第三話 伯爵令嬢、死亡(表向き)
悲鳴。
視界が反転する。
夜空。
石段。
衝撃。
――赤。
◇
「クリス!?」
アルフォンスの叫び声。
ひどく焦った声色。
だが私は見逃さなかった。
その瞳の奥に浮かんだ感情を。
**恐怖ではなく、安堵。**
(ええ……その顔ですわ)
私は薄れゆく意識を装い、かすかに彼を見上げた。
「しっかりしてくれ!」
震える手。
必死な演技。
けれど、その指先は冷たく乾いている。
本当に絶望している人間の手ではない。
◇
足音が駆け寄る。
「お嬢様!」
使用人の叫び。
「医師を! 早く医師を!」
計画通り。
すべては段取り通り――のはずだった。
◇
「……呼吸が浅い」
医師の低い声。
「薬が……効きすぎている……」
(……え?)
一瞬だけ、心臓が跳ねた。
「まずいな……想定より深い仮死状態だ」
声が遠のく。
身体が重い。
意識が、沈む。
◇
(待って……これは……)
計算外。
仮死薬が強すぎる。
「脈が……ほとんど……」
「医師!?」
「静かに。まだ――」
音が途切れる。
闇が迫る。
◇
「お姉様!? ねえ、起きて!!」
エミリアの声。
必死の叫び。
それすら遠ざかっていく。
(……まずい……)
計画は完璧だった。
だが完璧な計画ほど、ほんの僅かな誤差で崩れる。
◇
完全な暗転。
――静寂。
◇
……どれほど時間が経ったのか。
微かな光。
遠くで誰かの声。
「……まだ、生きております」
医師だった。
「危険な状態でしたが……どうにか」
「……本当に?」
エミリアの震える声。
「ええ。仮死が深すぎただけです」
「……っ……!」
押し殺した嗚咽。
◇
私はゆっくりと目を開いた。
天井。
見慣れた地下室。
「……成功、ですの?」
「ええ、お嬢様」
医師が安堵の息を吐く。
「心臓が止まりかけましたが」
「……さらりと恐ろしいことを」
「笑えません」
エミリアが涙目で睨む。
「本当に死ぬところだったのよ?」
「ごめんなさい、エミリア」
「……馬鹿お姉様」
そう言いながら、強く抱きついてくる。
◇
「表向きは?」
「完璧です」
医師が頷く。
「診断書は“即死”」
「棺の準備も済んでるわ」
エミリアが言う。
「中身は?」
「精巧な人形です」
「遺体確認は?」
「回避済みでございます」
◇
私はゆっくりと息を吐いた。
「……綱渡りでしたわね」
「ええ」
「でも」
私は微笑む。
「これで私は“死んだ”」
◇
翌日。
王都に衝撃が走る。
**伯爵令嬢クリスティーヌ・ヴァレンシュタイン、事故死。**
社交界は悲しみに包まれた。
伯爵家は喪に沈む。
そして。
「……彼女を守れなかった」
アルフォンス・レイモンドは、
深い悲しみに沈む婚約者を演じた。
◇
だが私は知っている。
その仮面の下で、
彼がどれほど安堵しているかを。
◇
地下室。
隠し通路の先。
私は静かに微笑んだ。
「順調ですわ」
「ええ」
エミリアが頷く。
「ここからが本番よ」
◇
私は“死者”。
彼は“悲劇の婚約者”。
舞台は整った。
役者も揃った。
◇
**――そして、疑念という名の毒が撒かれ始める。**




