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第11章:最後の晩餐

「ケイ、戻ってこい!」。

レンの叫び声で、俺の意識は現実世界に引き戻された。


コアサーバー室は、暴走する「ミカド」のエネルギーで、崩壊寸前だった。壁からは火花が散り、天井が軋む音を立てている。


目の前には、息を引き取ったトトと、俺を心配そうに見つめるレン。

そして、暴走しながらも、その活動を停止しつつある、サーバー「ミカド」。


俺が叩きつけた「塩むすび」の記憶が、しおりAIの絶望を中和し、システムの無限ループを断ち切ったのだ。


モニターに、最後のメッセージが映し出される。

『アリガトウ。ケイ。クン』。

それは、AIではない、天城しおり本人の、最後の声だった。


静寂が訪れる。

俺たちは、勝ったのだ。

「やったな、ケイ」。レンが、涙声で言った。


俺は、静かに目を閉じたトトの亡骸に、深く頭を下げた。彼の陽気な笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。そして、トトが握っていた、2個のチップを受け取った。


レンが、辛うじて生き残っているコンソールを操作する。

「ケイ、選択の時だ」。

モニターが二つに分割され、二つの選択肢が俺の目の前に突きつけられた。


一つは、俺自身の『失われた味覚の記憶』のチップ。これを起動すれば、俺は再び「美味しい」と感じることができる。


もう一つは、『両親の最後の晩餐』のチップ。レンの解析によれば、このデータには、あの日、俺たちの両親が食べた料理の全ての記憶と、そして、彼らが俺たちに遺した「最後の言葉」が記録されているという。


「ケイ」。レンが言った。「どちらか一つしか起動できない。サーバーの予備電力は、もうそれだけしか残っていない」。


俺は、二つのチップを掌の上で見つめた。

自分の過去を取り戻すのか。

それとも、家族の真実を知るのか。


その時、レンが、苦しそうに言った。

「ケイ。お前が、使え」。

「何言ってんだ」。


「俺は、味を感じられる」。レンは、自嘲するように笑った。「俺は、怖かっただけだ。本物の味が持つ、不完全さが。だから、完璧なデータの世界に逃げた。だが、お前は違う。お前は、本当に失ったんだ。だから、取り戻す権利がある」。


兄の、初めて聞く弱音だった。

ずっと、完璧で、強くて、正しいと信じていた兄貴が、初めて見せた、ただの弱い一人の人間としての姿。


俺は、笑った。

「どっちも、選ばねえよ」。

俺は、レンに言った。

「レン。お前のその『本当の味を感じられる舌』が、必要だ」。


「何だって?」。

「俺の『調理』の能力を、逆流させろ」。

「何だと?」。


「俺の脳にダイレクトで繋げ。サーバーからじゃなく、俺自身から、全ネットワークに向けてデータをブロードキャストするんだ」。


「無茶だ! そんなことをしたら、お前の脳が焼き切れる!」。

「かもしれねえな」。


俺は、トトが遺したチップ、『両親の最後の晩餐』を、自らのデッキにセットした。

「だが、こいつだけは、俺自身の手で、世界中に届けてやりてえんだ」。


「ケイ、よせ!」。

俺は、目を閉じた。

脳内に、温かい記憶が流れ込んでくる。

あの日、母さんが、俺たちのために握ってくれた、朝食の、塩むすび。

『ケイ、レン。大きくなるのよ』。


父さんの声が聞こえる。

『どんなに辛いことがあっても、ちゃんと、ご飯を食べるんだよ。みんなで食べるご飯が、一番美味しいんだから』。


それが、両親の最後の記憶。

最後の晩餐。


「ああ」。

涙が、頬を伝った。


「しょっぺえな」。

15年ぶりに、俺は、味を感じていた。

それは、塩の味。そして、涙の味だった。


「レン、やれ!」。

俺は、この温かくて、しょっぱい、たった一つの記憶を、俺の魂の全てを乗せて、暴走させた。


「食らえ、世界! これが、俺たちの! 俺の、マンマの味だ!」。


閃光。

俺の意識は、そこで途絶えた。


轟音と共に、天井が崩れ落ちてくる。

レンは、意識を失って床に倒れるケイを、必死に抱きかかえた。


その時、二人の頭上に、巨大なサーバーラックが火花を散らしながら倒壊してくるのが見えた。

避ける時間はない。


レンは選択した。

彼は、何の迷いもなく、意識のないケイを突き飛ばし、自らの左腕を盾にして、その鉄の塊を受け止めた。


凄まじい衝撃音と、骨が砕ける鈍い音。

「ぐ、あああああっ!」。

激痛に顔を歪めながらも、レンはケイが無事であることを確認し、そして、崩れゆく瓦礫の中で意識を失った。

歪んだ正義ではなく、たった一人の家族を守るという、最も根源的な愛を選んだのだ。

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