エピローグ1 落日
元婚約者視点の後日談のして
堕ちた男の静かな終幕として描いています。
エピローグ1 落日
王都から遠く離れた監視領。
荒野と冷たい風だけが支配する、名ばかりの領地。
そこに――
アルフォンス・レイモンドはいた。
かつて侯爵家の嫡男と呼ばれた男は、
今や粗末な机と簡素な寝台だけの部屋で目を覚ます。
夜明け前。
夢を見た。
深紅のドレス。
月光。
そして。
「怖いですわね、事故って」
跳ね起きる。
額には冷や汗。
指先は震えている。
◇
彼はまだ理解していなかった。
なぜ失敗したのかを。
計画は綿密だった。
事故に見せかける完璧な筋書き。
医師の診断。
葬儀。
涙。
世論。
すべてが自分の味方になるはずだった。
――なのに。
なぜ彼女は生きていた?
◇
最初は怒りだった。
罠だ。
策略だ。
嵌められたのだ。
だが時間が経つにつれ、
じわじわと別の感情が滲み出す。
理解。
いや――認識。
自分は、彼女を甘く見ていた。
◇
「少し脅せば従う」
「家のためだと言えば納得する」
「愛を囁けば信じる」
そう思っていた。
事実、彼女は信じていた。
だからこそ。
彼女は最後まで怒鳴らなかった。
泣き喚かなかった。
ただ、微笑んでいた。
◇
その微笑みの意味を、
彼は理解していなかった。
◇
監視領での生活は単調だった。
贅沢はない。
社交もない。
称号も、拍手もない。
ただ、名前だけが残る。
――汚れた名が。
◇
月に一度届く家からの手紙は、事務的なものだけ。
「健康に留意せよ」
「余計な問題を起こすな」
そこに情はない。
彼は切り捨てられたのだ。
家にも、社交界にも。
◇
ある日。
王都からの噂が風に乗って届いた。
「ヴァレンシュタイン伯爵令嬢、正式に後継として立つ」
「聡明で冷静、次期当主として申し分なし」
「求婚者が列をなしているらしい」
胸の奥がざらりと軋む。
◇
あれは自分の未来だったはずだ。
隣に立つのは、自分だったはずだ。
財産も、権威も、地位も。
すべて手に入るはずだった。
――彼女を殺して。
◇
その瞬間。
ようやく理解する。
失ったのは金ではない。
地位でもない。
彼女そのものだ。
◇
彼は椅子に崩れ落ちた。
笑いが漏れる。
乾いた、空虚な笑い。
「……馬鹿だ」
殺す必要などなかった。
急ぐ必要もなかった。
隣に立っていればよかった。
ただ、それだけで。
◇
だが彼は選んだ。
近道を。
裏切りを。
そして。
奈落を。
◇
夜。
冷たい風が窓を鳴らす。
彼は一人、呟いた。
「怖い……な」
事故ではない。
破滅でもない。
何もかもを失った静寂が。
◇
王都。
夜会の灯りが煌めく。
バルコニーに立つクリスティーヌは、
遠くの星を見上げていた。
もう振り返らない。
もう思い出さない。
彼女にとって彼は――
過去。
ただそれだけ。
◇
監視領。
月明かりの下。
アルフォンス・レイモンドは、
自分の選択の重みだけを抱えて生き続ける。
誰にも知られず。
誰にも惜しまれず。
静かに。
◇
それが、彼に与えられた罰。
死よりも長い、敗北。
――終。




