↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

欲深い吾輩

掲載日:2026/11/03

吾輩は、人間どもに思いを寄せている。


吾輩が生まれた時から、人間どもはすぐそばにいた。


食事を用意し、住む場所を整え、身体の手入れまでしてくれる。


あまりにも当たり前すぎて、深く考えたことはなかった。


だが、どうやら吾輩たちにも、人間どもに頼らず生きていた時代があったらしい。


広い草原を駆け回り、群れで暮らし、己の力だけで生きていた時代。


野生の馬。


そう呼ばれていた頃が、吾輩たちにもあったのだ。


今の暮らしが悪いわけではない。


むしろ、かなり快適である。


腹が減れば食事が出てくる。


喉が渇けば水が用意される。


雨風をしのげる場所があり、身体の手入れまでしてもらえる。


何より、常に世話をしてもらえるのだ。


実にありがたい。


実に安心できる。


ただ、少々窮屈でもある。


吾輩は今日も、柵の内側にいる。


柵の向こうには、こちらより広い場所が見える。


どこまでも続いているように見えるが、実際にはどこまで続いているのだろう。


あの向こうへ行けば、もっと広い景色が見られるのか。


さらにその先には、別の草原があるのか。


そんなことを考えながら、吾輩は柵の向こうを眺めている。


人間どもは、吾輩に水をかけてくれる。


ありがたいことではある。


暑い日には気持ちがよい。


身体についた汚れも落ちる。


だが、水浴びというものは、本来もっと豪快なものではないだろうか。


広い場所で泥に転がり、身体中に泥をつける。


首を振り、背中を地面にこすりつけ、鼻先から尻尾まで思う存分どろんこになる。


うむ。


実に自然らしい。


……まあ、そのあと身体を洗われることを考えると、水をかけてもらうほうが楽かもしれぬ。


吾輩は、楽をすることも嫌いではない。


食事もそうだ。


いつも用意されている。


決まった時間に、決まった場所へ行けばよい。


実に便利である。


だが、少々変化が足りない。


吾輩は草食である。


草を食べる。


それは間違いない。


しかし、草なら何でも同じというわけではない。


柔らかな草。


少し苦みのある草。


香りの強い草。


朝露に濡れた草。


季節によって変わる草。


場所によって違う草。


本来ならば、吾輩はそうした草を自分で探し、選び、味わうのではないか。


これは食べる。


これは後にする。


これは、少しだけ味見してみる。


そうやって、一日かけて食事を探す。


それもまた、野生の楽しみなのだろう。


今の食事は、すでに目の前にある。


栄養も考えられているらしい。


まずいわけではない。


むしろ、安心して食べられる。


だが、楽すぎる。


食べるものを探す楽しみまで、最初から片づけられているような気がするのだ。


人間どもを背に乗せることにも、不満はない。


吾輩の背に乗り、楽しそうにしている姿を見るのは悪くない。


吾輩を頼ってくれているようで、少し誇らしくもある。


ただ、何も乗せていない時のほうが、身体は軽い。


歩く時も。


走る時も。


首を振る時も。


実に楽である。


だからといって、人間どもを乗せたくないわけではない。


ただ、何もないというのも、なかなかよいものなのだ。


ふと、想像することがある。


広い草原。


どこまでも続く青い空。


風に揺れる草。


吾輩は、その中を自由に駆けている。


誰にも止められず、誰にも指示されず、ただ己の行きたい方向へ走る。


背中には何も乗っていない。


身体は軽い。


風がたてがみを揺らす。


蹄が大地を蹴る。


うむ。


悪くない。


実に悪くない。


むしろ、かなり良い。


……だが。


世の中、そんなに甘くはない。


野生で生きるということは、自由である代わりに、すべてを自分で考えなければならないということだ。


敵。


縄張り。


餌。


水場。


天候。


群れの争い。


考えることは、いくらでもある。


腹が減っても、誰も食事を運んではくれない。


喉が渇いても、水場が近くにあるとは限らない。


怪我をしても、誰も手当てをしてくれない。


眠る場所を間違えれば、夜の間に襲われるかもしれない。


自由とは、何をしてもよいということではない。


何が起きても、自分で引き受けるということなのだ。


そう考えると、今の暮らしも捨てたものではない。


走る場所は限られている。


行き先も、ある程度は決められている。


食事の内容も、毎日大きくは変わらない。


だが、少なくとも腹を空かせることはない。


雨に濡れ続けることもない。


夜ごと敵の気配に怯える必要もない。


人間どもは、吾輩を大切にしてくれている。


そのことを、吾輩は知っている。


知っているからこそ、複雑なのだ。


感謝している。


安心している。


この暮らしを嫌っているわけではない。


それでも、柵の向こうが気になる。


泥の中を転がる自分を想像する。


見たことのない草を選び、好きな場所へ歩いていく自分を想像する。


何も乗せず、ただ風の中を走る自分を想像する。


広い草原を、どこまでも。


……うむ。


やはり、悪くない。


だが、そのあとにはきっと腹が減る。


水も必要になる。


休む場所も探さねばならない。


もしかすると、どこかで敵に追われるかもしれない。


そう考えると――


今の暮らしも、まぁ悪くはない。


人間どもに世話をされる日々も、決して悪くない。


自由に憧れながら、安心を手放せない。


野生を想像しながら、今の暮らしを選んでいる。


吾輩は、そんな中途半端な馬なのだろう。


……しかし。


もしも、ほんの少しだけ。


誰にも止められず、誰にも追われず、腹も減らず、疲れもせず。


そんな都合のよい草原があるのなら。


吾輩は、一度くらい走ってみたい。


思いきり。


どこまでも。


何も背負わず。


何も乗せず。


ただ、己の足で。


……う~む。


やはり、想像の中だけで楽しむのが、いちばんよいのかもしれぬ。


そう思いながら、吾輩は今日も柵の向こうを眺めている。


人間どもが用意してくれた食事を食べる。


水を飲む。


身体を洗ってもらう。


そして、少しだけ走る。


その背に、人間どもを乗せながら。


もちろん、何も乗せていないほうが軽い。


だが――


これはこれで、悪くない。


何も乗せずに走りたい。

だが、人間どもも嫌いではない。

野生に憧れる。

だが、用意された食事もありがたい。


自由も欲しい。

安心も欲しい。

変化も欲しい。

それでいて、今の暮らしも捨てたくない。


これを欲深いというのだろう。


……うむ。

吾輩は、少々欲深い馬なのかもしれぬ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。