくりと階段を下り、産まれ立ての空気の中に歩を進めた。昨日到着したときは闇一色の世界であったが、今はキャンプ場の佇まいがくっきりとした高画質で目に映る。
キャンプ場の西側は七瀬川に面しており、更にその西側には県道26号線が南北に走っている。県道からキャンプ場に入るために七瀬川に架かった鎧塚橋を渡ると、管理棟前に到着する。ロッジはキャンプ場の奥側となる区域に全部で7棟建っており、七瀬川に近い側のエリアにはテント張り用の区画が30余り配置されている。夏ともなれば全区画隈なく犇めき合って、色とりどりのテント村が出来上がるのだろうが、今はまだ本格的にキャンプを楽しむには早すぎる季節とあって、本日は8張のテントが適度な間隔を置いてあちらこちらにと散らばって並んでいた。
ロッジの玄関から真っ直ぐに伸びる砂利敷きのアプローチを10mほど進むと、南北に伸びる簡易舗装された道に出た。鐘見は少し考えてから、南方向にと進んでいった。左にはロッジが並び、右にはテントサイトが広がっている。その道をそぞろ歩きしながら、そして、とうとうあのロッジの前に立ってしまうことになったのだ。
第六感というものは本当に存在するのかも知れない。
鐘見のロッジから二軒目となるロッジの前を通り過ぎようとしたときのことである。
後から考えると不思議というしかないのだが、事実、何か得体の知れないざわめきを感じて、ふと左側に目をやったのだ。そこは、そのロッジの南側に当たるスペースで、隣のロッジとの間は15mくらいあるだろうか。一面に落ち葉が敷き詰められた場所に、何やら白い物が落ちているのが分かった。
今までの鐘見なら、そんなものに興味を示すことはなかったであろうが、深い自然の中に抱かれたことで日常とは異なる精神状態になっていた所為なのか、気が付いたときには、歩み寄って1枚の布切れを拾い上げていた。
それは布巾と思われた。とすれば、これが落ちてきたのは目の前のロッジからであろう。鐘見は至極自然な動きで、中腰のままの姿勢でロッジの方に目を移した。
ロッジは全棟同じよう造られているらしく、見上げた先にはテーブルの置かれたウッドデッキのテラスがあった。
このテラスには転落防止用の手摺りが設置されており、道路側の手摺りには外側に目隠し用の板が張られていて、最初に布切れが落ちていると気付いた地点からは、テラス上の様子は全く見通せなかったのだが、この場所からは全体が見渡せた。
徐々に腰を伸ばしていくと、やがてテーブルの上にいろいろな食材などが並んでいるのが見えてきた。
同時に鐘見の目に入ってきたのは、土色に変化した肌の女性が床板に倒れているという光景であった。意外なことに気持ち悪さは余り感じなかった。何かに突き動かされるように、手摺りを掴んで昇ろうと試みた。体力の低下は否めず一度目は失敗したが、二度目の挑戦でやっと上に辿り着くことができた。
テラス上に立ってよくよく観察すると、テーブルには携帯用のガスコンロに天麩羅を揚げるための鍋が乗っていた。ガスコンロの火は消えており、ボンベの中身が無くなった状態のように思えた。鍋の手前には食器類や調味料入れが並び、ただいま食事中という雰囲気のままの状態が広がっており、テーブルの右半分には、溶いた小麦粉の入ったボールと、幾種類かの山菜が並べられた大き目のパット、そして天麩羅の載った紙皿などが置かれていた。
3
派出所勤務の名坂巡査長は思いっきりのスピードでバイクを飛ばす。目指すは鎧塚山キャンプ場だ。
変死体を発見したというキャンプ場管理人からの通報を受けたのは7時を過ぎた頃であった。今まさに用意が整ったばかりの朝食に未練を残しながら、トーストだけを口に咥えて派出所を飛び出した。公僕という立場は、時にして自虐を求められるものだと自己満足しながら、スロットを手前側に目一杯回す。ずうっと勾配の続く県道を七瀬川沿いに上って行くと、やがて川向こうに目指す鎧塚山キャンプ場が見えてきた。
鎧塚橋を渡り切った直ぐのところにある管理棟の前でバイクを止め、声を掛けたが応答はなかった。仕方なく奥に進んで行くと、やがて左前方に人だかりが見えてきたので、その方向にハンドルを切った。
南から4棟目に当たるロッジ前に、十数人の男女が興味津々なる表情で立ち並んでいた。
バイクを止めてよく見ると、ロッジの敷地を取り巻くようにしてロープが張られており、その外側から野次馬達が覗いているという図だ。
「誰も何かに触ったりしていないだろうな?」
名坂はバイクから飛び降りると、咎めるような口調で皆に聴いた。地元派出所に配属された巡査にとっては、現場保全こそが最も優先されるべき職責なのである。
「少なくとも、私が来たときからは誰もここには入っていないと断言できます」
カマキリのように痩せ細った体形の男が一歩前に進み出て、
「通報した管理人の宮岡です。命じられたとおりにロープで囲っておきました」
と、自慢げに言った。
「ああ、御協力に感謝します」
名坂は軽く手を上げて、
「最初に言っておくが、撮影は厳禁だからな」
と、野次馬連中を見回しながら声を張り上げた。
何人かが慌てて携帯電話を仕舞う。恐らく既に撮影会は完了済みなのだろう。
「ところで、第一発見者はどこだ?」
「こちらに居ますよ」
宮岡が、隣に立っている鐘見を指さして示した。
「鐘見と申します」
初老に片足を突っ込んだばかりかと思える年齢の男が、名坂に向かって軽く頭を下げた。
「発見したときの様子を教えてもらえますかな」
下手に構えた口調であるが、有無を言わさぬ雰囲気をも漂わせていた。
「今朝は6時頃に目覚めまして、簡単な朝食の後、何となく散策でもしてみようかという気になりましてね。それで、ぶらぶらとこのロッジの前に通り掛かったところ・・・」
「この現場を見てしまったということですかな?」
「はい、まぁそういうことです」
「そのときに見たものと、今見えているものに、何か違うところはありませんか?」
「自信はありませんが、何も変わったところはないように思います」
「そうですか・・・。もうすぐ県警本部からの捜査員が到着する手筈になっていて、皆さんにあらためて証言を求めるということになりますので、それまでにどんな些細なことでも記憶を呼び戻しておいていただけると助かります。本官から申し上げるのはそれだけです」
その時、段々と近付いてくるパトカーのサイレンが聞こえた。初動班が到着したようだ。